〈15〉
和路氏死亡前日に屋敷を訪れ、それ故一時は重要参考人とされた竪川悠氏からの突然の招聘。
氏から落ち合う場所に指定された栃木県足利駅は、僕の頼もしき相棒が心配した理由の一つでもあるが、僕らのホームタウン広島からかなり遠い。
とはいえ、探偵はフットワークの軽さが身上だ。
ホームズ曰く『チャリングクロス駅で三時に!』。あるいはマーロウなら、たとえ熱い風の吹き荒れる中だろうと、パッカードのガブリオレ(但し自分のじゃなく死んだ男の所有)に飛び乗ってサンセット大通りをコーストハイウェイ目指してブッ飛ばして行く。更にその先、マリブのゴツゴツした岩場でカモメに餌を投げ与えるために……
令和の探偵(自称)の僕はスマホでチェックして直ちに広島発16:01〈のぞみ40号〉東京行きに飛び乗った。19:56東京着。
乗り換えて20:28発〈なすの271号〉那須塩原行き、21:08着の小山駅からJR両毛線普通高崎行き7駅目が足利駅で21:11到着となる。
駅前のホテルに宿泊。これで翌朝9時30分、約束通り竪川氏に会える。
当日、時間きっかり、別に胸に目印の真紅の薔薇を挿していたわけではないが、駅前に佇んでいた僕に近寄って来た男がいきなり言った。
「桑木君だね? 少々強引だったが探偵に憧れる人間なら動き回るのは嫌いではないと思ってね。実は僕もチョコマカするのが大好きでね、そのせいでこんな人生を送ってる――」
「竪川悠さんですね? はじめまして。桑木新です」
竪川氏はサッとうなずいた。年齢は20代後半から30代半ば、そのいづれにも見える。中肉中背、細面の端整な顏。銀色の髪は染めているのか、それとも若白髪なのか判然としない。でも、彼の雰囲気にとてもよく似合っている。
「僕などは日本国内だけじゃなく世界中、いろんなところを飛び廻っているのさ。そして面白いものを見つけては和路氏に連絡する。逆に和路氏が指定して、それを僕が確認に行くこともある――そういう付き合いだった」
自己紹介からほとんど継ぎ目がなかったが既に本題に入っていた。
「和路氏も若い頃は自分の足でソレをやっていたんだが、最近はほぼ僕が請け負っていた」
ここまで一気に言った後で竪川氏はじっと僕を見つめた。
「桑木君、ちょっとつきあってくれないか? 込み入った話はそれから、ということで」
竪川氏が僕を連れて行ったのは、徒歩10分ばかりの足利市立美術館だった。
「きみ、ここへ来たことは?」
「初めてです」
「だろうな。まぁ、美術館というより土地柄もあって武具系が多いものな」
正面玄関には戦国武将の家紋が入った幟がはためいている。折から刀剣の特別展が催されていた。
この際白状するが、僕は刀剣方面はからきし無知である。
竪川氏は二人分の入場券を買い、無言のまま進んで行く。僕も、一切口を挟まずその後ろをついて行った。
竪川氏には彼独特のリズムがある。だから僕もそれを乱さず付き従うことにした。
一階は戦国時代(1466~1590)この地、足利を統治した武将であり画人でもあった足利長尾氏に纏わる展示物が並んでいた。
中国北宋時代の武将にして画人でもあった皇帝徽宗の〈白鷹図〉、長尾氏三代景長、四代憲長、五代政長が、それぞれ自身を描いた肖像画、親交のあった狩野派初代正信と二代元信の山水図や屏風……
僕はこの地出身の狩野興以の、月をとらえようとする猿の絵が微笑ましくて気に入った。
三階は武具や古地図。長尾家の菩提寺長林寺に伝来する室町時代の武具〈紺糸縅餓鬼胴具足三ツ巴九曜紋章〉、その堂々たる存在感に魅了される。
だが、何といっても圧巻は二階、〈長尾顕長と国広〉と題された名刀陳列だ。
顕長が刀工国広に命じて作らせた希代の名刀〈山姥切国広〉……
足利学校(これは長尾氏ら武将が支援した室町から江戸時代に至る国内最高最大規模の学府である)で作刀した脇差、旅泊七十二作(父)……日州古家住国広作(息子)……
冴え渡る冷気。沸沸と滾る、凍れる焔。
それらは刀剣に関して無知を自認する僕の眼にも鬼気迫るものがあった。
その後、一階に戻り、ミユージアムショップ横の喫茶室に腰を下ろす。




