連邦の剣鬼
旧街道の宿「フォレスト」に併設されている露天風呂は、源泉掛け流しの温泉で、疲労回復・美肌効果があるのだとか。
宿兼食堂である本館から、温泉施設のある離れまでは通路で繋がっているが、50mにわたって壁を作る予算はなかったらしく、石畳に屋根が設けられているだけで、外敵からは守られていない。「なんかあったら、本館か温泉に逃げ込めばいいだろう」という意図が感じられる造りであった。
街道沿いにある安宿の浴場なので、高級旅館のような広さと豪華さはない。
簡素な脱衣小屋と、岩を組み上げただけの岩風呂はシンプルかつ、こじんまりとしている。とらえかた次第では閑静な[わび]があっていいかもしれない。
防犯・防御のため、浴場の周りは背丈より高い木板で囲われ、絶景とは言い難いが、夜には満天の星が見れるので、好評だった。
レウルーラは、桶ですくった湯で躰を洗い流した後、湯につかりながら・・謎の多い夫、ソドムのことを考えていた。
自分が犬として過ごしてきた10年間・・ソドムは建国し、暗黒魔法の【変化】をマスター、個人魔法【暗黒転生】で自らを魔人へと転生することに成功している。
内心ライバルと思ってただけに、相当差をつけられたと感じていた。
得意の召喚魔法で竜王を呼び出し使役できれば、夫以上の力を示せると思っていた、昨日までは。
歴史上の偉人や神話から竜王の名前の可能性があるものを試して数年、ようやく絞り込んだ名前は、失われし古代都市名の二つ・・・ソドムとゴモラ。
が、ゴモラは竜王でなかった・・・。もはや「ソドム」以外に候補はない。
いくらなんでも、夫の名前なはずがないと・・ずっと避けてきたが確定してしまった。
長い間かけて、辿り着いた召喚対象が、いつも傍らにいる夫とは笑えない。
仮に竜王を召喚するとして、莫大な魔力が必要なので、ソドムの魔力を借りて召喚することになるのだが、その結果 呼び出されるのはソドム本人となってしまうではないか。
勝ち負けはさておき、なぜ竜王と打ち明けてくれないのだろうか。何か条件や制約があって、力を発揮できないのか。
復帰直後から、竜王疑惑はあったが、まさかソドムが世界三強の竜王を打ち負かして取り込むとは思えなかったので、偶然名前が同じという可能性もあると思っていた。
だが、冴子との戦いでの機転や、従順でなかった巨竜ゴモラへの命令口調の心話・・そして、今しがたの夫婦の営みで確信に至った。
夜の行為で確信するというのもおかしな話なのだが、ソドムは愛と肉欲の場に魔法を持ち出したのだ。それにより、レウルーラは完全屈服してしまった。
代々受け継がれし、闇の最高司祭の力をベッドルームに持ち込むバカはいなかっただろう。
こともあろうにソドムは、【影武者】を使い、分身と共にレウルーラに挑んできたのだ。
ソドムと影分身の二人がかりなので、単純に攻撃力は倍。
レウルーラはかつてない快楽の波にのまれ不覚にも果ててしまっていた。
それは・・・、まあいい。その発想力に舌を巻いたのだ。ソドムは、ショボい暗黒魔法の力を最大限に引き出す頭脳がある。
ゆえに、どうにかして竜王を倒したに違いない・・という結論に達したレウルーラ。
「なんとしても、宮廷魔術師としての存在感をみせないと気おさまらないわ。竜王と同格の大天使を召喚できるようになって、悪魔王との戦いで ぶつけてやろうかしら!」
魔獣と天使とでは、召喚時の詠唱が違うため、これから研究しなくてはならないし、最高位の召喚対象なので、またもや「名前」を知ってないと呼び出せない。そのため、習得に何年かかかるかもしれない。
ただ、その労力に見合った強力さは間違いないだろう。
と、星空を見上げながら、レウルーラは今後の目標をたてて、湯から上がった。
正直、温泉の美肌効果などには、さほど関心がない。
幼少より、容姿を褒められて育ち、年頃になり一層チヤホヤされているが、それが当たり前であり、なんとも思わない。生まれついてのものを褒められても、「目が二つ、鼻が一つありますね」と言われているようなもので、内心は嬉しくもなんともない。いや、全然嬉しくないわけではないのだが、表面だけで判断してほしくないのだ。
上辺の美醜より、内面を評価されるのに飢えていたレウルーラは、ソドムと出逢って、魔術師としての能力を称賛され、大きな仕事を成し遂げることを期待されたのが嬉しかった。
それだけに、強大な力をを示して認められたいのだ。
「召喚魔法と平面水晶・・、研究しがいがあるわね」そう思いながら、濡れ髪にタオルを巻き、浴場の入り口にかけて置いたバスローブを手にする。
「・・・?」ふと、食堂から聞こえる声の変化に気がついた。直感で危機を覚り、バスローブを羽織りながら魔法の詠唱を始める。
牽制と逃走のために低級魔獣を召喚するつもりだ。強力なドラゴンなどでは呼び出すのに時間がかかり、襲撃に間に合わないかもしれないからである。
彼女が詠唱を終えると、黒い霧が眼前に拡がり、やがて収縮して黒い魔獣の姿になる。
全身黒い異形のニワトリ・・・コカトリスであった。大きさは馬くらい、口からは石化ブレスを吐く。尾は毒蛇なのだが、生気なくグッタリしていた。
その魔獣が心話で語りかけてきた。
『あれ?奥方様!?すると、女湯ですか!?何で自分がココにいるんでしょう!?覗きじゃないですよ!ホント!!』、魔獣として呼び出されたトリスが、高いトーンで慌てて言い訳をし始めた。
『てか、覗いたらソドム様に殺された挙げ句、ゾンビとして使役されちゃいますから!あの方には、ぜ~ったいに刃向かわないと決めたんです!ど、ど、ど、どういう状況なんでしょ!?』と、左右を見回して騒ぎ立てた。
ただ、鳥類なので表情の変化なく、取り乱してるようには見えない。
レウルーラは、両手でなだめる仕草をしながら説明した。
「突然召喚して、ごめんなさいね、トリスさん。竜王に殺されるかと驚いてしまったわよね」と、さり気なく、カマをかける。
『ええ、もうダメかと・・』、召喚されたことがないので、いまいちピンときていない。
なんの変哲のないトリスの反応で、レウルーラは確信した。
(・・・やはり、ソドムは竜王だったのね)
「安心して。私があなたをここに召喚したんだから、あなたは全然悪くないわ」
『・・・はぁ~、そういうことでしたか。食堂でリュートを弾いていたら、なんか変な感覚がしまして・・気がついたら浴場にいて、目の前にあられもない姿の奥方様がいらしたので、何が何やら・・』と、安堵のため息をつきながら、状況を理解しつつあるトリス。その表情は、相変わらず何を考えているかわからない。
『そうだ!二階の寝室に魔王の手先が侵入したようで、対応に追われてたところなんです!刺客が潜んでるかもしれませんから、お逃げ下さい!』と心話で伝えた。
(馬代わりは覚悟していたけど、召喚までしてくるなんて、本当に人権ないんだ俺。魔獣だけどさ)
「異変は、それね!魔王の・・?」、しばし考えを巡らすレウルーラ。
(魔王の手先かしらないけれど、情報が少ない場合は、戦いは避けるべきね。ソドムと合流すれば迎撃できるが、本館との連絡通路で待ち伏せされている可能性がある。いっそ板塀を越えて、敷地横の森に逃げこもうかしら)
深刻さをおくびにも出さず、命綱ともいえるコカトリスの首に優しく触れた。
「悪いけど、私を乗せてちょうだい。あなたの脚力が必要なの」
この宿を東に半日歩くとハンドレッド伯爵領、宿の北には森・・その先に大陸中央にまたがる竜王山脈がある。
竜王山脈には近づかないのが暗黙の掟であり、もしも破るなら・・・10年前・10万将兵を失った大和帝国のように血で償うことになるだろう。
山脈の麓に広がる森も、グレーゾーンなので、人が入植することはない。そのため、木材や鉱物資源も手付かずに豊富にある。
そこに目をつけて荒稼ぎしている無茶な男がいた。
ハンドレッド伯爵である。彼は欲に目がくらみ、竜王は連邦の味方と勝手に解釈して、山脈外周なら目くじら立てたりしないと思い、密かに開発を進め巨利を得ていた。そのずる賢さは、ソドムに並ぶかもしれない恐るべき男だった。
仮に竜王に露見しても、トカゲのしっぽのように、部下の独断だと言って とぼけるつもりなのだろう。
今、レウルーラ達が逃げこもうとしている森の先に、開拓作業員の村がある。
旅人が街道から森に分け入るはずもないので、伯爵領の者以外には知られていない非公式の村だ。
バスローブ姿のレウルーラを背に乗せることになったトリス、
『えっ!そのお姿で?ご、誤解されたら殺されてしまいます!勘弁してください!』嘆願するトリス。
「あ、それもそうね。着替えてきますから、見張りお願い」、そう言い残して小走りに脱衣所に向かうレウルーラ。
トリスは承知したものの、着替えたところでハイレグレオタードというエロい格好なので、ソドムに誤解されて殺されるリスクは変わらないことに気がつき、震えている。
そして、思った通りハイレグレオタードで現れたレウルーラ。風呂上りなので、いつもの黒コートは着ていない。トリスは絶望感で気絶しそうになる。
レウルーラは、コカトリスに飛び乗ろうと、態勢を低くしたときに閃いた。
(森に隠れるにしても敵の想定内で、包囲網があるかもしれない。むやみに動かず、敵をやり過ごせる方法が・・・ある!)
ハッキリ言って奇策でしかないが、有効な作戦が一つ。
「ごめん、逃げるのはやめたわ。ヘタに動かず、やり過ごしましょう」ポンと、トリスの羽毛に手を当てた。
『魔王十爪とかいうのが、忍らしいので、隠れても無駄じゃないですかね?』
「確かに、隠れるのも・・・戦うのも難しいわ。でも、隠れず・戦わない方法があるの」、自信ある表情で種を明かした。
「あ~、今日は楽しいことばかり。わざわざ殴られに、敵が群がってくるんだもん。じゃ、ひと暴れしてくる」、軽く柔軟しながら、シュラ達・二階制圧チームが階段を静かに登り始める。
「気をつけてね」妹のラセツが小声で言って、自らも浴場にいるレウルーラ保護のため、連絡通路に向かった。
彼女らを見送りながら、ソドムは執事トリスの姿がないことに気がつきはしたが、戦力外なので特に問題にしなかった。
今は、無謀にも自分に喧嘩を売ってきたバカ共を返り討ちする高揚感でいっぱいであった。
ちなみに宿屋の主は辺境の住人らしく、襲撃には慣れていて武具を取り出し戦闘準備を始める。
「若い頃は、連邦の騎士団におりましてな・・・【剣鬼】などと呼ばれていたものよ」小剣と円盾を構えながら、やつれた顔で不敵に笑う。
頼りないが、室内戦闘向きの装備なので、少しは役に立つかもしれない。
ヤル気の主だが、ソドムは黙殺した。
自分を含め【剣聖】【剣鬼】などの称号は、連邦王が酒の席で乱発しただけなので、実力はあてにはならないのだ。
一方、浴場に向かっているラセツ。
酔った勢いで、この任務を引き受けたが、武器もなくバスローブ姿にサンダル履きであることを今更ながら悔いた。
・・・まあ、無いものは仕方がない。腹をくくって、疑わしきものは有無を言わさず蹴り飛ばす覚悟を決めた。
浴場へと続く道の屋根を支える柱には、ランプが設置されているが、雲一つない今夜は、節約のため火が灯されてはいない。
満天の星空と月明かりが道を照らしているので視界は良好。
だが、それは敵も同じなので用心し、柱から柱へと身を隠しながら、素早くレウルーラのもとへ向かった。