〈27〉
降り立った塩沢は唯二色の世界だった。大地を覆う雪の白、その上に広がる澄み切った青い空。
駅前でタクシーに行き先を告げ――村上家というだけで通じた――直行した。
門よりかなり手前、キラキラ燦ざめく光の中、純白の大地に同色のリボンのようなものが見えた時、僕と来海サンは車から飛び降りて無我夢中で走り出した。
近づくにつれ、僕たちにははっきりとそれが見えた。白い細長い布……その横に倒れている人の姿……
遅かったか……!
「冬麗さん――?」
「冬麗さんッ――!」
ムクリ、人影が起き上がった。
「大丈夫よ。私も、浄化してもらってただけ。母の布と並んでね」
雪の地面に広げられた布をまじまじと見て来海サンが息をのむ。
「あ、この布……」
先日、冬麗さんが見せてくれた旧い反物ではないか。長い年月のせいでシミの付いたアレ。今は真っ白に再生されている。
僕は訊いた。
「では、これが?」
「そうよ、これが〈雪晒し〉。私たち越前上布の持つ魔法」
村上冬麗さんは笑顔を煌めかせた。
「春先の直射日光と雪の反射光に含まれる紫外線で空気中の水蒸気が水素(H)と酸素(O)に解離して、より安定的なオゾン(O3)が生まれる。それが引き起こす漂白作用……なぁんて言うけれど、実はこんな風にシミの付いた布が純白になる科学的な根拠は未だにわかっていないのよ」
布から視線を戻して冬麗さんはじっと僕と来海サンを見つめた。
「あなたたちがここに来たということは、最後の手紙を読んでくれたのね? そして、全てを理解してくれた――」
冬麗さんはゆっくりと落ち着いた口調で話し始めた。
「あの6通目の手紙は私の母、村上夏月が私に残した遺書のコピーです。先日も話しましたが母は昨年の年末、病のために亡くなりました」
いったん言葉が途切れた。静かに瞬きをする。
「和路氏不審死の記事が出た前日、1月31日の午後3時頃、私は和路氏に会いに行きました。彼とはその日が初対面でした。呼び鈴を押すと和路氏が出て来て玄関を開けてくれました。その日、お手伝いさんは他出していて不在だったようです。
連れられて入った書斎で私は母の死を伝え、その母がずっと気にかけていたこと――母の最期の願いを告げ、盗品を返却してくれるよう頼みました。和路氏は頑として首を縦に振らなかった。これから所用があって出かけるからと、私はにべもなく追い返されました。私は近辺に潜んで和路氏が出て行くのを待ちました。去ったのを確認して、再び家の中へ入ったんです」
「鍵は?」
「持っていたのよ。母の遺品の中に若い日の欧州留学中のあれこれといっしょに見慣れない鍵があったの。多分、母が短い共同生活をおくった和路氏の家の鍵だろうと思って、和路氏邸を来訪する際、持参したの」
冬麗さんは小さい鈴のついたそれを白いコートのポケットから取り出して耳元で揺らして見せた。
「若い日に犯した罪の清算を願い、盗品を返却できなかったことが何より心残りだと言った母に代わって、私はどんなことをしても、絶対、和路氏の手からそれを取り戻そうと決心していたのよ」
わずかに声に厳しさが増した。
「室内へ戻り、いわく〈宝箱〉を開けると目的の品はすぐにわかった。下の抽斗に入っていたわ。上の抽斗には刀が入れてあった」
今、抽斗の中を覗き込んでいるかのように目を伏せる。
「私が吃驚したのは、二段目の同じ抽斗の中、盗品の真横に母が織って贈った反物と、それからもう一枚、小袖が入っていたこと――小袖の方は、異国の結婚式で母がベール代わりに被ったもので、こちらは祖母が織ったものだとすぐ思い当たった」
冬麗さんは深々と息を吸った。
「私はまず目的の盗品を取り出し、それから、反物と小袖も自分のバッグに入れた。母が織った布と祖母の織った小袖……二代に渡る村上家の女たちの祈りの籠った布をあの男の元に残しておきたくなかったから。ここで突然、電気がついて、振り返ると背後に和路氏が立っていた。まさか、こんなに早く帰ってくるとは私は思ってなかった。私のしていることを目撃して激高した和路氏は、私から盗品を奪い返そうとしたわ。私は拒んで――私たちは激しくもみあいになり、気づくと、私の足元に和路氏は倒れていた……」
とても柔らかな表情で彼女は言った。
「復讐のつもりはなかったのよ。私は母の最期の望みをかなえたかっただけ。とはいえ、この結果――やってしまったことを後悔はしていません。あなたに最後の手紙も出し終えたし、今日は、これから警察へ出頭してきちんと罪を償うつもりです」
ふっと笑った。
「母は死ぬまで自分が間接的に関わってしまった罪の意識に苦しんだけど、その点、私は幸せだと思っているの。私は全て自分の意思で行動し、やり遂げ、短い間に完結できた。この先は、きちんと罪を償って、その後は残る人生を思いっきり味わい尽くします。私を産んでくれて〈最高の贈り物〉と言ってくれた母を悲しませたくないもの」
「ぜひ教えてください」
僕にはどうしても聞いておきたいことがあった。




