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High_C  作者: 夏草冬生
第一章 表面世界は日常そのもの
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 ぼくは宮藤先生によい印象を持っていなかった。もちろん新学期早々、学校中が宮藤先生の話で持ちきりだった。音楽の新任教師があまりにも美人すぎると、授業中どの先生方も一度は溜息まじりに噂したぐらいだ。ぼくも一応は男のはしくれなので、みんなと同じように休み時間に宮藤先生のいる第二音楽室まで覗きにいったことがある。クレオパトラや楊貴妃も真っ青だという、その美貌が気になったのだ。しかしその時は鍵盤蓋を閉じたグランドピアノの上に、長いストレートの髪が乱れたワカメみたいに散らばっていたから突っ伏したのだろうが、両手を枕にうつぶせ寝していて、拝顔できなかった。個人的趣味で申し訳ないが、ぼくはそういうだらしのない女性がこの世でいちばん許せない。ぼくが特に思い入れがあるからだろう、ピアノに対しての冒涜としか思えず、たとえどんなに外見が美しかろうと言語道断で、もはや好奇心すらなくしてしまったのである。

 宮藤先生はそれだけではなかった。そんな心構えだけに、やる気のなさも折り紙つきのようで、授業も、その日の気分で適当にCDを聴かせたり自習させたり、すこぶるいいかげんらしい。そもそも何故そんなにも眠いのか、中2の授業の折、始業チャイムに気がつかず、それどころかそのまま終業時刻の五分前までずっと爆睡していたこともあったそうだ。主要科目ではないから生徒たちに放っておかれることは、さもありなんで、授業中だんだんと誰も寝ている先生に注意を払わなくなり私語が増え、そのため隣の第一音楽室にいて様子が気になった安田先生に大声で起こされたという話である。

 とはいえ、腐っても美人は美人だ。

 五月連休前の健康診断&体力測定の日、宮藤先生は視力検査の助手をされていたが、その長蛇の列には敬遠したぼくなのに、いざ最先端に躍り出ると目の前のランドルト環よりも斜め三列むこうの先生の顔ばかりが気になってしかたがなかった。教員免許もないことだし、その美貌で採用されたというのがもっぱらの噂であるが、心の底から頷ける。この頃は宮藤先生が学校教員を目指しているとばかり思っていた。だから、大学で普通に勉強していたら教員免許ぐらいとれて当然だとかなり見下していたのだが、この顔ならばどんな職場でも引く手あまただろう。なのに教師になろうと努力しているのだから、それだけでえらいと感心してしまった。ぼくは女の子といえば年下に限るので、どうしても辛口な見方になって申し訳ないが、もし先生がぼくの年上でなかったなら、とても正気なんて保てなかったと断言できる。出逢った瞬間に一目散に駆け寄り、その手を強く握りしめ、そのまま「ぼくと結婚してください」とプロポーズしてしまうような気さえしたほどだ。まったく宮藤先生が年下でなくてよかった。おかげでぼくはストーカーやセクハラ行為等で現行犯逮捕されずに済んだのである。

 格差社会の表れか、授業料がすこぶる高い聖トマス学園なだけに、生徒の保護者には医者や議員や大使や大学教授、キャリア官僚や大企業の幹部など、かなりの実力者がそろっていて、必然的に父母会の力は強かった。イギリスのパブリックスクールよろしく、思春期に六年間も男子校に通うわけで、女性に対する免疫がつかないものだから、将来、息子がみかけだけの女性に騙されるのではないか、といった心配の声があちこちで挙がるらしい。とにかく懇親会でそういったたぐいの訴えをされることを、授業中、先生方が冗談交じりによく洩らすのである。聖トマス学園の生徒はOBの息子の割合が高いというのに(地元であるアップルはいうまでもなく、ぼくやオレンジやグレープの父も聖トマス学園の卒業生だったから、県外なのにここへ入学させられた)、父親ではなく母親の方が強く主張するから、なんだか妙な信憑性があり笑えるのだ。実際、参観日とかで友人たちの綺麗な母親を目にする機会も多いのである。童話のシンデレラも結婚後は自分の息子が王子となり適齢期になるわけで、よもや自分が手塩にかけて育てた王子がどこの馬の骨だかわからない貧乏人の娘と結婚するなんてことはあるまい、と母親として信じたいが、その父親という実例があるだけに気を揉んでしかたがないのかもしれない。

 ということで生徒たちは美人音楽教師が、その美貌だけで採用されたのだと信じて疑わなかったが、実際は縁故採用だと思う(その後、機会あって宮藤先生にたずねたところ、事実その通りであった。進学校の音楽教師など、実力があっても宝の持ち腐れだが、不況期の女性にとってはのどから手が出そうなほど人気の職種であり、なのに世の中うまくはいかないもので、宮藤先生はその一族に大物政治家もいらっしゃる地方財閥の、分家筋だがかなり裕福な資産家のご令嬢だった)。超進学校の教育現場で音楽自体の能力はさほど必要とされないが、男子校だけに、顔の良さはむしろマイナスになりかねない。現に学校で宮藤先生は化粧っ気がまるでなく、いつも喪服みたいな黒系統の服ばかりを着用していて、ファッションに疎いぼくでさえ先生は意図的に地味に装っているのだな、と思った。

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