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第一話 3.旅芸人(3)

 翌日。沙樹は教会で留守番をしていた。今日はラングが子供達と一緒に青空市に出かけている。今日も沙樹に「行って来ていいですよ」と言ってくれたけれど、読みたい本があるからと断った。子供達も皆出かけているので、沙樹は静かに一人教会に備え付けられた一番前のベンチに座り分厚い本を開いていた。

 四十年前に建てられたこの教会は何度も修繕工事を重ねて街の人達から大事に使用されている。小さな教壇とその後ろに並べられたベンチ。一度に座れるのは三十人程だろう。普段子供達と共に勉強している場所もここだ。電気がないこの世界では基本昼間は太陽の光を利用する。その為どの建物にも明り取りの窓があり、教会には壁の高い位置に十五の窓がある。そこから差す光は温かく、電灯が無くても十分明るかった。


 沙樹が今開いているのはラングが授業で使用していた地理の本だ。当然目的はピノーシャ・ノイエについて調べること。けれど自国であるアンバに比べればやはりそれ程詳しくは載っていなかった。

 ピノーシャ・ノイエに属する島々は全てまとめて一つの国として認められていること。大陸の多くの国のように王政ではなく、各島を治めている領主が政治を行う自治制であること。国の代表者は各島の領主、十二人全員であること。


(十二人の王様なんてややこしそう・・。)


 そんなことを呟きながらページを捲っていくと、今度は産業について書かれている。主には漁業・農業。金属細工の加工に優れた技術を持っているようだ。他にも占いが盛ん、と書いてある。


(占いがちゃんとした産業として認められてるってすごいわね。)


 元々沙樹はそれほど占いを信じない。テレビでやっている星占いを見て、その場で一喜一憂するぐらいで、結果などすぐに忘れてしまう方だ。それともこの世界でいう占いはもっと確実で実用性のあるものなのだろうか。だが次のページを捲った瞬間、沙樹の動きが止まった。


(嘘・・・・)


 ピノーシャ・ノイエで実績を上げた歴代の主な領主の名前がずらりと並んでいる。この世界の文字はそれ程難しくない。ハングル文字のように、文字の形自体が読み方と意味の両方を表しているからだ。見た目はアラビア語のようだが、それよりも簡単で書きやすい形になっている。それを指でゆっくりと辿りながら、何度も何度も沙樹は一人の名前を繰り返し頭の中で読み上げた。

 ピノーシャ・ノイエの島の一つ、マライヌ島。百二十年近くも前の領主は区画整理と治水工事を行い、効率の良い農作業の推進と街の治安回復に大いに貢献した。第三十五代目領主。


(シンイチ=ソマ=マライヌ。シンイチ・・・。)


 どう考えても日本人の名前だ。百二十年も前なら亡くなっているだろうが、領主を務めたのなら当然跡継ぎとなる子供がいるだろう。彼の話を詳しく聞くことが出来るかもしれない。


(私の他にも・・、同じ境遇の人がいるのかも。)


 再び心臓がドキドキと暴れだす。あくまで可能性の話だ。けれど彼が本当に日本人で、沙樹と同じように『この世界』に迷い込んでしまったのなら、彼の送った人生は沙樹の未来でもある。彼はそのまま『こちら』で亡くなったのか、それとも『あちら』に帰ったのか。沙樹は確かめずにはいられなくなっていた。

 ずっと探していたヒントが、ピノーシャ・ノイエにある。


(行かなくちゃ。マライヌ島へ。)


 沙樹はぎゅっとその本を握り締めた。一つ深呼吸すると、本を閉じ自室へと向かった。





 * * *


 明り取りの窓から降り注ぎ、たった一人教会に佇んでいる沙樹を照らすのは白い月光。この星の二つの衛星、青い月と白い月はそれぞれ公転の周期が違う。一ヶ月で一周する大きな青い月に対して、小さな白い月は一日で一周する。まるでこの星を中心にした時計の針のようだ。その為、毎日目にする白い月に対して、青い月は一ヶ月に半分はその姿を星の裏側に隠してしまう。今日は青い月が通り過ぎた後の空、白い月だけの夜だった。

 誰もが寝静まった深夜。沙樹は時折、こうして部屋を抜け出し教会に来る。それはこの世界の人々の前では歌えない、故郷の言葉で歌を歌う時。沙樹は時折衝動的に日本語で、時々英語で、どうしても歌いたくなる時がある。段々とこの世界に馴染んでいる自分が怖いからなのか、それとも元の世界を思うが故の寂しさからなのか。

 今宵も誰も聴く者のいない教会で、沙樹はそっと唇を開いた。



“Amazing Grace How sweet the sound

 That saved a wretch like me

 I once was lost, but now am found

 Was blind, but now I see.


 'Twas grace that taught my heart to fear,

 And Grace my fears relieved;

 How precious did that grace appear,

 The hour I first believed・・・・”



 静かな教会の空気に沙樹の声が溶けていく。次に続く歌詞が思い出せず、詰まった所で突然拍手の音が鳴り響いた。


「・・・ビビさん。」


 孤児院となっている建物へ続く奥の木戸。そこから顔を出したのは旅芸人の一人、ダンサーのビビだった。彼女はにっこりと笑いながら拍手していた手を止めて教会の中心に立つ沙樹の方へ歩いてくる。


(聴かれた・・・)


 沙樹の背に冷や汗が流れる。明らかにこの世界とは違う言語。もしもそれについて訊かれたら、何と答えればいいのだろう。焦りと不安で混乱した沙樹の頭では、上手い言い訳など思い浮かばない。

 けれど沙樹のそんな様子など気にも留めず、ビビは立ったまま並んでいるベンチの背もたれに寄りかかる。


「上手いもんだね。アンタ、もしかしてフィッツィアなのかい?」

「え?」


 歌詞のことには触れず、ただ歌唱力を褒められ沙樹は呆気に取られた。とっさに言葉が出ずに、楽しそうに笑っているビビの顔を見つめてしまう。


「なんだい。人の顔ジロジロ見てさ。アタシの話聞いてんのかい?」

「あ、ごめんなさい。えっと・・、フィッツィアって何ですか?」


 『フィッツィア』は初めて聞く単語だ。黙っていたのをそれが分からなかったせいにして誤魔化すと、ビビも納得した様子で頷いた。


フィアは分かるかい?」

「はい。知ってます。」

「『フィッツィア』はフィアを唄うことを生業としている人のことさ。」


 つまり歌手のことだ。趣味ではなく、お金を貰うプロのことを言っているのだろう。それを理解すると沙樹は慌てて首を横に振った。


「まさか!違います。私はただ、その・・、唄うのが好きなだけなので・・・。」


 まさしくプロのダンサーである彼女に自分の歌を聴かれたのかと思うと今更ながらに恥ずかしくなってくる。段々と声が小さくなる沙樹を見て、ビビは可笑しそうに笑った。


「なに言ってんだい!あんたの歌は中々いいよ。」

「あ、ありがとうございます・・。」

「ねぇ、良かったらアタシらと一緒に来ないかい?」

「え・・・?」


 昨夜のエドと同じ言葉を掛けられ、沙樹は目を丸くした。エドといい彼女といい、一体どうしてこれ程簡単に会ったばかりの沙樹を誘うことができるのだろう。


「あの、もしかしてエドから何か聴いたんですか?」

「エド?」


 沙樹の予想は外れていたようで、ビビは器用に片眉を上げて怪訝そうな顔をする。だがすぐ何かに思い当たったようで、にやりと笑った。


「ほー。成る程、エドがねぇ。」


 彼女のニヤニヤした笑顔に嫌な予感がする。沙樹が声を掛けようとするが、すぐに遮られてしまった。


「あの・・・」

「いやいや。みなまで言わなくてもいいさ。で、結局どうするんだい?一緒に来るのかい?」


 ビビの顔から笑みが消え、真剣な表情で沙樹の目を見つめてくる。沙樹は一瞬息を飲んだ。けれど、あの本で元の世界へ帰る為のヒントを得た時から覚悟は決めている。

 沙樹はまだエドに返事をしていないのに先に彼女へ返事をして良いものかと迷ったが、最後には首を縦に振ったのだった。

 

 

※アメイジング・グレイスの歌詞はすでに著作権が切れている為、作中ではそのまま使用しています。英語の歌詞は切れていても、和訳の歌詞の著作権はまだ有効です。また使用する為の注意点等、ご興味のある方は各自詳細をお調べ下さい。

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