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国際化が進み、海外赴任した家族が友人宅のパーティによばれ、趣味のピアノを演奏する機会も増えた。インベンションの左手を半拍ずらして覚えた女の子もいたりして、「日本人ごときにバッハが理解できるものか」と鼻先で笑うドイツ人もいるそうだが、人種的嫌がらせだけではなく、そこに一理あるのが恐ろしい。もちろん、ゴールドベルク変奏曲をその神髄まで理解しているはずのドイツ人でさえ第一次、第二次世界大戦と陰惨で無謀な戦争を続けたが、複眼的な視点を手に入れるためにも、日本人は是非、自分のものにしなければならない音楽であろう。
ドイツ人だろうと日本人だろうと、磁界の中で物質が磁気を帯びるように、その時その場にいたら人は皆そうなるのだ。キリスト教国家に生まれ育った者は、飽和状態にキリスト教が満ちている宗教的環境のなかで異教徒になれるはずもなく、なれたとすれば、彼こそが教祖であろう。彼ひとりで新しい宗教をつくる以外にないからである。それほどまでに宗教は実生活を通して、人間の身体や精神にまで染みつくのだ。冠婚葬祭はそれでもまだ表面的な形式にすぎないから意識すれば拭い去ることはできるのかもしれない。しかし習慣、常識、礼儀、そして人のしぐさや表現の仕方、いやそれ以前にものの考え方そのものが、本人が自覚できないまでに深く宗教に影響されている。呼吸と同じだ。ある程度はコントロールができても、空気中で息を止めて窒息死ができないように(脳幹からの指令で不随意的に呼吸を強制させられる)、生きているかぎり振りほどくことはできない。いや逆だ。それらは弊害ではない。空気があるから生きていけれるように、宗教のような精神的秩序があるから我々は人でいられるのだ。日本人には自分が無宗教であると主張する人も多いけれど、この国で普通に暮らしているのだから、神道は脈々と受け継がれている。その精神は日本人が絶滅しないかぎり消滅しない。
新しい芸術も宗教と同じであり、そこには人を無意識に従わせる、つまり思考方式や行動のパターンをも決定づける、精神空間が生じているはずなのである。だからピアノの演奏法ひとつにしても、日本人は難なく西欧文化に同化できるがそれすら信仰であって、個体差よりも彼が属す宗教、思想による差の方が大きいのだ。
日本人があいまいを好むから、日本語もそうなるのは当然として、表現も解釈も何もかもがあいまいだ。ぼくは歴史的事実を事実ではなくて解釈、つまり理系的に言えば「論=theory 」としてとらえている。歴史事象は文献資料によって検証されるからだ。
司馬遼太郎は本土決戦前夜、戦車隊に所属していた。そして陸軍参謀が訪れた際、「戦車が米軍上陸地点まで進出する場合、避難民が逆流してきたらどうするのか」と質問した。すると「轢き殺してゆけ」という答えが返ってきた。それはたいへんな衝撃であったと、彼の著書のあちこちに書かれていて、ぼくはこれこそがこの作家の核だと思ったものだ。
もっとも司馬の死後、別の証言が出てきた。「戦車隊の人たちは誰もそのような会話を聴いたことがない」と。たしかに司馬も自身の体験のはずなのに、文章や講演記録ごとにその話の内容が微妙に違っていた。死後に申し出るのではなくて、生前に何が事実だったのか当事者同士で確認し合って欲しかったのだけれど、権威にたてつくことができない国民性だ。空気を読んでのことだろう。元軍人たちに発言権はなく、名乗り出られない雰囲気があって当然だ。司馬遼太郎は既に大家であり、国民作家にケチをつけることは盲従する国民全体を敵に回すおそれがある。
とはいえ史実とは違っていても、司馬遼太郎の創作の出発点はここにあったはず。物理現象そのままではなくて、受けとった人の心象風景こそが真実なのだとぼくは信じている。
色彩は周囲の色(の明るさ)によってまったく別の色に見えるし、相対音感でハ長調のラは、イ長調ではドとして聞こえるし、そう機能するのだ。ラとかドとか知覚される音の高さは、物理的な音の高さと一致しない。絶対音感(=物理的な音の高さを把握できる能力)を持つ者は限られているし、(音叉なしに)聴音だけで楽譜になおせるのは便利だが、その正確さが音楽性や芸術性の上で有利とは一概には言えない。ぼくが理系だからこそ、物理よりも心理を重んじる所がある。「理系はデータがすべてだが、文系では正解がなくて、いちばんエライ人(=声の大きな教授)の意見が通るんだ」とは生物学教授である父の弁だが、それすら人間の本質だと動物行動学的に認識している。学校のいじめ問題で、事実を確認し追求するといいながら、決まって出てくるのは「当校ではいじめはありませんでした」という決まり文句ばかり。儀礼的に校長先生がいじめはなかったと言えば、それが(心理的な)真実となるから怖いのだ。だからこそ(物理的な)真相究明より、まずはいじめられた生徒の心情を把握することが先決だ。彼がどう受け止め、どのように感じたのか。強者には尽くしても、弱者の立場を思いやる風潮はこの国にはない。それはいじめを受けた生徒も同じで、いじめた者が責めを負わないよう気を遣うのが現状なのだから末期状態だ。
負ければ戦争だろうと軍人だろうと、悪で、最悪で、極悪なのだ。軍人は何を言われても仕方がない。しかし日本人の下士官は世界一優秀であり、立派な人たちなのだ。博多の街では福岡に住む武士の高潔さは有名で、商人は娘を武士に嫁がせたがった。日本の旧帝国軍人もそのほとんどが清廉潔白で、克己心が強く誇り高かった。でも逆に軍人は威張ってばかりで、満州引き上げの際とか、本土決戦の戦力を温存する必要性から、民間人を足止めに使って、自分たちだけが逃げていったという話もある。何が作り話で何が本当なのか。悪意あるでっち上げというよりも、戦争という悲惨さの中で、そのように記憶が変質してしまっていったのだ。ぼくだってゴールドベルク変奏曲の存在自体を忘れていた。母との思い出だってかなり変容しているにちがいない。愛国心あふれる軍人が職務を忠実に果たし、国民そして郷土のために命を投げ出したのに、これではやりきれない。しかし負けたら泣き寝入りするしかないのである。敗北をしてしまったのだから。
非常時の統制がつかない状態の中での交通整理は事実上不可能だ。最悪、轢き殺しながらでも作戦を遂行しなければならないこともあろう。両者を天秤に掛け、ナポレオンならそうした。非人道といえども決断なければ被害はより拡大するのだ。エニグマが解読され、チャーチルは次にどこに空襲があるかを事前に把握しながら、全体の利益を鑑みて地方都市は見捨てた。解読がドイツ側にばれないように、より損失が少ない方を選択したのである。