赤線の現代人
綺麗事は嫌いじゃない。だって実際「綺麗」なのだ。それで済むならそれがいい。
家族は大切だ。人の善意も信じている。大多数のまともな人間には、倫理観というものが備わっていると思っている。
だがそれは、武装しないという事の説明にはならない。軍備を整えなければ戦争が起きないだなんて、そんなものはまやかしだ。嘘っぱちだ。歴史が証明している。
正しいのは、人の善意を信じながらも然るべき時には戦えるよう準備をしておく事である。
私は綺麗事が好きだが、世の中はそれだけで回っている訳ではない。この世には悪意ある人間だって少なからず存在している。奴らは笑顔でやって来て、魅力的で、そしてコートの下に武器を隠し持っている。
それら悪意に対して無防備になる事と、性善説を採用する事とは全くの別物だ。私の母はそれを履き違えていた。あまつさえ私に「もっと人を信用しなさい」とまで言った。
だから死んだのだ──とは言わないつもりだ。個々人の思想とか気の持ちよう以前に、ここはあまりにも治安が悪いから。
私が住んでいるのは、悪臭漂う煤けたスラムの一角だ。母は娼婦だった。私は乞食で、いずれは母のようになる予定であった。端的に言って、私達は貧しかった。
低質なゴム越しの摩擦を日々何百何千と耐えながら、母は私を育てた。そんな彼女が何故ああも他人の悪意に対して無頓着だったのかは、結局分からず仕舞いだ。まあ、そんな事はどうだっていい。ただ、私は貧しいなりに幸せであった。母もそうだったのかは知らないが。
何故母が死んだのかを話そう。簡単な話だ。刺されて死んだのだ。犯人は未だに捕まっていない。だが私は、犯人は私の弟だか妹──生まれる前に堕胎されて死んだ──の父親と思しき男ではないかと思っている。あの男は、随分母に執心しているようだった。それで、他の客への嫉妬に狂って、母を刺したんじゃあなかろうか。
勿論、これはあくまで推測でしかない。私は犯行現場を見ていない。私が見たのは、夕焼けで赤く染まった部屋、汚れた床に飛び散って乾いた血、茶色い、大きな染みのついたベッドと、その上に横たわる太った女──母の刺殺体だった。殺されてから時間が経っているようだった。夏だったから、既に蝿が群がり始めていた。もう今日の汽車は発ったろうか、と私は思った。それに乗って犯人が逃げたのではないかと思ったのだ。
後は警察に任せた。母の体内は執拗に破壊されていたそうだ。わざわざそんな事をせずとも、弟だか妹の成り損ないと一緒に彼女の生殖能力は死んでしまっていたのにだ。犯人にとっちゃ意味などない、徒らに罪を犯しただけの事である。きっと、殺す事それ自体は目的ではなかったのだろうから。ただ、彼の独占欲の結果として母の死があっただけである。
何故犯人の目当てが子宮だと思ったのかといえば、それがきっと犯人にとって最も愛憎掻き立てられる臓器だろうと感じたからだ。まあ、この推測は完全に弟か妹の父親が犯人だという仮定に基づいているが。それにしたって、母と他の男との関係に嫉妬するなら、彼女じゃなく私を刺せば良かったのに。正に私は他の男の胤なのだから。
兎角、事件以降私は一生懸命に働いた。そうしなければ生きていけないから、自分に出来る事は何でもした。「可哀想な先生」なんて馬鹿みたいだと思った。彼女達も不幸の谷へ突き落とされた者なのだろうが、そこは谷底じゃないと私は常々思っていた。別に自分がこの世で一番不幸だとは思っていないし、憐憫の情を向けられたい訳でもない。彼女達が哀れなのも確かだ。ただ、恵まれた出自も守りたいと思えるような誇りもなく、なりふり構わず、手前の身を立てる事に必死な人間の一人としてそう思っただけだ。
いや、この冷笑的な気分は、必ずしも家族を失った事に起因するのではないのかも知れない。つまり、私自身の生得的な気質なのかも知れないという事だ。社会の理想を愛しながらも、どうにもそれを嘲笑わずにはいられない、そんな気質である。思えば、前々から私には相矛盾した気持ちを独り抱え込んで、すっかり隠してしまう性癖があった。今は苦境に立たされて、偶々そういう性質が色濃く出ているのだろうか。
何にせよ、今も昔も私が社会にとって望ましくない存在であるというのは確かだろう。スラムを彷徨い、ねだり事をする子供。教育されていない子供。不道徳で、貧しくて、性的で、卑しく笑う子供。更に、これは他には知り得ない事であるが、その子供は己をちっとも恥じてはいないのだ!それどころか周囲を笑ってさえいる!
馬鹿にしている訳じゃない。私は人々の謳う普遍を否定しない。ただそれを押し付けられたくないだけだ。蒙くて大いに結構である。啓こうなどとは思わなくていい。
大体、社会道徳から外れた存在は、気にしない方が互いのためだ。気にしなければ一風景だが、気にし始めれば根絶し難い病である。私も流石に病巣扱いは遠慮願いたいというものだ。何もあなた方の領域に浸潤しようなんて思っちゃいないんだ。そもそも、私は不自然でも捻くれてもいやしない。
馬鹿げている。豆のスープが量産品の皿に満たされている。パイを切り分けては皿に移し替える戯れが流行っている。だというのに私達には分け前も補償もない。生命は吸い上げられ、パンではなく鋼鉄に変わる。けれど人は増える。爆発的に増えて、貪られる。
人々の命を食んで成長した鋼鉄製の人造人間は、世界中に自分の存在を知らしめる。その声に応えて、各地で新たな人造人間が目覚める。それはただ己のために餌場を求めてこの星を徘徊する。縄張り争いに次ぐ縄張り争い。金儲けのための金儲け。効率化──そして人造人間を殺そうとする者が現れる。劇薬だ。或る人の経験が、思想が、自分こそが絶対的に正しいのだと謳う。それで、人の生き血を吸った鉄製の怪物を跡形もなく溶かして腐らせてしまおうというのだ。
私は……別に何も言いやしない。もう、人は怪物を知っているのだ。そうでなかった頃へは戻らない。あたかも、流れ出た血が体内に還る事はないのと同じように。殺しても、きっと怪物は蘇るだろう。姿は多少異なるかも知れないが。
私は、私達は、大きな流れの中にいる。それに逆らって溺死するよりは、流されていく方がまだましだ。怪物が跋扈するようになって、それなりに便利になったと知ってしまった。別にそれを堕落だとは思わない。怪物は命を吸う点では悪だが、何もかも丸っきり悪いという訳でもない。だから、ただ一途に人造人間を殺そうとは思えないのだ。
私の事をぬるいと謗る人もいるかも知れない。けれど嫌なのだ。疲れてしまった。何もかも劇的に良くなる事などなかった。これまでの人生で一度もだ!私は、経験を理論で押さえつけようなどとは到底思えない。人が言うほど優劣をはっきり決められる場所などそうありはしない。理性、理性、理性──もうそれは聞き飽きてしまった。綺麗事は嫌いじゃないが、もはや受け入れ難くもあった。
普遍的なものなど要らない。そんなものよりもただ、私は、幸せになりたいだけなのだ。
整然とした人工的な空間でなく、もっと緩やかな纏まりのある場所で。何かを絶対視して憎しみ合う事のない平穏な世界で。静かな眠りを──