紅蓮寺
二十
「さて、三河守家康様へご返杯だ」
と言って、灘丸は猪口を返した。
「頂戴」
と言って受けとる。灘丸は酌をしながら、
「おじい、先にあの世に行ったら、おれの伯父にあたる彦左衛門に会って、灘丸がよろしくと言ってくんねえ。別に用はねえ。ほんとになあ、お前がこうやって飢え死にしそうだってのに、粥の一杯も持ってこられねえってんだ。でもな、その代わり死んでもすぐにまた蘇生ってきなさいよ。なに、わきゃねえ、てんからの仁助を見てみろよ。死んで二日目に蘇生って、いまじゃ地獄めぐりの話をよくしてるよ。
『もうじきまたあの世へ参りますが、なにかご親類へのおことづけでもありませんかえ』
って、しょっちゅうふざけてやがる」
と、灘丸は口のあたりを撫でながら笑う。
「もっともわしもそのつもりじゃ、心配なさるなよ。さあ、肴をひとつと。……ちょっと待てよ、いまフッと思いついたが、おぬしが太夫を埋めてくれた穴は、たぶん地獄への近道じゃろうて、道に迷わないように覚えておきたい。なに、墓石は乗せられなくとも、気は心じゃ。一鍬の土でも被せてやるなり、行ってお題目のひつとつでも唱えてやりてえ。のう灘丸よ、紅蓮寺といえばここからさほど遠くもないで、杖にすがっても参られよう。どうじゃ、いっしょに行ってはくれまいかの」
「来たな、おじい。一杯飲んだら腰が立つようになったか。ややっ、まだ脈があらあ、こいつぁ結構だ。できるならそうしてくんねえ。おれも本望だ。それでは酔いの覚めないうちにでかけようか」
「よいな、よいな。真っ昼間から芸人が出歩くのはみっともないが、そろそろ薄暗くなる時刻で都合がよいわ。上に菰でも被って出かけるじゃ。人通りのない道筋じゃから、もう知った人にも会うまいぞ」
二十一
「なあに、どうせ遊び仕事だ。安賃金の日雇いだからな」
「そうよ」
「あくせく働くにゃあたらねえ」
と、紅蓮寺の蓮池の端で無駄話をしている人足たちは、昼休みを取ったうえに、ちょっとばかり鋤や鍬を持ったかと思うと、もう怠けている。
一茎に八つの蓮の台をもって、牡丹のような紅の花が咲くことで名高い池だけれど、蓮の実も種を飛ばして、その枯葉も落ちて、小さな澪標のような茎ばかりが折れ残って、水面から短く突き出しているのが、夕刻の光に照らされている。水のなかには折れ曲がった茎が四角や三角や菱形に光を句切って、その一つ一つが、向こうの丘の樹の梢をときおりぶるぶる震わせては吹いてくる風に揺れて、ちらちらと動いていた。見晴らしのよい景色で、空には一点の曇りもないが、秋は午後二時過ぎから夕暮れの雰囲気を漂わせ、山々の稜線や森の前などに、雲でもない、霞でも霧でもない、薄い卵色の煙がかかって、それが動くというわけでもなく、しだいに広がってくるのが身に染みるようだった。
「薄ら寒くなってきた」
「ここは秋になると、あんまり人も来なくなるしな」
「だから蓮の花の咲く頃が稼ぎどきだなあ」
「しかしこんなところに小料理屋を出すって、まあどうせ腰掛け茶屋に毛の生えたくらいなもんだろうけれど、ちと奇をてらいすぎたもんじゃねえか」
「それを言うならよ。骸骨の上を粧て花見をするとかなんとかいう句があらあな」
「吉ぃ、てめえは物知りだよ」
「あいさ、なんでもご存じだよ」
「そうだよな。わかりもしねえくせに、しょっちゅう演説を聞いて歩きやがるからよ」
「演説といやあこの寺の坊主は、粂屋の隠居のナニだとか……」
と言いかけたとき、すこし離れた後ろのほうで、一人で藪の前の土をならしていた若者がいたが、だしぬけに素っ頓狂な声で、
「ややっ、おい、おや、おや、こいつぁ……」と、けたたましく言った。
「七やい、どうした」
と、皆がふり向いた。七と呼ばれた若者はすこしたじろいで、
「穴だぜ、おい穴だ、穴があらあ」
「なに、穴だ?」
「野郎め、まじめに働いていやがるから、天道様からのお授けものだ。黄金の茶釜でも掘りだしたんじゃねえか」
「待て、待て」
と、また穴の前に進んで鍬を入れる。
「見ねえ、まじめに見えて欲気を出してるところが可笑しいじゃねえか。おい、墓地の近くだぜ、気をつけねえ。とんだ岩藤骨寄せの場がはじまるだろうぜ」
「うんにゃ、掘ってみろ。黄金の茶釜だ、ははは」
と茶々を入れるのに耳も貸さず、七はまたしばらく掘り返していたが、ふと手を止めて下を覗いた。そして、ワッと言いながら鍬を投げ捨てると、後ろにひっくり返った。
「そら出た」
「茶釜だろう」
と言いながら、好奇心から四、五人がばらばらと近づいて、一斉に穴のまわりを取りまいたが、顔を見合わせて鼻を覆った。
掘り返したばかりの土の色は新しいが、湿地なので水がにじんで、まるで溝のへどろのようになっている。そのなかに、腐りかけた菰樽がばらばらにちぎれているあちらこちらに、白いものが見えた。うつむいて見える姿は、まるで溶けかかった雪だるまのようだが、足は二本ともむきだしになっている。青みをおびた肌にところどころ黒い斑が浮き出して、ふくらはぎだと思われるあたりは、水気を吸って膨らんでいる。ちぎれ残ってまだ筵の形をしたものに隠れて見える頭のほうには、豊かな黒髪がばらばらとこぼれつつあった。……この姿をまた、しっかりと見た者がいたとは驚きである。
二十二
「女だ、女だ」
とだれかが言った。すると、いったん脇へ退いた者まで、
「なに、女だと」
と、また寄ってくる。
「引き出して検査をしろ。どうせ巡査に言やあ、後で調べらぁ。そのときは見つけて掘り出したことをかえって褒められるくらいなもんだ。おもしろい」
と言うと、そこいらから竹を二本ばかり見つけだした。二本の竹の先端にそれぞれ長い縄を結びつけると、竹を左右から突き刺し、死体の頭と思われる部分の下をくぐらせた縄をぐいっと引きだして、同じように胴のあたりへも縄をくぐらせると、引き抜いた二本の竹を上で重ねて、蔦を絡めるように縄を巻きつけた。
「えい」
「それきた」
「どっこい」
と、かけ声をかける。だが、さすがになるべく遠くに身を引きながら足をつま先立てて引き上げようとする。と、手応えがあった。
「よせよせ、罰があたるぜ、罪なことをしやがる」
と、残りの人足たちは、口では言っても手を出して止めようとはしないで、作業にかかわる者たちの左右に控えて見ているだけだ。
かあ、かあ、かあ、と風のない樹の上でカラスが鳴いた。見上げると枝に三羽ばかり止まっている。
「上がるぜ」
バッと羽音をさせたカラスが、一直線に下りてきた。真っ黒な羽に驚いて手がすべる。ドシリと音がして、持ち上がった死体が落ちた。とたんに土が崩れて、死体はもとの場所にズルズルと落ち込んだ。
「畜生め」
と言って石つぶてを投げると、カラスは黒い布を引っ張り上げたようにサッと飛び去ったが、間近な枝に足を止めて、さほど飛んで行きもしないで留まっている。
やや暮色が迫り、池の水面が西日でサッと赤くなった。
風がサラサラと渡って、皆が後ろをふり返ったが、
「もうひと踏ん張りだ」
と言って、二人がかりで竹を持ち上げると、死体はズルズルと土中をすべって、腸かもしれない鼠色をしたものが薄暗い底にぼんやりと見えた。
「あれえ」
と声をあげながら、袖をザザッと藪にこすりつけて、転びそうな勢いですたすたと走り寄った者がいた。あまりに不意に現れたので、カラスが化けて出たのかと、人足たちは浮き足立った。
死体を引っかけている竹を、力いっぱい突きのけながら、泥の上に片膝をついて死体をかばいながら、人足たちに向かって、しっかりと手を合わせたのは、きわだって色白な女だった。身体を震わせるのにあわせて、美しく結った髷も鬢のあたりで揺らめいて、さわやかな、しかし悲しげで、慌てふためくような声で、
「やめて、やめて、見るものじゃありません。見なさるもんじゃない。見せるものじゃありません」
切々と訴えながら、身繕いをして、恨めしげな目の色で、
「酷いじゃありませんか。そんな、乱暴すぎます。さ、さあ、皆、あっちへ行ってください。お願い、後生ですから。まあ、どいておくんなさい」
と言いながら、女は動揺を隠しきれない。見ると薄色の二枚重ねを着て、行儀よく屈んだ着物の褄もそろっている。胸高に締めた帯もしゃんとして、一点の乱れたすきもないが、カラスが化けてでたのだとしか思えない、凄みのある美しさであった。
人足どもは顔を見合わせて立っていたが、なかにはよくない悪戯をしたと恥じ入った者もいると見えて、決まりの悪そうにもじもじしながら後ずさりをして、素知らぬ顔で藪に沿って表門のほうへ引っこんだのも四、五人いた。が、逆にずかずかと女の前に踏み寄ってきた者も多い。
「姉さん、どうしたんです、こりゃあ」
と、ずうずうしく問いかけた者がいる。
カラスの化け物は、キッと瞬きもしないで居残った人足どもに目を据えて、身動きもしないでいた。男が近づいて来たのを見ると顔を上げたが、すぐにしおれたのである。
「あれ、こんなときに、理由なんて話していられるもんですか。頼みますから、皆あっちへ行ってください。手を合わせてお願いしますから、なにとぞ、なにとぞ」
と、人足たちを押しのけるようにせわしく言った。が、眼がもうろうとして落ち着かない。
人足たちは平気なもので、
「ご親類かね」
「姉さん、どうしたんだ」
などと言って、すぐには退きそうにないのである。
枝のカラスが威嚇するような声で、ガッガッと鳴いた。
美しい女は、下から恨みを含んだ眼でカラスをにらみつけ、左右に寄り集まってくる人足どもへと、あちこち視線を流したが、地面に突いている膝をじれったそうに揺さぶりながら、
「おっかさんです」
と、キッとして言った。
二十三
息をはずませて胸を押さえながら、死体を囲いこむようにじりじりと身を寄せて片膝を立てた。雪のような素足に塗下駄をはいている。
「ですから、私の、娘の身になって、皆さん、かわいそうだと思って堪忍して、見ないでください。手を合わせてお願いしますから、見ないでくださいってば」
「お前のおっかさんなら、さぞかし美しゅうございましょう」
「はははは、はははは」
と、人足どもは皆、うまく答えたものだと声をあげて笑った。
緩みのない、締まった顔に、稲妻のごとく殺気が走った。口もとを締めて、目を見開いて、美しい女は黙って左右に目配りをしている。
「だから見てえんだよ。こっちも手を合わせてお願いするから見せてくんねえ」
「ははははは」
とまた笑い声が起こった。
「あんまりじゃありませんか。こんなことをしておいて、普通だったらそんな平気な顔で立っていられるわけがないんだけどねえ」
と、我慢ができなくなったのか、チクリと刺すように言った。
人足どもはまた顔を見合わせたが、なかの一人はものともしないで、
「どうせここは墓地じゃないんだよ。姉さん、おかしな埋めかたをしてあったぜ。いまから交番へ行って巡査にそう言おうと思ってたくらいなもんだ」
「そうよ」
と言って、残りの者たちがしたり顔をする。
「なにが変だっていうんです。なにが」
「なにがって、変なものは変だ。それでも後ろ暗いところがねえのなら、大きな声を出して人を呼んでみねえ。庫裡までは遠いけど、わめけば聞こえらあ。え、どうだね」
女は答えなかった。
「さあ、呼んでみねえ」
「呼べやしないだろう」
「どうだ」
と、愚弄するさまは、憎々しく、女に脅しをかけるようだった。そのうちの一人が女に近づき、指先で胸をつつく。
女は黙ってうつむいている。
「さあ、どうだ」
「だから見せろよ。見せたって減るもんじゃねえ。なんならお前の顔でもいいよ」
と、一人がまた、女の頬のあたりを指で触る。
すると女は、黙って落ちついたまま、薄のように淋しい、やさしげな姿でスッと立ち上がった。嘲りを含んだ、低い、しっかりとした声で、
「そんなに見たいのか」
と、上の空であるかのように言ったが、
「見せてやろう! 来な!」
と、激情した、切迫した、きびしい声で口早に言ったとたん、一人の人足の手首を握ってグッと手許に引いた。不意を食らった人足は、ふっ飛んで前のめりになりながら、アッとよろめくと女の手を振りほどいて後ろに退がる。その後を追いかけるように女は前に出て、人足どもの集団の真んなかへ、肩と肩がすれあうほどに割って入った。あきれ顔で目を見開いている人足どもの顔を一人ずつ、ぐるりと見回して、淋しく笑った。
「見たいのか。そうか、お前たちは見たかろうな。けちな人足どもだ。女に飢えているんだね。おい、女の裸を見たことがないんだろう。かわいそうに、死んだ人の裸なんぞ見ないほうがいい。おっかさんの肌は私の肌だから見せてあげよう。いいから私のを見せてあげる。ごらんよ」
と言って、また片頬で笑った。両手を懐手にすると、手の先で胸もとを広げながら、袖を裏返して両肌を脱いだ。その下には紅梅を散らした晒しの襦袢を着ていたのではない。失くなった珊瑚の数珠を背中に隠していたのでもない。雪のような肌の八ヶ所に剣を突き立てて鮮血がほとばしっていたのでもない。八個の朱い文字を刺青した小燕は、講中の満座のなかで辱めをうけて家を飛びだしてここに来た小燕は、さらにここで縫之助の惨状を見せられて、狂気に走ったのであろう。
二十四
人足どもはただあっけにとられて、口をあけた者はあけたまま、手をひらいた者はひらいたままになった。この瞬間、魔法の力で呪われて、そのままの姿で人形になってしまったかのようである。
小燕は帯の間に手を差し入れて、懐紙に包んで持っていた紙幣を探り出すと、固くなって動きもしない一人の人足がひらいたままにしている手のひらの上に載せて、
「堪忍おし。だれにも言っちゃあいけないよ」
と子どもを諭すような口調でやさしくそう言うと、そのまま人足の集団を抜けて、後ろも見ず、見向きもせず、彼らのことを少しも気にかけない様子でまた死体のそばに寄った。
ざわざわ、ばたばたと、逃げていく足音がする。小燕がふり向いてみると、最後に藪をくぐった奴の足の裏だけが見えた。ふたたびサッと風の吹く音がして、なにかが沈みこんでいくように、冷ややかな空気が身に染みた。そのとき小燕はハッとした様子で露わになった自分の肌に目をやると、小刻みにつかつかと池の端に向かった。水面に姿を映すと、あたりの様子をうかがいながら、手早く衣服に肩を入れて、衣紋を直しながら、じっとなにかの物思いにふけった。
背後でカラスが鳴き立てる。思わずふり返ると、死体は横倒れになって土から出ていたが、いつのまにかカラスがたかって、それも二羽、三羽という数ではない。
気を落として顔を背けた。見ているのに忍びなくて、追い払おうとして土を踏みならしていた足をはしたなく上げて、落ちてくる裾を蹴り返したが、一歩踏みだしてまた立ち止まった。
宵闇が襲い来て、大地に薄紙を一枚かぶせたようだった。前後に目を配りながら、ただし死体のほうは見ないで、小燕は思いきったようにすたすたと歩きはじめた。
途中でまた立ち止まると、
「ええっ」
と歯を噛みしめて、急ぎ足でその場を離れた。その姿が暗がりの中へ吸いこまれる。するとカラスがバッといっせいに死体へ寄って、口々に鳴きたてる。土とは違う色を見せながら、広々とした暗い空地のなかで黄昏の残光をそこに集めたかのような太い女の足は、カラスの黒い羽で覆われながらも、闇に呑まれて消えることがない。
それほど間を置かず、小燕は向こうから戻ってきた。またもとの池の端へ来てすっくと立ったが、身を固くして、くるりと後ろを向いて死体をはるかに見たが、やがて屈んでつかんだなにかを手で放った。小石が飛んでカラスが八方にパッと散った。小燕は後ろに片足を引いたが、死体の様子をうかがうように前屈みになりながら、つかつかとそばに寄った。膝を折りかがめたまま、そこに引きつけられるように裳裾を土に擦りつけながら、するすると近づいた。放心して一点を見つめたまま、夢のなかにいるような顔をしながらも、手はなんのためらいもなく、筵を掻きのけようと働いている。死体にかぶさっていたそれが崩れるように落ちると、土から染みだす水を含んだ、青白いかたまりの間に消え消えになりながら、刺青の髯題目が読めた。
「あれっ」
と声を出すとともに、死体を袖で抱いた。小燕の身体は横倒れになって、静かな黄昏の色は、幻のように動いて消えた。
二十五
紅蓮寺の棟にかかっていた夕日が背戸山の森に沈んで、あたりは暗くなった。野道の奥まった場所に目印として立っている石碑の表面が、いま落ちかかった西日の余波をあびて、パッと明るくなった。そこに赤蜻蛉が群がって、ぴったりと止まっている。
そのそばにある木戸は、紅蓮寺のものである。寺の敷地は道沿いの二、三町にわたって、まばらなカラタチの生け垣で囲われていた。ここは寺の表門ではなく、裏の墓地を挟んださらに外にあたるので、手入れもしないで打ち捨てられている。一帯は湿地であるから、雨水が溜まってどこにも捌けず、沼のようになった水溜まりのなかに、傾いた無縁の墓がびしゃびしゃと沈んでいる。
物陰に生えた草が思うさまに伸びて、はかなげに花を咲かせている。刈萱に似た短い草も茂っている。蛙に似た虫も飛んでいた。はるかに見える小高い丘が一面に白くなって、たそがれの空に連なって見えるのは、すすきが茂っているからだろう。そのあたりを、ぽつぽつと人が通る。ぐるりと見渡すと、野の末、丘のすそなど、暗いところにはもう灯りが点っている。
「おじい」
「秋になったよ」
と二人は背中合わせに立って、西の雲と東の山とを斜めに見上げていた。背が高く、恰幅のよいずっしりとした男と、菰をかぶって裾をはしょった、ちょんまげ頭の小さい男と、ふたりそろって木戸をくぐった。
「そこから左だ」
「蓮はもう散ってしまっただろうなあ」
と話しながら踏みだして、三太郎は足もとがよろけて倒れそうになったが、手を目印の石碑にかけて、身体を支えた。
「危ねえぜ」
「なんともねえ」
二十六
「ほう、おびただしいほどの蜻蛉じゃ」
と、三太郎はうつむいて、石碑の面を見た。日足はすでに落ちて、足もとの枯れ草の先が赤く染まっている。およそ二十四、五もいた赤蜻蛉はじっとして一つも動かなかったのに、ちょっと離れた暗い木立のなかでカラスが鳴いたとたんに、バサバサと二群れになって飛び立った。そのとき雑木林のなかから五、六人の子どもが、なにかに追われるように入り乱れながら現れて、後ろも見ずに木戸をくぐって野道に出ると、たそがれの色にまぎれ、投げた小石のようにどこかへ見えなくなる。そのあとから法被を着た若い男が、鍬を持ってのそりと出てきた。左右を見て、ずっと向こうに目を向けていたが、また引き返して藪に入ろうとした。すると灘丸は一歩踏みだして、
「おい、鉄、鉄か」
と声をかけた。見間違いではなかったようで、若い男はふり返った。
「鉄じゃないか。鉄や、違ったか」
男は目をこらすふうであったが、
「えっ、親方ですか。気づかずにたいそう失礼しました。お久しぶりで」
「見えなくて当然だ。おれだって自分の体がわからねえぐらいだ。が、そんなことはどうでもいい。どうした、どこかそこらに変わったことでもなかったか」
と言って眉をひそめたとき、またカラスの声がした。
「気がかりだ」
と灘丸は若い男の顔を見た。
「えっ、変なこと! ありまさぁ、大ありだ。親方、お聞きなさい」
と言いながら、持ち上げた鍬を地面に突いて、
「あっしはね、ごらんなさい、こんな姿だ。戦地から帰ってきて、今じゃ土方のなかに交じって日雇い仕事です。
それ、ご存じでしょう、三喜という、選挙騒ぎのときには、まっ先に仕込み杖を持って駆けだしたり、そうかと思うと芝居の座元もやる奴です。いつも五、六人の、真っ白に顔を塗らせた下女に取り囲まれて、旦那さまッて言わせてまさぁ。親方、あの人がここの蓮池の端んところへ料理屋を建てるっていう騒ぎでさあ。もっとも今は霜枯れで、来年の夏でないと蓮は咲きません。そのころにはちょうど鉄道も通るだろうってぇんで、停車場の近くだから、それをあてこんで建てようっていうんです。べつに急ぐってことはないが、暇な人足に少しずつ地ならしをやらせようということで、ぼつぼつ手をつけています。あっしのような手合いばかりでね、そこいらを鍬でもって掘りはじめました」
「うむ」
とうなずきながらも灘丸は気がかりな様子である。若い男はなにも気づかずに話し続ける。
「ついこの先でさ、これで最後にしてもう休もうっていうときに、七っていう男が一発掘りあてたんですよ。妙にぽくぽくした柔らかい土だとか言ってましたが、掘り返してると三尺幅ほどの土がボロッとくずれて、覗くと穴になってる。そもそもがですね、上に石が置いてあって、形ばかりに小さな松の木が刺してあったんだそうで。よしやぁいいのに山っ気がありますからね。小判でも掘り出したんじゃないかと、皆がわいわいと寄ってたかると、あなた。大変なもんです。臭いの臭くないのって。むせるようなんで。恐ろしい、まだ生な奴さ」
「おやおや、さあ、やりやがった」
と灘丸は、がっかりしたようにつぶやいた。三太郎は石碑にもたれたままで聞いている。
鉄は目を見開いて、
「わあって言って、皆後ずさりしましたが、あなた、ちらっと見たやつがいて、それがそれ、白い……と言ったから黙っちゃいられません。それにね、髪の毛が長いというんですから、どうして無事に見逃すもんですか」
「ああ、罰あたりどもめ」
二十七
「恐ろしいもんですぜ。皆が脇へ退くと、すぐにカラスが飛びかかってくるんで。飛んだり鳴いたり騒ぐんです。そいつらを追い散らしてから覗きますとね、因果なことじゃありませんか、腐った筵のなかからところどころ見えてますぁ、雪が崩れたような肌が。足なんざぁ丸出しさ。青白いところが黒みがかって、あそこは湿地なんで、ボッと手でつかんでも回しきれないくらいに膨れあがって、そのまわりにジクジクと水がにじみだしているでしょう。よせ、よせって言うのに」
と、鉄は苦笑いをして、
「検査をしてやる、っていうんで、竹を持ってきて突っこみました。頭の下から、まああなた、縄を回しておいて、なるべく遠くに退こうとして竹の両端をかかえて、ぐいぐい引っ張り上げたんです。手ごたえがあって、重みがかかって、死体がむっくりと浮き上がりそうになりましたが、薄暗くなってくるのといっしょに、だんだん棒の先に重みがかかってくる。そら出てくるぞと、また皆がワッと言ったところへ、取り乱した恰好で、あなた、凄みのあるくらいのいい女が、表門のほうから駆けこんできたんです。転ぶように穴の前に立ち塞がって、あなた、息を切らしながらひざまずいて、あっしらに手を合わせました。
『若い衆の皆さん、お願いですから堪忍してください。私のおっかさんです。理由があるんですから、そんなに死んだ人へ恥ずかしい思いをさせるもんじゃありません』
って、おずおずしながら言ったでしょう。こっ恥ずかしくもなりゃ、恐ろしくもあり、気の毒でもあったんで、黙って後ろにさがると、あっしは早々にそこを去りました。蒼くなって震えていらっしゃったが、美しいご新造なんで、どうやら姉さんに似ていました。まさかと思ったけれど、もしそうだったとして、皆のいる前であっしから『姉え』なんて言われてごらんなさい。大いにご身分に差し障りがあろうと思って、黙っていました。品のいい女でしたが、どこか肌合いが違っていました。そんじょそこらにはいないような美女でしたから、たぶん姉さんだったんでしょう。表門から帰った奴らもいましたが、あっしぁわざとこちらに来たんで。またガキどもがわいわい言って騒ぎますからね。ガキらを追っ払ってから、またそっと戻って様子をうかがおうと思ってましたが、なにしろあの美人に、おっかさんなんて言わせながらかばわれて、どこの馬の骨だか知らないが、罪作りな奴もあればあるもんです。だって土葬の水ぶくれなんて恐ろしいもんだ。とんだ恥さらしな……」
と言いかけた鉄の横面を、灘丸が拳で殴った。アッと言ってつんのめった襟首を引っつかんで、大きなため息をつくと、声を張りあげた。
「恥さらしとはなんだ。だれが恥さらしをさらしやがった。おいこら極道め。どこの馬の骨がたぁ、おめえ、どの口でぬかしやぁがった、こんちくしょう」
あまりに不意のできごとに目がくらんで、ただあっけにとられ、放心したようになってもがいている鉄を、灘丸はつかんでは小突きまわして、また殴った。
三太郎は石碑から離れて、よろよろと近寄ると取り押さえて、
「よさっしゃい、灘丸。そんなようなことは、やけになった者がすることじゃ。もういいわ。それに若い衆はなにも知らねえのじゃあないか。とんでもないこった」
「そもそも心がけが悪いからだ。大馬鹿野郎。女の死体を見たがるなんて、唾を引っかける値打ちもねえ奴らだ。もっとも知らねえでしたことよ。それがまた縫之助の死体だと知ったうえでやったとすりゃ、生かしちゃおけねえや。野郎、鍬を置いてさっさと帰れ」
と、突き放した。
あたりは暗くなった。薄のなかをさらさらと風が渡って、白く輝く月が出た。カラスがしきりに鳴きたてている。
二十八
「小燕じゃあなかろうの」
土にぴったりと膝を突いて、薄色の衣を重ねてキリッと帯を結んだまま、小草のなかに円髷を乱して、自分の身体で掘り返された穴を覆った女が、こちらに背を向けて倒れている。背中に月の光が染みこんで薄ら寒い。
「小燕にここに来られたら、面倒なことになるがな。灘丸、起こしてみい」
三太郎はうっかりとは手をつけられず、見守るばかりだ。灘丸は間近に寄って、
「容姿に服装からして、どうやら怪しいぜ。それにしてもおじい、こりゃどうしたんだろうの」
と言いながら、すこし離れたところで身をかがめて、
「もし、もし、ご新造さん、どこの方だか知らねえが、もし、どうなさった」
「どうにかなってはいないかの」
「そうだな。病気で倒れたのか、それとも……」
と、灘丸は近くへ寄って、あちらこちらから見たのだが、少しも動く様子がない。女の背中に手先を触れると、夜露に打たれて濡れていて、ヒヤリとした。
「ちょっと、どうなすった。え、え、もし、ご新造」
と、また呼びかけてみたが応じない。三太郎は考えこみながら近づいた。
「どうもそれらしいがの。灘丸、そっと抱きあげてみさっしゃい。どれ、手を貸そう」
と言って、背後に回った。左右から二人で静かに女の手を取る。左手の白魚のような指に黄金の指輪がはまっているが、どうしたことか、ミミズがからまって、くっついていた。
「こいつは夢中作左衛門、気を失っておるな。そっと起こそう」
三太郎は女の胸に手を回して抱きあげた。力なさそうに、なよなよともたれかかってくる軟らかな身体を引き上げて、ふたりは気を落ちつかせながらその顔を見た。重くまぶたを閉じ、口を結んで、頬にかかったほつれ髪が、動かすときにはらはらと風に揺らいだ。月の光で蒼ずんだ顔を見て、
「間違いねえ、あの別嬪だ」
「小燕か、やれやれ」
と言うと三太郎は、小燕を抱いていた手を離してよろよろと立ち上がると、思わず死体のほうへ近寄ろうとする。灘丸は慌ただしく立ち上がると死体をかばって、鍬を片手に三太郎の胸を突き飛ばすと、老人はよろけてバタリと腰を落とし、小燕の胸に手をついた。
「あっ」
と声をあげて、三太郎はわれに返った様子だった。あっけにとられる老人を前に、灘丸は立ちふさがりながら、
「来るんじゃねえ、おじい」
「な、な、なんじゃい」
灘丸は、口早に力をこめて、
「見るもんじゃねえ、見るもんじゃねえ。おじい、お前は見ねえほうがいい。見るな」
と言って、鍬の柄で地を突いた。そして掘り返された場所を覗きこむと、打ちひしがれた様子でうつむいた。
だが、死体に月光が射しこんでいることに気づくと、慌てて、忙しく鍬を動かして、土をかき寄せる。
三太郎は迷いを捨てきれぬふうで、
「灘丸よ、灘丸よ」
と、小燕の胸に手を当てて、地に膝を落としたままつま先立ちになって呼びかけた。
灘丸は頭を振って、
「うんにゃいけねえ。来ちゃならねえ。見ねえほうがいい。おめえ、まだこれを見せられるような罪は造っちゃいねえだろう。そっちの別嬪を介抱しなさい。その女もまた気がついてこれを見たら、ただでは済まねえだろう。おれに任しときよ。見なさんな。見なさんな」
と言いながら、せわしなく手を動かしながら死体に土を浴びせる。鍬を上げたりおろしたり、左を突いたり、右を引いたり、立派な体格ですっくと立った灘丸の姿が、月明かりのもとで独り動いていた。
三太郎はうなずくと、頭を垂れて小燕を見た。
二十九
小燕のうなじに手を回して、衣紋の乱れを片手でかき合わせてやりながら三太郎は、
「どうしたよ、おい、ご新造や、小燕や」
と耳もとで呼びかける。
細く目を開いた小燕は、ぼんやりとした表情のまま、じっと瞳を据えている。
「おお、気がついた」
と三太郎は、しっかりと抱きかかえた。小燕は胸の上に置かれていた三太郎の手をつかんで上に突きのけると、のけぞって腰を浮かせ、裾を乱した脚を縮めて眉をひそめ、かわいい口をゆがめながら、痛々しげに顔をしかめる。
三太おじいはびっくりして、
「どうしたよ、うう」
と言って覗きこんだが、小燕の胸に手を当てたことに思い至って、
「ああ、痛いところがあるのか。これは悪かった」
と謝りながら、手を離して見守った。小燕はまた目を閉じたが、しばらくすると垂らしていた右手を上げて胸へ乗せると、右の方の乳房の上をそっと押さえた。着物の上から胸の動きが見えるほどに二つ、三つ息を吐くと、きっぱりとした顔つきで目を開き、傍にある顔をじっと見て言った。
「おじいさん」
「おお、気がついた。なんともないか。痛みゃしないかの。慌ててたもんで気がつかなかった。堪忍さっしゃいよ」
「私はどうしていたんですか」
とあたりを見回した。
「まあ、いいわい。気がついたらいいわ。お前に限ったことでもない、わしだってあれを見たなら眼を回すだろうに。しかしよくもそこまで思うてくれるの。縫之助さんもよい子を持たれたな。どうして知っている。だれにこんなことを聞かされたよ。うむ、なに、講中でか。ふむ、ここの住職に。はて、それは初めて聞くが、姑御がからんでいるのかの。けしからぬ。数珠だと。それでお前、満座のなかで裸にされた、刺青を見られたか。うむ、企んだことじゃの。ええ、それで粂屋を飛びだしたと。旦那さまは留守で。おお、おお、道理で痩せたわ。そのためにかい」
と、三太郎は、息をつきながら、話を聞いていた。
「おじいさん。すぐにお前さんのところへ行こうと思ったけど、おっかさんが埋められたってことが気にかかりますから、先に急いで来てみましたが、あんまりですわ。土の中に……」
と言いかけて、小燕は落ち着きなくあたりを見回したが、抱きかかえられて仰向いている上のほうには、先刻までカラスがいた枝が見えた。背後の池からは風も吹いてきて、暗い空には月も出ていた。小燕はぶるぶると身を震わせて、
「ちょっと見ただけでも、あっと声が出て。縫之助さんが嫌いだったミミズがゾロゾロといました」
と、小燕は目の前に手を広げて、細い指を見つめながら、小指や人差し指や中指の先を蠢かしてみせた。
ぴくぴくと白い指を動かしながら、それをじっと見つめていたが、みるみる顔色を失って目が据わった。とたんにすっと立ち上がりざまに振り向いて、
「あれ、あそこに」
と、キッと視線を投げる小燕を、三太おじいは膝をついたままでその袂を押さえて、
「騒ぐなよ、ま、ま、落ちつきなさい。まだ、お前、本調子じゃないようじゃの」
そのとき、灘丸が、
「姉さん、もうようござんす」
とこちらに声をかけてきた。灘丸は、鍬を手放して両手を揉んで払い、その手で衣服をはたいた。帯のあたりから、ぱらぱらと土がこぼれる。
「もう見せねえ、けっして見せるもんじゃねえ。姉さん、しっかりしなせえ、灘丸だ」
「あれ、親方かい」
「さてと。まずはご愁傷様でござんしたが、なにごとも因縁というものだ。ともかくあきらめておあげなさい。でないと、縫之助さんが浮かばれねえから」
「もう一度だけでも姿を見たいねえ」
「堪忍なせえ」
「私ぁいっしょに死にたいもの」
と言うと、小燕はわっと泣きだした。
三十
「さあ弱った」
「いや、大丈夫、大丈夫じゃ。泣くようになったらしめたもので、もうしっかりとなった証拠だ。落ちついて気が緩んだものだと見える。他人の前じゃあ拷問にかけたって、どうしてなかなか、めったに泣くものじゃない」
と、三太郎は小燕の背をなでて、
「さあさあ、十九や二十じゃあるまいし、こんな汚れた姿でお前、粂屋のご新造がどうしたものじゃ。そしてなにか、お前もう家へは帰らぬ気か」
と落ちついた声で聞いた。涙をのんでうつむいている小燕の顔を、三太郎はじっと見て、思うところがあるらしかった。
聞かれてわずかにうなずいた小燕は、涙をぬぐって、しおれた様子で衣紋をつくろい、
「おじいさん、私が悪かったらそう言ってください。私ぁ我慢に我慢を重ねて今日まで辛抱をしてきたんですが、もうもうこれ以上は辛抱しきれないと思って、逃げだしてきました。ですから門を出るときは振り向いてもみない気でいたんです。それだけど、ここへ来て、おっかさんがあんな姿におなりになったのを見て、さっきから考えているうちに、すっかり気が変わってしまいました。もう理屈もなんにもないんだけれど、私ぁあんまりにも口惜しいから、また家に帰ることにします。そして、あの、おっかさんがおっしゃったように立派な葬式をあげることで出直して参りますわ。いいえ、できるだけ身体は大切にして辛抱しますが、堪らなくなればそれまでです。おじいさん、皆がこんなに酷いことになっているのを見ると、私はもう芸人はいやになったの。家を出ればまた芝居でもしなければなりますまい。そうすると死んだ後はどうせこんなでしょうから。これからずっと、今にのたれ死にをするんだと思いながら見世物になるのも耐えられませんから、思いきって帰りましょうと思ってね。おじいさん、ね、そうしちゃあいけませんか」
と、口ごもりながら言ったのを、三太郎はみなまで聞かず、手を上げて足踏みをしてみせた。
「いけないわけがあるかい。うむ、よく言った。なんにも文句は言わねえからの。百年も千年も経ったうえで、立派に粂屋から葬式を出してくれ。縫之助さんもそれが本望じゃろう。わしは知っとるぞ。お前もいっしょにあんな墓穴に入るなんてことを、縫之助さんは承知しやせん。『おじい、私ぁもうあそこにいるのはいやになった、なんといってもいやになった』とだだをこねられでもしたら、あの家の事情を知ったうえでは、それでも強引に帰れとは言えなかったが、お前、おっかさんの言ったことを、よく忘れずにいてくれた。
だが、お前はおっかさんと同じ墓穴に入りたかろうし、わしのように菰をかぶって気ままに生きていたくもあろう。うらやましがる気持ちはわかるが、それはいかん。やけっぱちというものじゃ。おっかさんの弔い合戦をすると思って、粂屋でみごとに辛抱してくんねえ。それがなによりの追善じゃ」
と涙ぐんで言ったのを、小燕は身に染みた様子でじっと聞いていた。そして襟をかき合わせて、
「それではおじいさん。もう家出をしたのは知れていましょうから、さぞ酷い目に遭わされましょうが、畳に食らいついてもあの家から離れません。まさか殺されはしないでしょうから、きっとあの家に戻りますわ。じっと辛抱はしますけど、私は乳を患っていて具合が悪いのですから、おじいさん、親方さん、もしものことがあったら……」
と言いかけたが、姿勢を正して淋しく笑った。
「つまらないことを言いそうになりました。所帯じみて愚痴っぽくなっちゃったみたい」
「いいってことよ。しかし、これからが並大抵じゃねえのお」
と、灘丸もしおれている。
「それでは参ります。もう決めたことだから、おっかさんにはご挨拶しないで帰ります」
「あい、あい」
と三太郎は応えたが、ほろりとして、思わず二、三歩後ろに退がりながら見送った。




