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High_C  作者: 夏草冬生
第二章 内面世界は非日常
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 聖トマス学園がある、本県の出身者に二宮忠八がいる。忠八は戦闘における飛行機の有用性を説き、「玉虫型飛行器」の開発援助を所属していた陸軍の上官に願い出たが、相手にされず許可は下りなかった。そのため計画自体は優れていたのに資金繰りがつかないことで頓挫した。しかし、その後すぐに飛行機の時代がやってきた。すると明治の軍人というものは偉大なもので、その上官はすでに退役していたにもかかわらず、わざわざ個人的責任感から下っ端である二宮忠八の所へ直接、謝りに行った。無論そんなことは、謝罪した本人の気が済むだけであり、何の埋め合わせにもならない。客観的、物理的な状況がその前後でなにも変わらないのなら、いくら謝罪しようと、自然科学的にみれば単なる自己満足にすぎないのである。

 すべては、ぼくの宮藤先生への反省のつもりだ。べつに二宮忠八の上官を一方的に批判するのが目的ではない。それにぼくはものごとを複眼的に、そして両極から挟み撃ちにする形でとらえようと心がけている。なぜなら、ものごとは例外なしに中立であり、すべては人間の解釈しだいなのだ。だから安易に価値判断などしたくてもできない人間にぼくはなりたいのだ。そうでなければ、ぼくの尊敬するラボアジエは死ぬ。第三身分(=市民)であったし、むしろ彼らの税の負担を軽減しようと奔走していたのだが、ラボアジエが単純に元徴税請負人だったから、「市民の敵であった者はひとり残らず断頭台へ送ってしまえ!」という使命に凝り固まった革命政権にとって、彼が大化学者であることなど、どうでもよくなってしまうのだ。

 テレビは時代を反映する鏡だそうで、人はその時々の風景や服装に目がいきがちだけど、画面は何も物質だけを映しているわけではない。それなのに、「愚かにもフォン・ブラウンはナチスドイツに協力をしたのです」と得意顔になって発言するアナウンサーばかりで、天才好きのぼくとしては「愚かなのはお前だ」と一蹴するだけだ。彼らは馬鹿なのに、いや馬鹿だからこそ天才を批評できると思っているようで、しかもその頭の悪さ故に、社会的影響力さえ持ち得ている。まさに百害あって一利なし。そんな人間に権力を握らせるから、日本は衰退の一途を辿ってばかりいるのだ。

 パスカルのパンセだったか、「無能で働き者は社会の悪である。殺せ」とあったように、人の命よりも人の枠組みの方が大事なわけで、帝国の支配者が国の体裁を傷つける人物を凄惨きわめる殺し方で公開処刑していったのも当然であり、反抗期真っ盛りのぼくはそういうつまらぬ連中をひとり残らず虐殺してやりたいほどだ。

 とにかくフォーマットがあって、アナウンサーという生き物はそれに染まっているから、二宮忠八が(日本陸軍の協力を得られず)世界初の飛行機開発者になれなかったことは悔やみ、フォン・ブラウンがロケット開発のために国(=当時はナチスドイツ)の協力を得たことは非難するのである。

 とはいえ、そのアナウンサーたちが長岡外史という名を知っていれば、すぐさまぼくは謝罪する。それどころか「飛行機という最悪の殺戮兵器を生む愚行によって二宮忠八は歴史にその名を残さずにすんだのです」と語るアナウンサーに激しく同意する。凡人の目には狂気に映るだろうし、だからこそ凡人なのだ。

 もっとも二宮忠八の上官、長岡外史はその後改心して飛行機の普及に力を尽くすわけで、そんな論理は最初から成り立たないのだけれど、その意気込みだけは買うのである。

 たしかに空爆ほど非人道的な攻撃もないだろう。そろそろ人類は戦争に飛行機を使用してはいけないルールを作ってもいい頃合いなのかもしれない。

 とにかく、ロケットに関わるかぎりフォン・ブラウンに選択の余地は残されていなかった。ナチスドイツにおけるロケットの実験・開発は原則禁止であって、唯一軍用目的においてのみ許可されていたのだ。フォン・ブラウンの過失は、アメリカでもイギリスでもなく、ひとえにドイツに生まれたことである。それは彼の責任なのだろうか、ぼくには疑問だ。日本人が(日本人として生きるかぎり)太平洋戦争時に、日本兵として戦わざるを得ないのと同じことである。だからといってアメリカ兵として戦えるはずもなく、それを咎められるのなら、日本人であることそれ自体が罪なのであろう。ガンで死ぬように宿命づけられた母と同じで、本人の力ではどうにもならないことだ。

 それなのに個人に責任が問えるのだろうか。ぼくには単なるスケープゴートのようにしか思われない。事実(ぼくが人々の反応を書物やテレビなどから学んだことによれば)、戦争それ自体ではなく、戦争に負けることが悪なのである。そしてこれこそがフォン・ブラウンが責められるべき理由なのだ。つまりナチスに協力したことではなく、敗者の側に位置したことが人として許されない汚点となったのである。そして日本のアナウンサーが同盟国だったフォン・ブラウンを非難するのならば、ぼくは叔母の親戚であるアメリカ人の意見を甘んじて受け入れなければならない。「原爆投下は非人道的だと? まさに笑止! 迷惑したのはこちらだし、そんなくだらん感想を述べる前にいくらでもすべきことがあるだろう? まったく、悲劇のヒロイン気取りか。戦争が悲惨だと思うのなら、先に加害国としての責任を果たせよ。パール・ハーバーを忘れるな。日本からはじめたくせして被害者面をするな!」という日本に対する戦勝国側の主張はさらに正しいことになるのだから。(それにしてもアメリカ人の意見は秀逸だ。叔母の親戚たちは、別に頭が変でもなく、基本的にお節介なくらいに親切で、ユーモアあふれる人たちである。そんな彼らは、日本は敗戦当時でさえ、それなりの軍事力があったから周辺諸国は強く賠償を求められなかったと言う。「何も優しくて中国は日本を許してくれたわけではない。当時は中国国内の内紛の方が大変だったんだ。それに国力もなかったし。だから賠償金代わりに援助を受け、しかしいずれ軍事的に優位に立ったら、日本に対し苛烈なまでに戦争責任を追及しはじめてくるよ。つまり、ひ弱な少年はいじめられるだけだ」

 ぼくは軍政的なことで、いまだにアングロサクソンに反論する気にはなれない。それほどまでに叔母の家で小学生のぼくはカルチャーショックを受けたわけだが(先ほどの辛辣な発言のように、アメリカ人は子供だからといって甘やかさない)、国際社会では日本人よりもアメリカ人の考え方の方が信頼できる。それどころか、現在の日本政府はアメリカに追従しているからこそ、外交でも大きな失敗をしなくてすんでいるという有様だ)

 戦争のさなかにあってでさえ、ただひたすら平和を唱え続ければよい、と人は思うのかもしれない。しかしそんなことをすれば、中立でいられるどころか、両方から敵だと見なされてしまうのが歴史の常である。だから勝ち馬に乗るべきであるが、だいたい、どれだけの人がトラップ一家のようにすべてを捨てて亡命できたというのだ? つまり戦争中には戦争賛美するアナウンサーが自分というものを持たず、環境の変化だけでその行いが百八十度変わる恥ずかしい動物だというのに、まったく自覚すらなしに、正しい人間を排除しているそのおめでたさがぼくには許せないのである。信念も何もなく、社会に害を為すだけだ。ぼくだってそういう種類の人には「鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と断言できる。何も超自然的な力を持って、予言するまでもない。本人が気づいていないだけで、透き通るぐらいに薄っぺらいのである。だからこそ「恥を知れ、悔い改めよ」と、フォン・ブラウンを馬鹿にするアナウンサーの戦時下における行動をぼくは簡単に言い当てることができるのだ。彼らで務まる会社ならば戦時中も発禁処分される恐れもなくて安泰だ。戦争反対者を非国民だといって非難弾圧し、政府以上に戦争を煽り、そして戦争ほど部数が伸びるニュースもないのだから収益を極限までに上げてくれる優秀な社員たちなのである。

 人を批判するとそれがそのまま自分に返ってくる。ぼくはどこまでも精神的に参ってしまっているようだ。人は命が危険にさらされると否応なしに攻撃的になる。そして相手の命を簡単に奪えるようになる。ぼくだって普段ならば他人の生き方にとやかく言うつもりはない。それほどまでに、宮藤先生に対する失態はぼくにとって慚愧の念に堪えないものだったのだ。死んでしまった方が世のため人のためなのである。つまりはすべてが責任逃れで、他人を攻撃すればすむというのか、なんという自己弁護だろう。いや、ぼくは無条件降伏をしているのだ。自分の存在がゴミ以下であることを悟ったのだから、これ以上は責めないで欲しいという意思表示の表れなのだと思う。ぼくこそがそれまでのペトロを卒業して、宮藤先生の天才性を知らしめる大伝道師とならなければならないと痛感しているのだ。必死になってごまかし、つらすぎて直視はできないが、恥を知り悔い改めるのは誰よりもこのぼくなのである。

 ぼくの思考はいつだって散乱する。話を元に戻すが、二宮忠八に援助がなかったことを嘆くことはない。天才とはそういうものだ。(明治期における日米の豊かさや国力の差を考えれば、エンジンひとつ手に入れるにしても相当なハンディにはなるが)ライト兄弟も他から援助は受けていない。もっともライト兄弟の方は、製品化のために飛行機という商品を開発していたため、成功した際に自分たちのもうけがその分だけ減ると考えていたようである。

 妨害されないだけ、まだましなのである。とにかくそれが天才の宿命なのだ。ライト兄弟による人類初飛行は当時まったく見向きもされず、アメリカ国内でもほとんど報道されなかった。まれに新聞がとりあげても、機械が空を飛ぶなんて科学的に不可能という各科学者のコメントが載ったぐらいである。科学的とはどういうことなのか、錦の御旗か、それとも宗教なのか、ぼくには心底疑問だ。子供向けの伝記を読めば、明るい面ばかりが強調されている。偉人に感情移入できるよう分かりやすく書き換えられたり、愚人である読者のプライドを満足させるように、その栄光ばかりが記されたりするものだが、きちんとした資料で客観的に天才たちを眺めれば、一般の人たちにはその存在は真に不可解で、迷惑で、決して許容できるような思考の持ち主ではないことが容易に推察されるのである。

 天才の社会不適応性、とはいってもせいぜい常識外れな行動、主張程度だが、それがために常識人は迫害と言っていいほどのひどい仕打ちをするもので、放っておけばいいものを皆でおぼれている犬を叩くようなまねさえするから、ぼくはどうしても人間の悲しい性というものに目がいってしまう。それでもぼくはこんな人間にはならないし、そういった凡人とは根本的に違うと信じていたのに、宮藤先生と出逢った瞬間、はっきりと自分の正体を悟ってしまったのである。まさか嫌がらせをしようとまで画策したとは……。死んでしまいたいぐらいである。ぼくに天才は見極められない。それどころか敵視して抹殺する側の人間だったのだ。

『ソクラテスが頭がいいだって? 笑わせるな。偉大な哲学者という評価は、お前たちの時代の常識に過ぎない。しかもそれはお前自身の判断ではなく、鵜呑みの受け売り、思い込みだ。お前は直接ソクラテスを知らないくせして彼は天才だと断言する。そんな奴の意見が信用できるか!

 同時代に生きる常識人の私にとっては、ソクラテスは仕事もせず屁理屈ばかりをこねる、ただの頭のおかしな老人だ。常識をないがしろにし、わけが分からないことを口走っては、青年たちをたぶらかす。死刑に値するし、事実、彼は裁判によって民主主義的に死刑判決を受けたんだ』

 あえて馬鹿っぽい言いぐさにしてみたが、悲しいけれどぼくはそう主張する側の人間なのだ。ちなみにソクラテスは、たまたまプラトン、アリストテレスがいてくれたから記録に残り、その思想が死なずにすんだ。

 しかし本当にたまたまなのだろうか? 天才はひとりではなかなか世に出にくいのではなかろうか。その時代の空気か環境のためなのか、同時期にかたまりになって生じることが多い。フランスの小説家なら一八三十年あたりを中心に、スタンダール、バルザック、デュマ、ユーゴー、ジョルジュサンド、フローベールらそうそうたるメンバーが一堂に会し、またロシアではフランスを追うようにプーシキン、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイなどが同時代に出現した。そうやって職業作家が登場した小説の黎明期が、その国における文学の黄金期となっている。世界史でメジャーなところは言うに及ばず、マイナーな所でも(単に遊女とか女奴隷という言葉が心に残っただけかもしれないが)、ビザンティン帝国最大版図を築いたユスティニアヌス皇帝には元遊女のテオドラ皇后とベリサリウス将軍、オスマン帝国最盛期のスレイマン大帝には女奴隷から皇后になったロクセラーナと大宰相イブラヒムそれに続くソコルル・メフメト、等々枚挙にいとまがない。どうやら天才同士は化学でいう疎水結合のように、積極的にでなくてもお互いを引きつけるらしい。偶然天才たちがその時代にいたのではなくて、昼間の星々のようにいつもあちこちに存在しているのだが、ぼくのような愚人の目には見ることができず、排斥や無理解いう暗黒な空間で押しつぶしてしまうのである。しかしその圧力を脱して天才たちが集まれば歴史が変わるのだ。

 もちろん、それはいいことばかりではない。アドルフ・ヒトラーは真に迷惑だ。でも彼が悪魔であるにしろ天才なのはまちがいない。

 フォン・ブラウンは、ロケットが夢物語の時代に、先見の明があったヒトラーに引き抜かれたのだが、途中、人工衛星や月ロケットを開発する話をやめなかったためにナチスの秘密警察ゲシュタポに逮捕されたことがある。それらは攻撃兵器とは何の関係もない(ように彼らには思えた)からだ。ヒトラーでさえゲシュタポに彼を釈放するよう説得するのには苦労したそうだ。ライト兄弟に冷淡だった当時のアメリカ人をみれば、ゲシュタポの反応が正しく、ヒトラーのその差は歴然である。何度も耳にしたから、そして逆の意見は一度も聞いたことがないから、ぼくはいくらでも繰り返さなければならないのだが、その裏では気象衛星や衛星放送などロケット技術の恩恵を受けているのに、「愚かなフォン・ブラウンはナチスに手を貸したのです」と偉そうなテレビキャスターの存在が信じられないのである。その愚かなテレビキャスターは、キリスト教国に生まれれば「キリスト教、万歳」と言うし、イスラム世界に生まれれば「イスラム教、万歳」と言うし、戦争の時代に生まれれば平和主義者たちを排除する。あまりにも知能が低くすぎて、それが為に社会的に成功を収め、それが幸福なことに都合よく作用して、自らを正義と信じ、疑うことを知らないのだ。絶対的な基準や確固たる自我を持つことができず、だからこそそれぞれの環境で臨機応変に適応できる。『舟に刻みて剣を求む』と言えば、この場合の言葉の使い方としては間違っているが、言葉の表面ではなくて、その奥底を流れる思想に気づける人には分かってもらえると思うが、そのような判断基準なのである。もちろん本人はいたって本気であり、生まれながらにしてキリスト教徒(または平和主義者)だと主張する。それを言葉通りに信じれば、キリスト教を生み出したイエス・キリストでさえ生まれた時にはキリスト教信者ではないのだから、彼は釈迦や孔子やムハンマドなどを遥かに超えた、神のような人物になってしまう(日本人は皆、平和主義者らしい。だが、戦争の方がマシなくらいに弱い立場の者をいたぶる日本社会の現実をみれば一目瞭然だろう。見えない者には見えないが、だからこそ彼らは優秀な戦士であり、まさにこの世は戦場だ。せっかくだからテレビの例で言うと、人気のある大物芸能人とは暴行事件を辞さないぐらいの人物なのだし、アナウンサーの世界もイジメがひどいらしいが、事実、過去に暴力沙汰を起こしたアナウンサーが真顔で「平和を愛する私たち」と言って人の上に立てる平和な国なのである。みんなが求めるから、悲惨なニュースは引っ張りだこだ。そして年間の殺人事件数などかわいらしいぐらいに、人々が娯楽として求める殺人が、テレビドラマの中で、連続殺人でないとつまらないぐらいに、規模も回数も上回っている。真の戦争恐怖症患者ならば正視できないバトルシーンが絶えず登場して、視聴者の目を惹きつけるのである)。

 恐怖心からぼくは強がっているのかもしれない。だって本当に怖いのだ。「独裁者様のおかげで私たちは毎日を幸せに過ごせています」とか、その状況になれば日本の全国民が一斉に言い出しそうではないか。彼らには歴史性がない。歴史を超えて吹く風など見えるはずもない。そうではない人も五百人にひとりぐらいはいるかもしれないが、実に日本人の九十九・八パーセントがそうなのだ。その時々の環境によって、犬や猫のようにコロコロと態度を変えて、恥もしなければ、自分もない。利益の為だけに動いて、何をするのか信頼のおけない人たちなのだ。

 なんとぼくは狭量で攻撃的なことか。まったく平和と寛容を説いたエラスムスとは、真逆のぼくではないかと思う。ええっとエラスムスはあれでも(=愚神礼讃とかのことだ)終生カトリック教会に対しては忠実で、そしてぼくが宗教関連の人物をついつい頭に浮かべてしまうのは、聖トマスの生徒だからである。案の定ぼくはルターよりもエラスムスの方を尊敬しているし、ゲームや映画などでエンターテインメントになっているから「戦争は体験しない者にこそ快し」という彼の格言は真実だと思っているし、人の叡智によって平和を望んだ彼のような天才でも(だからこそ両陣営から敵視され、住むところを追われて孤独死するだけで)宗教戦争は止められなかったわけで、凡人による「戦争反対」という呪文だけでは効果がなかろうというものだし、まあ大半の日本人はエラスムスなど知らないのかもしれないけれど(彼を知らない平和主義者など嘘っぱちだろうし、平和主義やその思想を何ひとつ知らないのだろうし、そもそも必修である世界史を履修していない証拠だ)、ぼくは結構キリスト教を信用してしまっているところがあって、教育という名の洗脳はげに怖いものなのだ。ともあれ、これほどまでに疑い深く警戒心の強いぼくなのである。なのに、エラスムスどころかバイオリンの音すら知らないように思えた宮藤先生にしてやられたのだ。

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