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言われてみれば、ぼくは今日まで発展途上国の人や家畜のことなど少しも考えずに衣服を身につけていた。労働者というものは、そもそも使い捨てにされるものと主張されても、ぼくが反論すれば嘘になる。この世界は合わせ鏡のようなものだから、ということは作用反作用の法則のように、ぼく自身も取り替え可能な人間なのだ。とるに足らない人間と、かけがえのない人間。ものごとはすべてニュートラル、つまり中立で、すべては人間のとらえ方しだいだと思う。関係の仕方によってなにもかもが変化するのだ。
牛や豚を好んで食べるぼくだけど、生まれてこのかた何百キロの肉を食べたのかなんて、気にした覚えがない。自分のために牛や豚が何頭殺されのか、はなから思案の外で、興味すらわかないのだ(その気になれば、暗算ですぐに出る。一日に百グラムの肉を食べたとして、一年で三十六キロ。唐突なぼくの質問に三枝さんがぽつりとつぶやくには、豚なら体重が百キロ弱だそうで、その半分が肉になるらしい。それに対して牛は、二十五パーセントが肉だ。体重が八百キロなら、二百キログラムが牛肉として販売されるという)。『ぼくたちを食べてね♪』と幼稚園時代の絵本に描かれていたように、牛や魚や野菜から『残さず食べてくれてありがとう』と感謝されても恨まれる筋合いはない。捕食者が餌動物に憐憫の情を感じる方がおかしいのである。それが自然の摂理である。相手に対する思いやりなどは、たまたま集団的社会生活を送るようになった人間が、その繁殖成功度を高めてくれる共同生活を維持するため、種内競争を極力減らそうと、後天的に獲得した特徴にすぎないとぼくは考えている。とはいえ将来、人間をはるかに凌駕する進化生物が出現した時に、人間が牛や豚と同じような目にあわされてもしかたがないが、人間という立ち位置にいる以上、その捕食生物は人間にとって最も忌み嫌うべき絶対悪である。第三者的立場でみればなんとも身勝手にみえるが、生物とは他者の生命を奪うことによってしか生きられないのだ。どうにもならないことだから、見て見ぬふりするのが精神衛生上ベターである。たしかに三猿「見ざる、聞かざる、言わざる」の叡智は、似たような表現が世界各地にみられる立派な処世訓で、触らぬ神に祟りはない。その通りだ。しかしそれが最善なのだろうか。週に四日は目に触れる宮藤先生の左手だが、それは氷山の一角で、ぼくなんかが想像する以上に根は深いのかもしれない。
台風は恐るべき大災害だが、台風が根絶された世界を気象庁のスーパーコンピュータでシミュレートすると、台風よりひどい天変地異が起きるという。なぜなら地球規模の大気や熱循環の歪みを均一にしようとする働きのひとつが台風であり、それを無理に消滅させると、局所的に蓄えられたエネルギーがどこにどう転ぶか分かったものではなく、そもそもそれらの発散がなければ地球は人の住めない星になる。大気のない月では日中百十度の表面温度が夜間にはマイナス百七十度にまで下がるのだ。それに日本は緯度的に台風がなければ砂漠地帯であり、列島の自然の豊かさを支えているのは、言葉はおかしいが、台風による恩恵である。事実、一九六四年の夏は炊事の水にも事欠く大渇水で、その物理的な被害は怖いものの台風が来なければ十月十日に東京でオリンピックなど、とても開催できない状況だった。
左手の書痙だって、痛み刺激のように何かしらの体の異状を知らせる警告で、それを無視すればさらに目も当てられない病気になっていたのかもしれない。その病状を軽いだなんてとても口にはできないが、とにかくこんな僻地とはいえ、宮藤先生が音楽の先生になってくれたのはありがたいと思った。本来ならピアノでお金を稼いで欲しいが、美貌を武器に主婦になって趣味で弾くよりましだ。そこには社会とのつながりがある。人との関わり合いがある。おかげでぼくは宮藤先生に出逢えることができた。勿論もったいないな、とは思う。演奏家としての職業ピアニストは無理でも先生の腕ならピアノ講師として、どこでも雇ってもらえそうな気はする。だが、今の段階では多くを望む方が無理というものだろう。つらすぎて第一線ではピアノに向き合えないのかもしれない。
もっともピアノだけが宮藤先生のすべてだとぼくは思わない。子どもっぽい性格をしているところはあるけれど、ピアノがなくても十分、いや十二分にひとりの人間として魅力的だと思う。けっしてピアノができなくてもタダの人ではない。知的で上品だし、もののとらえ方がユニークだし、なんだかんだ言ったって面倒見は良さそうだし……。それにしてもぼくは気になる。先生の左手は本当におしまいなのだろうか。ここにいることがその明白な解答であることは分かっている。それどころか、左手のための協奏曲をお願いされて「くやしい!」と泣いた、あの日あの時あの涙の意味は、先生が既に左手をあきらめてしまったまぎれもない証拠だとぼくは知っていた。でもぼくはそんなことは信じられないし、それにいつまでも知らんぷりを決め込む自信がない。それはぼくにとって決して安定した関係でないと思うからだ。先生と生徒の関係も一方的な関係では不毛である。ぼくは決心したい。宮藤先生のために何かできることをしようと。
終了を告げるチャイムの鐘の音が遠くで鳴った。宮藤先生の左手を思えば気分は沈みがちになるけれど、学生たちには今がいちばん文化祭への夢がふくらむ時期だ。それは毎日勉強に追われるぼくたちの、ささやかだが幸福なひとときである。第三グラウンドのサイト7、8しかぶらついていないが、それでも聖トマス学園がいかに文化祭に力を入れているのか、その一端がよく現れていたと思う。放課後は部活の時間である。ぼくはアップルたちに別れ告げて、黙り込んだまま思索にふける三枝先輩と生研――文化部部室棟へと向かった。