第3話 嘘のつき方には癖がある
翌朝、おれはいつもより早く坂を下りた。
空はまだ薄暗く、東の水平線がようやく白み始めた頃だ。港の灯台に魔石灯の青白い光が残っている。潮の匂いが濃い。漁船が何隻か沖から戻ってきていて、波止場では荷揚げの声が響いていた。
デルガの朝は、漁師が一番早い。次に魚屋が来て、それから一般の客が降りてくる。遺物商が店を開くのはもう少し後だが、常連は早い時間から顔を出している。
朝市の魚屋通りを抜ける。今朝の並びは上々だった。銀色の平魚が氷の上に扇形に並べられ、隣では岩貝の殻を割る音がリズミカルに響いている。太った海老の籠が積み上がり、干し棚には昨日の獲物が吊るされていた。
手頃な平魚を一尾と、岩貝を五つ選ぶ。今日は食堂で食うつもりだったが、夜の分も確保しておく。
「ノルさん、今日は岩貝も買うのかい?」
「たまにはな」
「いいね、通だね。今朝の岩貝は身が太いよ。潮が良かったんだろうね」
魚屋の親父に銅貨を渡し、油紙の包みを受け取る。
それから、朝市の南端——遺物商の一角に足を向けた。
早朝の遺物商通りは、まだ客がまばらだった。おれは顔見知りの店を回った。
リタから預かった遺物のことは伏せて、遠回しに聞く。最近、妙な品が市場に出回っていないか。
露店のダズも、ガラス棚を構えたバルトも、同じことを言った。ここひと月ほどで品質の高すぎる贋作が増えている。出所がわからない。中層出土品を装った金属加工品が多く、少額で大量に市場に紛れ込ませている。
「癖がない。いや、癖がないこと自体が癖というべきか」
バルトの言い方が、耳に残った。鑑定士と同じことを考える遺物商は、信頼できる。
三軒目は、裏通りに近い場所のやや怪しげな店だ。店主の名前は知らない。おれがギルドの公認鑑定士だと知ったうえで、それでも付き合ってくれる程度の関係だ。
「贋作ね。増えてるよ。だが、それだけじゃない」
店主は声を落とした。
「闇市場の方でも動きがあるんだ。見慣れない品が流れてきてる。出所不明の遺物だ。贋作かどうかもわからない——あんたに見せたいくらいだよ」
「闇市場か」
「あんたは公認鑑定士だから深入りしないほうがいいがね。ただまあ、噂として聞いてくれ。最近、港の方に見慣れない連中が出入りしてるって話もある」
三軒を回り終えて、おれは遺物商通りを離れた。
——ふと、首筋がざわついた。
遺物商通りと裏路地の境にある石段の上に、誰かが立っていた。外套のフードを深く被った、痩せた人影。こちらを見ている——いや、見ていたのか。おれが目を向けた瞬間には、もう背を向けて路地の奥に消えていた。
気のせいか。朝市の人混みなら、目が合う奴くらいいるだろう。
だが、気のせいで済ませていい空気ではなかった。三軒目の店主が言っていた「遺物商の方をじろじろ見ている奴がいる」という言葉が、頭の隅にこびりついている。
面倒な匂いが、また一段と濃くなった気がした。
頭の中で情報を整理する。贋作が増えている。品質が高い。出所不明。そして闇市場にも動きがある。
リタが持ち込んだ遺物——あの「本物を偽物に見せかけた」品は、この流れの一つなのか。それとも別の話か。
考えながら坂を上り、港を見下ろす通りにある食堂「マルゴの竈」に入った。
海沿いに立つ石造りの小さな食堂で、窓の向こうに入り江が見える。テーブルが六つ。朝は漁師と冒険者で混み合うが、この時間はまだ席に余裕があった。
「おう、ノル。いつもの席空いてるよ」
竈の前に立つ大柄な女主人——マルゴが、布巾で手を拭きながら声をかけてきた。白髪交じりの髪を後ろで束ね、油染みだらけの前掛けをしている。デルガで三十年食堂をやっている古株で、おれが工房を開いた頃からの付き合いだ。
「焼き魚と硬パンでいい」
「煎じ茶もつけるだろ? あんた、煎じ茶なしだと目が死んでるからね」
「……頼む」
窓際の席に着く。テーブルの上には塩壺と、魚醤の小瓶が置いてある。デルガの食堂の定番だ。
しばらくして、マルゴが皿を運んできた。平魚の塩焼きが一尾、硬パンが二切れ、そして湯気の立つ煎じ茶。
平魚の皮がぱりぱりに焼けている。身を箸で割ると、白い湯気とともに脂がじわりと滲んだ。塩加減が絶妙で、魚の甘みが引き立つ。デルガの平魚は脂が乗っている割にしつこくなく、朝の一尾に丁度いい。
硬パンを魚の脂に浸して食べる。穀物の素朴な味と魚の旨味が混じって、悪くない。煎じ茶で口を洗うと、苦味の奥にほんのり甘みがある。マルゴの煎じ茶は、樹海の薬草に港で採れる海藻を少し混ぜてある。他の店では出ない味だ。
「マルゴ、ちょっと聞いていいか」
「なんだい」
「最近、港に変わったことはないか。見慣れない連中が出入りしてるとか」
マルゴが眉を上げた。
「あんたがそういうこと聞くの珍しいね。面倒ごとは嫌いだろうに」
「嫌いだ。だが聞いている」
「ふうん」
マルゴは竈の方を向いたまま、鍋をかき混ぜた。大きな鉄鍋——いや、装甲片の鍋だ。中では魚介煮込みがことこと煮えている。貝と白身魚と根菜を、魚醤と香草で煮込んだデルガの定番料理だ。
「まあ、あるよ。ここ半月くらいかね。港の東側——倉庫街の方に、見たことない顔がうろうろしてる。漁師じゃないし、冒険者でもない。荷を動かしてるふうでもないのに、倉庫のあたりをぶらぶらしてるんだ。うちの常連の漁師も気にしてたよ」
「倉庫街か」
「あとね、朝市にもたまに来るんだ。遺物商の方をじろじろ見てるのがいる。買うわけでもなく、ただ見てる。気味が悪いって、ダズが言ってたよ」
ダズもか。さっき聞いた話と繋がる。
煎じ茶を啜りながら、窓の外を見た。入り江に朝の光が降り注いでいる。波止場には漁船が並び、荷揚げの作業が続いていた。穏やかな光景だ。
だが、その穏やかさの下で何かが動いている。
「ノルさーん!」
食堂の扉が勢いよく開いて、聞き慣れた声が飛び込んできた。
「おはようございます! あ、マルゴさんもおはようございます!」
「おやリタちゃん。元気だねえ、朝から」
「はい! いい匂いしますね、魚介煮込みですか?」
「まだ仕込み中だよ。昼からだね」
「ええー、食べたかったなあ」
リタが向かいの席にどすんと座った。大きなリュックを椅子の横に下ろす。
嫌な予感がした。
「……おい、リタ」
「あ、ノルさん。探しましたよ。工房にいなかったから、ここかなって」
「おれの行動パターンを把握するな。気持ち悪い」
「だってノルさん、朝市か工房かここしかいないじゃないですか」
否定できない自分が情けなかった。
「で、何の用だ」
「昨日の話、気になって寝られなくて——」
「寝ろ」
「——それで今朝、ギルドの掲示板を見てきたんです。そしたら他の冒険者も、似たような話をしてて。中層で変な遺物を見つけたって人が何人かいるんです」
「何人か?」
「三人です。みんな第三層から第四層あたり。で、その人たちの遺物を見せてもらったんですけど——」
リタがリュックからごそごそと何かを取り出した。布に包まれた小さな塊。
「これ、貸してもらいました。鑑定してほしいって言ったら快く貸してくれて」
布を開くと、拳半分ほどの金属片が出てきた。形状は違うが——手に取った瞬間、指先にあの感触があった。
表面の酸化被膜。均一すぎる経年変化。そして、その下にうっすらと隠された回路の残留痕。
「……同じだ」
「やっぱり?」
「同じ手口だ。外見をプレ・ナノマシン期の遺物に偽装してあるが、中にナノマシン時代の回路痕がある。経年変化の処理方法も、回路の断裂パターンも——昨日の品と同じ特徴を持ってる」
リタがもう一つ、布包みを取り出した。
「これも。別の冒険者から借りました」
手に取る。同じだ。三つ目も同じだった。
偶然ではない。同一の人間が——あるいは同一の手法で——複数の遺物を偽装している。しかもそれが、中層の複数の地点から出土している体裁で市場に流れ込んでいる。
「ノルさん、顔怖いですよ」
「考えてるんだ。黙ってろ」
煎じ茶のカップを手の中で回しながら、情報を整理した。
贋作が増えている——遺物商の証言。品質が高く、出所不明。闇市場にも動き。港に見慣れない連中。そして、リタが中層で見つけた偽装遺物と同じ特徴を持つ品が、複数の冒険者の手を経て出回っている。
点と点が線になりかけている。だが、まだ全体像が見えない。
誰が、何の目的で、本物の遺物を偽物に仕立てて流通させているのか。
「リタ」
「はい」
「この遺物を貸してくれた冒険者たち、出土場所の詳細は聞いたか? 遺跡のどの通路、どの区画か」
「聞きました! メモしてあります!」
リタが懐から折り畳んだ紙を取り出した。思ったより仕事が早い。
「えっと、一人目は第三層の南壁通路、二人目は第四層の東側広間、三人目は第三層の北側の——」
「待て。全部違う場所か?」
「はい。バラバラです」
つまり、一箇所に隠されていたものをまとめて見つけたのではない。遺跡内の複数の地点に、個別に置かれていた——あるいは、紛れ込ませてあった。
「……誰かが、遺跡の中に偽装遺物をばらまいている」
「ばらまいてる?」
「冒険者が拾って持ち帰ることを見越して、中層のあちこちに仕込んである。冒険者は自分が遺跡で見つけた出土品だと思って市場に持ち込む。市場に出た品は、鑑定を通る——なぜなら偽装の精度が高いから。そうやって、正規の出土品として流通する」
「そんなことする理由って——」
「わからん。だが規模が大きい。一人二人の冒険者じゃなく、市場全体に影響が出るレベルで動いてる。組織的だ」
マルゴが煮込みの鍋をかき混ぜる音が、しばらく食堂に響いていた。
おれは冷めた煎じ茶を飲み干して、立ち上がった。
「マルゴ、勘定」
「焼き魚定食で銅貨七枚。リタちゃんは?」
「わたし硬パンと煎じ茶ください!」
「お前の分は自分で払え」
「払いますよう。もう、ケチなんだから」
銅貨を置いて食堂を出る。リタが硬パンを咥えたまま追いかけてきた。
「ノルさん、これからどうするんですか?」
坂を上りながら、港を見下ろした。入り江の水面が朝日を受けてきらきらと光っている。倉庫街の灰色の屋根が、その手前に並んでいた。見慣れない連中が出入りしているという、あの倉庫街。
「……面倒だな」
「それ、やる気のある『面倒だな』ですよね。わたしもう見分けつきますからね」
「うるさい。黙ってパンを食え」
工房に戻ったら、まずリタが借りてきた遺物を精密鑑定する。回路の残留パターンを昨日の品と比較する。一致する特徴が多ければ多いほど、同一犯の仕事だという確証が強まる。
朝市で魚を買って、工房で鑑定して、夕方は食堂で飯を食う。それだけの日常を望んでいたはずなのに、気がつけば厄介ごとの真ん中に立っている。
だが——嘘は見逃せない。
遺物は嘘をつかない。嘘をつくのはいつだって、遺物を扱う人間の方だ。
そして嘘のつき方には癖がある。その癖を辿れば、いずれ嘘をついた人間に辿り着く。
丘の中腹の工房が見えてきた。看板の「鑑定工房ノル」の文字が、朝の光を受けて白く浮かんでいた。
今日もまた、嘘を追う一日になる。




