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鑑定チートの面倒くさがり、港街の贋作事件に巻き込まれる  作者: 蒼月よる


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12/12

第12話 悪くない朝

 港街デルガの朝は、魚の匂いから始まる。


 何も変わらない。倉庫街の騒動から三日が経って、街はいつも通りの顔をしていた。石畳の坂道を下り、港沿いの広場に出ると、朝市の喧騒が耳を叩く。


「鯛もどき、今朝は型がいいよ! 見てってよ!」

「岩貝、岩貝! 朝獲れ! でかいの揃ってるよ!」


 漁師たちの声。銀色に光る魚の山。氷の代わりに魔石の冷気で鮮度を保った木箱。何も変わっていない。変わっていないことが、少しだけ嬉しかった。

 いつもの魚屋の前で足を止める。白身魚の鱗の艶を確認し、目の透明度を見て、鰓の色を確かめる。うん、今日のは悪くない。


「ノルさん、おはよう。今日もお目が高い」

「目がいいのは商売柄だ。この白身、二尾くれ」

「はいよ。——ところでさ、聞いたよ。倉庫街で何かあったんだって? ギルドの警備隊が夜中に動いたとか」

「さあな。おれは鑑定士だ。倉庫街のことは知らん」

「またまた。でも最近、変な品が出回らなくなったって遺物商の連中が喜んでたぜ」


 魚屋の親父が笑いながら魚を油紙に包んでくれる。銅貨を四枚置いた。


 遺物商の一角を通りかかると、何人かの商人が声をかけてきた。


「おう、ノル。最近贋作が減ったよ。ありがてえ話だ」

「おれは何もしてないが」

「はいはい、何もしてない何もしてない。でもよ、品物の質が安定してくれるのは助かるんだよ。贋作が混じると、真面目にやってるおれらまで疑われるからな」

「まっとうな商売をしていれば、疑われる心配はない」

「お前に言われると耳が痛いわ」


 遺物商たちが笑った。おれも少しだけ口元を緩めた——つもりだったが、多分いつもの面倒そうな顔のままだっただろう。


 坂を上り、海沿いの食堂に寄った。いつもの席。窓から港が見える。朝の光が海面に反射して、白い筋を引いている。


「おう、ノル。いつもので良いかい」

「ああ。魚介煮込みと硬パン」

「今日の煮込みは出来がいいぞ。朝一番に仕入れた岩貝がたっぷり入ってる」


 食堂の主人が厨房に引っ込み、しばらくして湯気の立つ鉢が運ばれてきた。

 赤茶色のスープの中に、白身魚の切り身、岩貝、海老、それに根菜が沈んでいる。デルガの魚介煮込みは、魚の出汁と香辛草を合わせた濃厚な味が特徴だ。硬パンを浸して食べると、朝の体が温まる。


「うまいな」

「だろう? ——なあ、ノル」


 食堂の主人がカウンターに肘をついた。


「この前言ってた、港に見慣れない連中が来てるって話。あれ、最近ぱったりいなくなったんだよ」

「そうか」

「なんかあったのか?」

「さあ。潮の流れが変わったんじゃないか」

「潮の流れって、お前……まあいいけどさ」


 主人が肩をすくめて笑った。おれは煮込みの最後の一口をパンで掬い、煎じ茶で流し込んだ。


 食堂を出て、丘の中腹にある工房に向かう。朝の光が石畳を白く照らし、港から吹き上がる風が心地いい。事件が終わって三日。おれの日常は元に戻りつつあった。

 工房の扉を開ける。作業場の棚には相変わらず遺物のサンプルがぎっしりと並んでいる。机の上には昨日の鑑定依頼の品が三点、台帳と一緒に置いてあった。

 革のエプロンを着けて、ルーペを首にかける。椅子に座り、一つ目の遺物を手に取ろうとしたところで——机の端に、見慣れない封筒があることに気づいた。


 ギルドの紋章入りだ。


 封を切ると、中に一枚の書状が入っていた。


『冒険者ギルド・デルガ支部より、遺物鑑定士ノル殿に対し、感謝状を贈呈する。港街デルガにおける違法遺物取引の摘発に際し、専門知識を活かした多大なる貢献に対し、ここに深く感謝の意を表する。——ギルドマスター バルド』


「……面倒な」


 感謝状を机の端に放った。こういうのは苦手だ。紙一枚もらっても飯は食えない。だが、バルドのことだ。報酬は別途出してくるだろう。それはありがたく受け取る。鑑定士も霞を食っては生きられない。

 感謝状を眺めて、ため息をついた。事件のことを思い出す。ヴィクトの顔。倉庫の中の遺物。リタの笑顔。長い夜。

 ヴィクトは今、ギルドの拘留施設にいるはずだ。元鑑定士への処分がどうなるかは、おれの知るところではない。だが、あの男の鑑定の腕が失われるのは——やはり惜しいと思った。


 三点の鑑定依頼を片付けていると、工房の扉が勢いよく開いた。


「ノルさん! おはようございます!」


 赤茶の短い髪。きらきらした目。大きなリュックが体の幅からはみ出している。

 リタだった。


「……お前、ノックくらいしろ」

「しましたよ? 返事がなかったので入りました」

「聞こえなかった。鑑定中は耳が遠くなるんだ」

「知ってます。だから入りました」


 反論の余地がなかった。


 リタがリュックを床にどすんと下ろした。中身がじゃらじゃらと音を立てる。いつもの光景だ。事件の前も、事件の最中も、そして事件の後も——こいつはこうやって遺物を持ち込んでくる。


「また遺跡行ってきたのか。事件の後で疲れてないのか」

「元気ですよ! むしろ、遺跡に行かないと体がなまるっていうか」

「冒険者ってのは頑丈にできてるな」

「それに——」


 リタがリュックの中から、布に包まれた何かを丁寧に取り出した。他の遺物より慎重な扱いだ。あの時と同じだ。最初に妙な遺物を持ち込んだときと。


「ノルさん、また面白いの見つけました!」


 おれはルーペを外して、リタを見た。期待に満ちた目。好奇心が顔全体に溢れている。この表情を、おれは嫌いではなかった。嫌いではない。


「今度は中層の西側です。前に行ったことのない区画に入れたんです。崩落を迂回して——」

「待て。また崩落を抜けたのか。危ないだろうが」

「大丈夫です、ちゃんと安全を確認してから入りましたよ。ノルさんに教わった通り、層位と通路パターンを見て——」

「おれが教えたのは知識であって、無茶をしていいとは言ってない」

「無茶じゃないです。計算です」

「計算ができる冒険者は、計算外のことが起きたときに一番危ない」


 リタが「うっ」と詰まった。おれは手を差し出した。


「……見せろ」


 布を開いた。手のひらに乗る大きさの、不規則な形の金属片。表面は黒ずんでいて、一見すると価値のない屑鉄に見える。だが——指先が触れた瞬間、微かな感触があった。

 回路の残留痕。ごく微弱だが、確かにある。


「……」

「ノルさん? どうですか?」

「黙ってろ。見てる」


 ルーペを当てた。表面の酸化被膜。黒ずみの下にある金属の質感。重量のバランス。

 これは——何だ。回路の残留痕はあるが、動く遺物とは違う。もっと古い。もっと深い層の出土品だ。見たことのないパターンが、金属の奥に眠っている。


「出土層は?」

「中層の西、第四層に近いところだと思います。壁に回路の痕があって、でもほとんど消えかかってて——」

「第四層か」


 第四層。中層の最深部。おれが調査隊時代に入った限界の層だ。その先は深層——銀牌以上の冒険者でなければ踏み入れない領域になる。


 遺物を机に置いた。腕を組んで、しばらく眺めた。

 あの匂いがする。面倒な匂いだ。

 だが——嫌な匂いではなかった。鑑定士の好奇心を刺激する、あの匂いだ。この遺物が何なのか、知りたい。見抜きたい。指先が覚えている、あの感触の正体を確かめたい。


 工房の窓から、港が見えた。朝の光の中で、漁船が行き交っている。朝市の喧騒が、丘の中腹まで微かに聞こえてくる。デルガの日常。おれの日常。

 その日常の中に、リタが遺物を持ち込んでくる。面倒で、厄介で、退屈させてくれない。


 棚を見た。遺物のサンプルが並んでいる。事件の前より、少しだけ数が増えていた。リタが持ち込んだ品の中から、鑑定の参考になりそうなものをいくつか残しておいたのだ。

 工房に遺物が増えること。それは——悪くない、と思った。


「ノルさん、どうですか? 面白いやつですか?」


 リタが身を乗り出している。目が光っている。


 おれはため息をついた。深く、長い、いつもの溜息だ。


「面倒だな」


 遺物を手に取った。ルーペを目に当てる。


「……まあいい、見せてみろ」


 リタが嬉しそうに笑った。


 港街デルガの朝は、今日も魚の匂いから始まる。そしておれの工房には、今日も面倒ごとが転がり込んでくる。

 面倒だ。本当に面倒だ。

 だが——まあ、悪くない。


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