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High_C  作者: 夏草冬生
第四章 そしてBach Goldberg-Variationen
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 まるで徒手空拳でゴールドベルク変奏曲に挑むぼくだが、日本兵はソ連戦車に素手で立ち向かってくる。気味が悪いし、人間、理解できないものには気力、体力を著しく消耗させられる。日本には不合理な精神が太古からあって、それは確実に現代まで通じている。とかく古典は偉大だが、偉大だからこそ害になるのであって、手放しにそのすべてを受け入れることは、ぼくにはできない。沖縄は、本土決戦までの時間稼ぎとして捨て石にされた。沖縄戦直前に本土から赴任してきて殉職された県知事の美談はよく知られても、県民の疎開に反対したため犠牲者数を増やし、空襲があれば自分だけが真っ先に逃げ去るし、米軍上陸が近づけば他県に転任工作して沖縄を脱出した知事のことは誰も責めない。ぼくだって「自分の命が一番さ」と逃げる。自分の身は自分で守るしかない。聖トマス学園には必ずクラスにひとりかふたりの割合で沖縄出身者がいて、それで耳にした話だから真偽のほどは定かではない。沖縄の心の傷は相当に深いのだ。寮や学校で色んな人たちと議論していると、そういった話題が出て来て、彼らが沖縄から来た人だと気づかされる。

 それにしても沖縄戦没者は平和の礎に刻銘された数で(国籍や軍人、民間人を区別せず)二十四万人と、想像を絶する悲劇である。日本では戦犯に限らず、上の人を下の者が非難することはタブーで、そういう雰囲気を大多数である下の者が作ってしまっている。それに背けば名誉毀損程度ではすまない。一般人は記者クラブへの立ち入りが禁止で情報が入らないし、体制とマスコミの癒着をみても、この国には言論の自由がないから圧殺されるし、抹殺される。高校生のぼくが大人は汚いと思うだけではすませられない問題だ。

 それは風土だから、匂いで鼻が麻痺したように意識されないが、アメリカの叔母の家に行けば強烈な刺激となる。日本兵に投降勧めても自害したり、万歳突撃するのは知っていたが、太平洋戦争で最も陰惨だったのは、戦争末期の沖縄や島嶼部で、日本人の女性や子供が、日本兵の刀や鉄砲で殺された、と聞かされた。ぼくが日本人の子供だから怖がらせようという、アメリカ人の悪意あるでっち上げだ。アメリカ兵が日本刀や日の丸や死体の写真を戦利品として母国に持ち帰ったのは有名な話だが、日本兵が同胞を、しかも女子供を殺すなんてあり得ない。

 でも沖縄出身の生徒によれば、赤ん坊は泣くし、昔の人は子だくさんで、扱いに困る足手まといの母子に自害を勧めることは普通の光景で、それどころか生き残った民衆は敵に内通するから殺せという雰囲気だったそうだ。玉砕する兵士は死を強制されていて、民間人だけが生き残る(=捕虜になる)のは、心情的に許せなかった、とも言っていた(伝え聞きだし、真偽はともかく、そういう話が残る、その心に意味があると思う)。それとは別にウェスト・コールドウェルの老人も東南アジアを語っていた。虐殺されそうになった母と子は、米軍陣地に逃げ込んで命拾いをするのだと。飢えた日本兵は、民間人にスパイの嫌疑をかけ、彼らが蓄えていた食料を強奪するのだ。絶望的な戦況による疑心暗鬼もあるのだろう、生々しいし、子供のぼくは怖かった。戦争は遠い過去の話ではない。繋がっていると思った。日本の軍隊は、なぜ同胞を殺すということができたのか。それは国民を守る軍隊=国民軍ではなかったからだ。複数の視点があると、そこに流れる物の考え方、見方がより選択できて、より冷静に判断できる。

 アメリカでは退役軍人会や在郷軍人会は影響力を持っている。アメリカ人は基本、お節介なほどに親切だ。年老いて暇なのか、ぼくが日本人だと知ると、「仕方がない」(=ここだけ日本語だ)という言葉をよく耳にした。戦争したことある? ってきけば、日本では捕虜になることは死ぬ以上によくない行為なんだね、と話しかけてくる。ひと言で言えば、野蛮な民族だということだ。野蛮? それはぼくの中にはない言葉だ。そうだ、遠くスカンジナビアから留学しにきた女子学生が「日本? よく知らないけれど極東にある野蛮な国でしょう?」と言ってのけたのだ。しかもそれで彼女の日本に対する知識はおしまいだった。経済学部の大学生なのに、円もウォンも元も似たり寄ったりの新興諸国通貨といい、「辺境の子にしては賢いわね」扱いだ。ぼくの脳内世界地図は(実家のある)香椎が中心で、彼女の国の方がラップランド(=スウェーデン語で辺境を意味する蔑称)だったのに。アメリカはホームパーティーの国で、英語下手や老人は、子供相手に会話するのだ。

 野蛮とかではなくて、根本的思想が違うのだろう。アフリカのスーダンの内戦は二〇〇五年まで二十年ほど続けられていたが、その死者のほとんどは兵士ではなくて、食糧不足死んだ一般人だ。「農家は食料不足に陥っても安心だね」と人は言うが、そんなことを本気で思っている者にぼくの考えなど爪の先ほども理解してはもらえないだろう。そしてぼくのこのゴールドベルク変奏曲も。つまり飢饉が来たらどの時代のどの場所でも、まずは農民から餓死するのである。

 軍が何を守るべきかは、時代や場所によって違うのだ。国民国家というのは英語のNation-Stateの訳語だが、他国にとってはしっくりとしないお下がりの服、借り物の概念である。同胞を守る国民軍ではないから自決を強要する風潮があってもおかしくはない。日本軍は、民間人に適用すべきではない戦陣訓や防諜を理由として米軍への投降をしないよう命令していた。いじめとか、弱い方に向かう国民性なのか、革命の方向へは向かわない。大江健三郎の沖縄戦裁判のように、こういうのはこの国ではタブーなのだ。それに言った、言わない論争は不毛だ。沖縄の人たちや、司馬遼太郎、どれが事実なのかぼくは分からない。とにかく司馬はショックがひどすぎたのか、ノモンハン事件にしろ、国民を轢き殺す軍隊を小説にはしなかった。できなかったのだと思う。星新一が自身の製薬会社が倒産したとき、世界観が変わるほどの人間不信に陥ったそうで、エッセイにその断片が記されているものの、それを題材にした小説はひとつもない。小説を書くことになった原点なのにそれを避けるなんて。よほどのことなのだろう。客観的にはどうあれ、忌まわしい過去は誰にでもあるのだ。

 サイパン島のバンザイクリフの投身自殺もそうだけど、一万もの民間人が自主的に集団自殺するなんて、そのプレッシャーは相当なものだろう。生き延びようとすることはタブーなのか、日本人の特質なのか、ぼくは戦慄すら覚える。レミングが集団で海に飛び込むのはスカンジナビアの伝説であって、生態学的事実ではない。個人の意志ではなくて、すべてが空気なのである。社会的弱者である女子供が強い人たちに迷惑をかけないように死を選ぶ。だからエライ人は逃げてもかまわない。でも外国人には分かるまい。馬のハンスじゃあるまいし、大和の菊水特攻作戦だろうと神風特攻隊だろうと、そもそも特攻作戦では戦況覆せないと誰もが分かっていながら、その場の空気で全部決まったのだ。幼い頃からエキセントリックだったというオレンジの感想ならば、「何それ人間?」である。学校で教科書を読んでいるよりも空気を読んでいる人間こそが、この国では指導者になれるのだ。

 アメリカでは日本人なんていなくてもアメリカ(=世界全体)はやっていけるよ、といった感じだし、自己中心の天動説的な小学生であるぼくは、そんな日本の認識の仕方にひどく傷ついたが、そんなぼろぼろな所からでも這い上がる、それが本当の日本人としてのプライドだろう。とにかく戦死者数よりも社会のシステムの方が気になるのは、ぼくの心が冷たいからかもしれない。しかしぼくが弾くゴールドベルクは、複雑そうにみえて、そのすべての音が主音、そのたったひとつの音に溶けてゆく。戦争とは平和であり、平和とは戦争なのだ。若い人はたくさん死んだというのに、戦争が終わり一九四七年からの三年間で八百万人もの子供が生まれた。戦死者数など軽く帳消しにして、人口は爆発的に増加した。しかし平和になれば、避妊、人工中絶等、人の命は犬猫なみになる。つまり異なる思想から見れば、現代は生まれるチャンスすら与えられない胎児の数の方が多く、そしてその犠牲の上に個人の自由と豊かさが成り立つ、戦争よりも凄惨な世界なのである。

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