鬼子母神様
十八
「もっともの、
『俳優というこの職業は、愛してくれた両親が許してさせてくれたわけでもない。どうせ行く末は知れたもの。のたれ死には覚悟だが、経帷子も着られないだろう』
と言って、背中に南無妙法蓮華経と髯題目の刺青を入れて、
『身体がそのまま経帷子さ』
といつも言っていた太夫じゃ。なに、縫之助はそんなことで成仏できないことはあるまいがの。ああ、やはりそうなったかと言いたいな。灘丸、おぬしはよくぞしてやってくれた」
と三太郎は慇懃に手をついた。灘丸は頬をふくらませて、ぶるぶるっと口を鳴らして恐縮する。
「とんでもねえ。おじい、礼を言われるどころか、意気地のねえおれのようなものに拾われた太夫の骨が不幸せよ。いくらのこともできやしねえや。土だけはかけておいたが、雨が降ってぬかるみになりゃ、また土が流れ出そうというもんだ。ま、墓とまではいかなくても、どうかして、そこらの沢庵石でも上にのっけたいと思うがの。じっさいのところおれの腕じゃ石っころぐらいしか持てねえ。それで、まあ、お前んところもしばらくぶりで、はるばるやってきたんだが。なあ、おじい。ぶっちゃけて言おう。ははははは。お前まで亡くなりかけてたってわけだ」
「何は……一口斉はどうじゃ。あれは話に乗るまいか」
と、灘丸の顔を見ながら言った。
「あいつもさっぱりだめだ」
と手を振って、灘丸は苦笑いをしながら、
「一口斉もいっこうに売れねえんで。法螺貝を吹くのをやめてラッパにしやがった。そしての、テーブルかなにかを置いて、古着の洋服を着て祭文を語りやがる。見られたもんじゃねえ。様子がめすらしいんで一時ちょっとは受けたけれど、あの美声をまじめに聞いてくれようっていう客はいないのだそうだ。いつだったか会ったとき、どうだいって聞いたらの、『近ごろはラッパを吹いてます』って涙をこぼしてたぜ。意気地のねえ奴だ」
「帰蝶はどうじゃ」
と、しばらく間を置いて、三太郎は聞いた。
「あの手品も、もうあがったりよ。えれきとかみるくとかいう毛色の変わった芸をやる奴らが登場して、白紙を使うなんていう昔の手品は御用済みだ。いまじゃ榎木橋の榎の下で銀流しの磨き粉を売ってるよ」
「やれやれ。音松は耳が聞こえねえっていうし」
とためいきをつく。
灘丸はなにか思いついた様子で、
「おお、おじい。なにも難しいことじゃねえ。粂屋のご新造に頼んでみよう。自分は玉の輿に乗ってるんだから、この話にゃすんなり乗ってくれるだろうぜ。あの女にとっちゃ母親の葬式を出すのとおんなじだ。五千両の御厨子があるってほどの金持ちの家だ。墓石は大理石ででも建てられるってもんだ。こっちがからっきしの貧乏すぎて目がくらんで、明るいところに気がつかないとは、こりゃ愚の骨頂だった」
と、にわかに元気づいた、威勢のいい顔をする。
三太郎は何度も頷きながら聞いていたが、やがて頭を振った。
「そんなことはもうとっくに承知じゃよ。さっきお前に太夫が死んだのを聞いたとき、わしはの、ここにある太夫の絵姿を思うよりまっ先に、お前と同じようにあの女のことを思いだした。けれどもの、考えると、それはよくない。あの女は知ってのとおり、太夫が実の子のようにかわいがったもので、粂屋の旦那がぜひ嫁にしたいと騒いだとき、あの女はそれを知っても、はいそうですかと応じるほどに気乗りはしなかったのを、太夫がそうしろと、こう言ったんだ。
『まったくのこと、こんな商売は子にさせるもんじゃない。お前のことを実の子だと思って言うんだからお聞き。お前は早く身を固めて家庭で苦労をしな。そのかわり他所とはいわず粂屋から、立派な葬式を出しておもらい』
などと叱るように言って納得させたんじゃ」
と言うと、三太郎は指を折って数えた。
十九
「もう縁づいてから三年になるがの。姑御がいて大変らしい。なによりもまあ、あの女が刺青を入れていて、しかもそこの門徒だというのが、嫁ぎ先の宗派と宗旨が合わぬのだから収まりが悪いと思うけれど、ついぞ愚痴ひとつ聞かされたことがない。案ずるより産むが安いといって、太夫も喜んでいたくらいよ。あの女があそこで辛抱をしとげてくれれば、こちとらは皆のたれ死にをしようとも、芸人のなかに一人でもみごとな葬式が出せようというものじゃで。ちっとは世の噂にでもならないかと思うでの。こうやって飢え死にをしようとしていても、ま、ま、いくらか心の支えになる。とはいっても、なにも助けてもらおうというわけではない。
あの女が粂屋に嫁入りした最初のころは、ご隠居はもとより講中どもがいっしょになって、
『本人がどれほど心がけがよくっても、かかわりあってる奴らがみんな、ならずものじゃ、親方だの、兄貴分だの、姉だ、妹だと出入りをさせると、そのたびに銀一粒ずつご祝儀を渡してたら、十年経ったころには破産する』
とぬかしたそうよ。なんの、太夫はあの気性じゃ、
『しみったれたことを言う奴らだ。信心をして拝んでみろよ。お賽銭はこの鬼子母神様から投げてやる』
って大いにイキって、すっかり嫁入り支度をさせて乗りこませたわ。灘丸、お前も聞いたろうの。
『小燕に関わりのあった芸人は、藁一筋でも粂屋の助力を受けちゃならねえ。ひもじかったら私のとこに来い、食べさせるものがなきゃ股の肉を切ってやる』
ってわめいたもんだ。
こんな落ちぶれた身なりをしてたらなおさら、あの女の立つ瀬がなかろうと思って、わしをはじめだれも粂屋には足を踏み入れぬ。おこぼれに預かろうとして金持ちの家に嫁がせてやったんじゃないと示すためというのもあるが、かわいい小燕にそんなことで苦労はさせたくないという気持ちもある。
あれっきりこちらの居所も知らせてはないが、やさしい女だから始終気にかけてくれるようで、内緒でちょいちょい小遣いをよこしたこともたびたびあるが、そのたんびに突っ返した。
『おらあ、ものもらいじゃねえ。雁の真似をして袖をバタバタさせてこそ祝儀ももらうけど、なにもしないで銭は頂かねえ』
と言って、そっと受けとってはぶっ返した。とどのつまりには、
『それでは座敷へお招きいたしてお話を聞きましたつもりで差しあげますから』
って、あの女も自由に小遣いを使えないところを五両もってよこしたから、
『ばかを言え。三太郎がそんな金で座敷へ出てたまるものかい』
っての、叱って返した。それからは内緒で手紙をよこすだけじゃ。いいことだ。
こういうわけじゃから灘丸、あいつだけは見て見ぬ振りで、なにも言わねえでくんねえ。そうじゃなくっても縫之助さんがのたれ死にをしたなどと聞いたら、どんなことをしでかすかしれねえ。いま見込み違いなことをやられちゃあ、太夫の志も立たねえわけじゃで」
と、いくたびも息を継ぎながら、まさに飢えつつある三太郎は、せつなげに長々と語った。
灘丸はしっかりと組んでいた腕をほどいて、
「堪忍してくれよ、おじい。さげずんでくれるな。おらあもう恥ずかしい。なんだか先に実入りの勘定をしてから釣鐘建立の募金にまわるような言い草だった。これでもの、ひもじくて我慢できなくても、若い奴らにゃあ頭を下げねえんだ。おじい、お前、先にあの世に行くなら、おれのことをさすが灘丸だと思って死んでくれ。見くびられちゃあ心残りだ」
と、眼を鋭く光らせた。
「わかっとる。うん、お前のことはわかっとるよ。しかしなんだな、こうも深刻な話ばかりしてては興もさめるというものじゃ。一杯飲んでくれ。経帷子を着た亡者と杯を交わすのは初めてか」
と、抜けた歯を見せながら片頬で笑って、杯を差しだした。
「こいつぁ三太郎の血じゃ。やってみさっしゃい」
灘丸はくいっと杯を干すと、目をつぶって、
「おじい。いい酒だ」




