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〈26〉


 必要最小限の荷物をまとめ、施錠した店の前で僕は来海サンを待った。

 いつものように下校して来る彼女の姿が目に入るや駆け寄り、その手を握って走り出す。

 兎に角、まずは彼女の家へ。徒歩10分とかからない、広島駅南口の印章店を目指す。来海サンは JK (高校生)だ。最低限、兄の行嶺氏に断りを入れる必要があった。

「これから新幹線に乗るだと? おいおいおい、駆け落ちか? 説明してもらおう」

「今は挨拶だけで許してください。詳細は車内からメールします。とにかく時間がない。一刻を争うんです、では、これで!」

「アルバート、兄さんをお願い!」

「ワン!」

「おい、待て、待てと言ってる、いったい――ぎやああああ」

 行峯氏のその後の言葉はよく聞き取れなかった。名犬アルバートが押し倒して、舐めまくっているのだろう。

 こうして、僕たちは駅へ駆け込み、東京行きの新幹線に乗車した。

 東京までの車中で、約束通り行嶺氏に成行きを説明する僕の横で来海サンは僕が渡した第6の手紙――最後の手紙――を読んだ。


 以下本文 ※注:手書きのコピー


  〈 第6の手紙 〉


 私に残された時間はわずかとなりました。この世を去る前に今日はこれからどうしてもあなたに伝えたいことを記そうと思います。

 私とあなたのお父さんが初めて出会ったのは1998年三月末、イタリア・ボルツァーノ県の南チロル考古学博物館でした。開館したてのその博物館で私はその人に一目で恋してしまいました。優しくて大人で何でも知っている理想の男性に見えたから。だから、たった数週間で求婚された時は天にも昇る心地でした。

 婚約の記念に彼は、私にピッタリだと言って、美しい原石を贈ってくれました。

 それが全ての過ちの始まりになるとは――

 ことわっておきますが、私にとって最高の贈り物はあなたです。あなたのおかげで私の人生は素晴らしいものとなりました。私の唯一の後悔は、自分の罪と向き合えなかったこと、罪を償えなかったことです。だから、せめてあなたに私の犯した過ちを包み隠さず話そうと決心したのです。

 結婚が決まって日本に帰って新生活をおくることにした私たちは、帰国前にハネムーンとして欧州を巡る旅をしました。正式な入籍は帰国後の予定でしたが、旅の途中立ち寄った南ドイツはバンブルグの聖ミヒャエル教会があまりにもステキなのでそこで二人だけの結婚式を挙げました。

 その後、彼のお気に入りの美術館や博物館を巡りました。

 私がそのこと――彼が罪を犯したことに気づいたのは、日本に帰った後でした。

 婚約の贈り物を彼が返してくれなかったのです。

 彼の書斎の宝箱と称する大切な物を納めた箪笥の中にそれを仕舞い込んでしまいました。あの美しい、素晴らしい原石で一生の思い出になる指輪やペンダントを作ろうと考えていた私は吃驚しました。

 彼は言いました。

 ――君には改めて別の石を贈るよ。

 その時、私は全てを悟ったのです。私たちが立ち寄ったチェコ、ブルノ市のモラヴィア博物館で、よく似た展示物と摺り代えたのだと。そっくりの石がそこにあったのを私は目にしていました。

 問い詰めると、彼はその事実を認めました。

 ――なんてこと、それは犯罪よ、泥棒だわ!

 返却するよう、私は懇願しましたが彼は応じてくれませんでした。

 ではまさか、最初から摺り代えるのを目的で私に似た石をくれたのだろうか? 

 帰国の際、出国手続きの場で、私への贈り物の原石の、現地での購入証明書をにこやかに提示していた彼の横顔が鮮明に蘇りました。彼にとって私は道具だった? 彼が欲したのは私ではなくあの石? 

 私の終わりのない疑念と懊悩はこの時から始まりました。

 私は衝撃を受け、混乱し、落胆し、絶望して――結局、彼の元を去りました。

 あなたを身ごもっていると知ったのは実家に戻ってからです。

 このことは嬉しい驚きでした。私が得た真実の宝! 

 当時健在だった私の両親――あなたの祖父母――も心から祝福してくれました。

 あなた自身も二人がどんなにあなたを慈しみ、可愛がってくれたか憶えているでしょう?

 元気に産声を上げたあなたに勇気をもらい、私はあなたを傍らに置いて布を織り、彼に最後の嘆願を試みました。彼の改心を期待したのですが、無駄でした。

 その後、彼からは何の連絡もなく、今日に至ります。


 以上が、私の犯した罪の全てです。

 気づかなかったとはいえ、その瞬間、私は傍にいたのです。

 この事実は消えません。

 その上、警察に真実を訴え出る勇気が私にはありませんでした。

 弱虫のお母さんでごめんなさい。どうか、私を許してください。

 せめて、死ぬ前に盗んだ品を博物館へ返却出来たらよかった。

 そのことが何より心残りです。

 

 あなたは心の支え、私の〈光〉でした。

 あなたのおかげで私は胸に暗い秘密を抱えながらも幸せな毎日を過ごすことができました。

 本当にありがとうね、冬麗!


 ♪あなたは私のダ・トゥレー

  笑い、希望、夢、生きがい、全てを与えてくれた人



 東京駅近辺で一泊、翌朝、6時、始発の北越新幹線で越後湯沢へ。上越線に乗り換え、目指すは最終目的地塩沢。

 これほど車窓を過ぎ去る風景がのろく、まどろっこしく感じたことはない。

 とにかく、間に合ってくれ、どうか、どうか……



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