ハネムーン
季節は冬、大陸の南側を本拠とする連邦王国を大貴族が乗る馬車と、その護衛が東へ向けてゆったりと進んでいる。
寂れた街道・しかも冬であることもあって、晴天でも心躍る旅ではない。
とはいえ、馬を打たせている道中は、アスガルド大陸の南西から東への移動であるから、夏服でなければ寒いというほどではないのは幸いというものだ。
同じ大陸でも、北部は―20度の極寒の地なのだから。
昨今、目的地である東の辺境で小戦があり、主要街道は援軍の兵が行き来するため、大貴族は賑々(にぎにぎ)しさを嫌い、遠回りながら旧街道を選び、東へ向かうことにした。
旧街道は主要街道と同じく、徒歩半日くらいの間隔で宿場(飯と寝床を提供する宿屋)があるため、よほど切り詰めた旅でない限り快適に目的地まで辿り着くことができる。
大陸の過半数を支配下に置く連邦王国の首都から、連邦の公爵が治める東の辺境ギオン公国までの道のりは、近隣貴族の兵が巡回していることもあって、無法地帯という訳ではないのだが、目を盗んで悪さをする輩もいないことはないので、狙われやすい貴族は私兵か傭兵に護衛させるのが常だった。
警戒すべきは、弓矢による狙撃と藪や高地からの奇襲。そのため、護衛である傭兵は鎧兜で身をかため、馬車も華麗さだけでなく矢が貫通しにくい実用的なものを採用し、攻撃に備えている。
魔術師・光や闇司祭による魔法攻撃をあまり想定していないのは、魔法を使うものが少数派であることが大きい。
召喚・攻撃・付与など多彩な魔法を操る魔術師は、稀有な才能と魔法学院の高額な学費を払える環境がないとなれないため、とても貴重なエリートである。
王侯貴族が一年契約で金貨200枚(大和帝国2000万円)で雇うのが相場で、フリーの魔術師でも付与魔術で魔法武具を生産・販売すれば十二分に儲かるので、街道で追いはぎなどという安い仕事はするはずがない。
では司祭たちは・・・というと、光の司祭が神聖魔法を悪事に使うはずもなく、それどころか攻撃的魔法がない。
闇司祭は、悪さをするケースがあるが・・光の教えが連邦王国の教義であり、光の教団・強硬派(タカ派)が闇の教団排除を掲げて、闇司祭は魔物や亜人と同列で討伐対象にしているため、数が減り・・目立ったこともしなくなってきている。
上記の理由で、無警戒という訳ではないが、魔法攻撃に神経質になる必要はないわけである。
※ただ、5年くらいの周期で、自己の実力を過大評価している気の触れた闇司祭が「我こそは破壊神」などと妄言を吐いて、廃城に立て籠もったりしては勇者や軍隊に討伐されたりしている。
かつて世界の中心たるアスガルド大陸は、連邦王国が治める平和な土地であったのだが、10年前に極東の島国である大和帝国が突如侵攻してきて、勢力図が塗りかわった。
大陸の北東部は帝国に切り取られ、帝国と連邦との激戦地にして荒廃した南東部に、連邦の後ろ盾のもと ギオン公国なる小国が勃興した。
そして今、この豊かになった小国の支配権をめぐり、小競り合いの真っ最中となっている。連邦は、これを死守せんと、王都から続々と援軍を主要街道に送っていた。
さて、大貴族一行の歩みは激動の世の中とは無関係と言わんばかりに、緩やかなものだった。
なぜなら・・・新婚旅行なのだから。
人数は、たったの8人。前後に傭兵が2人づつ、真ん中の馬車の御者兼・執事、馬車の中には公爵が若い娘2人を侍らしている。公爵の優雅な旅とは対照的に、御者をしている銀髪の青年は、手綱片手に弦楽器で穏やかな曲を演奏しなくてはならず、中々忙しそうだった。
御者を含めた馬車の4人は、誰ひとり帯刀していない平和ボケした連中なので、傭兵隊長はイライラしていた。
いや、危機意識のない丸腰は別としても、公爵のゲスっぷりには本当に腹が立っていた。
その素行の悪さを羅列して公爵の領土に言いふらしてやりたいくらいのクズだと思っている。
挙げたらキリがないが、まずは中年公爵が連れている女二人・・・どちらも二十歳そこそこの小娘ではないか!うち、一人は妻だという。その若妻を膝に乗せ・・あろうことか手でまさぐりながらの旅路なのだ。
しかも妻が席を離れたり、よそ見しようものなら、その隙に隣に侍らしている茶色い髪の女の体を触っているのを、傭兵隊長は窓越しに見てしまったことがある。まさに、女の敵・・・。
いやいや、それだけではない。護衛と称して侍らせている茶色の髪の娘への仕打ちは、奴隷以下ではないかと思う。
荷物持ちは当然のようにさせるし、木陰で休憩する時は娘を木にもたれかからせて空気椅子をさせ その上に座ったり、宿場の食堂でも四つん這いにさせて その上に夫婦仲良く座ることもある。
ちゃんと椅子に座らせてもらえる時もあるようだが、躾けられているからなのか、食事を軽く済ませた茶髪の娘はテーブルの下に潜り込み、公爵の足元まで這いより怪しげな動きを見せる。
傭兵隊長が、それとなくテーブル下を覗くと、茶髪の娘が公爵のズボンを下ろし、太もも付近に吸い付いているのを見てしまった。
・・・これらが、強制なのか自発的なのか?・・・娘に直接聞かなくてもわかる。
なぜなら、逃走防止のために顔に「床上手」と鬼畜なタトゥーが彫られてあるからだ!
さらに、夜は夜で宿場での寝室は3人ワンセットで泊まる。抗議しない妻も、どうかしているが、もしかしたら・・推測でしかないが妻といっても買われた奴隷なのかもしれない、と疑っている。
怒り心頭な傭兵隊長、これほど怒るのは人道上以外にも訳がある。
鬼畜な仕打ちを受けている茶髪の娘は、傭兵隊長の生き別れた姉だからだ!もう、本当に悔しくて血の涙が出そうである。それどころか、任務完了の瞬間、公爵を刺し殺してしまいそうだった。
傭兵隊長の名前はラセツ、そして茶髪の娘は姉のシュラ。10年前の戦争で生き別れ、ラセツは疎開先を追われたものの、里親と一緒に王都に逃れ、不自由なく育てられた。15歳の頃に、生き別れになった姉を探しながら稼げる職業・傭兵を目指し剣術を習い始める。
ただ、傭兵は男社会なので活動しにくいことと、女だけの傭兵団があれば、それはそれで需要があると踏んで、同志を集め・・・たった4人ではあったが、王宮の魔術師に認められ後盾になってもらい、傭兵ギルドに旭日傭兵団として登録させてもらうことができた。
※傭兵団を創るにはパトロンが必須で、傭兵団が多大な損害や裏切りをした場合の責任をパトロンにとらせる・・という仕組みなのだ。逆に言えば、依頼側は裏切りの心配をせずに済む訳だ。
ラセツの歳は19、異父姉妹であるため、シュラとそっくりというわけではない。セミロングの髪は青く、可愛いというより、凛とした美しさがある。日焼け対策をしているのか、肌は意外に白い。
二刀流の剣士で、素早い連撃とフェイントを絡めた中での必殺の突きにより、一対一では男に引けを取らない。
旭日傭兵団のメンバーとしては、大和の鎧兜姿の侍・芦間、重装甲と鉄球を使いこなす女戦士アズサ、弓と槍の使い手であるアテネの女子三人がいるのだが、いずれも護衛対象である公爵には嫌悪感を抱いたままの旅であった。
ただ、休憩や宿場で公爵自ら料理することがあり、それを皆に振舞うことがあるのだが、味は絶品で・・料理に関してはメンバー全員が認めている。とくに、海の幸の乾物しか具となる食材がない中で作ったパスタは印象深く、公爵の料理の腕に感服したものだった。
そんな愛憎蠢く貴族の一団を、丘の上から値踏みする男たちがいた。
山賊である。しかも、偵察を兼ねて値踏みしている頭を入れて100人ほどの大山賊だ。
そんな大集団がいるなら、たちまち討伐されそうなものだが、周到な連中で・・・普段は10人ほどにばらけて働き、大きな獲物の時に召集をかけ100人に膨れ上がる。それゆえ、集団の名前はない。
彼らの苛烈さは、獲物どころか目撃者も さらうか皆殺しにして、道も掃き清めて痕跡を残さない。
世では、行方不明扱いになるため討伐対象にはならないという外道集団である。
山賊目線からすれば、貴族一行の馬車での旅など・・豪華なお宝が無防備に散歩しているようなもので、カモ以外の何者でもでもない。
まして護衛は女傭兵、作戦など必要ない、ただ襲うだけだ。さらに捕えた女傭兵とて、売り払うこともできるだろう。
無精ヒゲに手入れもされていない長髪の頭目は、女どもを捕えた後のことを考え、ニヤリと笑っている。
そして今、頭から召集の合図がかけられた。貴族一行が夕方に宿場へ着く手前で、前後から挟み撃ちにせよ、と。
のどかな旅は一変し、悪夢のような戦いが幕を開ける。