串刺し男(その3)
僕とカナミさんはH市内の同じ高校に通っている。高校二年生だ。
一年生の時も、二年生になった今年も、残念ながら同じクラスにはならなかった。
放課後、僕らは文芸部の部室で最近読んだ小説の感想をお互いに言ったり、本を勧め合ったり、勧められた本をその日の夜に大急ぎで読んで翌日の部活で再度感想を言ったりして楽しいひと時を過ごすのが日課だった。
お察しの通り、僕はカナミさんが好きだ。
去年、入学式の翌日に文芸部に入部しようとしたら部室の入り口でばったりカナミさんと出会って「あ、お先にどうぞ」「いえいえ、お先に」などとちょっとした押し問答をした後に三秒くらい見つめ合った時から、ずっとカナミさんが好きだ。
もちろん、僕の片思いだ。
カナミさんは目元のキリッとしたクールな顔立ちで、僕らの学校の文芸部はオタクの巣窟みたいな所なんだけど、そんな根暗でひ弱な文化部の部員でいるよりも運動部のキャプテンでもしているのが似合ってそうな、活発で爽やかな感じの美少女だ。
僕にとっては『高嶺の花』ってやつだ。カナミさんみたいな美少女が、僕みたいな取り柄もない男に惚れてくれる訳が無い。
僕は一方的にカナミさんに惚れているけど、そのことを彼女に告白してお付き合いするなんてことは、夜中のベッドの中で妄想するとき以外は考えたことも無い。
彼女と僕は読書の趣味が合う。だから、放課後に部室で好きな本の話しをするのは楽しい。カナミさんも楽しそうだ。僕はそれだけで充分だ。
僕がカナミさんに勧められた本を読んでいるとき、突然、彼女は「その本の○○っていう言葉、好きなんだ」と言うことが良くある。それは決まって、部室に二人きりの時だ。
それで、僕が「え、どのあたりのページ?」って返すと、彼女は僕に体をぐっと密着させて「ちょっと、その本貸して……ええっと……ほら、ここ……このセリフ」なんて言いながら肩を僕にピッタリ付けて顔を寄せて、一つの本を一緒に読めるようにして、書いてある場所を指し示す。
僕は、彼女の制服の中からフワッと立ち昇る良い香りに頭がクラクラッとなって気が遠くなるのを必死でこらえて「へえ、あ、そう」などと、しどろもどろに言う。
しどろもどろに言いながら、心の中で(この幸せな瞬間が永遠に続きますように)と願うんだけど、そんな都合の良い話がある訳もなく、突然ガラッと部室のドアが開いて、今年の部長のユウ子先輩が現れたりして、次の瞬間、カナミさんはビョーンと跳びあがって僕から二メートル離れ、最高に幸せな時間は一瞬で終わる。
ユウ子先輩は、僕とカナミさんを交互にギロッと睨んだあと、まずカナミさんに向かって「そういう気持ちになった相手が予想外の鈍感男だったっていうのは、同情するけど……でも、いちおうこの部室も『神聖な学び舎』の一室ですからね……はしたない行動は慎みなさい」って言うのが毎度のパターンだ。
それでカナミさんが「はい……すいません」ってシュンってなったのを確認して、部長は今度は僕を見て「それと、テツオくん……君は、気弱で、ひ弱で、鈍感で、朴念仁で、臆病者ってだけの性格は良い奴だっていうのは認めるけど……これだけは言っておくわ……女を焦らせる男は最低よ。女に恥をかかせる男も最低。わかった?」と言う。
僕は、ユウ子先輩が一体何の事を言っているのか少しも分からないけど、とりあえず曖昧に「はぁ」と返事をする。
そうすると、文芸部の現部長ユウ子先輩は「あー、もうイライラする!」と言って僕を再度睨んだ後、部室のドアをぴっしゃーんと閉めて、どっかへ行ってしまう。
僕とカナミさんは、二メートルの間隔をあけたまま、気まずく部室に二人っきりで残される。
……こんな寸劇が、僕とカナミさんが文芸部に入部してからの一年と数か月のあいだに三十六回繰り返されて、今に至っている。
* * *
山村先輩と重本先輩は、一年前、僕とカナミさんが文芸部に入部した年の三年生部員だ。
一口に文芸部と言っても、各々の部員には『守備範囲』があって、好きな作品のジャンルはそれぞれ違う。
SFが好きな奴も居れば、ミステリーが好きな奴も居る。もちろん純文学一筋の奴も居る。
山村先輩と重本先輩は、二人ともホラーが大好物で、そのせいか気が合うらしく、いつも二人で連るんでいた。
二人だけで話している時には必ず語尾に「ふたぐん!」って付けては、顔を見合わせてニヤニヤ笑っていた。
……例えば、こんな感じだ。
「昨日のテレビの洋画劇場、見た? ふたぐん!」
「ああ……『ハロウィン』だったけ? ふたぐん!」
「ふたぐん!」
「もう百回以上観てるから、さすがに、もういいや、って感じ……ふたぐん!」
「……だよな。ふたぐん!」
こんな風に山村先輩と重本先輩が話している様子には異様なイチャイチャ感があって、文芸部の女子部員たちは「山村先輩と重本先輩は男同士だけど怪しい」などと、二人の居ないところで噂していた。
僕の読書趣味は、二人の先輩のような『ホラー専門』ではなかったけど、SFやミステリーと同じくらいホラーも読んでいたので、案外、先輩たちとは話が合った。(カナミさんはホラーだけは苦手らしく、唯一そこだけが僕とは趣味の合わない部分だった)
よく先輩たちと僕と三人でホラー話に花を咲かせる事があったけど、カナミさんは、そんな僕らを距離を置いてジッと見つめていることが時々あった。それで、先輩たちが部室から出て行くと、すぐに僕の所に寄ってきて「今、何の話をしてたの?」と聞く。僕が「別に他愛ない話だよ。ホラー映画の話とか、その原作の小説の話とか……」
そうするとカナミさんは決まって「ふうん……」ってちょっと暗い顔をして、「あの二人とはあんまり親しくしない方が良いと思うな」とボソッと呟いた。
僕は、彼女に嫌われたくなかったから反論したことは無いけど、心の中では(ホラー小説や映画が好きだからって、性格がホラーな奴らだとは限らないんだけどな……カナミさんでも、そういう偏見を持つことがあるんだな)と思っていた。
* * *
卒業した山村先輩と重本先輩が二人そろって地元のH大学に入学し、僕とカナミさんが高校二年に進級して数か月が過ぎたある日……いまから五日前……突然、先輩たちが高校の文芸部に来た。
別に卒業生が母校を訪ねて悪いという事はないけど、滅多にある事でもない。
部員たちが、ちょっと驚いた顔で二人の先輩に挨拶する中、彼らは真っ直ぐ僕の所へ来て、僕を部室の隅に連れて行った。
「今度の日曜日、『串刺し男』を探しに行かねぇか?」
山村先輩が僕に耳打ちした。
さすがに大学生にもなって恥ずかしくなったのか、語尾に「ふたぐん!」と付けるような事はしなくなっていた。
『串刺し男』というのは、このころ世間を騒がせていた連続猟奇殺人犯の事だ。
被害者は十八歳から八十歳までの男女で、互いに面識も無く、住んでいる場所も日本全国に散らばっていた。
マスコミも警察も、怨恨その他の人間関係が原因ではなく、無差別の快楽殺人だと思っているみたいだった。
長さ一メートル半もある巨大な鉄串を被害者の肛門から口まで貫通させて殺す手口から、いつの頃からかマスコミは犯人を『串刺し男』と呼称し始めた。
ニュースに出演した元検死官は「肛門から口まで刺し貫いたからと言って必ずしも即死する訳ではない」と言っていた。「体を折り曲げる事も出来ず、身悶えることすら出来ずに、背筋をピンと伸ばしたまま苦しみながらゆっくりと死んでいった被害者も居ただろう」と。
全身を一本の鉄串で一気に貫いているところから、犯人は人間離れした怪力の持ち主だろうとも言っていた。
この異常連続殺人鬼には、もうひとつ、常軌を逸した特徴があった。
犯行現場には、必ずB6判の小型ノートを破いた紙が一枚落ちていて、そこには「この社長は地元の政治家に五百万円の賄賂を贈ろうとした」とか「この主婦は子供の通う学校の教頭とセックスをしようとした」とか「この無職の少年は、サラリーマンを殴って財布を奪い取ろう思った」とか書いてあった。
どれも「……しようとした」「……しようと計画した」「……しようと思った」という終わり方だった。
被害者たちがノートのページに書かれたような悪事を働いていたという事実は無く、要するに『串刺し男』は、心の中で思っただけの悪事に対して制裁を加えている……少なくとも本人はそのつもり……らしかった。
「犯人は妄想に取り憑かれていると思われます」
事件発生から二週間……被害者が一人また一人と増えるたびに、誰にでも分かることしか言えないニュースキャスターは、誰でもいえる言葉をしたり顔で繰り返していた。