第4話 裏通りの遺物商
デルガの裏通りに足を踏み入れるのは、半年ぶりだった。
港から丘へと続く大通りを一本外れるだけで、街の空気が変わる。石畳の目地に苔が詰まり、建物の壁は潮風で白く粉を吹いている。表通りの遺物市場では鑑定証つきの品が整然と並ぶが、ここではそんなものは必要ない。看板すら出していない店が軒を連ね、扉には鉄格子がかかっている。
朝の光がほとんど届かない路地を進む。すれ違う人間の顔つきが違う。冒険者でも商人でもない、どちらにもなりきれなかった連中。あるいは、なることを選ばなかった連中だ。
裏通りの遺物商——正規の市場には出せない品を扱う店が、この界隈には十軒ほどある。出土証明のない遺物、ギルドの鑑定を通していない品、あるいは出所そのものが怪しいもの。闇市場と呼ぶほど大げさではないが、まっとうとも言い難い。デルガの裏の顔だ。
おれがこの界隈に顔が利くのは、遺跡調査隊にいた頃の縁だ。調査隊は遺跡から持ち出した遺物を正規ルートで処理するのが建前だが、現場の人間は裏の流通にも精通していた。そうでなければ、本物と偽物の見分けがつかない。
目当ての店は、路地のどん詰まりにある。扉に目印はない。ただ、蝶番の錆び方で店が生きているかどうかがわかる。最近も開け閉めされている——営業中だ。
扉を三回叩く。間を置いて、もう一回。
「……誰だ」
くぐもった声が返ってきた。
「ノルだ。鑑定士の」
しばらく沈黙があった。それから、鉄格子が内側から外される乾いた音がした。
扉が開くと、薄暗い店内に魔石灯のぼんやりした光が浮かんでいた。棚には雑多な遺物が並んでいる。金属の欠片、ガラス質の板、歯車のような部品。正規の市場では「ゴミ」として値もつかないものばかりだが、わかる人間にはわかる。ここにあるのは全て本物だ。少なくとも、以前はそうだった。
「久しぶりだな、ノル。何年だ」
店主のゴルツが奥のカウンターに肘をついていた。白髪交じりの頭に深い皺。痩せた体を厚い革の上着で包んでいる。昔から変わらない格好だ。
「半年だ。去年の冬にも来ただろ」
「半年か一年か、この歳になると同じだ。で、鑑定か? それとも買いにきたか?」
「どっちでもない」
おれは懐から布に包んだ遺物を取り出した。リタが持ち込んだ「贋作」のうち、最も特徴がはっきり出ているものだ。カウンターの上に置き、布を開く。
ゴルツの目が細くなった。
金属の円盤。表面に繊細な紋様が刻まれ、縁には微かに回路の痕跡がある。一見すると、よくある遺跡の出土品だ。
「見てくれ」
「……触っていいか」
「ああ」
ゴルツが円盤を手に取り、魔石灯の下で回した。指先で表面をなぞり、重さを確かめ、爪の先で縁を弾く。
「悪くない。中層の出土品だろう。銀貨十枚——いや、回路が残っているなら十五枚か」
「贋作だ」
「……何?」
「この削り痕を見ろ。表面の紋様は手彫りだ。本来の出土品なら、紋様は鋳造時に刻まれている。刃の入る角度が浅すぎる」
ゴルツが眉をしかめ、もう一度円盤に目を近づけた。
「言われてみれば——いや、しかしこの経年変化は本物だろう。数百年は経っている」
「それがおかしいんだ。紋様は手彫りの贋作なのに、素材の経年変化は本物と矛盾しない。普通の贋作師にはできない仕事だ。この手の品に心当たりはないか」
ゴルツはしばらく円盤を見つめていた。それから、ゆっくりとカウンターに置き直した。
「最近、似たような品がうちにも流れてきた」
「やっぱりか」
「二月ほど前からだ。出所は聞いていない。仲介が一枚噛んでいる。品は悪くないから深く詮索しなかったが——贋作だと言うなら話は別だ」
「仲介は誰だ」
「名前は知らん。だが、港の方から来る連中だ。船乗り崩れみたいな風体だった」
港か。食堂の主人が言っていた「見慣れない連中」と繋がる。
「もう一つ聞きたい。この界隈で最近、変わったことは」
ゴルツが椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「変わったこと、ねえ。……一つある。軍の連中がうろついている」
「軍?」
「ああ。制服は着ていないが、わかるだろう。背筋の伸ばし方と、目の配り方が違う。この通りを何度か歩いているのを見た。買い物に来ているわけでもなさそうだ」
軍——反宗教国家の正規軍だ。この国は遺跡発掘を推進しているが、軍には軍の思惑がある。特に情報部は、遺物の回収を独自に行っていると聞く。
「軍が裏通りに何の用だ」
「さあな。だが、お前も気をつけろ。鑑定士が裏通りを嗅ぎ回っているとなれば、目をつけられる」
「厄介だな……」
ゴルツが薄く笑った。
「お前はいつもそう言う。だが来るということは、気になっているんだろう」
返す言葉がなかった。
ゴルツの店を出て、裏通りを引き返す。潮の匂いが路地の奥にまで染み込んでいる。石壁に背中を預けて煙管をくゆらす老人、木箱の上で骰子を振る若い連中。この界隈は昼でも薄暗いが、人の気配だけは途切れない。
もう二軒ほど回った。どの店でも似たような話が出た。二、三月前から出所不明の遺物が流れてきている。品質は高い。仲介を通しているが、元の売り手は見えない。
そして——軍の影がちらつく。
裏通りの出口に着いた頃、見慣れた人影が手を振っているのが見えた。
「ノルさーん!」
リタだ。短い赤茶の髪を揺らしながら駆けてくる。棘鱗の軽鎧に大きなリュック。いつもの格好だ。
「おつかれさまです! 聞き込み、結構いい話聞けましたよ!」
「声がでかい。場所を考えろ」
「あ、すみません」
リタが声を落とした。それでもまだ充分に大きいが、この際仕方ない。
「食堂で話そう。ここでする話じゃない」
表通りに出て、海沿いの食堂に入った。昼過ぎで客はまばらだ。窓際の席に着き、魚介の煮込みを二つ頼む。
「で、何がわかった」
リタが身を乗り出した。
「冒険者仲間に聞いて回ったんですけど、最近『いい遺物が安く手に入るルート』があるって噂になってるんです。正規の市場より三割くらい安いらしくて」
「三割安い。ギルドの手数料を抜いてもか」
「そうなんです。出土証明なしで、仲介の人に直接お金を払う形みたいで。銅牌や鉄牌の冒険者で、あまりお金のない人たちの間で広まってるって」
「どこで取引しているか聞いたか」
「港の倉庫街のどこか、としか。具体的な場所は取引する人にしか教えないみたいです。でも、倉庫街の東側って言ってました」
港の倉庫街の東側。裏通りの遺物商にも、港方面から品が流れてきていた。方角が一致する。
食堂の主人が煮込みを運んできた。白身魚と貝と根菜が、香草の効いた出汁で煮込まれている。湯気が立つ。
「そっちはどうでした?」とリタが聞いた。
「似た話だ。裏通りの遺物商にも、出所不明の品が流れている。仲介を一枚噛ませて、元の売り手は隠している」
「じゃあ、やっぱり同じところから出てるんですね」
「港の倉庫街が出所——少なくとも中継地点だろうな。裏通りにも冒険者にも同じルートで流している」
煮込みを口に運んだ。白身魚がほろりと崩れる。いい出汁だ。だが、味わっている余裕があまりない。
「もう一つ、気になる話があった」
「何ですか?」
「裏通りの遺物商が言っていた。最近、軍の連中がこの辺をうろついている、と」
「軍? なんで?」
「さあな。だが、贋作の流通と軍の動きが同時期に起きているのは偶然じゃないかもしれない」
リタが煮込みの中の貝をつつきながら、首をかしげた。
「ノルさん、これ——けっこう大事なんじゃないですか」
「……面倒なことになってきたな」
「面倒って言いますけど、ノルさん、目がちょっと楽しそうですよ」
「楽しくない。全く楽しくない」
嘘だった。いや、楽しいという表現は正確ではない。気になるのだ。鑑定士として、この違和感を放置できない。贋作にしてはおかしい遺物。出所不明の流通ルート。軍の影。全てが繋がっているような気がする。
煮込みを食べ終え、煎じ茶を啜る。
「港の倉庫街か。行ってみる必要があるな」
「行きましょう! わたし、倉庫街の東側なら少し土地勘ありますよ。漁師の家の子供は港で遊んで育つので」
「お前が先に行くな。まず下調べだ。急いで動いて目立つのは得策じゃない」
「はーい」
返事は素直だが、目が落ち着いていない。放っておけば一人で走り出しそうな目だ。
煎じ茶のおかわりを受け取りながら、ふと聞いた。
「お前、なんで遺跡なんか潜ってるんだ。漁師の家なら、家業を継ぐ方が楽だろうに」
リタの手が止まった。
「……父が、浜で拾ったんです。子供の頃」
「何を」
「遺物。嵐のあと、波打ち際に流れ着いてた金属の板。父は魚の重しにでもするかって言ってたけど、わたしが触ったら——なんか、温かかったんです。生きてる感じがして」
リタがカップを両手で包んだ。
「それをギルドに持っていったら、銀貨で何十枚にもなって。父の船の修理代が全部まかなえたんです。あの遺物がなかったら、あの年の冬を越せたかわからない」
「……それで冒険者に」
「遺物って、すごいなって思ったんです。何百年も前の誰かが作ったものが、今のわたしたちを助けてくれる。それがどこから来て、何のために作られたのか、知りたくなって」
リタが顔を上げた。いつもの快活さとは少し違う、静かな光が目にあった。
「だから、偽物を本物に見せかけて——いえ、本物を偽物にして流してる人がいるなら、わたしも放っておけないんです。あの遺物に助けてもらった側として」
おれはしばらく黙って、煎じ茶を飲んだ。
こいつが遺物に執着する理由が、ようやくわかった。物好きな駆け出しだと思っていたが、違う。原体験がある。
「リタ」
「はい?」
「明日、もう一度工房に来い。朝市で集めた贋作と、お前が持ち込んだやつを全部並べてみる。出所を探る前に、まず品物を徹底的に調べる。鑑定士のやり方だ」
「わかりました! でもノルさん——」
「なんだ」
窓の外に目をやった。港の向こうに、倉庫街の屋根が並んでいる。
「——放っておいて、もっと厄介なことになるのは御免だ」
リタが笑った。口では渋りながら動くおれのことを、こいつはもう見抜いている。
会計を済ませ、食堂を出た。午後の日差しがデルガの白い壁を照らしている。港からは荷揚げの掛け声が聞こえ、路地では子供が走り回っている。いつもの港街の風景だ。
だが、その裏側で何かが動いている。
贋作の出所、港の倉庫街、軍の動き。一つずつ糸を手繰っていけば、いずれ全体像が見えてくるはずだ。
面倒だが、見えてしまったものは無視できない。
それが鑑定士という生き物の業だ。




