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鑑定チートの面倒くさがり、港街の贋作事件に巻き込まれる  作者: 蒼月よる


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第7話 生きた遺跡

 デルガの東門を出てから、もう二刻は歩いていた。


 石畳が途切れ、踏み固められた土の道になり、やがてそれすらも消えた。代わりに足元を覆い始めたのは、柔らかな苔と、踏むたびに湿った音を立てる落ち葉の層だった。


「ノルさん、もうすぐですよ! 中層に入るまでがちょっとだけ大変なんですけど」


 リタが振り返って言った。大きなリュックを背負い、短剣を腰に差し、棘鱗の軽鎧の肩紐を何度も直しながら、それでも足取りは軽い。おれより十は若いというのは、こういうときに露骨に出る。


「ちょっとだけ、の基準が信用ならないんだよな、お前の場合」


「えー、そんなことないですって。前に中層までの道、ちゃんと覚えてますから」


 前に来たとき、道に迷って半日余計にかかったと聞いた気がするが、黙っておいた。


 樹海の縁はまだ見慣れた風景だった。木々はそれなりに間隔があり、日差しも差し込む。蒼牙狼の縄張りさえ避ければ、銅牌の冒険者でも歩ける領域だ。だが歩を進めるにつれて、木の幹が太くなり、枝が空を覆い始めた。


 そして、色が変わった。


 樹海の葉は青い。デルガに住んでいれば当たり前のことだが、中層に近づくとその青さの質が変わる。街から見る樹海は遠くの山のように穏やかな色をしている。だが中に入ると、その青は深く、濃く、まるで海の底にいるような気分になる。


 木漏れ日が地面に落ちると、光そのものが青く染まっていた。


「空気が重くなってきたな」


 おれは首から下げたルーペを無意識に握っていた。魔素の濃度が上がっている。肌で感じるというよりも、鼻の奥がかすかに痺れるような感覚だ。長年遺物を鑑定してきた人間には、この「手触り」がわかる。


「ですね。ここから先はちょっと頭がぼんやりする人もいるみたいで。わたしは平気ですけど」


「お前は丈夫だからな。……感心する意味じゃなく、呆れてる方の意味で」


「ひどい」


 リタが笑った。この軽さが、正直ありがたかった。


 おれが最後に遺跡に入ったのは、もう何年前になる。あの日からずっと、遺跡には近づかないと決めていた。鑑定士として遺物は扱う。だが、遺跡そのものには足を踏み入れない。それがおれの線引きだった。


 それが今、崩れようとしている。


 だが、ギルドの正式依頼を受けた以上、行かないという選択肢はない。鑑定士の目で確認しなければならないことがある。あの遺物がどこから出たのか。誰が先に手をつけたのか。


「ノルさん、あそこです」


 リタが指差した先に、地面から半ば突き出した灰色の構造物が見えた。苔と蔦に覆われ、一見すると岩の塊にしか見えない。だが違う。あれは岩じゃない。


「入口は横にあります。前に来たとき、蔦を切って入ったんですけど——」


「待て」


 おれはリタの肩を掴んで止めた。構造物の表面をよく見る。苔の下に、わずかに規則的な線が走っている。直線と曲線の組み合わせ。自然物には絶対にないパターンだ。


「これは中層の標準的な遺跡構造だな。壁面に回路が走っている。表面の腐食具合からして、少なくとも——数百年は露出していない。比較的保存状態がいい」


「さすがノルさん、見ただけでわかるんですね」


「見ただけじゃない。構造パターンで読んでるんだ。遺跡には型がある。壁面回路の配置、通路の幅、天井の高さ——それぞれの組み合わせで、遺跡の規模と層の深さがだいたい推測できる」


 早口になっていることに気づいて、口をつぐんだ。鑑定モードに入ると、つい喋りすぎる。


「いやいや、もっと聞きたいです! 遺跡の型ってどういう——」


「後でいい。先に中を見る」


 入口は構造物の側面にあった。リタが以前に蔦を切った跡が残っている。その奥に、暗い通路が伸びていた。


 リタがリュックから魔石灯を取り出し、火を入れた。小さな魔石が青白い光を放ち、通路の壁を照らす。


 壁に回路が走っていた。


 灰色の壁面を這うように、細い線が幾何学模様を描いている。魔石灯の光に反応して、回路がかすかに——ほんの微かに、青く光った。


「生きてるな」


「え?」


「この遺跡、まだ回路が活きてる。魔素が循環している。死んだ遺跡なら回路はただの模様だが、こいつは外の魔素を吸って動いている。中層の遺跡でこの状態は珍しくないが、注意が必要だ」


「注意って?」


「生きた遺跡には、防衛機構が残っていることがある」


 リタの表情が引き締まった。冒険者として、その意味はわかっているのだろう。


「前に来たときは何もなかったですよ?」


「お前が気づかなかっただけかもしれない。あるいは、お前が来た後に何かが変わったか——」


 通路を進んだ。天井は低い。おれの頭がぎりぎり触れない程度だ。リタは小柄だから余裕がある。壁の回路は奥に行くほど密になり、魔石灯の光に映し出される模様はますます複雑になっていった。


 空気が濃い。魔素の密度が、外の中層よりさらに高い。鼻の奥の痺れが強くなり、目の奥がじんわりと熱を持つような感覚があった。


「この先を右に曲がって、少し下ったところに広い部屋があるんです。遺物はそこで見つけました」


 リタの案内に従って通路を右に折れると、床が緩やかに傾斜していた。下り。遺跡の深部に向かっている。


 広い部屋に出た。


 天井が高い。魔石灯の光では全容を照らしきれないが、壁面を覆う回路の密度が尋常ではなかった。青い線が壁を、天井を、床の一部までを覆い、それら全てがかすかに脈動するように明滅を繰り返していた。


「ここです。壁際の棚みたいなところに、遺物がいくつか並んでたんです。持ち帰れるサイズのものだけ——」


「待て。棚?」


 おれは魔石灯をリタから受け取り、壁際を照らした。確かに、壁面にくぼみがいくつかある。遺物を収納するための構造だ。だがそのうちの幾つかは、すでに空だった。


 リタが持ち帰った分を差し引いても、空が多い。


「お前が持ち出したのはいくつだ」


「四つです。小さいのばかりで」


「くぼみの空きは七つ以上ある。お前の前に誰かが来ているな」


 くぼみの縁を指で触れた。ほこりの積もり方が均一じゃない。最近になって——おそらくここ数ヶ月以内に——遺物が持ち出された痕跡がある。

 そして——くぼみの奥に、小さな刻み傷があった。

 鑑定士が使う確認印だ。遺物を取り出す前に、くぼみの状態を記録するための傷。教本にある手順通りの位置、教本通りの角度。おれも調査隊時代にやっていた。

 同業者の仕業か。嫌な汗が背中を伝った。


「それって——」


「お前がここを見つける前から、誰かがこの遺跡を知っていて、遺物を持ち出していた。計画的にな。しかもこの持ち出し方は——素人じゃない。くぼみの空き方を見ろ。小さいものから順に、ではなく、特定のものだけを選んで抜いている」


 何を基準に選んだ。サイズではない。形でもない。残っているくぼみの配置を見る限り——


「回路だ」


「え?」


「くぼみの周囲の回路パターンが違う。持ち出されたくぼみの周囲は、回路の密度が高い。つまり、回路が活きている——生きた回路と接続していた遺物だけを、選んで持ち出している」


 背筋が冷たくなった。こいつらは知っている。遺物の選び方が、素人じゃない。


「ノルさん……」


「面倒なことになってきたな」


 帰るか、と言いかけたとき、足元に違和感があった。


 床の一部が、光っていた。


 さっきまでは暗かった回路が、おれが踏んだ場所を起点に、じわりと青く灯り始めている。


「下がれ、リタ」


「え、なに——」


「今すぐ下がれ!」


 リタを押し退け、自分も後ろに跳んだ。直後、床の回路が一斉に輝き、部屋の中央から天井に向かって光の柱が走った。


 空気が震えた。壁面の回路が連鎖的に活性化し、部屋全体が青白い光に包まれる。


 罠だ。いや——防衛機構の起動だ。


「ノルさん!」


「動くな! 絶対にそこから動くな!」


 おれは光の動きを見ていた。回路の活性化パターンを読んでいた。遺跡の防衛機構には型がある。回路が起動する順序、光が走る方向、活性化の速度——それぞれに意味がある。


 調査隊時代に叩き込まれた知識が、頭の奥から湧き上がってきた。


 光は部屋の中央から外周に向かって広がっている。壁面の回路は上から下へ。床の回路は外周から中央へ。この循環パターンは——


「収束型だ。中央に向かってエネルギーを集めるタイプ。部屋の外周にいれば直撃は避けられる。だが時間制限がある。回路が一巡したら次の段階に移行する」


「次の段階って何ですか!」


「通路が封鎖される。この部屋に閉じ込められる」


「それは困ります!」


「だから早く出る。——ただし、来た通路はもう使えない」


 振り返ると、おれたちが入ってきた通路の入口で、壁面の回路が激しく明滅していた。あの状態で通路に入れば、回路の放電に巻き込まれる。


「別のルートがある。この規模の遺跡なら、収納室には必ず搬入用の副通路がある。壁際を見ろ、回路の流れが途切れている場所が——」


 目を走らせた。壁面の回路は基本的に連続している。だが一箇所、回路が不自然に迂回している場所がある。あそこだ。回路が避けているということは、壁の裏に別の構造がある。


「リタ、あの壁。回路が途切れてるところ。叩いてみろ」


「はい!」


 リタが壁際を走り、指定した場所を拳で叩いた。硬い音ではなく、やや軽い響き。中が空洞だ。


「押せ。横にスライドするはずだ」


 リタが体重をかけて壁を押した。重い石の擦れる音がして、壁の一部がずれた。その向こうに、狭い通路が伸びている。


「入れ! 先に行け!」


 リタが身を滑り込ませ、おれも続いた。背後で、部屋の回路が一段と強く輝いた。光の循環が一巡した音——低い振動が床を伝わってくる。


 間に合った。


 副通路は狭く、天井が低かった。リタでも身を屈めなければならないほどだ。だが回路の活性化はこちらまでは及んでいない。搬入用の通路は、防衛機構の対象外なのだろう。


「すごい……ノルさん、どうしてわかったんですか?」


「遺跡の構造パターンだ。収納室には搬入経路がある。それは防衛機構が起動しても使える。中に入れなきゃ物を収納できないからな。道理だ」


「道理って言いますけど、あの状況で考えられるのがすごいんですよ」


 リタが感心した声を上げているが、おれの心臓はまだ早鐘を打っていた。冷静に見えたかもしれないが、内心は全然冷静じゃなかった。


 副通路は上り勾配になっており、しばらく進むと苔の匂いが濃くなった。外に近づいている。最後に低い天井を潜ると、構造物の裏手に出た。樹海の青い光が目に飛び込んできた。


 外の空気を吸った。魔素は濃いが、遺跡の中よりはましだ。


「……ったく、とんでもないことになった」


 地面に座り込んだ。足が震えている。情けないが、遺跡の中で防衛機構が起動した記憶が、別の記憶を引きずり出そうとしていた。


 あのときも、こうだった。回路が光り——


「ノルさん、大丈夫ですか?」


 リタがしゃがんで、おれの顔を覗き込んだ。


「……ああ。大丈夫だ。ちょっと足に来ただけだ。普段歩かないからな」


「嘘ですよ、それ。でも、聞きません」


 リタは笑って、水筒を差し出した。


 ありがたく受け取って、ぬるい水を飲んだ。


 帰り道は、来た道を戻った。遺跡の外に出てしまえば、防衛機構の影響はない。樹海の中層を抜け、縁に向かって歩く。青い木漏れ日が次第に薄くなり、空が広くなっていく。


 しばらく無言で歩いた。


「ノルさん」


「なんだ」


「遺跡のこと、すごく詳しいですよね。鑑定士って、あそこまで知ってるものなんですか?」


「……普通の鑑定士は、遺跡に入ることなんてない。おれが知っているのは、昔、遺跡調査隊にいたからだ」


 言ってしまった。別に隠していたわけじゃない。聞かれなかっただけだ。


「調査隊! ノルさんが?」


「若い頃の話だ。ギルドの正規調査隊に参加していた時期がある。遺跡の中に入って、構造を記録し、遺物を回収する仕事だ」


「じゃあ、さっきの知識はそのときの——」


「ああ。遺跡の構造パターンも、防衛機構の型も、全部あのとき叩き込まれた。……役に立つとは思わなかったがな」


「どうして辞めたんですか?」


 足が止まりかけた。だが、止めなかった。歩き続けた。


「……事故があった」


「事故?」


「遺跡の中で、な。仲間がいた。いい奴らだった。それだけだ」


 それ以上は言えなかった。リタもそれを察したのか、「そうですか」とだけ言って、黙った。


 しばらくして、リタが口を開いた。


「今日、助けてもらいました。ノルさんがいなかったら、わたし、あの部屋に閉じ込められてたかもしれない」


「お前一人なら、そもそも防衛機構は起動しなかったかもしれないがな」


「え、どういうことですか?」


「さっきの起動トリガーは床の圧力パターンだ。一人分の体重なら閾値を超えなかった可能性がある。二人分の重量で超えたんだろう」


「じゃあ、ノルさんのせいじゃないですか!」


「……否定はしない」


 リタが声を上げて笑った。


「でも、ノルさんがいたから助かりました。だからおあいこです」


 おあいこ、か。そう言ってもらえるのは、悪くなかった。


 デルガの東門が見えてきた頃には、空が茜色に染まり始めていた。丘の上から見下ろすデルガの街並みが、夕日に照らされて白く光っている。港に停泊する船の帆柱が、影絵のように並んでいた。


「明日、ギルドに報告する。遺跡で確認したことと——先客の痕跡について」


「はい。わたしも一緒に行きます」


「好きにしろ」


 東門をくぐった。


 街に戻ると、魚の焼ける匂いと、人の声と、生活の音が一気に押し寄せてきた。樹海の青い静寂とは正反対の、雑多で騒がしい港街の空気。


 悪くない。


 だが頭の中は、遺跡で見たものがぐるぐると回っていた。先客が持ち出した遺物。生きた回路と接続していた遺物だけを選んでいた、あの手口。


 そして——壁の回路に触れたときの、あの感覚。


 防衛機構が起動する直前、床の回路が光ったとき。おれはそれを見て、反射的に動いた。だがあの瞬間、感じたのは恐怖だけじゃなかった。


 回路が光ったとき、微かに——本当に微かに——何かがおれの中で反応した気がした。回路の光のパターンが、読めた。理屈ではなく、感覚として。


 気のせいだと思いたかった。


 だが、あの感覚には覚えがある。ずっと昔——あの事故のとき、遺跡の回路が一斉に光ったあの瞬間にも、同じものを感じた。


「ノルさん、晩ごはんどうします? 食堂行きません?」


 リタの声で、思考が途切れた。


「……ああ。腹は減ったな。魚介煮込みがいい」


「やった! わたしもそれにします!」


 考えるのは飯を食ってからでいい。


 面倒なことは、まだいくらでも残っている。


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