第6話 七年ぶりの遺跡
ギルド支部に足を運ぶのは、月に二度の鑑定報告書の提出以来だった。
デルガのギルド支部は港の東側、丘の中腹にある石造りの建物だ。一階は依頼受付と素材買取の窓口が並び、朝から冒険者たちで賑わっている。二階は銀牌以上の専用区画。そして三階の奥に、支部長の執務室がある。
受付を素通りしようとしたら、窓口の女性職員に呼び止められた。
「ノルさん、先月の鑑定報告書、まだ二件未提出ですよ」
「後で出す」
「先月も同じこと言ってましたよね」
「……後で出す」
逃げるように階段を上がった。書類仕事から逃げて、もっと厄介な話をしに行くというのも妙な話だ。
三階の廊下を進み、突き当たりの扉を叩いた。
「入れ」
低い声が返ってきた。
執務室は広くはない。壁一面の棚に依頼書と報告書の束が積み上がり、窓からは港が一望できる。机の向こうに座っているのは、デルガ支部のギルドマスター、バルドだ。
五十がらみの大柄な男で、元は銀牌の冒険者だった。右腕に古い傷跡がある。樹海の中層で苔巨人に殴られた跡だと、以前酒の席で聞いた。現場を退いてからは支部の運営に回り、もう十年以上この椅子に座っている。
「珍しいな、お前が自分から来るとは」
「呼ばれたくなかったからな」
バルドが太い指で顎を掻いた。おれが自発的に支部に来ること自体が、異常事態だと理解したのだろう。
「座れ」
椅子に腰を下ろし、懐から包みを出した。六点の遺物と、昨日の分析結果をまとめた紙だ。分析結果は工房に戻ってから夜通しで書いた。鑑定士の報告書は正確でなければならない。
「見てくれ」
バルドは包みを開き、遺物を一つずつ手に取った。それから、報告書に目を通した。太い眉が徐々に寄っていく。
「本物を贋作に偽装、か」
「ああ。六点全てに共通する手口だ。回路の残留パターンを人工的に劣化させ、表面の意匠を上書きして出自を隠している。元は生きた回路を持つ遺物だった可能性が高い」
「生きた回路——管理品目だな」
「ギルドへの報告義務がある品だ。それが、贋作として市場に流れている。正規ルートでも裏通りでも、複数の経路で出回っている。数は把握しきれていないが、少なくともおれが確認した六点以外にもあるはずだ」
バルドが報告書を机に置き、椅子の背にもたれた。革張りの椅子がぎしりと鳴った。
「お前がまた動くのは久しぶりだな」
「動きたくて動いてるわけじゃない」
「だろうな。だが、お前が自分で調べて、自分で報告書を書いて、自分から持ってきた。それがどういうことか、おれにはわかる」
返す言葉がなかった。バルドは昔から、面倒くさがりの裏にある本心を見抜く男だった。
「ノル。公認鑑定士としての正式な調査依頼を出す」
「……やはりそうなるか」
「管理品目が偽装されて流通している。ギルドとして看過できん。お前はギルド公認の鑑定士だ。この件に最も適した人間がお前であることは、お前自身がわかっているだろう」
わかっている。だから来たのだ。断る余地がないとわかった上で。
「報酬は正規の調査依頼に準じる。銀牌依頼相当だ。必要な経費も支部で持つ」
「金の問題じゃないんだが」
「知っている。だが、正式な依頼にしておく方がお前も動きやすいだろう。裏通りを嗅ぎ回るにしても、ギルドの後ろ盾があるのとないのでは違う」
それは確かにそうだ。裏通りの遺物商も、個人で来られるよりギルドの依頼で来る方が協力しやすい。表向きの大義名分は、時に裏の世界でこそ効力を持つ。
「わかった。受ける」
「最初からそのつもりだろう」
「……面倒だな」
バルドが鼻を鳴らして笑った。
「もう一つ、伝えておくことがある」
バルドの声が低くなった。笑いの色が消え、支部長の顔になる。
「軍からも問い合わせが来ている」
「軍?」
「正確には、軍の情報部だ。デルガで流通している遺物について照会があった。品目の詳細は明かさなかったが、管理品目に関する件だとは示唆していた」
裏通りの遺物商が言っていた、軍の連中がうろついている、という話と繋がった。やはり、軍情報部も同じものを追っている。
「ギルドは軍に協力するのか」
「ギルドは国家から独立した組織だ。軍の指揮下に入ることはない。だが、管理品目の流通は国家の安全にも関わる。完全に無視するわけにもいかん。情報の共有は必要に応じて行うことになるだろう」
「厄介な話だ。おれは遺物を調べたいだけで、軍の仕事に首を突っ込むつもりはない」
「お前は鑑定に集中しろ。軍との調整はおれがやる」
バルドの声には、有無を言わせない重みがあった。こういう時のバルドは頼りになる。現場を知る人間が上にいると、話が早い。
「それと——」バルドが少し間を置いた。「お前、遺跡に行く気はあるか」
その言葉に、体が一瞬こわばった。
「……何の話だ」
「報告書を読んだ。偽装された遺物の出土元を特定する必要があると書いてあるだろう。お前が書いたんだ」
自分で書いた。その通りだ。遺物の出自を確認するには、出土元の遺跡を調べるのが最も確実な方法だ。加工痕や回路の劣化パターンを遺跡の環境と照合すれば、偽装前の状態を推定できる。
だが、それは——遺跡に行くということだ。
「遺跡調査隊を辞めてから、お前は遺跡に近づいていない。もう何年になる」
「……七年だ」
「七年か」
バルドはおれの顔をじっと見た。何を思い出しているのかは聞かなかった。聞く必要がなかったのだろう。バルドは当時の支部長代理だった。あの事故の報告書を受理したのも、この男だ。
「強制はしない。遺跡の調査は別の人間に任せることもできる。だが——」
「出土元の遺物を正確に評価できるのは、現場で自分の目で見た鑑定士だけだ。代わりが利かないのはわかっている」
バルドが黙って頷いた。
沈黙が落ちた。窓の外から港の喧騒が聞こえている。荷揚げの掛け声、鉤爪で木箱を引っかける音、海鳥の鳴き声。デルガの日常だ。
七年前のことを思い出しかけて、止めた。今は、目の前の仕事に集中すべきだ。
「リタの遺跡だ」
「何?」
「問題の遺物を最初に持ち込んだのは、鉄牌のリタという冒険者だ。あいつが探索した遺跡から出ている。まずはそこを確認する」
「リタ——ああ、あの賑やかな嬢ちゃんか。漁師の家の」
「知っているのか」
「鉄牌に上がるときの審査で会った。遺跡探索の適性が高い。身軽で勘がいい。将来が楽しみだと思ったよ」
「楽しみかどうかは知らんが、うるさい」
バルドがまた笑った。
正式な調査依頼書にサインをして、執務室を出た。階段を降りながら、深く息を吐く。
遺跡か。
行きたくない。心の底からそう思う。あの暗い通路、壁を走る回路の光、魔素の濃い空気。七年前、あの場所で——
一階に降りると、入口の柱にもたれてリタが待っていた。
「あ、ノルさん! どうでした?」
「正式に調査依頼が下りた。公認鑑定士として、偽装遺物の出所を特定する」
「おお!」
「で、出土元の遺跡を確認する必要がある」
「遺跡? わたしが見つけた遺跡ですか?」
「お前がいくつ遺跡に入ったか知らんが、最初にあの円盤を持ち帰った遺跡だ」
「樹海の中層の、あの遺跡ですね。行くんですか?」
「行かなきゃ始まらん」
リタの目が輝いた。わかりやすい。
「わたしも行きます!」
「お前の遺跡だろうが。案内がいなきゃ始まらん」
「えへへ、そうですよね! わたしがいないと場所わからないですもんね!」
「調子に乗るな。あくまで案内と護衛だ。遺物に触るなよ」
「はーい!」
ギルドの玄関を出た。午後の陽が白い壁を照らし、港に光の筋を落としている。潮の匂いが風に乗ってくる。
調査は明後日からだ。準備がいる。遺跡に入るための装備の確認、魔石灯の補充、鑑定道具の点検。七年ぶりの遺跡行きだ。体が覚えているかどうかは怪しい。
「ノルさん」
「何だ」
「遺跡、久しぶりなんですよね」
「……ああ」
「大丈夫ですか?」
リタの声から、いつもの弾むような調子が消えていた。こいつは無鉄砲だが、鈍くはない。おれが遺跡の話になると顔が変わることくらい、気づいているのだろう。
「大丈夫かどうかは行ってみなきゃわからん。だが、行かないという選択肢はない」
「……はい」
「それに、お前がいるだろう。遺跡の中でおれが固まったら、蹴り飛ばしてくれ」
「蹴りませんよ! でも、引っ張りますね。ぐいっと」
「お前ならやりそうだな」
リタが笑った。港からの風が、短い赤茶の髪を揺らしている。
遺跡も、調査も、過去のわだかまりも。気が重い。
だが——この街の裏で、本物を偽物に変える誰かがいる。そいつの嘘を暴くのは、鑑定士の仕事だ。
面倒でも、嘘を見逃すわけにはいかない。
それだけは、七年前から変わっていない。




