第90話 謎の女再び
小高い丘の上から俺たちが見たのは、大地を埋め尽くすほどの魔獣の群れだった。
それも、以前グロスフォードで見たスタンピードとは違う。統率され悠然と進む大軍なのだ。
「な、何だこれは。自然発生した魔獣やモンスターとは違う。まるで軍隊だぞ」
驚愕のあまりつぶやいた。気付かれないよう隠れて覗きながら。
ただ、何故か横にいるアルテナの顔が青ざめているのが気になるのだが。
「うひぃ! あ、ああ、魔王軍が……第三軍魔獣部隊が……。な、何で……」
俺はアルテナの言葉を聞き逃さなかった。確かに『魔王軍』と言ったはずだ。
「アルテナ、あれが魔王軍だと知ってるのか?」
「はひぃ! あっ、し、しまった……」
「アルテナ……もしかして」
「あ、ああ……」
(そうか、アルテナは……)
「さすが君主級悪魔だな。魔王軍にも詳しいのか」
「ごごご、ごめんなさい……え?」
「あれが魔王軍だと一目で気付くくらいだから詳しいんだろ?」
「えっ、そ、そうでしゅ。わた、私は詳しいのです。決して魔王なんかじゃありません」
アルテナが胸を張る。
「凄いじゃないか!」
「うへへ……」
アルテナが魔王軍に詳しいのは助かる。これで詳しい情報を聞き出せるかもしれない。
「アルテナ、俺は人族と魔族の戦争を止めたいんだ。詳しい話を聞かせてくれないか?」
「わ、分かりました。私は魔王軍にはちょっと詳しい魔王……魔族ですから」
俺の言葉に気を良くしたのか、ドヤ顔になったアルテナが説明を始めた。超早口で。
「ま、魔王軍には第一軍から第五軍までの編成があります。内訳は、第一第二は魔族をメインとした暗黒騎士部隊。第一軍は魔王城防衛の為に兵力を温存しているはずです。第二軍も兵の損耗を避ける目的で後方に控えているはず。あの先鋒は第三軍の魔獣部隊。オークやゴブリンを主体としたモンスターです。その後方に見えるのがアンデッドモンスターを編成した第四軍死霊部隊。更に後方の見える大きいのが第五軍ゴーレム部隊。総数は5万前後。これだけのモンスターの大軍に攻め込まれれば、人族の防衛線など簡単に突破されるはず。って……あ、あの」
シィィィィーン!
物静かなアルテナが急に饒舌になり、そこにいる全員が呆気にとられる。
気まずそうな顔になったアルテナが、キョロキョロとせわしなく首を動かした。
「あ、あの、そ、そうそう。実はミリオタでしゅ。わた、私は軍事には詳しいので……」
「なるほど、そういうことか!」
ミリオタなら納得だ。アルテナが軍事に詳しいのも説明がつく。
「しかし……これだけの大軍……。もう魔王を討伐するしかないのか!」
「うひぃ! 藪蛇ぃ!」
「安心してくれ、アルテナ。一般の魔族には被害が出ないよう魔王だけ倒すようになるはずだから」
「あああ。私のバカバカバカぁああああ!」
悲痛な顔をしたアルテナが頭を抱えている。きっと俺と同じ気持ちなのだろう。戦争を止めたいという。
しかし魔王を倒すと言っても俺たちだけではどうしようもない。これだけの大軍に対抗するには。
「これは一度報告に戻るべきか。このまま魔王軍が南下したら、王国や帝国との国境を越え大惨事になるぞ」
(戻るべきか? それとも戦って少しでもモンスターを減らすべきか? いやダメだ! こんな数の敵を相手にしたら命がいくつあっても足りない)
戻る方に気持ちが傾きかけたその時、突然シーラが震え始めた。
ガタガタガタガタガタ!
「ああああ! 来る! 凄いの来ちゃう! もう何なのよ! 極大魔力の全員集合かしら!」
「シーラ、今度は何だ? 何が起きた」
「あ、あっち。飛んでくる」
「えっ?」
シーラが空の向こうを指差す。
「ん? 何か……見えるような?」
うっそうと茂る森の合間を縫うように、超高速で飛行する何かが見えた。
「あれは何だ……? 白い……鳥?」
「ドラゴンだよ、アキ君!」
そうレイティアが言った刹那だった。瞬時に距離を詰めたそれは、俺たちの前に降り立った。
確かに白いドラゴンだったはずなのに、大地に立った瞬間には人の姿に変化している。しかも、魔力で生成したのか服まで着て。
ファサっ!
彼女が髪をなびかせると、銀髪が煌きキラキラと星が舞った。まるで天使のように。
それは新雪のように美しい銀髪をした、透き通るように白い肌の女だ。純白のドレスが妙に似合っていて、どこか別次元に存在しているかの錯覚を受ける。
「これはこれは不思議な組み合わせであるな」
その女が口を開いた瞬間、まるで周囲の空気が変わったように見えた。静かで美しい声なのに絶対的な支配力を感じる。
「久しいな。何百年ぶりであるか。エキド――」
「どぉおおおおーん! じゃ」
「ふがっ、な、何をするかエキドがぁはっ!」
瞬間移動するようなスピードで距離を詰めたクロが、銀髪女の口を塞いでいる。
「ふがふが……な、何の真似であるか」
「わらわはクロじゃ。のう、シロよ」
「はあ?」
「黙ってわらわの言う通りにせよ。その方が面白いのじゃ」
「う、うむ、面白いのなら仕方ない」
二人でコソコソ話をしていたが、お互いに納得したのか頷き合っている。
「おい、あんたは何者だ。クロの知り合いなのか?」
震えているシーラを背中に隠しながら俺は前に出た。彼女が恐れているということは、目の前の銀髪はクロと同等レベルの強者なのだろう。
「我はシロであるぞ!」
「なるほど。シロさんでしたか」
「ちょっとアキ、そんなの偽名に決まってるでしょ!」
俺がシロで納得しそうになると、背中からシーラがツッコんで我に返る。
「そ、そう言えばちょっと怪しいよな」
「あんたって騙され過ぎよ!」
「でも、信じることも大切だよ」
「アキはお人好しなんだし!」
「俺はシーラを信じてるぞ」
「あっ♡ そ、そうなんだ♡ じゃなくてぇ!」
途中からイチャイチャし始めて、俺たちを見つめるシロの顔が憮然とする。
「おい、この者たちはエキド……クロの従者であるか? 少し変わった男だが」
「従者ではない。わらわの側役にしようとしたが断られたのじゃ」
二人の視線が俺に集まる。
「神にも等しき存在の我らに背くとは、余程豪胆なのか。それとも阿呆なのか」
「シロよ、この男は阿呆じゃが、とても面白い男じゃぞ。それに飯が美味い」
飯と聞いたシロの顔色が変わった。
「飯……だと!? そこの男は料理が得意なのか?」
「それはもう絶品じゃ」
「な、なんと」
「この世に生まれて二千余年、見たこともない料理を生み出す男など初めてじゃ」
「ごくり……」
シロが喉を鳴らした。
「特にカツカレーとかいう煮込み料理が美味でな。芳醇な香りとピリッと刺激的な香辛料がたまらぬ」
「そ、それは食べたい……」
カツカレーの話を聞いたシロが俺の方に歩み寄り、ガシっと肩を掴んだ。
「おい、男、名を何と申す?」
「アキ……ですが」
「よし、アキよ、我の従者となれ」
「嫌です。てか、またこのパターンかよ!」
従者や側役を欲しがる女が多過ぎ問題である。
「むぅうううう……」
俺がキッパリ断ると、見る見るうちにシロの顔が不機嫌になってゆく。
「おい、この男ムカつくぞ。食うても良いか?」
「まて、シロよ。アキを食うたらカツカレーは食えぬぞ」
「そうであったわぁああああ!」
(おい、俺を食う前提なのかよ!)
そこでオヤクソクのフラグが立った。
「ちょぉっと待ったぁああああ!」
よせば良いのにジールが突っかかってゆく。クロの時と同じように。
しかし、ジールは上位竜の竜騎士だ。見たところ相手も上位竜だろう。互角の戦いを見られるかもしれない。
「おい、この男は東海青竜王ゲリュオン様の姫君との婚約者であるぞ! そして、この私も側室として身も心も捧げる覚悟なのだ。他の女の従者になれなど無礼である――」
「なんだこの小童は? 相手を誰だと思っておるか」
ツンっ!
「アヒッ!」
ドサッ!
シロにデコを突かれ、あっさりとジールが敗北した。前回と同じように地面に顔から突っ伏してしまう。
「ジールぅうううう! 無茶しやがって! 毎回そんなオチは要らないから!」
やっぱりパンツ丸見えで気絶している。屈強で男勝りで気高い雰囲気のジールなのに、パンツだけは可愛い柄なのは何なのか。
だが、今はそんな悠長なことをやっている場合ではない。
「シロさん、今は緊急事態なんです! 従者の話はまた今度に。魔王軍の大侵攻が始まっているんですよ。このままでは戦争に」
緩んだ空気を引き締めるように俺が説明したが、シロは全て分かっているとばかりの顔をする。
「何じゃ、そのことであるか。すでに宣戦布告状が届いておるぞ。帝国も非常事態宣言をし十万の大軍を差し向けておる。直に国境線付近は大混乱になるであろうな」
「「「ななな、なんだってぇええええええ!」」」
俺だけではなく皆も同じく声を上げた。完璧にユニゾンするかのように。
 




