第1話 面倒な匂いしかしない
港街デルガの朝は、魚の匂いから始まる。
まあ、おれに言わせれば「魚臭い」の一言なのだが。
潮風に混じった生臭さが丘の中腹まで昇ってくる頃には、朝市はとっくに動き出している。石畳の坂道を下っていくと、灰色と白の建物に挟まれた港沿いの広場に、所狭しと屋台が並んでいた。
威勢のいい漁師の声。銀色に光る魚の山。氷の代わりに魔石の冷気で鮮度を保った木箱が積み上がり、その隣では干物を吊るした竿が何本も突き出ている。
「鯛もどき、今朝は五匹で銅貨三枚だよ!」
「こっちは岩貝! 殻付き、殻付き! でかいの入ったよ!」
デルガの朝市は、港街の胃袋そのものだ。海に面したこの街では、内陸の街と違って魚介が食卓の主役になる。装甲猪の肉より白身魚の焼き物、蒼苔スープより貝の味噌汁。おれがこの街に居着いた理由の半分は、この魚介のうまさにある。
残りの半分は——まあ、面倒だから言わない。
魚屋の台を覗き込んで、手頃な白身魚を二尾選ぶ。鱗の艶、目の透明度、鰓の色。鮮度を見極めるのは、遺物の鑑定に比べれば何の苦労もない。
「ノルさん、今日も早いね」
「魚は朝だろ。昼に来たら残りかすしかない」
「鑑定士ってのは目がいいねえ。うちの魚の良し悪しまで見抜かれちゃ商売あがったりだ」
魚屋の親父が笑いながら魚を油紙に包んでくれる。銅貨を四枚置いて、坂を少し戻る。
朝市の厄介なところは、魚屋だけで済まないことだ。
広場の南端には遺物商の一角がある。木箱に雑多な金属片を並べた露店から、ガラス棚に整然と陳列された店舗型の商店まで、規模はさまざまだ。反宗教国家の主要港であるデルガには、遺跡から持ち帰られた遺物が各地から流れ込んでくる。真贋入り交じり、玉石混淆。カオスという言葉がそのまま形になったような光景だった。
おれは遺物商の一角をちらりと見て、目を逸らした。ここに足を踏み入れると面倒なことになる。誰かが声をかけてきて、鑑定してくれと言い出す。朝から仕事はごめんだ。
魚を抱えて坂を上り、丘の中腹にある自分の工房に戻る。
石造りの小さな建物だ。一階が作業場で、二階が住居。入口の看板には「鑑定工房ノル」とだけ書いてある。港を見下ろす立地で、天気のいい日は窓から入り江全体が見渡せた。
作業場の壁には棚が並び、遺物のサンプルがぎっしりと収まっている。旧文明の金属片、磨耗した歯車、割れた管の断面。ナノマシン時代以前の物理遺物が大半だが、いくつかは微かに回路の残留痕を持つ——そういう特殊な品も混じっていた。どれも鑑定の参考資料として集めたものだ。
ルーペを首から下げたまま魚を二階の台所に置き、作業場に戻る。革のエプロンを着けて、今日の鑑定依頼の品を棚から出した。
昨日の夕方に冒険者が預けていった遺物が三点。
一つ目、手のひら大の金属板。表面に細かい刻印がある。
「……プレ・ナノマシン期の標準規格だな。刻印の配列がBタイプ。素材はアルミ系合金で、経年による酸化被膜が均一。出土層は中層の上部、おそらく第三層あたりか」
机の上の台帳を開いて、鑑定結果を書き込む。真贋判定——本物。市場相場で銀貨二枚程度。つまらない品だが、まあ仕事だ。
二つ目、円筒形の部品。一部が欠けている。中に歯車状の構造が見える。
「動力機構の一部だな。歯の噛み合わせの精度が高い。欠損部を除けば保存状態は良好。ただし——」
指先で欠けた部分を撫でる。断面の酸化具合が周囲と微妙に異なる。
「この欠けは出土後についたものだ。つまり、掘り出すときに雑に扱った。冒険者の扱いが悪い。完品なら銀貨五枚はいったのに、これじゃ三枚がいいとこだ。言いにくいな、依頼人に伝えるのが」
三つ目を手に取ろうとしたところで、工房の扉が勢いよく開いた。
「ノルさん! おはようございます!」
赤茶の短い髪。きらきらした目。小柄だが身のこなしが軽く、棘鱗の軽鎧の上から背負った大きなリュックが、体の幅より明らかにはみ出している。
鉄牌の冒険者、リタだ。遺跡探索を専門にしている駆け出しで、最近よくうちに遺物を持ち込んでくる。
「……おい、朝っぱらからその荷物は何だ」
「遺跡行ってきたんです! 中層の東側、前に話してたとこ! いっぱい見つけました!」
リタはリュックを床にどすんと下ろした。中身がじゃらじゃらと音を立てる。おれは顔をしかめた。
「お前、遺物の扱いがなってない。そうやってまとめて突っ込むから傷がつくんだ」
「あ、一応布で包んでますよ? ほら」
リュックを開けると、確かに一つ一つ布で包んではあった。だが詰め方が雑で、重いものが上に来ている。鑑定士としてはため息しか出ない。
「……面倒だな。全部出せ」
リタが嬉しそうに遺物を並べていく。金属片、ボルト状の部品、割れた板、管の破片——遺跡の中層から持ち帰った雑多な品々だ。一つずつ手に取り、素材と状態を確認する。
「これは規格部品の破片。価値なし。これは合金板、酸化が進んでるが素材としてなら銅貨十枚。これは——ああ、歯車だな。保存状態がいい。銀貨一枚」
リタが目を丸くする。
「え、そんなに早くわかるんですか?」
「見ればわかる」
「すごい……! わたし、全部同じような金属のかたまりにしか見えないのに」
「素材の色味、重さ、表面の質感、経年変化のパターン。どれも違う。同じに見えるのは、見てないだけだ」
「うう、手厳しい……。でもノルさんの鑑定見てると面白いんですよね。ひとつひとつに理由があるって感じで」
リタの言葉に、少しだけ口元が緩みそうになる。まあ、悪い気はしない。遺物に興味を持つ冒険者は貴重だ。大抵の連中は値段にしか興味がない。
十二点の遺物を次々に鑑定していく。大半は中層上部の標準的な出土品で、市場では並の値がつく程度のものだった。リタが遺跡のどの場所で何を見つけたかを聞きながら、台帳に記録していく。
第三層の東壁沿い。崩落した通路の先。回路の残留痕がない区画——つまりプレ・ナノマシン期の遺物が出やすい場所だ。リタの報告は要領を得ていて、探索者としての勘は悪くない。
「——で、最後の一つなんですけど」
リタが布包みを丁寧に差し出した。他の遺物より明らかに慎重な扱いだ。
「これ、なんか他のと違う気がして。触った感じが変っていうか」
布を開く。
手のひらに乗る大きさの、楕円形の金属塊。一見すると、よくある合金の成形品に見える。表面は暗い銀色で、経年による酸化が全体を覆っていた。
だが——手に取った瞬間、指先に妙な感触があった。
「……」
おれは無言でルーペを目に当てた。
表面の酸化被膜。削り痕。重量のバランス。素材の質感。
一つずつ、違和感が積み重なっていく。
酸化の進み方が均一すぎる。自然な経年変化なら、面ごとに差が出るはずだ。削り痕の角度も妙だ。遺跡の出土品なら地層の圧力で特定の方向に歪みが入るが、この品にはそれがない。
だが同時に、素材そのものの質感は本物だった。この手触り、この重さは、おれが知っている旧文明期の合金と寸分違わない。
指先が、微かに熱を感じた。いや——熱ではない。回路の残留痕だ。ナノマシン時代の遺物に残る、あの独特の手触り。だがこの品の外見は、プレ・ナノマシン期の成形品に見える。
「ノルさん?」
リタが不安そうに顔を覗き込んでくる。おれがルーペを当てたまま黙り込んでいたからだろう。
「……これ、どこで見つけた」
「え? 第三層の東壁の、一番奥です。崩落で塞がってた隙間を抜けた先に小さな空間があって、そこに転がってました」
「崩落の先か。つまり、他の冒険者はまだ入ってない場所だな」
「はい! わたしが最初です! ……それ、何かまずいやつですか?」
おれはルーペを外して、遺物を机の上に置いた。
腕を組む。眉間に皺が寄っているのが自分でもわかった。
「まだわからん。ただ——」
遺物を見下ろす。暗い銀色の表面が、作業場の魔石灯の光を鈍く反射していた。
「これは面倒な匂いがするな」
リタが首を傾げた。おれも首を傾げたかった。
だが、おれの指先がまだあの感触を覚えている。回路の残留痕と、それを隠すかのような経年変化の偽装。本物の素材に、嘘の顔をさせている——そんな気配。
鑑定士の勘が、嫌な方向を向いている。
面倒な一日になりそうだった。




