えす、からさき
十五
さっきからどこ吹く風といった態度で、芋茎畑の暴風雨には目もくれず、まばゆい御厨子を背にして、たなびく香の薄い煙のほの暗いなかに、萌黄の法衣に紫の袈裟、水晶の数珠を手にからめて、片手に扇子を構えながら、心静かなふうに、ひとしきり法談の済んだ後は、休息していたわけではなく、茶を飲む間、膝の上に書を広げて、次に説くべきことを黙考しているふうであった彼は、いま姑御が身の潔白を立てると言ったのを聞くと、いわば講中に義理立てをしたというかたちで、やむをえず自縄自縛に追いこまれ、いわゆる法の犠牲になろうとするのを見て、法衣の袖を重々しく持ちあげて押しとどめた。彼は姑御が信頼し、この講に出席する僧侶であるが、単にそれだけの存在ではない。宗門の有志たちからは、末法救世の大導師であり、初祖以来の門徒の衰えを革めんとするがためにこの世に使わされたとまで讃えられている。一茎八花紅蓮の名刹、奇兆山紅蓮寺の住職で、名は唐崎三明という。歳はようやく二十一になったばかりの僧である。元は大工の息子で、二年前までは感応寺の小僧だった。
およそ一昨年、他の宗派との激しい論戦が勃発して、公会堂で宗派の結束を呼びかける演説会が開催されたことがあった。県下に寺院は多く、僧侶も少なくはないなかで、演壇に立って、コップの水を飲み、「諸君!」などと口火を切る者は一人もいなかった。しかし、そこで三明は言った。まさに「諸君!」と言った。高らかに言った。テーブルを叩いて言った。
そのとき門徒の善男善女たちは、はじめて宗派の未来を託すべき傑物がそこにいることを認めた。そこで三明講を組んで出資者を募り、僧侶の最高学府である大学林へ送り出したところ、他の者が五年、六年をかけるところを、わずか一年で修学するという神童ぶりを発揮した。講中は祝宴を張ってこれを迎えたのである。それから三明は宗徒の志を果たした証しとして、一軒ごとに挨拶回りをしたのだが、差しだした名刺には唐崎三明の名の左に S. Karasaki という英字の表記があった。加えて右に小さく、紫の袈裟着用許可と記されていた。それからはつねに高位の証である紫の袈裟を身につけ、人々の篤い信仰を集めた。また彼は、信者の軒ごとに「愛国」「奉仏」という紙札を貼りつけさせた。これは英語も含めた新しい学問を修めた見識によるものである。さらには初祖の銅像を建てようと拠金をして、かなりの資金が集まっているという。なにも三明の兄に泥棒の過去があるからといって、この若きブッダを怪しんではならない。名の脇にローマ字を書いたからといって、この哲学者を卑しんではならないのと同じように。
そして姑御の言うことには、彼の名を呼び捨てにしてはならない。親鸞様と言うように、法然様と言うように、三明様と言わなければならない。
道徳のこと、衛生のこと、汽車のこと、風船のこと。……支那のこと亜弗利加のこと、戦争に日本が勝ったこと、あるいは空気のことまで、三明様は残らずご存じで、この講中にあって、道徳、衛生、汽車、風船、戦争、空気のことについて、一家言なき者は一人としていない。また三明様の教えのおかげで露西亜のことを知らない者もいない。姑御は彼を孫のようにかわいがり、仏のように尊んで、なにもかも三明様でなければならない。紅蓮寺の住職になったのも大檀那である粂屋の後押しがあったからで、三明を育てた師の御坊はこれを聞いて泣いたそうだが、おそらく嬉し涙というものであろう。
これほどの仏性を得たお方であるから、因果応報の理をよく悟って、早乙女縫之助の亡骸に経も読まず、埋葬した土地を料理屋に貸して、腐った骨を掘り出させることで、絶世の美人の業を滅せしめようなどと、つい今しがたもお説きになったわけで、そんな、お釈迦様でもご存じあるまいことをする男である。
十六
三明は姑御の袖を押さえておもむろに言った。
「いえご隠居、あなたの前にまだご新造がいらっしゃるではありませんか。あなたが先へお進みなさっては、ちと順序が違いましょう」
合羽屋の婆さんはこれを聞くと手を叩いて、
「なるほどごもっともじゃ。ほんに三明様はああやって、何事もお気にかけず、余計なことを考えなさらないが、一言おっしゃればそれがちゃんと急所にあたる。ご隠居様は、負うた子に教えられて浅瀬を渡るようなものでござるの。年下の三明様にかかっては、さすがの修行を積んだ姑御様も一本取られなされた。ははははは」
と、合羽屋の婆さんが笑うのを見ながら、姑御は、一言言っただけで黙っていた三明と目を合わせた。黒いビロードのような五分刈りの頭をうつむかせた三明は、やさしい目で、しとやかに書見をはじめた。姑御はうなずくと、ご新造に向かって、
「小燕さん、聞きなされたか。こういうことになったので、あんた一つ帯を解いてみせてくださらんか。お気の毒じゃが」
「ねえご新造様よ、これも姑御様への孝行じゃ。サッとそこへ出て、お見せなされ。」
と、合羽屋の婆さんも口を添える。
小燕はにっこりとして、
「あれ、おばさん、冗談はよしてくださいよ」
と、恥ずかしそうに顔を背けた。愛嬌いっぱいの物言いではあるが、つとめて装っているのだろう。
合羽屋は真顔で、
「いや冗談ではござらぬ。わしをはじめ皆があとから同じことをするつもりで待ちかまえておるで。日は短し。ちょっとやればいいことでござるわいの」
「だって私にそんなこと。おほほ、恥ずかしゅうござんすもの」
と、小燕はしおれながら、わざとまた微笑んでうつむいた。
「もし、ご新造よ、笑いごとではござらぬ。さあさあ」
身体にかけられた皺だらけの手を思わず振りはらうと、小燕はキッとなって、
「それではお疑いになられるのですか」
「むむっ」
と言ったきり、合羽屋はそれ以上の手を出しかねている。
そこを姑御がねちねちと引き継いだ。
「小燕さん、そりゃあんた、何を言うのじゃ。ちっとも疑ってはおらぬ。疑いはせぬ。疑うも疑わぬもない。ほかにだれかあんたを疑う者がありゃ、あんたよりも第一このわしが承知しませぬ。なあ、よいか。あんたはわしが家の嫁じゃもの。疑う者があればこのわしが相手になる。はい、小燕は潔白でござりますよ、皆様。けれども順番じゃというに、まずあんた、それからわし、そのあとで皆の衆を調べねばお念珠の行方がわからぬから、ただ形だけ脱いで見さっしというのじゃよ。小燕さん」
うつむく小燕は、顎を襟に埋めた。
「なあ、わかったか」
黙っている。姑御はなおも追いつめて、
「わからぬか」
小燕は両手を組み違えて、自分の肩を抱きこむように身を細くした。
姑御はトンと座布団を打って、
「ええい!」
と強く言う。
「はい」
「わかったか」
「はい」
「むむ、そうじゃろう。わかったろう。これがわからないでか。さあ、わかったら出して見せやがれ、見せやがれ。ええ、見せやがれというに」
「はい」
と言った声が震えている。バタリと落とした片手をぐっと膝について、身を震わせた。涙ぐむ小燕の様子を見ると、姑御はニタリとして、
「へ、へ、恥ずかしがる身体でもあるまいに」