10 初仕事
「花に移せないほどの念……?」
「この前も言った通り、魔族には2つの人格がある。魔法石の人格と魔毒素……つまり、乗り込んだ人間の人格だ。そして、この魔毒素の念が強ければ強いほど、魔法石の人格は蝕まれるんだ」
「僕の力で、その念を花に移すことを可能にしたものの、それができないほど、魔毒素が、魔法石に絡みつく場合があるんだ」
「何故、そうなるの?」
「生への強い執着、あとは魔法石の方の主と乗り込む前に何らかの関係があるかだな」
生への執着……人造魔力生命体に乗り込んだのは、権力者ばかり。権力者を持つとどんどん貪欲になるのだろうか。
「それで、その花に魔毒素を移せないっていうのは、具体的には誰なの?」
「この城の使用人たちだ」
使用人たち……? あんなに面白くて愉快な人たちの中に、もう一人の人格が存在していて、苦しめられているのか。
「リルもそうなの……?」
「ああ、リルは今、使用人の中では一番大変だろう」
「そうなんだ……」
明るく溌剌で、少し天然なところもあるが、可愛らしいリル。そんな彼女の中にも『誰か』がいて、彼女はそれに苦しんでいる……?
わかっていたことではあったが、ショッキングだ。
「時期にリルは魔毒素の人格と、直接対決しなくてはいけなくなる。その時ルシェには、浄化を頼みたい」
「もちろんだよ! リルには色々とお世話になっているし」
それを聞くと、レイは、少し安心したような、それでいて心配そうな顔になった。
まあともかく、これからは色々と大変そうだ。
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そうはいっても、しばらくはなんともない日常が続いていった。
人生初の何も無い日々。ただ起きて、図書館へ行って、お茶をして、寝ることの繰り返し。そのため、あまりおなかが空かなかったし、平気で1食の時もあった。(何故か晩餐はレイと取るという、謎ルールがあるため)
今までは聖女教育に忙殺され、魔王討伐を一刻も早く行わなくてはならなかったので、休みはなかなかなかったし、こんなスローライフは夢のまた夢だったため、私は毎日が楽しくて仕方がなかった。
しかし、その平穏は長くは続かなかった。
「ルシェ様〜! おっはようございます!」
いつも通り、シンバルの音で起こされる。最初はうるさかったが、最近は慣れてきたし、リルも多少は加減を覚えてくれたようだ。
だが、今日のリルはなぜか眼帯をしていた。
「リル、その眼帯どうしたの?」
「ああ、これですかぁ? ちょっと朝から変なんですよね」
「変ってどんなふうに?」
なんだかすごく嫌な予感がする。今まで平穏だったため、すっかり頭から抜け落ちそうになっていたが、もしかすると、魔毒素に侵食されているのかもしれない。私は少し不安になった。
「いや、それが……」
リルは眼帯を外した。すると、眼帯の下には、緑色の瞳が覗いていた。おかしい。リルは薄ピンク色の瞳のはず。もしかして、魔毒素に侵食されているのか。
「ご、ごめんなさい、気持ち悪いですよね! すぐ眼帯をつけますね」
リルは外した眼帯をつけようとする。だが、その手は震えていた。
「気持ち悪くなんてないよ。とりあえず、魔毒素を、浄化しなきゃだよね……」
私がそう言って、レイのもとに向かおうとした、その時だった。リルが不自然な挙動で、笑い出した。
「あはは、あははははは」
「り、リル!?」
「これでようやくあの子になれる! 永遠に生きながらえる! あはっ! あはははは!」
おかしい、いつものリルの声ではない。リルはいつもはつらつとした明るい声で、もっとキャピキャピとしている。しかし、この声は少し低めで声質は似ているものの、大人っぽい声だった。
「だ、誰……? あなた、リルじゃない……」
「リル? 私はリリだ。リルはもう何年も前に死んだ。あれ、でも……?」
リリ? リリとは誰のことだろうか。リルからそんな人のことは聞いたことない。だが、リルのことを知っているというのはリルに近しい人なのだろう。でも、この様子だと彼女? も困惑しているようだ。
「とにかく、レイを呼ばなきゃ!」
そう、部屋から駆け出そうとした時だった。
「待て小娘、逃げるのか? 何が目的だ! 何故、リルのことを知っている!?」
光る縄のようなものがこちらに向かってくる。かろうじて魔法で避けたものの、攻撃魔法がどんどんと差し向けられてくる。
「待て! 逃げるな!」
炎に周りを取り囲まれる。まずい。逃げ道がない。慌てて、水魔法を展開しようとしたが、如何せん魔力消費量の激しい防御魔法を連発したため、魔力は枯渇しそうだった。
詰んだかもしれない……私が諦めかけた時だった。
「大丈夫か?」
一瞬にして、辺りの炎が強風によって消え失せる。空間を支配するようなオーラ。この雰囲気は間違いなく、レイのものだった。
「貴様、何者だ!」
リルの形をした何か(おそらくリリと言うのであろう)がレイに問いかける。彼女はどうやら、スケールのでかい魔法をボンボンと撃つくらいの、莫大な魔力量こそあるものの、敵を見定める能力は乏しいらしい。
「何者? ベリアル=レイヴィノール。皆からは魔王だなんだと言われている者だ」
「魔王だと? まさか! ここは一体どこだ!」
「魔王城だ」
「魔王城? ならちょうどいい。私はお前を倒す!!」
リリはレイの前へ突進する。すごいスピードで。そして急速に魔法を展開した、と思ったら、目の前に倒れた。
どうやら寝てしまったらしい。
「あれ? どうして……」
「魔法で眠らせた。しばらくは起きないだろう」
姿が見えないくらいのスピードだったのに、よく眠りの魔法という高度な術式を即座に展開し、正確に発動させたものである。担保となる魔力量もそうだが、その高等技術には脱帽である。
「流石だね」
「そうだろう」
レイは、どうだ! と言わんばかりに、私の方を見る。しかし、これを謙遜するほうがおかしいので、私は、パチパチと拍手をした。
「では、ルシェ。初仕事の時間だ」




