あらすじ
だらだらと高校生の内面を綴った文章です。
だいたいこんな感じの小説です。
プロピアニストの母を持つレモンは生まれながらにして、その母が驚愕するほど、ピアノに関し天性の資質があった。
「将来必ず世界的な名ピアニストになれるわ。うまくいけば歴史に名を残せるほどに」
しかし、そうやって褒めてくれた母は、アップルが小学四年生の時にガンで急逝することになる。
レモンは、それ以後ピアノを捨ててしまう。
もともと学業にも秀でていたレモンは、中高一貫校の男子校、聖トマス学園に入学する。そこで寮生活をはじめたレモンだが、たまたま母の旧友が近くでピアノ教室を開いていることから、再びピアノには触れる日々を送ることになった。しかし、そのピアノの音は、母の死のショックのために封印され、幼い頃の輝きを取り戻すことはなかった。
聖トマス学園では、その母の旧友の子、アップルもいて、しかも彼は音楽の天才だった。また他にも音楽の才能をもつ生徒がいて、レモンは彼らとバンドHigh_Cを結成し、文化祭を目指すことになる。
ここから物語は始まる。
高校一年生の五月、文化祭出場が決まったHigh_Cは、顧問になってもらうよう、今春新しく赴任してきた音楽の先生にお願いする。
それがレモンやアップルの一生を左右する、天才ピアニスト宮藤紗和々との出会いだった。
宮藤紗和々(さなぎ)は挫折の人であった。チャイコフスキー国際コンクールにおいてピアノ部門第一位になっていたが、ショパンコンクールに失敗し、左手に精神的な障害を抱えていた。
レモンは、ピアニスト生命を奪われたと思い込む宮藤を、やり直させたいと考えるようになる。死んだ母と比べたら左手一本なんてたいしたことはないのだから。
自暴自棄に陥っていた宮藤だが、レモンたちHigh_Cとの交流において、少しずつピアノに心を開いていくようになった。そして天才アップルのピアノの指導をしてみたいと思うほどにまで回復する。そして実際アップルに、一年間本気でピアノを学ぶことを進める。
宮藤が少しレッスンをしただけで、アップルは化けた。才能に限界のない男だったのだ。一歩一歩階段を上ったり、壁にぶつかったりするタイプではなく、坂道を転がり落ちるように上達していく……。
一方、レモンは宮藤の左手書痙が、肉体的損傷はなく、単に精神的なものだけであることを見抜いていた。それはレモンがピアノの天才であったからピアノを通して気づいたのだが、もちろん彼には自覚はない。
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先生はこの世にピアノだけしか存在しない没頭の世界では左手が健全に動いていた。
そう。左手を気にかける余裕がない時である。左手という存在を忘れるほどの時。無我夢中の時。
しかし大舞台ではそういう状況にはなりにくい。先生が天才すぎて余裕がありすぎるのが悪いのだ。
ピアノを通じて魂をぶつかり合わせれば、それぐらいのことは分かる。
先生は自分で自分をそうしてしまっている。わざわざエネルギーを使って左手の制御ができないように仕向けているのである。極限状態まで追い込み続ければ、左手を意識する暇さえなくなり、先生は自分では弱いと思っている地をさらけだすはずなのだ。
その通り。弱さこそが人間の本当の強さなのだ。強がるだけで、そのことを先生は何も知らないのである。
ピアノの音がそうであるように、死を忘れた人間よりも死にゆく存在の方が強いということを。
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宮藤からはへたくそ呼ばわりされていたレモンだが、宮藤の復帰を本気で願ううちに、彼自身のかたく封印された心が徐々に解けていく。
「ぼくは先生の左手です。左手ですよ」
レモンが無意識の内に出した言葉だが、彼こそが宮藤の左手を具現化したような人物そのままだったのである。
母の面影を追い求め、母を超えた宮藤の復活を心から望むレモン。
彼はその才能を開花させる。
夏休みに、宮藤の旧友で既に世界的名声を博していた鳥島美羽がやってきた。彼女もまた宮藤を心の底から心配しているのであった。
フルート奏者としてレモンも知っていたが、鳥島は小学校途中までピアノを習っていたのだ。しかもレモンの母の教え子だった。家業の破産でフルートに転向してはいたが、鳥島は彼女の一番弟子を自称する。
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鈴木文恵のバラード第四番は傑作よ。私にこれがピアノ、これこそが音楽だと教えてくれた大切な曲なの。音に一切の濁りがなく、ただただ美しいとしかいいようのない演奏はまさに圧巻。ええっと(これを演奏したのは)二十歳だったわね、もう二歳も年上だけど、今の私に、これほどまでに迫真のフルートが吹けるかしら。自信ないわね。
美羽さんは母を過大評価しているが、母の演奏のさらにその奥に広がる世界をみつめられるのである。美羽さんの方が、母の物理的な演奏そのものは、あたりまえだけど凌駕している。
みかけは、控えめで上品そうな女性なのに、内に秘めた熱情はすさまじいものだったわ。
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レモンは母のピアノが決して消え去ったわけではなく、楽器は違えど、受け継がれていることを知る。
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先生は感情面で折り合いがつかなくなると、左足で、どしん、どしんと床を踏みならす。何度も見たはずのしぐさだけど、このときやっとそれが先生の癖なのだと気がついた。
「何なの。まったくもう何なのよ、この学校は。田舎のお坊ちゃん学校のくせして、わけがわからない。悩んだり全然練習しなくても水を吸うスポンジのように天真爛漫に進化する人もいるし、すごい天才なくせしてへたくそのふりしている人もいるし」
…………
「進学校になぜこんなにもピアノが弾ける生徒がいるの、まったく! こうなったら全校調査でもして、ひとりひとり私の前でピアノを弾かせてみせたいぐらいよ。有り得ないでしょう。これでは私がピアノから逃げ出してきた意味がないじゃない!」
私が卒業したのは日本一の音大だったけれど、その四年間に私のまわりにこれほどの気概を持ったピアニストはひとりとして現れなかった。院生をいれてもよ。いたとしても他楽器の美羽だけ。なのにここでは一学年に二人もいる。絶対にふざけている!
母校から私は、講師でいいから残れと、後輩たちを教えてくれと何度も頼まれていたの。でもそんなの耐えられないじゃない。自分は弾けないというのに。つらいだけだわ。
そして言い訳するようにして言った。
父のコネで来ただけなのよ。何にもしていない空白の時期があるのは良くないからって。とりあえず働いているだけ。私は働いているふりをしているだけなの。私にはピアノしかなかったら、つぶしがきかない。音楽の先生ならまあいいか、と来てはみたものの、教員免許でさえ持ってはいないし。
お茶くみやコピーでもいいのだけれど、父の系列会社や、取引先の人たちはみんな私のピアノのことを知っているし。ここだって校長先生にお願いして、コンクールで優勝した経歴をふせてもらっているのよ。
べつにどんな職業でも私は構わなかったのに、ピアノをやめるなとうるさい人たちも大勢いて、その落としどころが音楽の先生だったの。
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「先生だってわざと左手が動かないふりをしているじゃないですか。その方が楽だから……。左手のせいにすれば何も悩まなくてすむから。考えなくてすむから。でも逃げた方がつらいことだってあるのです。そして事実、先生は苦しんでいるじゃないですか。死んでしまいたいぐらいに」
…………
しかし先生はひるみもしなかった。そのままカウンター、迎え撃ちしてきたのである。
「あなただってピアノから逃げるばかりで正面から向かい合ってこなかったじゃない!」
ぼくはハッ、とした。凍り付いた。それまでの減らず口が一瞬で止まった。ピアノの前ではすべてのものが白日の下に曝されてしまう。
ぼくはあまりの恐怖に、首を後ろにひねらせて先生の目をみつめた。
ピアノから逃げていた……。先生の言うとおりだ。ピアノの前にただ座って、練習しているふりをしていただけだ。ぼくは今まで妹みたいに真正面からぶつかってはいない。妹も三十代でおそらく、死ぬであろう。半分はやく死ぬだけ。安穏と生きるぼくの方がよっぼど最悪なのだ。そして宮藤先生だが、その素敵なピアノを聴くと、永遠よりも長い一秒というものがこの世に存在していることを、体全体で教えてくれるのである。
誠心誠意、ぼくは説明しようとした。それは人間としての義務である。
「勝てない相手には逃げなければ、どうしようもないです。逃げることは、それ自体は悪くない。でも先生みたいに勝てる相手に逃げてはいけないのです。それだけじゃない。逃げることで余計につらくなるぐらいなら。だったら戦わなければ……。案外、素志を貫く覚悟というものは、思うほど楽ではなく、だけど、だけどです。思うほど困難でもないのかもしれません」
ぼくには言い訳しかできなかった。
天才を相手にすると消耗しますね。ぼくは先生のようにピアノで生きていくと決めた人間ではないのです。ぼくはそのように、選ばれた人間でも強い人間でもありません。(母の死に関して)何にもできないただの非力な子供なんです。本当に見ているだけで、ぼくは何にもできなかった……
口調はしっかりと戻ってはいたが、先生の不意打ち攻撃はぼくにとってトドメだった。とてもつらくて耐えられなくなって、顔を合わせないように床の上でそのまま反対側に横になって寝転んでいた。エビのように体をまげて。ただ沈黙ばかりが続く。ピアノの足が目に入った。
「ピアノって重いですよね。一体何キロあるんだったっけ。フルコンなんて五百キロはありそうですね。そんな重いもの、ひとりで抱えるなんてむりですよ」
ぼくはなんだか泣きそうになった。
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レモンは七年の時をこえてようやく母の死を乗り越えることができ、精神的に大きく成長することになった。
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「自分のことは棚に上げて、よくもまあ。そこまで文句を言うのなら、あなたが弾いてみなさいよ!」
ぼくはきっと笑みがこぼれたはずだ。よくここまで我慢できたものだ。見かけによらず意外と辛抱強いんだ。先生の猛烈な抗議に対しそう思っていたぐらいである。いや中途半端な精神力だから、左手に障碍が出たのかもしれない。もっと根性なしだったり、または反対に鉄壁の意志があれば、左手はどうということなかったのだろう。
「初見で申し訳ありません。母が亡くなる前に何度かみてもらった覚えはあるのですが……」
ゆっくりめに、十五分をかけて弾きあげた。
しようと思えば、ノーミスで弾くこともできただろう。この修羅場を楽しむ余裕もないのなら生きている値打ちもない。無難な、ただただ失敗だけをおそれる演奏に何の意味があるというのか。演奏とは生き様である。自分の実力以上のものを弾こうとするなら、いや弾こうとする意志こそが重要なのだ。
人生に練習なんてない。人生とはいつだって本番であり、そして人間は本番にこそ強い動物なのだ。だからこそ生き延びることができた。森を追い出された猿。動物の中でも肉体的に弱小な、樹上生活、いきなり隠れるところのない平原へと。
死の覚悟なぞ、とっくに通り越した覚悟というべきだろう。
ぼくにとって今は世界的なコンクール会場以上に大舞台だ。ピアノしかできない人間が、その一曲でピアニストとして食べていけるかどうかの試験は、甘いものではない。一生が決定する。しかし今のぼくはきっとそれ以上の心持ちだったのだ。なぜなら、ぼくの将来のすべてがかかっているぐらいなら、たとえ失敗したって、ぼくが困るだけだ。笑って済ませられるのだけれど、審査員長は宮藤先生で、下手な演奏をするわけにはいかず、並大抵のプレッシャーではない。ぼくが詫びて、たとえば切腹して死ねばすむ程度なら楽なのだけれど。
ピアノでミスすればミスするほど、それがコンサートとか大事な場所であればあるほど、傲然と肩をそびやかし、迫力を持って謳いあげる。まるでミスすることこそが人間の最も尊い行為なのだとでもいうように。ぼくはふてぶてしいまでにそう弾いた。普通の人が気づきもしない左手の震えに演奏を止めてはいけない。ぼくは死にものぐるいで練習、いや、精神的な修養、艱難辛苦こそが人間を磨き、ついにはそれこそが人間なのだ。死んで苦しんで、四苦八苦、つまり生老病死に愛別離、怨憎会、求不得五陰盛、だがそれがどうかしたというのだ。
言葉では宮藤先生には通じない。たとえ通じたとしてもまやかしだ。嘘になる。でも、音楽、それがピアノだったら真実になる。ぼくだって命がけなのだ。先生と比べたら羽のように軽いピアノへの想いだけれど、こちらだって全人格、全生涯を捧げているのだ。
ぼくの理想の音。一生弾けなかったら、弾けなくてもかまわない。最悪だって死ぬだけだ。死んだら死んだまで。人間、死ぬときは死ぬものだ。今を精一杯生きればそれで十分。だけど、先生のはまだ精一杯ではない。
ミスがあるから、生演奏、本番なのだと、宮藤先生をぼくの迫力で飲み込んでしまわなければいけないのだ。失敗を恐れるどころか、全力を出し切ったその彼方で、人智を越えた極限で、奇跡は起こる。人ができる範囲内ならば人為的で、それはだれにでもできる日常なのだ。予期せぬ失敗こそがピアノ演奏そのものなのだ。死にとらわれた母の演奏のその気迫、ピアノという真の楽器のすさまじさをぼくはこの身を持って知っているのだ! この体で、この肌で覚えているのだから、ひるんだりするわけないじゃないか!
失敗などは恐れない。ぼくは魂を削ってなんとか宮藤先生のその迫力に負けないよう、せめてそのスケールだけは巨大なものにする。大胆にダイナミックに。ミスタッチすればするほど、ぼくはすべてをピアノにぶつけていく。骨が砕け筋肉がミンチになろうが、ぼくのこの精神はピアノごときに負けるはずがないのだ!
ふらふらで椅子から立ち上がろうとして果たせず、がくんと膝から倒れるようにして、椅子のそば、ひんやりとするリノリウムへじかに腰を下ろした。
苦しくて、苦しくて、息もできない。呼吸なんてしようとも思わない。非力なぼくだけれど……。まがりなりにもやりとげたという満足感で幸せだった。人はこんなにも戦えるのだ。
※※※※※※※※※※
そして文化の日におこなわれた文化祭の後、宮藤はアメリカへと旅立つことになる。
もはや宮藤にとって書痙の障害はどうでもよい。自分の音楽に対する心構えこそが重要なのだ。蛹から羽化した宮藤の左手はいつか完治することになるだろう。
物語は 物語は幕を閉じる。