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ある夜のことでした。

夜中に目を覚ましたわたくしは、ぱたぱたと羽音をさせてフェアリーさんがどこかへ行くのを見かけました。

こんな時間にいったいどこへ?

気になったわたくしは、そっとフェアリーさんのあとについていきました。


月灯りのある森は、存外、歩きにくくはありませんでした。

それに、フェアリーさんはほんのり光っていらっしゃるので、見失うこともありませんでした。

音を立てては見つかってしまうので、転ばないように転ばないように、細心の注意を払って進みます。


フェアリーさんはなにか目的があるように、迷うこともなくすいすいと進んで行かれます。

小柄なからだなのに飛ぶのがとても速くて、うっかりすると置いていかれそうです。

小走りになりながら、かれこれ小半時も進んだでしょうか。

ふ、とフェアリーさんは宙に制止したまま、くるりとこちらを振り返りました。


―こんな夜中にひとりで出歩いたりしたら、またあの三人に叱られるんじゃないの?―


ぎょっとして立ち止まったわたくしは、ははは、と気まずい笑いを浮かべました。

どうやらフェアリーさんはわたくしがついてきているのに気づいていらっしゃったようです。


「ひとりではありませんわ。

 フェアリーさんもご一緒ですもの。」


―なんでぼくが一緒だと大丈夫なの?

 あんたさ、聖女様だかなんだか知らないけど、もう少し、人を疑ったほうがいいよ?―


「疑いますとも。必要とあれば。

 けれど、フェアリーさんは疑う必要ないですよね?

 それに、フェアリーさんだって、おひとりでは危険なことがあるかもしれないでしょう?」


フェアリーさんは、ふん、と鼻を鳴らしました。


―ぼくに危険なんかない。

  ぼくが見えるのはあんただけ。

  ぼくに触れられるのもあんただけ。

  つまり、あんたがぼくに危害を加えない限り、この世界のなにものも、ぼくを傷つけることはできない。―


「それって、フェアリーさんも、わたくしがフェアリーさんを傷つけることはない、って信用してくださってるってことですか?」


わたくしがそう尋ねると、フェアリーさんは、ぐっ、と押し黙ってしまわれました。


「とすると、フェアリーさんって、この世界で最強ですね?」


―・・・最強なのはあんたでしょ?―


フェアリーさんは苦笑なさいました。それからちょっと諦めたようにおっしゃいました。


―ついてきてもいいけど。

 あんたには楽しい場所じゃないかもよ?―


そのままわたくしの返事は待たずに、くるっと背中を向けてまた進み始めました。


わたくしはお許しをいただけたので、今度は堂々とついて行きました。

こそこそと身を隠す必要もなくなったので、歩くのはずいぶん楽になりました。


しばらく歩くと少し開けた場所に出ました。


―ちょっとそこの木の陰に隠れて。―


フェアリーさんに言われたとおり、物陰に隠れます。

するとフェアリーさんは、さらさらと宙に紋章を描き始めました。


フェアリー魔法の紋章は、複雑怪奇でなにが書いてあるのかさっぱり分かりませんが、でもとても美しい文様でした。

紋章はじきに完成して、魔法の粉がきらきらと周囲に飛び散りました。

すると、あちこちから、ふわり、ふわりと、木の実や草の実が集まってきました。

そしてそれはみるみるうちに、こんもりと積み上げられました。


すると、どうでしょう。

どこからともなく、小さなウリ坊が二匹、とたとたとやってきたではありませんか。

ウリ坊たちは積み上げられたごちそうに鼻を突っ込んで、嬉しそうに食べ始めました。


「あの子たちは?」


わたくしは声を潜めてフェアリーさんに尋ねました。

けれど、多分もう、その答えには気づいていました。


―前の森の主の子どもらだよ。―


やはりそうでしたか。

わたくしは胸がずきりと痛むのを感じました。


―言っとくけど、ぼくはこれをあんたに見せて、あんたを責めようってんじゃないんだ。

  あんたがあの大イノシシを倒したのは、まったくの偶然だった。

  それに、あんたはあの大イノシシをちゃんと残さず食べた。

  森に無駄な命なんかひとつもない。

  命は全部誰かの命になる。

  あの子どもらだって、木の実や草の実を食べる。

  木や草の命をもらって生きている。―


わたくしはただ黙って、二匹のウリ坊に向かって手を合わせました。

フェアリーさんのおっしゃることは分かります。

でも、だからと言って何も感じないわけではありません。


「あの子たちのことは、ずっとフェアリーさんがお世話を?」


―それだって、ちょっとした気紛れに過ぎないよ。

  あの子たちがかわいそうだ、なんて、同情したわけでもない。

  この世界の理なんて非情なものだ。

  森の掟に従うなら、放っておくべきだったんだろうけど。

  ただね、二匹が草むらに隠れてきぃきぃ鳴いているのを見てたらね。

  どうしてか、放っておけなくてさ。―


いつになくよくお話しになって、フェアリーさんは、迷うように視線を泳がせました。


―この世界に関わりなんて持つ気はなかった。

  なのに、ここから立ち去りたいとも思わなかった。

  ずっと長い間、どっちつかずのまま、ふらふらしてた・・・

  そしたら、あんたに見つかってしまった。―


フェアリーさんはこちらをちらりと見てからため息を吐かれました。


―この世界じゃ、生き物も、風も、時間さえも、ぼくのことを避けていく。

  歓びも悲しみもいつもぼくからは少し離れたところにある。

  ぼくはいつも傍観者で、ただ見ているだけだ。―


「それはお寂しいですね?」


―寂しい、のかな?・・・よく分からない。

  ずっと最初からそうで、ずっと何も変わらなくて。

  それが当たり前だったら、寂しいもなにもないよね?

  それがいつか変わるだなんて、そもそも思いつきもしなかった。―


「もしかして、わたくしはフェアリーさんの平穏をぶち壊してしまったのですか?」


―そうとも言える。

  ぼくはあんたに出会ってしまった。

  ずっと変わらず観客だったぼくが、いきなり舞台に引っ張り出された。

  で、さ。ぼくは今、岐路にいるわけ。

  もう一度平穏のなかに戻るのか。

  それとも、新しい風のなかに踏み出すのか。―


フェアリーさんはわたくしの顔の前に来ると、視線を合わせておっしゃいました。


―あんたに、フェアリーの守護を受ける覚悟は、ある?―


「フェアリーの守護、ですか?」


問い返したわたくしに、フェアリーさんは、小さな吐息を吐きました。


―知らないよね・・・滅多にないことだしね・・・

  そもそも、見える相手と出会うことなんて、奇跡みたいなもんだしね。

  それに、フェアリー側だって、守護してやろうなんて、そうそうは思わないもんだ。

  ほとんどのフェアリーは、厄介ごとはごめんだ、って、精霊界に還ってしまうからね。―


「フェアリーさんは、精霊界というところへお帰りになりたいとお思いですか?」


―ぼくらは大精霊の涙の雫でできている。

  だから、大精霊のなかに還ることは、究極に安心できる場所に還るのと同じことなんだ。

  辛い目や苦しい目にあうくらいなら、とっとと安全な場所に還ってしまいたい。

  それって普通のことでしょう?―


フェアリーさんはため息を吐かれました。


―ぼくらはこの世界にとっては異質な存在だ。

  ぼくらの力は、この世界の理からは外れた力だ。

  力そのものは善でも悪でもないけど、強い力は、眩しい光と、それから陰を連れてくる。

  ぼくらが関わることは、もしかしたらこの世界に余計な混乱を引き起こすだけかもしれない。

  実体化していない今なら、ぼくらにできることは限られている。

  せいぜい、ちょっとしたいたずら程度のことしかできない。

  けど、一度実体化してしまえば、ぼくらもまたこの世界に組み込まれる。

  この世界とは違う理をもった力を持ち込んでしまう。―


フェアリーさんは、わたくしの瞳のなかをじっと覗き込みながら、ゆっくりとおっしゃいました。


―あんたに、ぼくの力を引き受ける覚悟は、ある?―


それはまるで、大精霊様に問われているようでした。

お前に大精霊様の使徒として仕える覚悟はあるのか、と。

辛い目や苦しい目にあうくらいなら、とっとと安全な場所に帰ってしまいたい。

フェアリーさんがさっきおっしゃった言葉が心の中でよみがえります。


何年か前、神官の道を志したいとお父様に打ち明けたときのことを思い出しました。

お父様は、その道が決して平坦ではないこと、歓びもあるけれど苦しみも多いことを、懇々と説いてくださいました。

そうして仰いました。貴女にこの道を行く覚悟はありますか、と。

そのときのお父様が、なんだかとても怖くて、幼いころから叱られるときでも怖いと思ったことなど一度もなかったのに、そのときは本当に怖くて、それで悟りました。

お父様は、本気でわたくしを案じ、その覚悟を問うておられるのだと。

なまじな覚悟で踏み出し、大怪我をするのは、なんとしても引き留めようと、思っていらっしゃるのだと。

それだけわたくしのことを心配してくださるのだと。

あります。とたったそれだけの短い答えだったのに、声がふるえたのを覚えています。

そのわたくしを見たお父様が、泣き笑いのような顔をなさっていたのも。


―無理なら無理って言っていいんだ。

  あんたがそう言ったって、ぼくはあんたに失望したりはしない。

  正直、ぼくだって、あんたにそう言ってもらえたら、ほっとするなって気持ちもあるんだ。―


黙っているわたくしに、フェアリーさんは慰めるようにおっしゃいました。


―あんたはぼくの運命を変えてしまった。

 けど、ぼくも多分、あんたの運命を変えてしまう。

 それがいいことなのか、悪いことなのか、今はまだ分からない。

 あんたに覚悟はあるかって尋ねたけど、このぼく自身、そんな覚悟、あるって即答できないよ。―


フェアリーさんは小さく苦笑なさいました。

フェアリーさんはわたくしよりも知識もお持ちだし、多分、生きてきた時間もずっと長いのでしょう。

わたくしよりもずっと立派でずっと賢くてずっと大きな力をお持ちなのに。

フェアリーさんもわたくしと同じように悩むのだなと思いました。


「ひとつ、尋ねてもよろしいですか?」


わたくしはフェアリーさんにどうしても確かめておきたいことがありました。


「フェアリーさんご自身は、何をお望みですか?」


ぼく?とフェアリーさんは自分を指さしてから、そうだな、と少し考えるそぶりをしました。


―・・・ぼくはこの世界で生まれた。

  たとえ、この世界のすべてに無視され続けていたとしても。

  ぼくの故郷は精霊界じゃなくて、ここだ。―


「それは、大精霊の許に還りたいとは思わない、ということですか?」


―そうだね。

  本当は怖くて全力で逃げ出したいんだけどさ。

  なんだろう・・・そうだな、ぼくは、あんたが気に入ったんだ。―


フェアリーさんはわたしの目を見て、にこっと微笑まれました。

それは、どんな人でも心をわしづかみにされるような、妖精さんの心からの笑顔でした。


―世界とか運命とか大袈裟なこと言ったけどさ。

 本当のところ、ぼくはもう少し、あんたたちと一緒にいたい。

 いや、本音じゃ、理とか力とか、どうでもいいよ。

 ただ、あんたたちといると楽しそうだな、って。

 そう思っちゃってるんだ。―


くすくすと肩を竦めて笑います。

それからいたずらっ子のような顔をしておっしゃいました。


―このぼくをこんなふうにしたのはあんたなんだからね?

  ちゃんと責任とってよ?―


「はい。」


わたくしも微笑んでうなずきました。


「もとより、覚悟はございました。

 ただ、それがフェアリーさんの意に沿わぬことではないのかと、それが心配でした。」


フェアリーさんが還ることを望むなら、わたくしにそれを止める権利はありません。 

けれど、ここにいることを選択なさるのならば、フェアリーさんはもうわたくしたちのお仲間です。


―じゃ、さ。まずは手始めに、ぼくに名前をつけてよ。―


「名前、ですか?」


―ぼくらには名前がない。

 だけど、あんたたちと行くなら、名前がないと困るでしょう?

 あんただって、仲間から、人間、って呼ばれるのは嫌だろう?

 ぼくだって、いつまでもフェアリー呼ばわりされたくない。―


「なるほど。」


それはごもっともです。


「では、ミールム、というのは如何でしょう?」


―ミールム?古代語で、素晴らしい?

  なんか大袈裟すぎない?―


「その言葉は、お父様に教えて頂いたのですわ。

 古代語の授業で覚えているのはその言葉だけなのですけれど。

 いつか、なにかに名前をつけることがあったら、そう名づけようと。

 心に留め置いていたのですわ。」


―へえ。じゃあ、その名前、ぼくがもらった。―


ミールムさんはそう言って笑いました。


―今から、ぼくは、ミールムとして、この世界に繋ぎとめられるよ。―


笑顔のままミールムさんは祈るように両手を組み合わせました。

瞳を閉じたその全身が、きらきらと光を増していきます。


―ぼくの名前を呼んでくれるかな?―


「はい。ミールム、さん。」


―ふふふっ、有難う。―


ミールムさんは嬉しそうに微笑んで、わたくしを見つめました。

それから、その手のなかに現れた金色の鍵をわたくしに差し出しました。


―これを、持っていてくれる?―


「これは?」


―大事な鍵だよ。

 あんたに持っていてほしい。―


「分かりましたわ。」


わたくしは鍵を失くさないように紐に通して首にかけておくことにしました。

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