魔王襲来
~~連邦王都・宮殿内 謁見の間~~
朝から政務をこなしてきて、ようやく目処が立ち、玉座に深々と座り直した連邦王ファウスト。
謁見の間には、宮廷魔術師と近衛騎士・執事など数名がおり、たった今到着した伝令兵からの報告を受けている。
ファウストは王冠を外し、襟元を緩め、リラックスして昼食の報せを今か今かと待っていた矢先の急報だけに、その心境は複雑だった。
政務もそうなのだが、ここ数日は帰還した長男との手合わせをしていてクタクタで、腹が減ってしかたがない。
蛮族の王ならば、腹が減ったら肉でもかじりながら政務を行うのだろうが、文明国である連邦王国ではそうはいかない。
そして、手合わせといっても、筋骨たくましいファウストの血を濃く受け継いだ大陸五指の剣士・タジム(ゼイター侯爵)を相手に、年甲斐もなく本気の打ち合いをしたのだ。まずは飯、そして昼寝をしたいファウストであった。
王の空腹と疲労を知らない伝令兵は、誇らしげに新しい情報を王に伝えた。
「南西方面に魔王が現れました」
「なにぃ?魔王がぁ~?ワシの領内にか!?」ファウストの顔色が怒りでみるみる赤く染まる。
「詳細はわかりませんが、王都の西から旧街道を東に向かっているようです。その目的は不明、勢力規模も不明です」、片膝をついた兵士は報告を終えると立ち上がり、後方へ下がった。
結局、不確定な情報に王達は怪訝な顔を見合わせた。
伝令兵は、「不明、不明」と連呼した自分の愚かさに気がつき、誇らしい気持ちなど消え失せて、逃げるように退出した。
「なんじゃ、今の報告は?何もわからないのではないか」、王は呆れた。
そして、ため息しながら側近である宮廷魔術師に目を向ける。
「今回は・・魔王じゃと・・ハッハハ」
「五年前は、確か・・冥王でしたかな」と、そつなく答える宮廷魔術師。
闇魔術師などが、己を過信して、気が触れたように王を名乗るのは、この大陸では よくあることだ。
数年おきの風物詩というかイベントのようなもので、珍しい事ではない。
大概は廃城を占拠したり、塔や迷宮を建設して防備を固め、軍勢や魔物を配置して待ち構えたり、調子に乗って街を攻撃してきたりする迷惑な存在であり、討伐対象である。
ちなみに前回の冥王は、準備不足なうちに名乗ってしまったため、急行した勇者タジム(ゼイター侯爵)によって出現三日目にして滅ぼされた。
とはいえ、帝国に対して大攻勢しようとしているこの時期に、本国に不安があるようでは困る。
長い間、王都の喉元に突き立てられた刃のようだった闇の大神殿は、ファウストの姪である宮廷魔術師長の冴子によって滅ぼされた。
闇の教団・総本山である大神殿は焼き払われ、最高司祭を隠棲させ、ついに闇の教団を解散させることができたのだ。
後顧の憂いがなくなったばかりだというのに、魔王騒ぎとは・・。
落胆してばかりもいられない。連邦王国としては、被害が出る前に早急に討伐しなくてはならなかった。
ただ、今回はちょうど良く、勇者タジム(第一王子・ゼイター侯爵)が滞在しているので、撃破に手こずることもなかろう・・と、王は思案している。
「ですが、幸い・・と言っては不謹慎かもしれませんが、直轄地から出て行ってくれそうではありませんか」、宮廷魔術師は小声で言う。
「む?旧街道を東に・・か」、王は白い髭をなでながら意図に気がついた。
「ああ、コウモリめの領地か!これは傑作じゃて」、そう言って膝を叩いた。
「左様、コウモリ伯・・・いや、ハンドレッド伯爵の領内に行けば、強欲な伯爵のことですから、名声欲しさに討伐しようとするでしょう」
「うむ、毒と毒・・果たしてどちらが生き残るやら・・」、執事から別室に食事の準備が整ったと報告を受け、王は立ち上がった。
「薬になるかもしれませんぞ。程良く弱体化いたしましたら、併合できますからな」、宮廷魔術師は王の斜め後方について行きながら、思い出したかのように、昼食会の来賓を伝える。
「そのハンドレッド伯ですが、病が癒えたとかで、拝謁を兼ねて食事を共にすることになっております」
「ほう・・・、悪魔王の討伐に多額の懸賞金をかけたのを嗅ぎつけて、仮病から跳ね起きたか」、苦々しい表情を浮かべ、王は謁見の間から通路へと出た。
さて、ボロクソに言われているハンドレッド伯爵。歳は50くらい、少し禿げ上がった黒髪に薄い髭、目は細く鼻は低い。さらに、顎が大ぶりなので、連邦では目立つし、印象に残る顔をしている。
容姿に引け目を感じているのだろう、少しでも見た目を良くしようと、金の鎧に貴族の赤マント、という派手な格好で宮殿に来ている。
残念ながら、自堕落な生活により腹が出ていて、立派には見えないのだが、本人には自覚が無いらしい。
自分の利益にならないことはしないタイプで、先日の会議にも仮病を使い、部下に代理出席させ、自らは城下で遊び呆けていた。
そもそも、この男は連邦の血族ですらなく、一介の商人であり、大陸中央・竜王山脈の麓にある小さな村に行商で来た際に、その村の領主である男爵が亡くなったのを奇貨として、妻である未亡人をたらし込んで、後釜として居座った外様貴族なので、評判は良くない。
さらに、10年前の大戦では、連邦からの再三にわたる出馬要請に応じず、偵察兵を各地に派遣するにとどめ、帝国と連邦のどちらが勝つか日和見していた。
ハンドレッド男爵が敵か味方か分からないので、連邦では押さえの兵を割かねばならず、決戦での兵力が減ってしまいリスクが増した。
後に、連邦が決戦にて大勝利したという報告が偵察兵からくると、男爵は素早く反応し、近隣の帝国が占領していた街に猛攻撃をしかけた。
劣勢を知った帝国兵が逃走しているにもかかわらず、「民間人になりすましている」もしくは「帝国を進んで受け容れた反逆者」として残された民衆を虐殺し、略奪し尽くしてから、占領していった極悪人なのである。
これらの侵略は、連邦から正式に決戦での大勝利の報が届く前だったので、言及しづらく・・逆に参戦した事への礼を言わねばならず、爵位を上げ・切り取った領土も認めざる得なかった連邦王国の汚点として周知された。
治めるべき土地の民を虐殺した後、
「どうせ人は、すぐに増える。そして、忘れやすいものだ」と、ひとり勝ちした伯爵は、笑いながら側近に言ったという。
コウモリ伯爵の蔑称の由来は上記のように、「どっちつかずで鳥類か哺乳類か」という意味と、「軍隊相手戦わず、女子供には嬉々として戦い、虐殺もいとわない」という 鳥なき里のコウモリ、そして「民の出血を好む吸血鬼」などの悪評からついた。
まことに忌々(いまいま)しいが、弁が立つので処断もできず、今に至る。
なにせ、民間人虐殺の件を責めようにも・・大声で騒ぎ立て、自己の正当さを周りにアピールし始め、終いには論点をずらして話をわけの分からぬ方向にもっていくのだ。即、討伐できる邪教徒などよりタチが悪い。
それゆえ、連邦王と宮廷魔術師は外部勢力による攻撃に期待しているのだ。
治めることもできないほど荒廃してくれれば、保護という大義名分のもと併合し、コウモリ伯を追放できるかもしれない、と二人は目論んでいる。
王達は会食の場である「聖光の間」に移動し、着席した。王は長方形のテーブル上座、左右に近衛隊長と宮廷魔術師が座り、その隣が侯爵と伯爵の席となる。
以前 晩餐会で、ソドム公爵が王の隣(今の近衛隊長の席)の席だったのは、全幅の信頼の証なのかもしれない。コウモリ伯は、王から遠ざけられているのだから。
宮殿内で一番豪勢なこの部屋は、高級な調度品のみならず、採光に気をつかい、自然な明るさが城内の閉塞感を忘れさせてくれる。
隣室に控えていたゼイター侯爵とハンドレッド伯爵は、王の到着を聞き入室し、宮廷魔術師に促されて一礼の後に着席した。
そして、宮廷楽士達が穏やかな曲を演奏し始め、給仕の者たちが続々と入室した。彼等は優雅な足取りで、前菜を配膳し、冷えた白ワインを注いでまわる。
前菜は、川魚のマリネとサラダ。
作り方は、川魚を新鮮なうちに、小麦粉をまぶして揚げて、油を切ったら、熱いうちにマリネ液(甘酢)にブチ込む。色鮮やかなパプリカやタマネギなども、素揚げして同様に入れる比較的簡単な料理。
一度火通しして、更に雑菌が繁殖しにくい調味液にいれるので、長期保存が可能な常備前菜という側面もある。
連邦王ファウストは、神に祈りを捧げると、ゼイター侯爵たちも習って、祈りを捧げた。それを確認したファウストは、軽くワインを掲げて、一口飲んだ。
儀礼上、仕方なくハンドレッド伯爵に歓迎の言葉をかけながら、前菜を口に運ぶ。
伯爵は、笑顔で応えワインを掲げた。その後は、前菜を食べながら言い訳と機嫌取りを延々と・・。
伯爵の話を聞き流しながら、ファウストはソドムの作ったマリネの味を思い出していた。
(確か奴の作ったマリネは、酢のどぎつさを食べやすい味に調整してあったもんだのぅ)
と、ソドムが見習い料理人だった頃に出してきたマリネを思い浮かべた。君主になってからも、野営地が一緒の時は、ソドムが腕を振るったものだ。
同じ外様の貴族でも、口先だけの伯爵とは印象が天地の差がある。自然、王の表情は硬い。
宮廷魔術師は雰囲気が悪くなるのを恐れて、話題を変えた。
「伯爵、未確定ではありますが、魔王なるものが貴公の領内に侵入したかもしれません」、沈痛な面持ちで語りだす。
「おお、そうじゃった。こちらも情報不足でな・・討伐軍を編成しようにも実態が分からんから手を打てなんだ」ファウストは、困ったと言わんばかりに首をかしげ、白いあごひげをなでた。
すかさず反応したのは、ゼイター侯爵。悪を倒すのが好きな熱血漢は、マナーそっちのけで両手でテーブルを「バン!」と叩き、立ち上がった。
「それは一大事!私が早急に討伐にむかいましょう!」と、王を凝視して言い放つ。
金の短髪に、岩を削り取ったような精悍な顔つき、ファウスト譲りの体躯は、巨人族をおもわせる。
ゼイター侯爵は身分を隠し、連邦王国の騎士に扮してギオン公国に赴任して10年。弟の育成のみならず、空き時間に「戦鬼兵団」の連中と稽古や力比べをしてきたので、その実力は父を追い抜き、人間の限界も超えていると思われる。
本人の努力もさることながら、彼は気がつかなかったが「本物のトロール」を相手に日々鍛錬してきたのだ、人間を超えるのも ありうる話というものだ。
そんなゼイター侯爵の迫力に負けず、ハンドレッド伯爵は自国の問題は手出し無用とバッサリ断った。
彼としては民を殺して成り上がったという評判を覆すためにも、魔王討伐という名声は とても魅力的だったからだ。
「先ほど別室にて、侯爵の武辺を聞かせていただき、頼もしさは十二分に理解はしておりますが、己に降りかかった火の粉すら振り払えないなど武門の名折れ。ここは、何としても独力で処理させていだだきたい」、と細い目をいっそう細くしてハンドレッド伯爵は念を押した。
だが、ゼイター侯爵は納得しない。全然サッパリまったく納得していない。
それもそのはず、闇の元締めである最高司祭を退治しに遥々(はるばる)来たと言うのに、ソドム公と従姉妹の冴子に手柄を奪われ、不完全燃焼している状態で、強敵を捜していた所だった。かつて、越えられない壁であった父との手合わせも、今の彼には物足りないのだから。
この展開を予想していた王は、なだめになだめて、宮廷魔術師を説得役にして、ついにはゼイターを別室に下がらせた。
そして、王は伯爵に魔王討伐を命じた。更に一つ付け加えた。
「実はな、ギオン公国のソドム公爵が旧街道を東に向かっておってな・・・女達ばかりの旅路ゆえ、魔王に狙われたら不覚をとるかもしれんのだ」、そう小声で話しだす。
「何とか無事通過できるように、取り計らってくれんか」
表向きは公爵の心配、実際は隠し子シュラの身を案じての親心だった。
「かしこまりました。直ちに馬で主要街道を駆けに駆けて、先に我が領内に戻り、護衛と歓迎を致しましょう」伯爵は食事の途中ながら、事が事だけに出立許可を求め、是とされるやいなや部下を伴い城下を出て行ってしまった。
(魔王討伐の名声どころか、副王に推挙されるような将来の政敵ソドム公を謀殺する機会。館に誘い込み、殺害して魔王の仕業にした上で魔王討伐すれば、政敵排除の疑いはもたれず、仇を討った英雄にもなれるわけだ)
伯爵は短い脚で、必死に馬腹を締めながら、妄想の世界に浸って笑いが止まらなかった。
連邦王ファウストと宮廷魔術師は、バルコニーから、伯爵が嬉々として馬で駆けていく姿を見送り、上手くいったと 目を合わせ ほくそ笑んでいた。
・・・さて、そのハンドレッド伯、彼の城下町郊外に、趣味の館がある。
廃屋なのだが、密かに登記をしている物件で、他国者や女連れの冒険者などを言葉巧みに誘い入れ、館内の罠にはめて殺したり、捕獲して犯したりと、ロクことをしない趣味の聖域。
もしも露見しても私有地への侵入者を成敗したと切り返せるし、私兵も多数潜ませているので、生きて帰ったケースは皆無だった。
自国民には手を出さないので、民は黙認している。伯爵の悪逆が伝播したのか、欲に釣られて館へ向かう冒険者を面白がってはやし立てたり、悪質な者は協力して館まで案内している始末。国の道徳は乱れ、騙される方が悪いという性悪説が蔓延しつつあった。
こんな見え透いた罠、同じ悪に属する闇君主ソドムや山賊あがりのドロスに見抜けないわけがない。
「お宝が廃屋に?そんなうまい話あるわけないだろう!」と、一蹴されて話は終わる。
が、目を輝かせ・・・
「それが、あるのよ!」と、シュラが言うものだから、これから話がややこしくなっていく。