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「え…。なにこれ」
マヤはじっとそれを覗き込んだ。
まだ生えたてのふわふわの金色の髪、思わず突きたくなるようなまろいほっぺの横には、小さな手がお行儀よく添えられている。
マヤの困惑を知らずにくぅくぅとかわいらしい寝息を立てて眠っているそれは、
「赤ん坊…?」
「ちょっと待って。整理させて?」
マヤはそう呟く。
難題に直面した時、情報を整理するためにひとつづつ言葉に出すと整理しやすくなると聞いたことがある。
「まず、私はいつものように街に買い物へ行こうと家を出た。すると道の途中で籠が置いてあったのを発見した。籠を覗くと赤ちゃんが~…。って!そんなおとぎ話みたいなことあるかーい!あはははははっ!………いや!笑えるかっっっっ!!」
はぁはぁと荒くなった息を整える。
あまりの状況に混乱しすぎてらしくもなく一人ノリツッコミみたいなことをしてしまった。
まず、籠を見た時「なんか食べ物が入ってたらラッキー。」くらいな軽い気持ちで覗いたのが間違いだった。
いや、まぁ大きく見れば、肉は肉だ。人間だけど。
マヤは魔女だが人間はさすがに食べない。
「んあ~どうすっかな~。このままだとたぶん死ぬ…よな?」
マヤはこれまで150年生きてきたが、人間の赤ん坊を見ることはあまりなかった。
人間はすぐに成長する。成長過程をじっくり観察などしたことがない。街でちょっと見かけるくらいだ。
「しょうがない。アリサのとこに持って行ってやるか。」
そう言ってマヤはよっこらせっと籠を持ち上げた。
マヤがそばでぶつぶつと大きめの独り言を話していたにも関わらず、赤ん坊は起きもせずぐっすり眠っている。
その寝顔を見ながらマヤは思ったより重量のあった籠を落とさぬよう抱えなおし、街に歩いて行った。
「え~!マヤさん!どうしたんですかこの子!まさかさらってきたんjy」
「んなわけあるか!この生意気娘!」
アリサの家を訪ねて早々に、生意気なことを言うアリサの頭を少々乱暴に撫でる。まるで犬のような扱いだが、アリサがそれを不満に思うことはない。
マヤが訪ねたのはコットという街に住んでいるアリサの家だ。
アリサはマヤの作る薬を買い取ってくれる数少ない店を経営している、若くも凄腕の経営者なのだ。
「も~髪が乱れたじゃないですか!…で、その子はなんなんです?」
マヤは改めて籠の中身がアリサに見えやすいように少し持ち上げてみせた。
「拾った。」
「…あのねマヤさん。人はそんなにコロンと落ちてないの。そして『なんか落ちてるー拾っちゃえー』って拾うもんじゃないの!」
「馬鹿め。そんなお気楽に拾うやついるはずがなかろう。」
「あんた、ひろってんでしょうが!!」
ガクゥっといきなりアリサが膝から崩れ落ちる。
「お母さんはそんな子に育てた覚えはありませんよ!」
「だれが『お母さん』だ。いい加減にしろ。もし本当にお前が私の母親ならめちゃくちゃババァだろうが。」
「…確かに。」
床に座ったときについたスカートの誇りをパンパンとはたきながら、アリサは椅子に座りなおした。
「さて、遊びはこれまでです。」
「お前しか遊んどらん。」
マヤはひとまず籠をテーブルに置いた。
ずっと持っているとこれがなかなか腕が疲れる。
「マヤさん。ほんとにこの赤ちゃんどこで拾ったんです?」
「ホール街道」
「…ホール街道かぁ」
アリサがこの『ホール街道』と聞いて眉を寄せるには訳がある。
ホール街道はその昔、貿易の盛んだったころは交通量の多い栄えた街道だったのだが、道が整備され陸路以外にも貿易ルートが開かれた今では、1日でも数人通行するかどうかという現状にあるのだ。
そんなところは当然治安も悪い。野犬がうろついているし、時折不逞な輩が通行人を襲い金品を奪うという事件も頻発している。
そんなところに大事な我が子を無防備に置き去る親はいない。
つまり『完全なる捨て子』というわけだ。
「マヤさんくらいですよ、今でもホール街道を使っているのは。あの道は危ないって言ってるのに。」
「だが、あの道がうちから街におりるのに一番近いんだ。それに、私は魔女だぞ?」
そう言いながらマヤが蠱惑的に笑って見せるとアリサは「ははっ」と苦笑するしかなかった。
マヤは『魔女』というものあってかすこぶる美女だ。
いつも少し古臭いしゃべり方をしているから、そちらに注意が向くが黙っていれば街行く人が10人中100人は振り向こうかという意味わからんほどの美女なのだ。
そんなマヤは自分の美貌を自覚し、効果的に使うことを心得ている。
その美貌を前にしてそこらの男性は害意を保てるわけがない。
「私に敵うやつが、いると、思うか?」
「…いません。」
「ふふっ。よろしい。」
マヤは蠱惑的な笑みからパッと表情を変え赤くなったアリサの頬を撫でた。
「というわけで、落し物は届けたぞ。あとはよろしく頼む。」
そう言ってマヤはさっと椅子から立ち上がる。
最後に赤ん坊の顔くらいは拝んでおくか、と覗き込んで、びっくりした。
「…綺麗だな。」
「え?」
マヤに続いてアリサも籠を覗き込むと、さっきまでぐぅぐぅと寝ていた赤ん坊はぱっちりと目を開けていた。
何より二人を驚かせたのはその瞳だ。
澄み渡るような淡いブルー。きらきらと輝く宝石のような瞳があった。
「っうっわ~!何この子の瞳!きれ~!」
「うむ。私もこんなにきれいな色は初めて見たな。」
二人が興奮気味に話していると「あう、あう」と声がした。
もちろん声の主は赤ん坊だ。
そちらに二人が目をやると籠から小さな手が見え隠れしている。
「う~あ!あ!あ!」
「…おいアリサ、あいつはなんて言ってる?」
「わかるわけないでしょ。」
子育てなどしたことのない二人は恐る恐る籠を覗き込む。
「あぅ!あ~!」
「おい、なんでこいつこんなに笑顔なんだ?」
「…きっとマヤさんを母親って認識したんだよ。」
「…ははおや?」
「うん。だってほら見て。マヤさんの顔ばっかりこの子見てるよ。」
確かに。マヤがちょっと顔を動かすとしっかり赤ん坊も反応しているように見える。
「…いやいや、騙されんぞ。そもそもちゃんと見えているのかすら怪しい。それに私は育てるなんぞ無理だ。子育てなどした経験がない。」
「そんなの初めて母親になる人はみんなそうよ!」
それでもマヤはしばらく「仕事が~」とか「魔女だから~」と散々ごね、そのたびにアリサに説得され、を繰り返した。
最終的にはアリサから「拾った人が最後まで責任もって育てんかい!!!」と強めに言われたため、結局マヤが連れ帰ることになってしまった。
その赤ん坊をマヤは、『フェリックス』と名付けた。