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High_C  作者: 夏草冬生
第二章 第一回パート別集合
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「おい、三枝」別のメンバーがやって来た。「村上さんのとこに配る分として、Tシャツは何枚ぐらい必要なんだ? 係員であることを示すユニフォームだけど、住吉がきいてこいって」

「青年会の人たちは三十人ちょっとだ。当日全員が学校に来てくれるかどうかは分からないが、これからお世話になるのだから少し多めに配りたいな。もらっても邪魔にはならないものだしね。ところでTシャツの値段は、一体いくらぐらいするのかな?」

「原価か? プリント用Tシャツの白無地は一千着単位で一着あたり百五十円だな。生地が丈夫で品がよさそうなのは。それがトレーナーになると三百二十円ほどだ。プリント代はカラーなら二百円程度かな」三枝さんの説明によれば、彼は衣料品卸業者の息子だという。「でもカネの心配ならいらない。親父はどちらも無償で提供すると言っているよ。売れ残りで悪いけど」

「野村、タダはいけない。売れ残りだろうと利益を出せよ。それが一番の社会貢献となるのだから」

「はあ?」野村と呼ばれる男は怪訝な顔をする。

「これはぼくが行動生態学から学んだ信念だ。生物というものは、例えば食物連鎖が途中で途切れてしまえば滅んでしまう。恒常性を保つには外界とエネルギーのやりとりが必要だからだ。生きとし生けるものが一定不変でなく絶えず変化する。そしてそのさまは一見もろそうにもみえる。しかしひとたびエネルギー収支がプラスになるその枠組みさえできあがれば、これほど強固な循環システムはない。放っておいても生物は自然にわく。いついつまでも続いていくのだ。利益は、たった二グラムのATP(=アデノシン三リン酸)がぼくたちの体中をめぐっているように、ごく少量でいい。生物の本質とは、その自転車操業にあるのだから、ね」三枝さんの説明も抽象的だが、野村さんの専攻は文化系なのだろう。その鈍い反応をみて三枝さんは別のたとえに変えた。「ボランティアは立派で尊い行為だけど、恩送りというか、ボランティアを受けた側が次々に行動を起こして巡りめぐっていかなければ、一方的で不安定な関係性のまま終わってしまう。なにも奴隷制度が廃止されたのは人道上の理由だけではない。一方的な搾取より、きちんと給料を払った方が労働生産性は高くなる。自動車王フォードがそうしたように、自社の組み立て工に車を気軽に購入できるほどの高給を払えば、労働者自身が購買意欲あふれる消費者となり、かえって会社全体の利益は大きくなるのだ。人間の思考は固定化されやすいから、損失の方が多くても、過去のしがらみや先入観、宗教、習慣にとらわれ、なかなか悪習を改めることはできない。それでもひとたび利益が莫大であると客観的に示されれば、奴隷制なんて二度と流行らなくなる。というわけで経済システムは知らないが、エコシステムはそうやって存続している。それが家業ならばなおさらだ。人のために自己犠牲を行うのは決して美しい行為ではなく、ぼく個人の考え方だが、事業化して産業にすることこそが真の美だと思うよ」

「なるほど、その通りだ。三枝の言葉はありがたいよ。でもTシャツに関して言えば、おれが好きでやっていることだし、それに倉庫代を考えるとタダでいいんだ。とくに今の時期、季節外れのトレーナーは保存するにも処分するのにも費用がかかる。うちとしたらマイナスにならないだけ助かるんだ。もっとも他の企画の奴が欲しいというのなら、きちんとお代はいただくがな」

 文化祭ではそれぞれの企画ごとに予算が出るのだが、それは現金ではなく紙の上での数字であり、必要な商品はすべて学園の購買部を通して手に入れなければならない。よってこまごまとした品々は、注文や必要理由の正当性など書類上の手間がかかるため、自腹を切ることも珍しくない。

「それにな、三枝。お金を払うという思想も結構だけどさ、現在の日本が繁栄しているように見えるのは、もしかしたら誰かの犠牲の上に成り立っているからかもしれないよ。本来は国内にいるべき貧しい人々が外国の人に移っただけという見方もあるし、それにお金を払っていることが錦の御旗になっているとはいえ、発展途上国から安く輸入することが果たしてフェアトレードなのかどうか、おれ自身は疑問だ。戦前は軍事力で、戦後は経済力で日本はアジアの国々を支配しているような気がするよ。たとえば相手国の森林破壊を引き起こしてまで手に入れる安い木材資源は、正当な対価を払っていない証拠になるのではないかと思うんだ。国内の放棄林は増えるし、三枝のいうところの、循環システムそのものをぶっ壊しているんだからね。おれの家業で言えば、インド・中国の綿花産業の悲惨な実態を見て見ぬふりをしているが、それでも知らないわけではない。しかもこれは自然界の食う食われるの関係とは似て非なるものだ。オオカミとシカのように、オオカミが少なくなればシカが増えすぎて飢え死にするようなことはなさそうだから、人間社会で少数の者が多数の富を手に入れているのは適者生存でも自然の絶妙なバランスというやつでもない。日本は貿易なしでは滅んでしまうが、何せ途上国はグローバル化する前の方が無駄なく地産地消で幸せにやっていけていたのだ。いや三枝の言うことは九十九パーセント正しくて、おれも同じ意見だ。まったく屋上屋を架すようなことを言ってすまない。ただ理想気体の運動モデルのようにとてもよい指標にはなるけれど、それはやはり想像上の産物であって理想論だから、残り一パーセントの部分で現実にはそぐわない。人と人の関係だからだろうか、おれにはよく分からないのだが、思いやりであったり、思想信念であったり、ひとつにまとまった世界宗教であったり、法律であったり、やっぱりカネだけでは何かが足りないような気がするんだ。むろん経済的視点を軽んじるな、というのはおれもいちばん訴えたいことだ。カネという存在がなければ世界は崩壊する。人間とは貨幣概念そのものなのだから当然だ。つまり、そのう、あれだ、三枝があまりに完璧だったから、逆に不安になったというわけさ。これはおれ自身への批判であり、おれ自身の課題なんだ。だからこそ経済学部を目指して日夜勉強しているわけだし……。じゃあな、三枝。住吉が呼んでいるみたいだ。村上さんとこ、Tシャツやトレーナーは余って困るものでもないのだろう? だったらそれぞれきりよく百枚単位で用意しておくよ」

「心臓にATPを直接投与すれば心停止を引き起こす。それと同じで、お金もその利点が災いして人の心を麻痺させるのだろうか」と三枝先輩のように、ところかまわず本気で悩む生徒を多々観察できるのは、聖トマス学園の美点だろう。男子校だからだろうか、議論好きな生徒は多く、天下国家を論じ大言壮語してはばからない。とはいえ勝ち負けだけが目的のいわゆる議論のための議論はしない。つまり破壊的でなく、創造的な批判しかしないのだ。相手の得意分野で話してあげるのも、途中でダウンした三枝先輩を野村氏がかばったのもそのためである。パブリックスクールの本場である英国のように学園生活の根底には絶えず諧謔の精神は流れていたが、すべての会話が今の日本の時流のようにお笑いで終わらず、往々にして真剣に考え込むのが我が校の気風なのである。

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