三明講
十一
「はい、どなた様もようこそいらっしゃいました」
と、襖を開けて膝をつき、静かにあとを閉めるとご新造は向き直った。講中の人々を見て、末席に手をついて挨拶をする。顔色は平常に戻って、毛一筋も取り乱した様子は見せていない。
三明講には、三十人あまりの年寄りたちが、二間の仕切りを取り外して二十畳にもなろうかという広間に集り、その大一座は輪になって、輪のなかへまた輪を作り入れている。被布を着た者もあれば、紋服を着た者、頭巾をかぶっている者もある。連子窓に背をもたせかけているのは、小さな円髷を結った口の大きい婆さんで、この家のご隠居の従妹にあたる。この人は以前、鰯の骨が喉に刺さって大騒ぎをしたことがあり、そのとき象牙の箸で上へ三度、下へ三度、撫でてもらって命が助かったといって、それからは団子を食べるにも、他家へ御馳走に招かれるにも、象牙の箸を持ち歩いて離さないことに固執している。
次に控えているのは合羽屋の隠居で、袖口と胴裏になにやら赤いものをちらちらさせている。おっしゃることには、わしももう還暦でなあ、七つ八つの女の子のように赤いものが嬉しゅうてなりませんで。この間も「ご隠居様は、まるで赤ちゃんのようでございます」といって嫁に笑われましたわ、はははは、と大きく開けた口のなかは、お歯黒がべったり。これがまあ総入れ歯で、歳といえば五十一、まだ還暦には間があるものを、小児に還って赤いものを嬉しがるとは、実年齢よりも老いこんだ気のいい婆さんである。
その次がただ者ではない。鼠縮緬三つ紋付の羽織を気どってひっかけ、友禅の袖口を手の甲に懸けている二十四、五の円髷の女である。それが流行りだといって髷のなかにやたらと大きな芯を入れているのだが、その芯たるや一番形や二番形の大きさでは間に合わず、通りにある入れ髪店が見本に展示していた超大型品を買い求めたものを、いままさに頭のてっぺんに戴いている。仰向けたその頭を見れば何のことはない、カラスの死骸をのせているようだ。ただし彼女は日蓮宗の熱狂的な信者で、この若さで三部経を暗記し、大勢の前で恥ずかしげもなく如是我聞……などと唱える悟ったお方であるから、奇妙な大円髷も、それによってなんらかの因果の理を示すつもりなのだろう。
この大円髷の母親も一座のうちにある。四十ばかりの鼻の低い女で、取りたてていうほどの人物ではないが、ただし乳房の大きいことで有名である。若いころ、肩によいしょと投げかけた乳を、背負われていた赤ん坊の大円髷がそのまま飲んだのだそうだ。いつも白木綿の布きれを持っていて、脇明けを広げては乳の下をぬぐっている。色白のこの母娘は、姑御様のお気に入りである。
まだいる。六十にもなって歯が頑丈で、好物の柿を一度に皮ごと十二個ずつ食べるという豪傑もいらっしゃる。そうかと思うと、いやに血色の悪い、面長の、痩せっこけたなで肩で、黙ってうつむいて長い襟足を抜き衣紋でことさら見せつけている寡婦がいるが、彼女には轆轤首という渾名がついている。娘には、男の養子を取って婿に迎える両もらいをしたのだが、六枚折屏風で仕切られたその娘夫婦の居所を座ったままでのぞき込むという噂がある。また、かつて戦争があったとき、われ先にと髪を切って、女の髪で軍艦の碇をつなぐ鎖をこしらえようと講中で力説した婆さんもいる。伊勢へ七度、熊野へ三度、信濃の善光寺には八度参詣したという年寄りもいれば、春先になるたびに山へ三度、ゼンマイを採りに行くという者もいる。若いころには水泳をしたという隠居もいるし、百人一首を暗記している者もいる。天気予報が得意な者もいれば、梅干しを漬ける名人もいる。一門親類ここかしこ誘いあわせて、善女の面々居並ぶこの講中たるや、おそるべしといったところ。
十二
奥の間は薄暗く、日中にもかかわらず燈明が灯されて、線香の煙が淡くたなびいている。厨子は一間の押し入れいっぱいになって、三重の扉を左右に開いている。粂屋の厨子といえば有名で、見るからに尊いのである。大戸、厨子戸の奥にある緑色の敬戸をすかして輝く総黄金の塗箔は、三代伝わってもまだ曇りもしない。天上を舞っている七人の天人は浮き彫りの極彩色で、石榴の柱飾りは珊瑚で実を盛られている。香炉、花瓶、燭台の三具足も黄金と銀。花蝋燭は光まばゆいばかりに燦爛と重なりあい、まるで天の彼方にほのかなる金殿玉楼が出現したかのようである。
仏壇の左に座布団を敷いて控えているのは、髷を結わずに切り下げ髪にしている太った老女で、把手つきの煙草盆を脇に置いている。彼女がここ、粂屋の姑御様である。小紋縮緬を重衣して、茶繻子の被布を着た、丸顔で頬の肉が厚く、目が小さくて額が広く、上目づかいでじろじろと座中を見渡すさまからして、一癖ありそうな女だ。座の主催者がこのように上座の一席高いところで鷹揚にしているのには、それなりの理由がある。
座中には象牙の箸を持ち歩く隠居もいる。鼠縮緬も紅裏もいる。泳ぐのも屏風ごしに覗くのも、梅を干す名人もいて、皆それなりに幅を利かせる人たちではある。しかし、この家の姑御様と膝を並べて張りあうに足る財産と名望のある者は一人としておらず、みんな目下の、風下になびいている者ばかり。極端な例としてはこの姑御様の前でお念仏を唱えてご贔屓にあずかるのを「もったいない」とありがたがって、それを自分の副業だとさえ心得ている者もいる。
講中に限らずこの家に出入りするすべての者には、姑御様より身分が高い者はいない。また、金を借りない者もいないので、皆が皆、うやうやしくかしづいているのである。仏様への失礼を御免こうむって言えば、講中の女たちは皆、姑御様の信心に対する幇間の一種だといえるだろう。自分の息子を持ち上げたり、若旦那のご機嫌を取ったりするのと大差はない。
姑御の言うことは一つとして無視されることはなく、その考えに一片たりとてそむく者はいない。講中に招かれた説教者にしても、ことさら仏説を説くわけではなく、大檀那である粂屋の意向を代弁するくらいなものである。修行を積んだ姑御は、群婆から傑出した物知りであり、ことに仏説を熟知している。僧を招いて経典を説かれたところでちっとも得ることはないのであるが、説教者の説に間違いがあるかないかを見極めるために出席しているのだそうだ。
こういう人であるから、自分がこうだと思ったことは、たとえだれがなんと言おうと、けっして聞き入れることはない。いや、聞き入れる以前に、そもそもこの姑御に意見をするような者は、この家に一人も出入りしていないわけであって、そういう者はこっちからも寄せつけなければ、向こうからも寄ってはこない。
かつて姑御が長らく帰依していた某老僧は近年まれに見る高徳の人であったが、なにかの折りに、
「お前が成仏をしたかったら、念仏を唱えるのをやめさっしゃい」
と姑御を一喝したきり、それからはもう教えなくなったという。
強情きわまりないこの姑御が弱気になったのは、物心ついて以来二度しかない。一度目は、上の絶縁のときであり、二度目は、先ほどまでうたた寝をしていて、説教を聞いて耳を押さえて、いまはここに手をついて会釈をしている、乳房の痛みに苦しんでいる美しいご新造の件である。今は旅行中の粂屋の主人であり、姑御の実の息子でもある三之助が、この美人との結婚をのぞんで、命に代えてもものにすると血道を上げたときであった。
姑御様は六十八歳になるが、痩せた鰒くらいには太った腹を突きだしている。
十三
呼び出しに応じて一座に顔を出したご新造がしとやかに会釈したのを、姑御はずっと奥まった御厨子の左手から鷹揚に目に留めると、太くつぶれた声で、
「小燕さん、お茶の給仕でもなさらんか」と言った。
「はい」
と膝を立てたところへ、下女が三人で煎茶を運んできたので、ご新造はもてなしぶりもかいがいしく、ぎっしり詰めこんだ講中の間を、縦横斜めに往来し、腰を浮かせて踵で歩くように、裾捌きもするするとそれを注いでまわる。太った尻と大きな膝と、突き出した胸と、鬢付け油臭い頭のなか、臭い匂いのする口の前を、すれつもつれつ、あちらこちら動き回るのは大変な仕事だが、愛想よく身体を切り回しながら、なにやらかにやら言うことに一人ずつ別々に受け答えをする。大円髷につかまったところを、
「小燕さん」
と、遠くからあの象牙の箸に呼ばれたので、
「はい」
と、くるりと後ろを向いてそちらを見て、
「ごめんあそばせ」
と人々の間を斜めに通っていく。姑御の前で小腰をかがめて、ちょっと手を下げて奉りながら通り抜けようとして片足を前に出すと、裾がからんで脛があらわになった。その向こう臑を煙管で押さえた姑御は、
「これはなんじゃ。他人様の前でふわふわと裾を翻すなど、失礼にあたります。小燕さん!」
と、声をかけた。ハッとして立ちすくむ小燕に、
「お座りなさい!」
と、重々しい声を浴びせる。小燕はたちまち折れたように膝をついた。自分の体が自分のものではないかのように放心して、中腰のまま固まっている。
「ちゃんと、ちゃんと座らんか」
と言って姑御は小燕の乳房の上に手を当てると、膝もとへぐっと押しこんだ。病で痛む胸を突かれたので、小燕は思わずアッと言って伏し沈む。細い背中をねじれてしまいそうにしているその姿は、いまにも消え入りそうに、姑御のずんぐりと太い膝の乗っかっている座布団の下で震えている。白いうなじに、斜めに抜けかかった黄金脚の笄がキラリと光った。
姑御はぐっと小燕をにらみつけると、冷ややかにほくそ笑み、
「旦那の三之助はおらぬぞ。お前様がこの座でいくら白い足を見せつけても役には立ちゃせぬ。ははははは。のう、皆の衆」
と姑御が座を見回すと、座中の人々は目配をせしあった。かくも傍若無人な振る舞いは、客の前ではできないこと、いや、してはならないことであるが、金を借りていたり、講に出ることも我が務めだと思って来ていたりの婆さんたちに、遠慮はいらないと踏んでのことだろう。
象牙の箸の隠居は、ちょうど自分が小燕を呼んで、こちらに来る途中で起こった一件に場をさらわれて、手持ち無沙汰になったので、手を懐に入れたり、袂を探ったりしていたのだが、やがて怪訝な顔をして、そわそわとしはじめた。後ろを見たり、前を見たり、立ち上がったり座ったりとうろうろしながら、
「もし、ちょっと」
と言って、隣に座った人の袂の下を探ったりしている。なにか無くしものをした様子なので、
「なにか、捜し物ですかい」
と、隣の人は身を避けながら聞いた。
「いえいえ、少々、ただいまお茶請けを食べようとして懐に入れたつもりでございましたが、それとも下へ置いたかもしれぬ。はてな。いえ、なんでもありません。どこかにはございましょうが、はてな」
と言いながらも、また懐を探り、袂を調べる。
十四
姑御は見かねて膝を向けた。
「おや、橋詰のご隠居、なにを捜してらっしゃる」
「いえいえ、はい、どこへ置いたっけか、なに、ほかのものなら構いませんがの、お数珠を無くしたようで、どこにも見あたりませんよ」
と、なおもきょろきょろとしている。
「え、お数珠が、あのお前様の」
と言って、隣の人は本人にも増してうろたえ顔である。無くなったのが橋詰のご隠居の数珠だと聞いた一座は、芋茎畑に暴風雨が吹きこんだように乱れまくった騒ぎになった。
この婆さんの数珠は、講中に二つとない宝物なのである。しめて百八粒がつながった珊瑚の玉は粒ぞろいの五分玉で、数取りは八分の大玉なのだから、ものに同じない姑御も、それだと聞いて顔色を変えた。
「どなた様もご存じの珊瑚のお念珠なのだから、ほかのものとは違います。無くせば代わりのあるものではない。とことん探さなければ。橋詰のご隠居よ、心配はいらぬ。ここで持ってらしたことは私も見ました。ならばこの部屋のなかにあるはず。これこれ、さんもりんも、ここから一歩も出るでないぞ。さっきからそれ以外に出入りした者はいないじゃろうな。よしよし。襖をぴったりと閉め切って、さあ、どなたも探しなされ」
と場を仕切ったので、一同総立ちになって探したが、影も見えない。ただそわそわしているだけの皆の姿を見て、姑御はじっと思案をした。
「ない、見あたらないで済むことではありません。こういう場合の決まりごとだと思ってあきらめて、どなたも一人一人、皆の目の前で着物を脱いで潔白を証明してくだされ。いいや、それでいいのじゃご隠居よ、黙ってくだされ。おぬしがよくても主催者である私の立場がある。珊瑚のお念珠が粂屋の講で無くなったとあっては、末代まで陰口の種になる。よくない、うんや、よいはすはない。どなたもご異存あるまいな」
と、口調を改めて言ったそばから、人の輪を抜けてサッと真ん中に歩み出たのは、合羽屋の婆さまだった。
「ご隠居様、ごもっともじゃ。いやごもっともでございますとも。たとえお前様がいいとおっしゃっても、呼ばれて参った私たちが承知はしない。皆様もそうであろう。なんともまことに、講中の一間でものが失せたなら、居あわせた者すべてに関わりがあること。私などはついそばにいたものだから、一番に脱ぎましょう。ここぞと気合いを入れてお目にかけますので、見てくだされ。御免なされ」
と力んだ顔で言って、性急にも、もう帯を解きかけた。もっともこれは、着物の赤い裏地を人に見せたいわけではけっしてない、色の黒いのを見せたいのでもなければ、老体を陰干しにしようというのでもない。先ず隗より始めるわけで、律儀一遍の正直者だからである。あわや帯を解こうとするところを姑御は、
「待たっしゃれ」
と慌ただしく手で制して、ひと膝前に出た。そしてうつむいていたが、頷いて顔を上げて、
「待たっしゃれ、おばさま。うちに来たからにはお前さまはお客じゃ。主催者の私が言いだして人様を先に調べるというのは間違っている。また、うちで無くなったものなら、言ってみれば私が行き届かぬせいの不調法。ここはひとつ、私から調べてもらいましょう」
と、肩をそびやかして、膝の上に手を重ねた。合羽屋の婆さまはあっけにとられたが、苦笑いをして、
「ご隠居さま、冗談を言わっしゃる」
と、本気にせずに澄ましていると、姑御は頭を振って、
「いや、そうではない。私からしなければ義理が済まぬ。うんにゃ、済まぬ。はて、橋詰のご隠居、おぬしは黙ってござるがよい」
と、傍らで顔も上げられないままでいるご新造にちらりと目をやって、ゆっくり立ち上がろうとするところを、上座の左に並んだところから、
「お待ちなさい」
と、声がかかった。