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第六話 2.当主(1)

 いつもと違うと思ったのは、朝食を運んできたのが見慣れぬメイドだったから。てっきり今日もエマが来るものだと思っていた沙樹は栗色の髪をした若いメイドに声を掛けた。


「おはようございます。今日はエマさんじゃないんですね。」

「おはようございます。彼女はただ今外出しておりますので。」

「外出?」

「えぇ。お客様を出迎えに。」


 彼女はニコリともせずにそれだけ言うと部屋を後にした。詳しく聞いた所で客人のことなど沙樹には分からないが、彼女の態度に最近はずっとエマやランバードが傍にいてくれたお陰で忘れていた自分の立場を思い出させられた気がした。


(今日も私はこの部屋で軟禁状態、か。)


 窓から外を覗けば外には雪が積もっている。昨日から降り続けている雪は周囲の風景をすっかり真っ白に染めていた。


(綺麗・・・)


 外に行って雪に触りたいけれど、付いてくるメイドがエマでなくては余計な気を使ってしまうだけだろう。何気なく窓辺に置かれた細身の花瓶に目を向ける。そこにはランバードが彼女に送ったオビランの花が控えめに活けられている。


(二人が上手くいけばいいのにな。)


 けれどエマは王家に仕えるメイド、ランバードはこの国の第三王子。沙樹が今まで見てきた恋愛とは違って、きっと互いの気持ちだけでは上手くいかないのだろう。エマがランバードを拒んでいるのにはそういった背景がある気がした。沙樹の知っているエマは真面目で忠実だ。だからこそ、自分が忠義を尽くすべき王家の子息に懸想することなど許さない気がする。


(何でだろう・・。)


 エマはメイド、つまり侍女。騎士ではない。それなのに彼女は忠誠を誓った主が居ると言った。その相手はきっと王家なのだろうが、侍女でも雇い主に対して忠誠を捧げるものなのだろうか。この国の事情には明るくないので分からないが、この屋敷にいる他のメイド達とエマは何かが違う気がする。

 そんなことを考えながら外を眺めていると、正門から一台の馬車が入ってくるのが見えた。沙樹がこの屋敷に来た時に乗っていたのとは違い地味なものだったが、四頭引きの立派な馬車だ。きっと先程のメイドが言っていた客人が乗っているのだろう。ならばエマも同伴しているのだろうか。

 興味本位で見ていると、真っ黒な厚手のコートに身を包んだ男性が馬車から降りてきた。同じく黒の鍔付き帽から覗くのは金色の髪。遠目で分かるのはそれくらいだが、彼の後から同じく黒のコートを羽織った少女が出てきた。顔は判別できないがきっとエマだ。二人は足早に屋敷へと入っていく。

 彼女は今日一日あのお客さんに付いているのだろうか。それならきっとランバードもこの部屋には来ない。今日は退屈な日になりそうだ。

 沙樹はベッドに座ってノートを手に取った。そこにはこれまでの旅の中で唄ってきた曲が記されている。そしてヴァンへ贈る歌が綴られていた。彼と初めて出会った時に唄い、そして別れる時に唄うことになるであろう曲。彼に要らないと言われた歌。沙樹は扉の外にいる騎士に聞こえないよう、そっと口ずさむ。



“高い空を見て溜息つく あなたの目は遠く遠く

 掴めぬ雲を見ているの 届かぬ星を見ているの

 果てない海を恐れてる あなたの目は遠く遠く

 大きな波に怯えるの 深い底に怯えるの”



 何故彼がこの歌にこだわるのか、この屋敷に来てやっと分かった。彼は無力な自分を恥じているのだ。責めているのだ。だからこそ、この歌詞が胸に残るのだろう。



“足元に小さな花 気付かず歩く街の人々

 そんな悲しい顔をして 自分のようだと言わないで”



 自分ことを嫌わないで欲しい。厭わないで欲しい。自分はヴァンに沢山助けられてきた。孤独に進むしかない道を共に歩いてくれた事がどれだけ自分にとって救いだったか、分かって欲しかった。


――あなたが好き たった一人だけのあなたが


 続きを唄おうとして、沙樹は息を飲んだ。


(唄えない・・・)


 知っている。ヴァンが自分に向けている感情は一体なんなのか。沙樹は同情だとランバードに言ったけれど、ヴァンはそうではないこと。唇を重ねたあの意味を、本当は理解している。


(ヴァンは、私を異性として見てる。)


 けれど沙樹にその選択肢は無い。ここは、この世界は自分がいるべき場所じゃない。帰りたいと願っているのはヴァンの隣ではない。ずっとずっと遠い、言葉も文化も何もかもが違う世界へ自分は帰りたいのだ。そこに自分の大切なものがある。そこにしか自分の大切なものは無い。


(いつから・・・・)


 一体いつからヴァンは自分をそんな風に見ていたのだろう。沙樹を誘拐した男達から助けてくれた時?コヴェルの街で顔を真っ赤にして手を引いてくれた時?国境でぶっきらぼうに自分の同伴を許してくれた時?それとも、この歌を唄った時?


(まさか、ね。)


 それを聞く資格は自分には無い。ヴァンよりも故郷への帰還を望んでいる自分には。






「ご無沙汰しております、殿下。」

「あぁ。今年の春に会って以来か。」


 ブレードは外交的な笑みを浮かべて客人を応接室に招きいれた。相手はどこから見ても五十を過ぎた人の良い紳士だが、裏の顔を知っているブレードにとっては侮りがたく、かつ頼りになる絶対的な味方でもある。彼のコートを預かり傍に控えていたエマに気付き、ブレードは下がるように命じた。


「失礼致します。」


 この屋敷のメイドでもあり忠実な部下でもある彼女は静かに一礼して部屋を出る。


「あれは殿下のお力になっておりますかな?」


 一見細身だが、スーツの下には鍛えられたしなやかな筋肉が隠れている事だろう。目の前の紳士、カルコス=イディアを前にブレードは頷いて見せた。


「あぁ。良くやってくれている。せっかく年頃の女性なんだ。もう少し笑顔があってもいいとは思うけどね。」

「あれは中々頑固な娘でね。申し訳ない。」

「いや、十分だよ。さて、今日はわざわざご当主が何用かな。」


 そう。穏やかな物腰の中年紳士はアムベガルドを束ねるイディア家の当主。表向きは田舎貴族だが、その実この国を支える影達を育て管理する、ブレードでも中々お目にかかれない人物だ。その彼から直接この屋敷に伺いたいとの連絡をエマを介して受け取った時には何か大きな事件でもあったのかと思ったが、どうやら少し違うらしい。そもそも国王ではなくブレードに用があるとは珍しい事だった。

 彼は出された香り豊かなお茶を一口飲むと、エマに良く似た鮮やかな青い瞳を向けた。


「ここに滞在している歌姫について、ご報告がありまして。」

「・・当主自ら、か?」


 ブレードはその言葉に驚くと共にいぶかしんだ。確かに彼女の素性を調べるようアムベガルドに命じたのは自分だ。だが、娘一人調べるのに当主自ら出てくるような事ではない。それとも彼女の情報にはそれ程の重要性があるというのだろうか。いくらブレードが探るような目を向けても、闇で暗躍するプロのカルコスからその真意は読み取れない。


「アンバに知人が居ましてね。あなたもご存知でしょう?ラングディル=ホーランドですよ。」

「・・・・クロイツェンの英雄か。」


 その呟きを首肯するようにカルコスは微笑んだ。

 今でこそ商業主義の大国となったアンバだが、現在の形に統一されるまでは内紛の絶えない国だった。当時は軍とクーデターを起す国民との間で多くの血が流れたのだ。その争いに終止符を打つきっかけとなったのが、クロイツェンという大きな街で起こった紛争だった。その街の出身でもあった軍の大尉、ラングディル=ホーランドは火種が大きくなる前に上手く敵を囲い込み、一人の死者も出さずに争いを収めたのだ。その後は多くの国民が軍を、ひいては王室を支持して内紛は収まっていった。


「随分と顔の広い事だな。だが、一体あの娘となんの関係がある。」


 鋭い視線を向ける第一王子にイディア家当主は穏やかに笑った。そして語られた言葉にブレードが瞠目する。その十数分後、深い深い溜息をついて後ろに控えていた執事を呼んだ。


「ロード。」

「はい。」

「あの娘を呼べ。」

「畏まりました。」


 応接室を出て行くロードの後姿を見送る。この事実を知っても、いや、知ったなら尚更弟は自分を責めるだろう。不機嫌な顔をするヴァンを想像して、ブレードは一人苦笑した。

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