19 羨望
――――私、リリは、ずっとずっと、リルが大嫌いだった。憎かった。それ以上に……羨ましかった。
リルは幼い頃から病気がちで、うちには父が居ないから、母が働いている間は、私が面倒を見ていた。
「ごめんね、あなただって遊びたい盛りなのに」
母はいつだってそう言って、申し訳なさそうな顔をしていた。本音を言えば、私だって遊びたかった。でも、そうはできなかった。リルがいたからだ。
リルの世話は精神的に苦痛だった。病気が治ったと思えば、再発、またその繰り返し。何故、そんな病弱なのかは、誰にも分からなかった。
しかし、そんな繰り返しの日々に転機が訪れた。
それは、リルが、偶然体調が良くて、2人で一緒に外にピクニックに出かけた日のことだった。
「ねえ、リリ! お花だよ〜!」
そう言って、野原を走り回る様は、まるで天使のように、可愛らしく、憎たらしかった。
「うん、お花だね」
2人で顔を見合わせて笑う。同じ年の、同じ日に生まれたはずなのに、背だって私のほうが大きいし、顔だって私のほうが、老け込んでいる。
彼女は白魚のように、滑らかな肌なのに、私はガサガサの乾燥した手。それを見た瞬間、私は、気づいてしまった。なんて惨めなのだろう、と。
「おねーちゃん大丈夫?」
リルはそう言って、私を心配そうに覗き込む。嫌いだ、大嫌いだ! 早く死んでくれ! 死ね! そんな負の感情がどんどんと込み上げてくる。私はどんどんと、嫌悪、羨望、愛憎……そんな醜く醜悪な感情に支配されていった。その時だった。――リルが倒れたのは。驚いて駆け寄ったものの、リルは呼吸も浅く、目も虚ろで、虫の息だった。
「リル!? ねえ、リル!!」
咄嗟に駆け寄って抱き上げると、その体はまるで壊れ物のように軽くて、怖くなるほどに儚かった。何度も名前を呼んだけれど、返事はない。私は泣きながら助けを呼んだ。
その時来たのが、近くのお屋敷の執事見習い、スチュアートだった。
「大丈夫ですか?」
そう言って、優しくリルを抱き上げた彼に、私は、一目惚れした。
―――――それから、スチュアートは度々、うちに来て、リルの相手をしてくれる様になった。彼は、私たちより一つ年上だったが、私たちよりもずっと大人っぽかったし、とてもハンサムだった。
まるで月に照らされた湖面のように、キラキラとしていて、でも、どこか落ち着いている、碧い瞳。少し青みがかったサラサラの髪の毛。知的なオーラ。こんなすてきな異性を、好きにならないわけなかった。
彼は仕事もできるようで、出会って3年も経つと、執事見習いから、執事となった。しかも貴族の専属執事らしい。そして彼は、仕事ができるだけでなく、気配りが上手で、優しい性格でもあった。
何度も言うが、そんな彼を私が、好きにならないわけがなかった。私は、どんどんと、ドツボにはまるように、深い深い、海に沈むように、好きになっていった。
しかし、私が好きになればなるほど、彼の関心はリルへと向いていった。
「リルさんは居ますか?」
「リルちゃんの具合はどうですか?」
「リルの為にお土産を買ってきたんです。主人と一緒に出張だったもので」
彼が、家に来てくれたと思えば、リル、リル、リル。いつもリルばかりだった。
そんな現状に、私は不満で不満で仕方がなかった。私の方も向いてよ! 何故? 何故リルばっかりなの? そんなの分かっている。リルが病気がちだからだ。リルが儚くて、それが魅力的に映るからだ。私のように家事をしていないからだ。私のように強気な性格だからじゃないからだ。私のように、私のように、私のように……
そんなことを繰り返し考えるうちに、気がついたら、私は劣等感の塊になっていた。
どうしたら、スチュアートは私の方を向いてくれるのだろうか。母は私を愛してくれるのだろうか。そう考え出すと止まらなかった。思えば、母だっていつもリルのことばかり。仕方ないのは分かっている。でも、私のことは誰が気にかけてくれるの? ……誰が、私を愛してくれるの?
いつも答えが出ない。どうすれば、どうすれば!
そんな答えがでない日々が続いていたある日、自分の部屋のベッドで、私は、気がついてしまった。
―――リルが、リルさえ居なければいいんだ!
そう、気がつくと、止まらなかった。私は、その時、部屋のドアを開け、階段を降り、台所へと向っていた。
そっと食器を入れる引き出しから、ナイフを取り出す。私の足はリルの寝ている寝室へと向っていた。
その時、私は意外にも冷静だった。寝室への道のりで、このあとどうやってリルを遺棄して、母に言い訳し、完全犯罪にすればいいのか、そんなことまで考えていた。
寝室で、リルは幸せそうに寝ていた。リルはスチュアートが帰ったあとは、なぜか病状が安定するのだ。
いつもだったら、一安心だと思っただろう。しかし、今の私にとっては、自分の幸せが、私の犠牲で成り立っているということも、知りもせず、のうのうと寝やがって! という、非常に腹立たしい気持ちで一杯だった。
私は、リルの寝ている、ベッドの前に立つ。今から私は妹を殺すのだ。憎たらしく、世界一嫌いな。しかし、私は先ほどまで冷静ぶっていたくせに、冷や汗が止まらなかった。手もガクガクと震えている。立っているのも精一杯いっぱいだ。しかし、しかし、やらないと! 私が勢いよくナイフをリルに振りかざした、そのときだった。
「おねーちゃん? ふへへ……私、おねーちゃんのこと、大好きだよ」
リルはどうやら寝ぼけているらしい。手を広げて、私にハグを求める。その瞬間、私は手に持っていたナイフをその場に落とした。