第9話 あの日の光
夢を見た。
夢というより、記憶だ。何年経っても色褪せない、焼きついた記憶。目を閉じれば勝手に再生される、あの日の光景。
おれは二十三だった。
遺跡調査隊に入って二年目。デルガから樹海の深層に向かう長期調査に参加していた。メンバーは五人。隊長のベネク、記録担当のフラン、護衛のガルツとマリカ、そして鑑定担当のおれ。
楽しかった。今思い返せば、あの頃が一番楽しかった。遺跡に入るたびに見たことのない構造が現れ、壁の回路パターンが変わり、遺物が棚に並んでいるのを見つけたときの興奮は言葉にできない。
ベネクは豪快な男だった。銀牌の冒険者で、遺跡の中では誰よりも冷静だったが、外ではよく笑い、よく飲んだ。「ノル、お前の目は信用してる。だからちゃんと見ろよ」——そう言って肩を叩いてくれた。信頼されていた。それが嬉しかった。フランはおれと同い年の女で、几帳面な字で、おれの早口の鑑定結果を正確に書き取れる唯一の人間だった。ガルツとマリカは護衛の二人組。無口な大男と口の悪い小柄な女という凸凹だったが、連携だけは完璧だった。
五人で何度も遺跡に潜った。危ない目にも遭った。だが毎回、全員で帰ってきた。
あの日までは。
樹海深層の遺跡だった。それまでに入った中で最も規模が大きく、壁面の回路が異常に密な遺跡。中に入った瞬間から、魔素の濃さが段違いだった。空気が重い。通路の壁も天井も床も回路が走り、それが全て——青白い光をかすかに脈動させていた。
生きた遺跡。それも、かなり活性の高い。
おれは慎重に行くべきだと進言した。ベネクは前衛を固め、記録は最低限に絞って進むことを指示した。罠を二つ回避し、分岐路を三つ越えた。
そして、その部屋にたどり着いた。
広い部屋だった。今まで見たどの収納室よりも大きい。壁面のくぼみに数十の遺物が並んでいた。
だが目を引いたのは遺物の数ではなかった。部屋の中央に、一つだけ、台座の上に置かれた遺物があった。掌に乗るくらいの、暗い金属色の球体。表面に肉眼でも見えるほど精密な回路が刻まれていて、他の遺物とは比較にならない輝度で青白く光っていた。
鑑定士としての経験では説明できない、直感的な警告があった。
「触るな。あれには近づくな」
ベネクの判断で、中央の球体を避け、周囲の遺物だけを回収することにした。おれが鑑定し、フランが記録し、ガルツとマリカが梱包する。いつもの手順だった。
フランが壁際のくぼみの一つに手を伸ばした。一見すると他と同じ小型の金属器具だった。だがフランがそれに触れた瞬間——光った。フランの手の中で、回路が一斉に起動した。
「フラン! 離せ!」
おれが叫んだ。だが遅かった。
フランの手の中の遺物が光ると同時に、部屋の中央の球体が反応した。球体の光が爆発的に強まり、壁面の回路が連鎖的に活性化した。部屋全体が光に包まれた。
そのとき、おれは「何か」を見た。
光の中にパターンがあった。回路の光が走る方向、速度、強度——それらが一つの巨大な図形を描いていた。部屋の壁面だけではない。遺跡全体の回路が連動して、一つの信号を発していた。目ではなく、体の内側の何かが、その信号を受け取った。
理解はできなかった。だが、遺跡が「起きた」のだと感じた。
次の瞬間、天井が崩れた。瓦礫が降り注ぎ、壁が軋み、床が割れた。
フランは球体の近くにいた。台座が倒れ、球体が転がり、さらに強い光を放った。その光がフランを包んだ。悲鳴は聞こえなかった。光が強すぎて、音が消えたのか、おれの耳が聞こえなくなっていたのか。
ベネクがおれを引きずって通路に出た。走った。背後で遺跡が崩壊する音が追いかけてきた。壁面の回路が暴走し、通路そのものが歪み始めていた。
ガルツとマリカは、通路の崩壊に巻き込まれた。おれの目の前で天井が落ち、通路が塞がれた。二人の姿が、瓦礫の向こうに消えた。
ベネクとおれだけが走り続けた。出口が見えた。樹海の青い光が見えた。あと少し。
そのとき、背後で最後の崩壊が起きた。天井の大きな塊が落ちてきた。ベネクがおれを突き飛ばした。
おれは出口から転がり出た。
振り返ったとき、出口は瓦礫で塞がれていた。
ベネクの姿は、なかった。
——
目が覚めた。
自分の工房の天井。見慣れた木目。窓から差し込む朝の光。汗をかいていた。シャツが背中に張りついている。
起き上がって顔を洗った。鏡に映った顔は、いつもの疲れた顔だった。目の下の隈が、今日は少し濃い。
工房の棚に並んだ遺物が目に入った。昨日、リタと一緒に分析した五つの遺物。全てに生きた回路がある。全てが動く遺物だ。
あの日と、同じだ。
フランが触れた遺物も、動く遺物だった。不用意に触れたことで遺跡全体の防衛機構を起動させた。結果、四人が死んだ。おれだけが生き残った。
それと同じ種類の遺物が、今、デルガの闇市場に流れている。何のためかはまだわからない。だが目的が何であれ、動く遺物は扱いを誤れば人が死ぬ。
おれはあれから前線を退いた。鑑定工房を開いて、持ち込まれた遺物を手に取るだけの仕事を選んだ。遺物のことは好きだ。嘘のつかないモノたちと向き合う時間は、今でも好きだ。だが遺跡には——あの光の中には、二度と戻りたくなかった。
面倒だから、じゃない。怖いからだ。
あの日見た光のパターン。おれの中の何かがそれを受け取った感覚。あれ以来、鑑定の精度が上がった。以前は見逃していたはずの微細な違いが見えるようになった。回路の残留パターンの微妙な差異、素材構造の矛盾、経年変化の不自然さ——遺物を手に取った瞬間に、膨大な情報が流れ込んでくるような感覚がある。
長年の鍛錬の結果だ、とおれは自分に言い聞かせてきた。あの事故とは関係ない、と。だが心のどこかでは知っている。あの日、おれの中で何かが変わったことを。
考えるのをやめた。今はそれどころじゃない。
棚の遺物を見た。五つ。おれの手元にあるのはこぼれ落ちた一部にすぎない。倉庫街にはもっとある。渡った先で何が起きるか——答えは、おれの記憶の中にある。天井が崩れ、通路が塞がれ、仲間が消えていった、あの光景の中に。
放っておけば、また誰かが死ぬ。
ベネクがおれを突き飛ばしたのは、おれに生き残れと言ったからだ。少なくとも、おれはそう受け取った。生き残った人間には、義務がある。
面倒だ、とは思わなかった。怖い、とも思わなかった。ただ、やらなければならないと思った。
革のエプロンを締め直し、ルーペを首にかけた。棚の遺物を一つ手に取り、じっと見た。生きた回路が、指先の下でかすかに脈動していた。
「……お前たちが何なのか、おれが見抜いてやる」
扉を叩く音がした。
「ノルさーん! 朝ごはん食べましたかー?」
リタだった。朝から元気な声が、扉の向こうから聞こえる。
「食ってない」
「じゃあ食堂行きましょう! あと、昨日の続きの話したいんですけど!」
扉を開けた。リタがいつものように、大きなリュックを背負って立っていた。短く切った赤茶の髪が朝日に照らされている。真っ直ぐな目が、おれの顔を見て一瞬止まった。
「……ノルさん、今日なんか顔が違います」
「そうか」
「うん。なんか——面倒って顔してない」
見抜かれた。こいつは遺物の鑑定はできないが、人を見る目はある。
「リタ。一つ、話しておくことがある」
「はい」
「昔、遺跡調査隊にいたと言っただろう。事故があったと」
「……はい」
「仲間が四人、死んだ。遺跡の中で、動く遺物に触れたことが原因だった。遺跡の防衛機構が起動して崩壊が始まって、おれだけが外に出られた。隊長が——おれを突き飛ばして、自分は瓦礫の下に残った」
言葉にすると、やはり重い。だが言わなければならなかった。この先に進むなら、リタにはこれを知っておいてもらう必要がある。
リタの表情が変わった。目が大きくなり、唇が薄く開いた。
「今、倉庫街で集められているのは、あのときと同じ動く遺物だ。放っておけば、いずれ同じことが起きる」
「ノルさん……」
「おれはこの件を最後まで追う。面倒だからとか、怖いからとかじゃなく。鑑定士として、この遺物の正体を見抜いて、正しい場所に収める。それがおれの仕事だ」
だからお前は降りてもいい——と続けようとした。だが言い終わる前にリタが口を開いた。
「ノルさんがどうしてあんなに遺物のこと大事にしてるのか、やっとわかりました」
リタの目が、まっすぐおれを見ていた。いつもの快活さの奥に、芯のある光があった。
「それでも、わたしは一緒に行きます」
「危険だぞ。相手は組織的に動いている」
「一人じゃないです。ノルさんは見抜ける。わたしは動ける。それでいいじゃないですか」
反論しようとして、やめた。こいつに何を言っても無駄だということは、もう知っている。遺物を持ち込み始めた頃から、「面倒だ」と言っても帰らなかった。「危ない」と言っても遺跡に潜り続けた。
信頼できる奴だ。
「……食堂に行くぞ。腹が減った」
「はい!」
リタが笑った。いつもの笑顔だった。
丘を下りながら、朝のデルガを見下ろした。港に漁船が戻り始めている。朝市の準備が始まっている。魚の匂いと潮の香りが、坂道を上ってくる。
いつもの朝だ。騒がしくて、魚臭い港街の朝。だが今日は、少しだけ空気が違って見えた。
やるべきことが、はっきりと見えていた。動く遺物の正体を暴く。密売ルートを止める。あの日と同じ悲劇が繰り返されるのを、防ぐ。
面倒だとは、もう言わない。
少なくとも——この件が片づくまでは。




