1.聖女と勇者
平和な、そう少なくとも日本はそれなりに平和だったのだと聖女は考えていた。本人の意思や考えなどお構いなしに召喚し、もう二度と元の世界に戻れないと悪びれることなく宣告するこの国この世界の価値観を鑑みれば。人権無視もいいところだ。まるで自分たちだけが被害者のような面をして、要求だけを突き付ける。それに応えたとして、私に何が残るというのだろう。せめてことが終わってから元の世界に戻れるというのなら、まだ手助けしても良いかと思えるのに。横柄な王侯貴族や慇懃無礼な神官たちの顔が浮かび上がってきて、聖女は溜息を吐いた。
もう、何度目か分からない。
言葉が通じない、と言うと少し語弊がある。なぜか話し言葉はお互い理解できた。おそらく通訳のような魔法でも使用されていたのかもしれない。文字はお互いに読めなかったが。だが、言葉が通じるのに会話が成立する気配が無い、と聖女はすぐに感じ取った。
「ゴネたもん勝ちとか、どんだけなの!」
宛がわれた部屋で、一人きりになって初めて癇癪を起こした。弱冠十六歳の身としてはまあ我慢した方と言えるのか、それとも見知らぬ地でたった独りで我を貫くほど強くなかったのか。
XXXはふかふかの枕に当たり散らして、疲れて溜息を一つ。そうして止め処なく涙が溢れだしていたのも懐かしいと、どこか他人事のように考え始めていた。
今、XXXは聖女と呼ばれ、祭り上げられ、そうして勇者一行と共に魔王討伐の旅に出ている最中だった。魔物を討伐しながらの旅ではあるが、そこそこ楽は出来ていた。
そこそこの楽、という曖昧な評価になる理由は二つあった。
一つ、勇者の存在。彼は王族の一人で、というよりは王太子と言った方が早いだろうか。継承権第一位の王族が魔王討伐の先陣を切るのは、彼が当代随一の魔法剣の使い手だからだという。尤も、この国の王侯貴族の例に漏れなく横柄な青年ではあったが。王太子が当代随一の魔法剣士だという話を聞いた時、XXXはこの国の王族である彼に、誰も物申す勇気を持っていなかっただけなのでは? という考えが過ったのだが空気を読んで口を噤んだ。賢明な判断だった、はずだ。
他のメンバーは、騎士団長の息子、騎士団副団長、魔術師団の副団長という顔触れであった。遠征隊としては破格の戦闘力を持っているので、道すがら発生する戦闘は片手間で済むほどだった。
戦闘力の高さと、王太子を含むVIP御一行故移動は馬車を使用する上、宿は高級宿である。旅慣れていないXXXでも付いていくのに苦労は無かった。
それだけであれば高評価の旅を「そこそこ」程度の評価にまで押し下げているのは、他でも無い聖女の扱いである。一応国賓であるので、生活面は貴族並みのものを保証されている。されてはいるが課せられる業務は、「あ、これがブラック企業ってやつ?」と遠い目をしてXXXが現実逃避するレベルだった。魔物退治で出た負傷者や病人の治癒でそれこそ朝から晩まで働いていた。王宮に居た頃はそれでもまだ良かった、と旅に出て後XXXは遣る瀬無い感情に襲われたのだった。
戦闘はそもそも苦戦などしていないのに、やれ疲労を癒せだの怪我(かすり傷程度)を治せだの戦闘終了後ごと言われる。主に王太子にだが。町に逗留すれば、聖なる祈りを日に三回、町の病院に居るけが人や病人の治癒、めんどくさいタイプでしかない王太子の相手、である。
もう嫌だ、と一日のうちに何度思うか分からないほどだが、異邦人の彼女には逃げ込める場所も無い。この世界に召喚されてからというもの、XXXに絶望しない日はなかった。