金玉金属症
下ネタが苦手な方はご注意ください。エッチな描写はありません。
白が基調の診察室で、椅子に座って背筋がピンとし、「院長」と書かれた名札をしている白髪の医師から、静かなトーンでこう言われた。
「君は、金玉金属症だね」
耳を疑った。
エッチな漫画やアニメを見すぎて、聞き間違いをしたのかと思った。
「え、何ですか」
「金玉金属症。正式には睾丸金属化症候群というけど、まあ前者の名前で覚えてもらって構わない。俗称みたいなものだから」
「金玉っていうのは……、これの……ことですか?」
認めたくなくて、俺は丸椅子から立ち上がり、自分の股間を指さす。
「そう。君のそこからぶら下がってるやつ。袋の中身。それがだんだん金属に変質していっているの」
「意味が分かりません」
「だよね。僕も最近、こういう病気があると知ったんだ。海外で数例しか報告されていないみたいだから」
「この地球上でってことですよね」
「うん」
俺は椅子に座りなおした。
「いや、ここ一か月ほど、玉がすごく垂れ下がってきて、皮膚が引っ張られて痛いなって思って、この泌尿器科を受診したんですよ。睾丸のガンがある、とネットで見たものですから、とても心配になって……。一応確認なんですけど、これが将来的にガンになる可能性はありますか」
「それは分からない。症例が少ないから、確実なことは言えない。経過観察するしかないね」
「ええと、数少ない症例の中で、この金玉金属症に関することで分かっていることは、他に何があります?」
「君の今起きている症状以外だと、空港での金属探知機に引っかかるとか…………。あと深刻なのだと、子どもがつくりにくくなることかな」
金属探知機に引っかかるなんて、小学生の遊びじゃあるまいし……。
ただ、子どもができないかもしれない、というのは、心に何か重たい物が乗っかってきたような感覚を覚えた。
四十歳手前の年で、今まで生きてきて一度も付き合ったことのない自分が、将来家庭を持つ可能性はゼロに近いけれど、それでも「できる」と「できない」じゃ、話が全然違ってくる。
「とりあえず経過観察するしかない。君の股間にあったサポーターを渡すから、それで垂れ下がってくるのを防げるから、皮膚の痛みはなくなると思う」
「分かりました」
「あと、君が望むなら、将来女性と結婚して子どもをつくりたいってなった時のために、今のうちに君の細胞を採取して冷凍保存しておくかい?」
「そう……ですね。できるのなら、お願いしたいです」
「うん、早速準備するよ。一旦、廊下で待っててもらえる?」
診察と処置がすべて終わり、俺は帰路を歩く。
大きな通りには、カップルが大勢歩いている。
まさか自分の彼氏のあれが金属に変質してしまうかも、なんて思っている女性など、ここには一人もいないだろう。
とりあえず、子づくりの心配は脇へ置いておこう。
もしかしたら、最新の技術で何とかなるかもしれないのだから。
それよりもまず、自分の命が今後も無事でいられるのか、ということだ。
「切除、も選択肢かな」
将来的に、ガンなどのリスクが伴うのなら、切ってしまうのも良いだろう。
死ぬよりはマシだ。
「あれ……?」
何か、心の闇の中に一筋の光が見えてきたような気がした。
死ぬかもしれない、という恐怖がこみあげてきたのと同時に、これまでの人生で切り捨ててしまったことが、走馬灯のように頭の中でたくさん駆け巡ってきた。
「これまでやりたかったけど諦めていった事が急に、次々と思い出されていくぞ……。もしかして、人は死を感じると脳が活性化するのか……?」
たくさんの人が立ち止まる信号で、俺は一緒に立つ。
そして考える。
どうせ死ぬのなら、チャレンジしてみてもいいんじゃないか……?
信号が青に変わり、俺は歩き出す。
せっかくこの星で生きているのだ。あがいてみせようではないか。
「生きてやるぞー!」
俺は群衆の中で、右の拳を突き上げて叫んだ。
皆が俺を見てきたが、全然恥ずかしい気持ちは出てこなかった。
金玉金属症と診断されてから十年が経った。
俺の夢の一つは、車中泊しながら日本を一周することだった。
がんばって仕事して、デカい車を買った。
車内を、寝泊まりできるようにDIYした。
俺の金玉は、相変わらず金属だ。
だが、サポーターさえすれば、生活には支障がない。
切除もしていない。
ガンにもなったことがない。
真夏の夜、俺の車は公共の駐車場に停まっていた。
俺の隣には、奥さんと三歳の子どもがいる。
数年前に結婚した。
「それにしても、ビックリ」
後部座席につくった寝室の寝袋に入りながら、年下で可愛い奥さんが言った。
「何が?」
「あたしのお腹の中から、こんな子どもが生まれてくるなんて」
俺と奥さんの間で、静かに寝息をたてている子どもは、皮膚の五十パーセントが金属の膜に覆われている。
あれも俺と同じく、金属にだんだん変わっていっているらしい。
「世の中には、俺たちが知らない事がたくさんあるんだよ。体が金属でも、俺たちの子どもは可愛い。そうだろ?」
「もちろんよ」
フフッと小さく笑った奥さんは、十秒ほど間隔を開けてから、俺に言った。
「ねえ、あなたって、もしかして宇宙人だったりする? ……なーんてね! おやすみ……」
そうだよ、とは言わないでおいた。