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002.刺青の魔術師➁

 彼の着たケープマントの首元から見える、複雑な黒いバラの模様を見て、思わずアイリスが叫んだ。


「刺青の魔術師!!」


 それを聞いたグレイは冷や汗を垂らしつつも、彼に対して厳しい視線を向ける。

 一方酒場の飲んだくれたちは、期待の眼差しで彼を見つめた。


「最近国に逆らって好き放題している魔術師と言うのは君か。なるほど、中々に強そうじゃないか」


 グレイは”刺青の魔術師”によって曲げられた剣を床へ放り投げると、次は呪文を唱え始めた。


「我が手に宿れ炎神の力。その力を今解き放たん、魔剣フォルトラウス!」


 彼が呪文を唱えると同時にその両手へと現れたのは、青い炎でできた一振りの魔剣。

 魔剣の炎が揺らぎ、酒場全体を幻想的に照らす。


「俺は元々魔剣士なんだ。さぁ来い”刺青の魔術師”。俺がその傲慢な面をたたっ切ってやる!」


 グレイは”魔術師”が剣を構えるのを待ったが、彼は一向に動こうとしない。

 これで少しは、自分のことを脅威に思うだろうと高を括っていたが、それは大きな間違いだった。

 彼の目からは、少しも恐怖や不安と言うものを感じないのだ。


 それどころか、彼は間抜けな顔でこう言い放った。


「えなに、今から戦うの?人が気持ちよく寝てたのにさー。マジで人間寝てる時が一番幸せだかんね」


「何舐めたことを……!剣を抜かんならそのまま切り捨てる。魔剣なら、先ほどのようにはいかんぞ、”刺青の――」


「ノアだ。ノア・レイノルズ。”刺青の魔樹師”はただのあだ名。今からお前を倒す男は、ノア・レイノルズだ」


 ”刺青の魔術師”ことノアは、無言で手をかざすと、その先に真っ黒な剣を生成した。

 その剣は光を一切反射しない程に黒く、途轍もない密度の黒が詰まっている。


――まさに、”闇のような剣”だった。


 その魔剣を見た瞬間、グレイは自分の命の危機を悟った。

 それは考えた結果悟ったのではない。圧倒的な力の差を前にした時に起きる、一種の本能的戦意喪失であった。


 そしてそれを側で見ていたアイリスは、その一瞬の出来事に驚き、恐れ、感動した。


「無詠唱……!」


 魔法の無詠唱は詠唱呪文に比べて、圧倒的に高度な技術を要する。

 実際、この国でも限られた人数にしかできない筈。


 その難易度の高さは、魔力の高度なコントロールが必要であるから――と言うのもあるが、無詠唱は思念をそのまま魔力に伝える為、一歩間違えば魔法が暴発しかねないのだ。

 例えば、炎魔法を起こそうとした時、一瞬でも自分に火が燃え移ることを考えれば、実際に魔法が暴発し、焼身自殺してしまうかもしれない危険性がある。


「まさに……達人技」


 アイリスはそう呟いたが、その刹那グレイの持っていた魔剣が上下に分かれた。

 瞬く間に自分の武器を折られたグレイは、青ざめた顔でノアを見た。


 炎すらも斬ってしまうほどの実力……。


 彼はいつの間にか魔剣を握り、両手でその漆黒を振り抜いていたのだ。

 その目は美しかったが、それと同時に容赦のない冷徹さを持ち合わせているようにも見える。


 ノアは魔法を使う時間も一瞬だったが、召喚した魔剣を振る速度も一瞬だった。

 なんて奴だ。いや、()()()こんな奴が、これほどの力をもっているんだ。

 グレイはそう考えたが、時すでに遅し。


 腹のあたりに生暖かいものを感じた。


「くそ、ここで、俺は死ぬのか――」


 グレイは地面に膝を付き、ポツリとそう言ったが、ノアは魔剣を消滅させケロッとした表情で彼に言った。


「いや、アンタ斬ってないよ。魔剣しか斬ってないし、殺しはしない主義なんでね」


 それを聞いた時、グレイは思わず自分の腹部に手を当てた。鎧の下にあるこの生暖かいものは……血じゃないのか?


 だとしたら、これは――


 グレイは自分が、ノアを恐れるあまりに小便を漏らしていたことに気づいた。


 なんたる醜態。

 王国騎士団団長ともあろう人物が、切られてもいない傷を心配し、大衆の前で失禁してしまうとは。


 いたたまれなくなった髭面の王国騎士第十騎士団長は赤面し、プルプルと足を震わせながら、ゆっくりと酒場の出口へ歩いて行く。

 そして出口のドアを押した彼は振り返ると、顔をクシャっとして言った。


「み、みないでよっ。漏らしてなんか、無いんだからっ!!」


 彼はそう言い放つと、そのまま森の方へと駆けて行った。






 ――静まり返る酒場。

 

 沈黙の中、誰かがノアに向かって言った。


「す、すげぇよアンタ!俺達の酒場を守ってくれてありがとう!」


 彼の一言をきっかけに、親父たちが一斉にノアを称え始める。

 どうやら今日一日は、ノアを中心とした宴になりそうだった。


「ありがとう!」


「流石”刺青の魔術師”だ!」


「クソかっこよかったぞ!今日は俺が奢ってやるぜ!」





「ね、ねぇ、ちょっと待ってよ!待ってったら!」


 重そうなリュックを背負ったアイリスが、必死にノアを引き留めようとするが、彼は一向に足を止めなかった。

 可憐な女性が重い荷物を背負ったまま自分を追いかけようとも、目にもかけないような人物なのか、とアイリスは思った。


「”刺青の魔術師”ことノアは貴方のことよね、依頼があるの。報酬は10万ドルン……私が賭けで儲けたお金全部よ!」


「いや俺、依頼受けるのはやめたから。えーと、昨日から。残念」


 ノアはパンパンに膨れた腹を左手に抱え、ぶどうジュースが付いた口元を右手で拭った。

 先ほどまでとは打って変わって、ただのぶどうジュース好きな青年になってしまったノアは、威厳に欠ける姿をしている。


 何とも腹の立つ野郎だ。

 今すぐにでも彼を殴りたい気分だったが、アイリスは必死にその衝動を抑えた。


 そんな彼に、アイリスはある仕事を依頼しようとしていた。


「ここまで一年かけて辿り着いたのに、絶対依頼は受けてもらうよ!」


「やだね。依頼は本当に、やめたんだ。もう諦めたし……」




 付いて来るアイリスを無視して、遂に村の出口まで来てしまったノア。

 このまま彼女を置いてまた旅にでよう、そう彼は思っていたが、彼女の発したある一言が彼の態度を変えた。


「私に憑いている魔女の呪いを解いてほしいの」


「何?」


 今まで眉ひとつ動かさなかったノアが、ぴたりと歩を止める。


 アイリスが改めて彼を見つめると、そのがっしりとした体つきが目を引いた。

 歳は十八か十九くらいだろうか。

 旅の人であるらしいが、荷物は紐の付いた小袋だけ。恐らく寝床は草の上か宿かのどちらかなのだろう。


 そして、首に巻かれたボロボロの黒スカーフと、その下に羽織られた短いケープマントは、彼が只者でないことを物語っている。

 魔術師――それも、よほど訳ありの。


「魔女の呪い、か?」


「ええ。あなたには“証”があると聞いたの。それが、魔女にかけられた呪いの刺青。それを解く術を探して旅をしているって、噂で……だから、あえて貴方にお願いしたいの」


 ノアの目が細まる。


 その仕草にアイリスは、そっと拳を握る。

 このクソガキ、やっと乗ってきた!――と彼女は思ったのだ。


 ノアは片手で、旅具が入っているのであろう小袋の紐を握りしめながら、静かに言った。


「……わかった。話を聞くだけならタダだしな。――とりあえず、飯屋に行くぞ」


「え?」


「飯、君の奢りね」


「え? さっき酒場で散々食べてたでしょう?」


「酒場は“軽く”だよ。本格的な話には、本格的な食事がいる」


 彼はそう言うと、街はずれの方へと歩き始めた。


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