牢獄の2人
とても複雑な理由で女性と共に生活を営む男性が居た。
彼に与えられたのはコンクリートの壁に囲まれた邸宅での女性との生活。
さながら鳥籠の中の鳥である彼は、何を想いながら日々を過ごしているのだろうか?
そんな中、彼の運命を左右する夜が突然訪れた。
それは、月明りがとても眩しい週末の夜だった・・・・
深夜、何かの気配を感じた私は目を開けた。
月明りの差し込む部屋の中、月明りの届かない闇からゆらりと人影が現れた。
「あぁ・・・済まない、起こしてしまったね」
人影は私の衣擦れの音に気付いたか、優しい声でそう言った。
人影が月明りの注ぐ窓辺に立つと、その影は美しい女性へと姿を変えた。
「寝る前にシャワーを浴びていたのだが、今日は簡単には寝れそうにないよ・・・」
彼女は愚痴を零しながらテーブルの上に何かを並べた。
「今日はとても疲れた。飲んで忘れたいと思う程に嫌な事もあった・・・明日が休みでなければ寝不足は免 れなかったな」
彼女は苦笑を浮かべた。
「勝手に起こしておいて誘うのも何だが・・・君さえよければ一杯付き合わないか?」
彼女の座る椅子の傍、彼女が並べたウィスキー瓶と氷の入ったグラスが月明りの溶けた琥珀色をテーブルに映していた。
「30年物の希少な品だ、そう簡単に飲めるものじゃ無いぞ?」
彼女の言葉に私はベッドから起きて、彼女からウィスキーグラスを受け取って彼女からの酌を受けた。
「この美しい月夜に・・・乾杯」
彼女の声と共にカチン、とグラスの交わる音が小さく響いた。
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その容姿と年齢からはおおよそ想像が付かないだろうが、彼女は軍人で要職に就く者、つまり将校なのだ。
そして私は複雑な理由で彼女の監視下にある一般人。
本来交わる筈の無い彼女と私を繋げたのは何か?それを語るには、
この一献を酌み交わす時間は無慈悲な程に短い。
ただ、簡潔に話すならば。
ある事件で私と彼女は出会った、救出者と被害者の関係として・・・
そこで正義に殉ずる筈だった彼女を、生半可な人道主義と薄っぺらい正義感に酔いきった私が助けた。
結果、私と彼女は生還を果たしたが・・・大勢の死傷者を出しながらも、その事件そのものが『無かった事』にされ、
一部にとって不都合な生き証人であった私は彼女の監視の下、この塀に囲まれた邸宅での生活を余儀なくされたのだ。
結論から言えば今の生活は、自業自得に他ならないのだが・・・
月明りの溶けるウィスキーに頬を僅かに紅潮させる彼女は、私をここに監禁している理由は愚か、
私の愚行さえも・・・己の未熟さが招いた結果だと信じて疑わずに居る。
それが抑留を正当化させる為の詭弁か、
不本意ながらも私をここへ閉じ込めた事への謝罪のつもりか・・・
真実は彼女しか知り得ない。
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月明りの溶けたウィスキーは、普段は無口な彼女をおしゃべりに変えた。
「欲しい物は無いか?」・「生活に支障はないか?」等、始めは私を監視する立場の質問に始まり。
「どこで何をしていた?」・「家族は居るのか?」と、かつて私の『日常』であった頃の思い出に変わり。
やがて、交わす言葉など見つからなくなり、ただただお互いに月を見上げていた。
やがてグラスが琥珀色の彩を失ってきた頃、彼女は私と添い寝がしたいと甘えてきた。
シャンプーの甘い香りと蒸気したウィスキーの残り香を纏った彼女の吐息の蠱惑に私は抗えなかった。
添い寝をするや否や彼女は私に抱き着き、小さくクスリと笑う。
その時の彼女は女性と言うよりは無邪気な幼い子供の様だった。
「なぁ・・・頭を撫でてくれないか?」
両手を首筋に這わせながら囁く彼女の要望に私は応える。
彼女の頭を撫でる度にふわりとシャンプーの甘い香りが漂った。
「君の傍に居るのが、こんなにも落ち着くものとは思わなかった・・・」
首元に熱い吐息がかかる。
「このまま、君の匂いに酔いしれるのも・・・悪くは無いな。私にも・・・こんな風に甘えられる人が欲しかった。理不尽な暴力ではなく、純粋な愛情を注いでくれる人が・・・」
彼女の言葉に悲哀な色が滲む。
「私はな・・・君に会うまではひとりぼっちだったんだよ」
少しだけ涙交じりの彼女は、『ひとりぼっち』の独白を始めた。
両親に愛されず、虐待を受けながら孤独に過ごした過去を、
借財で首が回らなくなった両親が端金で自分を売った時の事を。
軍に入ってからの規律正しく、空虚に過ごした日々を。
苦楽を共にした戦友に裏切られ、絶望と怒りに身を任せて過ごした戦場の日々を。
そして・・・・私と出会った『あの事件』で死ぬつもりだった事を。
戦友の裏切りに絶望した彼女は、無意味な自殺ではなく『名誉の戦死』を死に化粧として逝くつもりだったらしい。
「あの日私は死ぬ筈だった・・・だがそこに君が現れて、生き延びた。死に損なった私に君は優しく手を差し伸べ、傷ついた自分よりも私の身を案じてくれた」
「その時だよ、私の持ちうる全てを引き換えにしてでも君が欲しいと思ったのは、とにかく君が欲しかった・・・それこそ、君から自由を奪ってでも、だ」
彼女の細い指が私の頬に触れ、潤んだ瞳で彼女は私を見つめる。
私はその言葉でようやく、監禁の原因が私にあると言っていた本当の理由を知った。
『私という人間が欲しかった』
その極めて些細な願い事の為に、彼女は全てを引き換えにこの牢獄での私との生活を手に入れたのだと。
この生活を得る為に彼女は一体どれだけの物を失ったのだろう?
その時、私は一体どんな顔をしていたのだろう、彼女は少し寂しそうに笑った。
「だって仕方無いじゃないか・・・両親までもが見捨てた私を、君は身を挺してまで守ってくれて、傷つきながらも私の身を案じてくれた」
「それだけじゃない、今だって私の我儘に付き合ってくれている・・・何より」
彼女の指が、私の目じりに溜まる熱い一粒をぬぐい取る。
「私の過去を聞いて、君はこうして涙を流しているじゃないか・・・私の為に泣いてくれたのは君が初めてだ」
私は気付かない内に涙を流していたようだ。
「これから先、君が傍に居てくれるなら、私は今、一生分の運を使い果たしても惜しくは無い。しかし君がどうしても私を受け入れられないと言うのなら、残念だが私は君を諦める他ない。だから・・・君から奪った『自由』のほんの一部。それを今、君に返そう。よく聞いてくれ」
私の腕を掴む彼女の手に力が入る。それはまるで、手を離すと大事なものがどこかへ行ってしまうのを恐れているようだった。
「私の私室にある掛け時計、その中に君から奪った身分証明の類と金品一式、それと自動拳銃が隠してある。君が私を受け入れられないのなら、それらを使って自由になってくれ。外壁の扉を開けるカギは、私が持っているが・・・寝込みを襲えば難なく入手できるだろう」
『寝込みを襲う』その言葉の意味を理解するのに時間などいらなかった。
「つまり外に出るには私を殺せ、と言う事だ。君の居ない生活など私は3日と持たない。それに君も私みたいな『面倒くさい女』が生きていては、生きた心地がしないだろう?それにー」
「どうせ死ぬのなら・・・責めて愛した男の手にかかりたい。それが私の『最後の我儘』だ」
彼女は既に私が居なくなるものと思い、怯えるように震えていた。
それでも彼女は平静を装いながら続ける。
「もう2度と、目覚める事は無いかもしれないから・・・お休みの代わりにこの言葉を送ろう」
彼女はそっと私の耳元へと口を近づけた。
『この世で一番、君を愛しているよ』
彼女はその言葉と頬へのキスを最後に私の隣で寝息を立て始めた。
私は、彼女の寝息を首元に感じながら、静かに眠る彼女の頭を優しく撫で続けた。
やがて彼女が寝静まるのを確認した私は彼女を起こさないようにベッドから降り、寝室を後にした。
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その後、男性が彼女を受け入れたのか、拒絶したのか・・・それは分からない。
分かっているのは、2人が突然居なくなった事だ。
週明けの朝、女性を迎えに来た部下が外壁のカギが外れている事に気づき、万が一を思いログハウスへと踏み込んだ。
しかしログハウスの中には既に誰も居らず。
彼女の私室にある掛け時計は中身を荒らされたまま放置されていた。
彼は彼女を拒絶したのだろうか?
だがどの部屋を調べても血の跡や発砲の痕跡は一切無く
そもそも彼が拒絶したのなら、安らかに眠る彼女の遺体がある筈だ。
先日までの生活の跡が残る寝室に残っていたのは、テーブルの上に置き去りにされた
年代物のウィスキーの空瓶と2つのグラス、そしてグラスの傍に置かれた置手紙だった。
『Hello brand new world(こんにちは、新しい世界)』
週末の2日間に一体何があったのか?
2人は何処に行ってしまったのか?
手紙は何を意味しているのか?
2人の行方と結末を知る者は居ない。
もしも、2人の行方を知る者が居るならば・・・・
それはこの物語を読み終えた貴方こそが『行方と結末を知る者』だ。