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High_C  作者: 夏草冬生
第一章 表面世界は日常そのもの
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 水曜日放課後は、週に一度だけ先生の指導が必要な大掃除の日だった。はじめるのが遅かったのか、宮藤先生は音楽棟周辺で、掃除当番の学生たちを手持ち無沙汰に監督していた。ここは食堂に近く自販機もそばにあることだし、ぼくらはジュースでも飲んで時間をつぶすことにした。

 好みは習慣化する。いつものようにアップルやオレンジは百パーセントの果汁を、グレープは「山ぶどう」を選んだ。ぼくは「はちみつレモン」の紙コップを手に取った。一生懸命、掃除に励んでいる人たちの前でのんびりとくつろぐのは少し気が引けた。

 学校はブロークン・ウィンドウ理論か何かを取り入れているのか、校内美化には特に力を入れていた。そもそも聖トマス学園では人格形成には不可欠であると、普段から挨拶や身だしなみ、そして整理整頓にはうるさかったのである。たしかに小さな秩序の乱れがカタストロフィへとつながり、全体を左右するものだ。掃除といえど生徒も先生も手は抜けなかった。雑用嫌いなぼくだって、なにも社会生活を送る上での集団作業のそのすべてを否定するつもりはない。学生は勉強をしにくるのだからと合理主義のアメリカでは生徒は(日本でも大学生は)掃除なんてしないそうだが、自分たちが使う場所くらいは自分たちできれいにするべきだと思う。それこそ、いちばん身近な自己表現というものだ。

「昨日たまたまなんだけど、おふくろに小遣い銭を催促していたら、いつものようにレッスン生の月謝袋の中から数枚手渡されたんだけど、そのとき『宮藤紗和々』という文字が見えたんだ。その珍しい名前に見覚えがあったからおふくろにきくと、やっぱり宮藤先生だった。今年の三月から週二日のレッスンを受けているらしい。もっと早くに気がつけばよかったんだが、あいにくレッスン部屋は地下だし、昼間はオレもいないし。もっともレモンの時もオレに何も話してはくれなかった。秘密というわけじゃないのだろうが、おふくろは聞かなければいっさいピアノの生徒の話はしないんだ」(宮藤先生は『さわわ』という名前ではないのだけれど、本人も興味がないらしく、いや、有職読みだと受け取ったようで、読み方なんて訂正はしてくれないから、普段、聖トマスの生徒たちは親しみを込めて『さわわ』先生と呼んでいた。後にぼくだって『さわわ』でないと知って驚いたぐらいだ)

 アップルの家は学校正門から歩いて五分の豪邸だ。聖トマス学園は、気候の温暖な四国中核市の郊外に位置し、市の総合公園となっている小高い丘の裾野をブルドーザーで拓いて設立された中高一貫校である。その手前、市の中心部方向には閑静な新興住宅地が広がっていて、アップルの自宅はその一画に存在するのだ。

 ぼくはアップル邸へ入学当初から毎週、水曜日になると通っていた。今日がそのレッスン日だが、寮母さんの許可を得て、午後七時から八時まで、アップル母にピアノをみてもらっているのである。しかしぼくは一年以上もの間、アップルがアップル母の息子だとは知らなかった。アップルが中総体前の特練で七時前という遅い時刻に部活が終わって、偶然ぼくと帰宅途上で出逢い、そしてふたりして「じゃあ、ここで」と家の門をくぐるまで……。

 寮生のぼくは、なにも学校に近かったからという理由で、アップル母にレッスンしてもらっているわけではない。アップル母とぼくの母とは、『三浦瑞穂さん』、『鈴木文恵さん』とフルネームの時は旧姓で呼び合う仲で、ぼくは瑞穂さん(=アップル母)を中学入学前から(親同士の手紙や電話のやり取りから、名前だけは)知っていたのである。つまり、ぼくの亡き母とアップル母は同じ音大ピアノ科の先輩後輩の間柄で、かつ同じフロアの寮生どうしでもあったのだ。

 二年後輩のぼくの母(=旧姓、鈴木文恵)は、アップル母が憧れるぐらいにピアノの腕がよかったが、それでも母はコンサート・ピアニストとしては食べていけなかった。せいぜい都内の(それでも世界的な)一流ホテルに「専属のブライダル奏者としてうちに来て欲しい」と懇願されるのが精一杯だった。だからもともと理知的なものの考え方が得意なアップル母は、プロピアニストになるという長年の夢をあきらめ、ピアノの科学的な練習方法の研究に専念するため大学院に残ったそうだ(そのためぼくの母と、卒業するまで寮で四年間一緒に寝起きを共にしたことになる)。

 そうしてアップル母はスポーツ医学、運動生理学の観点から、ピアノ演奏を感情面というよりは機械的な技術として修得させるピアノ教師となったのだ。ピアノはがむしゃらに練習すればいいというものではない。そんなことをすればロベルト・シューマンのように腱鞘炎にでもなって、かえって指を痛めてしまう。それにピアノというものは極論すれば情感を込めなくてもテクニックだけで八割方作品を仕上げられるものである。しかしその逆はない。気持ちだけでピアノは弾けないのだ。よくあるアニメや映画のように野球歴半年の初心者がチームのため勝利のため気合いだけでホームランが打てたりはしないのと同じである。

 アップル母は元々その方面に才能があったのだろう、地方に住みながらも中央にかなり名が知られるようになり、口伝てで東京からも練習をサポートしてほしいとプロピアニストが多数相談に訪れるほどになった。もっともアップル母のその大半の生徒は音大を目指す女の子たちであって、幼稚園から高校までの子供がほとんどである。初心者こそ、良き指導者に教わることが望ましく、そして宮藤先生に話は戻るが、宮藤先生は教員免許をもっていないくらいだから、ピアノをうまく弾けなくてもしかたのないことだろう。ともかく教え上手なレッスンプロのアップル母が近場にいたのは実に運がよく、安田先生か誰かその高い評判を知る者に紹介してもらったのだと思う。人は、音楽の先生なら皆ピアノを上手に弾けて当然だと思い込むふしがあるが、それは非常に酷なことだ。たとえば安田先生がバイオリン科であったように、音大卒の教員だってピアノ科は最大派閥ではあっても過半数ではなく、それ以外の人の方が数の上で多いのだし、そもそも教育学部卒業の音楽教師は教育の専門家ではあってもピアノの専門家ではない。

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