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わたくしはいつも持ち歩いているリュックを背負って出発しました。
このリュックはわたくしと一緒に忘れられていたものだそうで、何かの魔法がかかっているのか、いくらでもものが入ります。
リュックには、マリエ、と縫い取りがしてあって、わたくしの名前はそこからつけられました。
わたくし、出かけるときにはいつも大荷物です。
それというのも、わたくしにはちょっと困った癖があるのです。
それは、いつも裏目に出る、と申しますか・・・
たとえば、とてもお天気のよい、雨なんて絶対に降りそうにない日だったとしても、傘を持たずに出かけると、必ず雨に逢うのです。逆に、今にも降りだしそうなお天気に、傘を持って行けば、ほぼ必ず、降りません。
この困った体質のせいで、何度、ずぶ濡れになったことか。
そして、わたくしは学習いたしました。
とりあえず、傘を持っておけばいいのです。そうすれば、万が一雨に降られても、傘があって大丈夫。
このような感じで荷物が増えていき・・・いつの間にやら、つい近所に出かけるにも大荷物、という有様になりました。
ましてや、今度の旅は、そう簡単には帰ってこられなさそうな出立です。
聖水はこぼしたときの予備も必要でしょうし、保存食は傷んで食べられなくなる可能性もあります。
大きな鍋があれば、どこでもお料理ができて安心ですし、食器も壊したり洗えなかったり、と考えると、予備の予備も必要です。
もちろん、普段から持ち歩いているポータブルの神殿に、傘にタオルに着替えに防寒具。寝袋とテントとゴミを入れる袋も必要だし・・・挙げだしたらキリがありませんね。
そのうえ、道々手に入れた食材もそのつど放り込んで、それはそれは一段と大荷物になりました。
リュックには魔法がかかっていて、荷物はいくらでも入るんですが、重さのほうはそれなりに重くなります。
ただ、わたくしにはもうひとつ、変わったところがあって、多分、普通の人よりは力が強いのです。
この程度の重さでしたら、歩くのにも走るのにも支障はありません。
こうして辿り着いたオークの鉱山で、たのもー、と声をかけた後のことは・・・先日フィオーリさんがお話しなさいましたから省略いたします。
あの鉱山でのできごとは、いろいろと申し訳ないような、ほんの少しばかり寂しくなるような、そんな結末を迎えましたが、一緒に旅をしてくださる仲間たちと出会えたのは、素直に嬉しいことでした。
ホビットのフィオーリさん。エルフのシルワさん。
そして、お師匠様こと、ドワーフのグランさん。
みなさんとてもユニークで、そしてお優しくて、頼りになる方ばかり。
わたくしは本当に恵まれているのだと思います。
フィオーリさんはいつも元気で明るいムードメーカーです。
くるくるしたお目目は好奇心いっぱいという感じで、見ているだけで元気を分けてもらえます。
なにか仲間内で小さな衝突が起きても、フィオーリさんが中に入るだけで、いつの間にか収まってしまう。そういうところがおありです。
からだがとても軽くて、するすると木に登っては、枝から枝へと渡り歩く、ちょっとお猿さんみたいな特技をお持ちです。
シルワさんはどこかからだがお悪いようで、いつも顔色があまりよくありません。
そうでなくても色白華奢なエルフさんで、儚げで守ってあげたくなるような雰囲気です。
なのに、わたくしに忠誠を誓うとおっしゃって、いつも守ろうとしてくださいます。そして無理をしては倒れます。
ちょっと古風な騎士のようなところがおありで、こちらが赤面するようなことを平気でおっしゃるのが困りものです。
お師匠様は、おひげもないし人当たりもいいし、一見すると少し大柄なホビットのようですが、実はドワーフさんです。
お師匠様とお呼びしているのは、わたくしがお師匠様の料理道に心酔してお料理を習っているからです。
本当にお師匠様のお料理の腕は素晴らしくて、どれほどまずいお料理であっても、魔法のように美味しく変えてしまわれます。
食材を無駄にすることだけは絶対に許さない、お料理の出来にも妥協を許さない、そういうところは、職人気質のドワーフさんらしいと言えばいえるかもしれません。
お料理以外に関してはすごく穏当で、あと、実は細かいところに気配りの鬼です。
こんな素敵なみなさんと旅ができるなんて、村を出たときには考えてもみませんでした。
これも大精霊様のお導きなのでしょう。
鉱山のオークは全滅してしまいましたが、この世界にはまだたくさんのオークの集落があります。
そしてそのそばの村では、まだまだオークの襲撃を受けております。
その悲劇を少しでも減らすため、わたくしは次のオークの集落を目指して旅を続けているのです。
今日もいいお天気。
わたくしたちは鉱山を取り囲む森を歩いておりました。
あれから、やせ細ったお月さまがいったん消えて、今はまた真ん丸に。
ということは、およそ、ひと月ほど経ったということでしょうか。
しかし、わたくしたちの道のりは、いっこうに前に進んでおりませんでした。
鉱山を取り囲む森はとても深く、道にも迷いやすいということは覚悟しておりました。
ただ、追いかけてくるオークに怯える心配はありません。
それに、わたくしたちの仲間には、森の専門家たるエルフ様もいらっしゃいます。
多少、遠回りをすることになったとしても、幾日か歩けば、きっと森を出られるはず、と根拠のない自信で胸を満たして、歩き始めたのはよかったのですが・・・
歩けど、歩けど、森の出口に行きつかないのです。
一緒に鉱山を出発した人たちは他にも何人かいたのですが、あまりにも進むのが遅いと言って、次第次第にわたくしたちとは違う道を行かれ、とうとう昨日、最後の二人がわたくしたちと袂を分かちました。
まさか、このまま、わたくしたちは永遠に森のなかを彷徨う運命なのかしら・・・
物思いに耽りながら歩いていると、
あ。
どすん。
ぎゃふん!
ちょっとした地響きがして、驚いた鳥たちが一斉に飛び立っていきました。
転んで尻もちをついた拍子に、リュックを取り落してしまったのです。
いえいえ、決して、わたくしの体重が地響きを立てたわけではありません。
「あーあ、大丈夫っすか?」
「お怪我はありませんか?」
先頭を歩いていたフィオーリさんが音を聞いて駆け戻ってきます。
シルワさんはすぐ後ろを歩いていて、転んだわたくしに心配そうに手を差し出してくださいました。
「ほんまにもう、ちゃんと前向いて歩き、て、なんべん言うたら・・・」
すぐ前を歩いていたお師匠様は、ぶつぶつとお小言を呟きながら、しゃがんでわたしの手をひっくり返してみます。
掌が少しすりむけて、血がにじんでおりました。
「あっちゃー、痛そうっすね・・・」
「すぐに治癒を。」
怪我したところに手をかざそうとなさるシルワさんを、わたしはそっと引き留めました。
「その必要はありませんわ。
こんなの、聖水をかけておけば、大丈夫です。」
これでもわたくし、神官のはしくれです。
治癒魔法くらいはちゃんと習っております。
ごそごそとリュックを漁って、わたくしは聖水の入った瓶を取り出すと、ばしゃばしゃと自分の手にふりかけました。
「はい。痛いの痛いの飛んで行け~。」
「いつもながら、神官魔法の呪文って変わってますよね?
なんか、可愛いっす。」
フィオーリさんは、くすくすと笑っておっしゃいます。
いえいえ、可愛いというのはわたくしよりむしろフィオーリさんのためにある言葉でしょう。
「あ、いえ、これは呪文というより、おまじない、と申しますか、父の口癖でしたの。」
わたくし、魔法には呪具を必要といたしますタイプでして、その分、呪文の詠唱は致しません。
というのも、呪文を唱えると、いろいろと言い間違えるもので、魔法が発動しないくらいならまだいいのですが、とんでもない魔法を発動させてしまうことも多々、なのです。
子どもが失敗しても責めたりはなさらない人格者のお父様も、さすがにこれには困り果てて、とうとう、わたくしには詠唱を禁止なさいました。
もちろん、呪具の自作のほうも、詠唱以上に危険を伴いますから、それ以前から禁止されております。
なので、魔法はもっぱら各地の神殿で売られている市販の呪具を使ったものしかできません。
それもあって、わたくしの大荷物はまたさらに大きく・・・
リュックを取り落すと地響きもいたします。
「立てますか、聖女様?」
シルワさんの手を借りて立ち上がろうとしたわたくしは、足首に違和感を感じて、もう一度座り込んでしまいました。
「足首、痛めてるんとちゃうか?」
わたくしの動きを見ていたお師匠様が心配そうにおっしゃいます。
「ええっ?それは大変っす。」
フィオーリさんは確かめるつもりだったのかわたくしの足首に触って・・・わたくしは思わず悲鳴を上げてしまいました。
「い、たたたたた・・・」
「あああああ、ごめんっす。聖女様?大丈夫っすか?」
慌てて謝るフィオーリさんに、大丈夫、と笑ってみせるものの、背中には冷たい汗が流れています。
これは少々まずいかもしれない、と心の中に焦りのようなものが生まれました。
ふむ、とシルワさんはわたくしの前に膝をつくと、有無を言わさず、足首のあたりに手をかざしました。
「・・・確かに、これは少々厄介ですね・・・
骨は折れてなさそうですが、ひどくくじいています。
生半可な治癒魔法で無理して動けば、かえって悪化させるかもしれません。」
「っそっそっそれは、大変っす!」
フィオーリさんは焦ったようにおろおろとその辺を歩き回りだしました。
「とりあえず、痛みは散らしましたけど、わたしも医師ではないので、これ以上のことは・・・」
申し訳なさそうにそうおっしゃるシルワさんですけれど、痛みを感じなくしていただいただけでも、ずいぶんと楽になっておりました。
しかし、そんな魔法、いつの間にお使いになったのでしょう。
シルワさんはときどき詠唱も呪具もなしに魔法をお使いになりますが、それはかなりレベルの高い魔術師でなければできませんし、必要とする魔力もけた違いに大きいと聞きます。
「有難うございます。おかげで楽になりました。」
わたしがそう言うと、いえ、と微笑んでシルワさんは立ち上がろう、となさって、くらり、とまたそこへしゃがんでしまわれました。
「あーあ、立ち眩みっすか?シルワさん。」
「まったく、ひ弱なエルフさんがええ格好するからや。」
呆れたようにおっしゃるお師匠様に、シルワさんは、あはは、と力のない笑いを返しました。
その顔色は蒼白になっていて、わたくしなんかよりよほど具合が悪そうです。
「申し訳ありません。
わたくしのためにご無理をなさったのでしょう?」
背中を支えるように寄りそうと、シルワさんは、ふふふっと笑われました。
「グランにも言われてしまいましたけど、わたしが、ええ格好、をしただけですよ。
本当のところは、貴女が痛そうにしているのを見るのは、わたしが辛かったんです。
医師でもないのに、余計なことをして申し訳ありません。」
「そんな・・・」
「いいえ。なのに、こんなわたしに過分のお気遣い。
聖女様の掌の温かさが、わたしに力を注いでくださいます。
有難う、聖女様・・・」
優しく微笑んでこちらをみつめられます。
わたくしは顔が熱くなってしまって、慌てて目をそらせました。
「ほんま、あんたが気にすることはないで。
けど、そうやな、こうなったら今日はこの辺で野営するしかないか。」
お師匠様は呆れたようにシルワさんを見て、あっさりおっしゃいました。
「了解っす!
ならおいら、水、探してきますよ!」
フィオーリさんは元気に駆けだそうとなさいます。
けど、何かを思い出したように振り返って、お師匠様に尋ねました。
「グランさん、今夜のご飯は、なんっすか?」
「ちょっと待ってな、食材、確かめるわ。
・・・って、うわっ、重たっ・・・」
お師匠様は転がっているわたくしのリュックを起こそうとして四苦八苦しておられます。
「あ、ちょっとお待ちください。」
わたしは急いでリュックを起こそう、として、その下になにか、というか誰かがいるのに気づきました。
「あら。」
「なにっすか~?今度はなに、獲れたっすか~?」
嬉しそうにフィオーリさんが近付いてこられました。
そう、わたくし、ここ最近、何故か転ぶたびになにか食材を手に入れるという、珍しい技能を習得したようなのです。
「いえあの、これは・・・食材、というのには、問題あるかと・・・」
そこで目を回していたのは、ひとりのフェアリーさんでした。