表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/39

第六話 1.恋情(1)

 決して掴むことのできない乾いた冬の風は

 後ろを振り向かないあなたの心に似ている





 * * *


「可愛いですね。」


 夜会の次の日の朝。部屋にエマが持ってきた花瓶に活けられた黄色い花を見て、沙樹はポツリと呟いた。


「あぁ。これですか。ランバード殿下に頂いたのです。」


 成る程、と沙樹は思う。以前花屋で働いていた事があるから知っている。アンバにも咲く、若者に人気の花だ。昨夜の二人を見たこともあって、沙樹はメイドのエマの表情を何気なく窺いながら口にする。


「花言葉を知ってますか?」

「いえ。」

「“一途な想い”。」

「・・そうですか。」


 彼女の声色が変わったのを沙樹は聞き逃さなかった。それは彼女と接する機会が多くなって最近やっと分かってきた僅かな違いであったが。お節介だなと思いつつも、ついつい口が開く。


「エマさん。好きな人はいる?」

「・・忠誠を誓った主ならおりますが。」

「そう。」


 彼女らしい答えに思わず苦笑した。昨夜の二人のやり取りを見る限り彼女がランバードの名を出さないことは予想できたが、こうも堅苦しい答えだとメイドではなくまるでどこぞの騎士のようだ。


「あなたは・・・。」

「え?」

「いえ・・。何でもありません。」


 聞き返されたことに驚くが、彼女はすぐに顔を背けると手元のワゴンに目を落とした。それ以上は沙樹も言葉を続けられず、しばらくの沈黙が続く。

 エマは余計なことを口にしてしまったと自分に苛立っていた。給仕を続けながらも自らの思考に落ちていく。

 ランバードはエマがアムベガルドであることを知らない。王家の命があれば例え子供でも手に掛ける。その残虐さを知ったらなら、エマに向けられるあの屈託のない笑顔はたちまち曇るだろう。

 メイドとして仕えている若い娘達は貴族の娘が多い。あわよくば王家の手つきになり、側室や妃になることを夢見ている哀れな少女達。けれどその手を血に染めたエマよりはずっと魅力的なはずだ。


(ランバード殿下は何故私に執着するのだろう。)


 影で生き、そして死ぬ。それだけを与えられたエマにその答えが分かる筈もなかった。






「あの子の歌を聴いていると想像してしまうんだよね。この歌のような未来が描けたら幸せだろうなぁって。」


 うっとりとした顔で語る腹違いの弟に、ヴァンは呆れた顔を向けた。夜会で気疲れした翌日の朝に嬉々とした顔で部屋を訪れてきたから何かと思えば、色ボケの真っ只中だったようだ。

 二人はヴァンの寝室と続きの間になっている応接室のソファで向かい合わせに座っていた。中央のテーブルには苦味のあるお茶が湯気を立てている。それにも手を付けずに昨夜のことを語っているランバードを横目にしながら、ヴァンは溜息をついた。


「お前、勝手にあいつの部屋に入ったな。」

「勝手じゃないよ。扉の前にいた騎士には声を掛けたし。」

「なんと言って?」

「それは、まぁ。ブレードの許可があるって言って。」

「嘘つけ。あいつが許可するわけ無いだろ。」


 ぶっきらぼうに言い放った言葉にランバードは眉根を寄せた。


「僕が気になっているのはそこなんだよね。どうしてブレードは彼女をあの部屋に閉じ込めているわけ?」

「・・・・。」


 どう説明したものか。ヴァンは思い切り顔をしかめた。そんな兄の様子をじっと観察していたランバードだったが、三十秒ほど沈黙が続いた後、おどけた口調で言った。


「う・そ。」

「は?」


 嘘?何が嘘なんだ?

 何が何やらさっぱりなヴァンに向かってヴァンバードは言い放つ。


「本当はもうあの子に全部聞いているよ。正体を知らないままヴァン達とここまで旅路を共にしてきた事も。その身を疑われている事も。」

「・・・・。」


 ヴァンは暗に責められている気がして視線を逸らす。そんな兄の様子にランバードは苦笑した。


「お陰で僕は彼女の歌を聴くことが出来た訳だけど。」

「そんなに気に入ったのか?」

「うん。身近な光景を身近な言葉で綴ったあの子の歌は、自分の気持ちや憧れの代弁のようで心惹かれるものがあるよ。」


 幸せな恋人同士の歌をリクエストしたのだという。ランバードの気持ちや憧れ。つまりは彼が今シンガーの歌のような恋をしたいと願っている証拠。相手の顔がすぐに浮かんで、ヴァンは面白くもなさそうに言った。


「あのメイドのことか?」

「ん、まぁね。」


 彼は誰の前でも自分の気持ちを隠そうとはしていない。だからヴァンも弟の懸想の相手がブレード付きのメイド、エマであることを知っている。彼女はブレードがここに滞在している間この屋敷に同伴していた。確か、今はシンガーの身の回りの世話を命じられている筈だ。


「彼女をただの女の子として愛したいと思うのは、許されない事なのかな?」


 それまで笑顔だったランバードがらしくもなく真面目な顔を見せる。ぽつりと零した言葉は逆にそれだけ真剣なのだと感じさせた。


(ただの女として、か・・・)


 自分とシンガーもただの男と女として出会っていたならどうだっただろう。今とは違う関係でいられたのだろうか。けれどそれは考えても無駄な事。いくら想像した所でヴァンは第二王子、ランバードは第三王子としての立場が変わる事など無い。

 メイドにしては意思の強い目をしたエマの顔が思い浮かび、ヴァンはティーカップをテーブルの上に置いた。


「許さぬのは周りの者だけじゃなく、あのメイドも同じだろう。あの娘はプライドが高い。」

「確かに。」


 愛しい娘の姿を想い浮かべ、困った顔で笑う。エマは誰もが憧れる王子との恋よりも、自分の仕事を優先するのは自分がよく知っている。そのお陰で、今まで幾度と無く誘いを断られているのだから。


「兄上は、あの歌姫を手に入れたいとは思わないの?」


 唐突な問いにヴァンは視線を落とした。自分がシンガーに想いを寄せている事までこの腹違いの弟は気付いていたのだ。いつもは側室の子だからと言って控えめな態度を見せる第三王子だが、中々抜け目が無い。ヴァンはランバードの言葉を否定せずに想いを巡らせた。

 瞼を閉じれば浮かぶ黒髪の歌姫。彼女が欲しい。けれど、


「あれは俺の傍で飼い殺しにしていい女じゃない。」

「‥そう。」


 ブレードから彼女を取り返せないでいる自分にはその資格も無い。例え本気で手に入れようとしても彼女は自分の本妻にはなり得ないだろう。良くて愛妾。けれどそんな扱いをしたいわけじゃない。

 ヴァンは目の前の弟が羨ましかった。彼なら自分の地位などどうでも良いと笑い飛ばしてしまうだろう。それはエマに対する彼の態度を見れば明らかだ。


「おっと、そろそろ朝食の時間だね。」

「・・あぁ。」


 壁に掛けられた時計を見てランバードは席を立つ。後を追って部屋を出ようとしたヴァンを彼は一度振り返った。


「ねぇ、ヴァンディス兄上。」

「なんだ?」

「俺はね、きっと兄上が本気で望むなら、きっとブレディス兄上も許してくれると思うんだ。」

「・・・・。」


 そうだろうか。それは慰めや希望的観測にしか聞こえない。

 何も言葉を返さないヴァンにランバードはほんの少し寂しげに微笑んだ。その表情の意味する所に、ヴァンは気付けないでいた。






「雪だわ。」


 厚い雲に覆われた空を見上げれば真っ白な雪が舞い落ちてくる。沙樹は小さな子供のようにそれに手を伸ばした。手のひらに落ちてくる雪はすぐに手の温度で溶けてしまう。この世界で初めて目にする雪は元の世界となんら変わりのなく、真っ白で冷たく儚い。

 そう言えばブレードがユフィリルの雪は深いと言っていた。元々都会で育った沙樹はそれほど多くの雪を知らないが、ここではテレビで見た雪国のように厚く積もるのだろうか。


「フーシェ・ピア。」

「え?」


 不意に後ろで呟かれた声に振り返る。すると無意識の呟きだったのか、エマは少し驚いたように口元に手を当てた。


「あ、いえ。私の故郷では雪のことをそう呼ぶのです。」

雲の欠片(フーシェ・ピア)?」

「えぇ。」

「確かに、真っ白な雲が千切れて降ってくるみたいですもんね。」


 まるで小さな子供のように顔を綻ばせる沙樹の笑顔にエマもつられて口元を緩めた。

 二人は今、屋敷の庭を歩いてる。先日医師が言っていた通り、敷地内なら散歩する事が許されるようになったのだ。あくまでエマが付き添うことが条件ではあるが。

 静かに舞う雪を見て、笑顔の裏で沙樹は焦燥を覚えていた。確実に季節は進んでいる。この屋敷にいる間にも時間は容赦なく過ぎていく。何時までも此処に居てはいけないのに。けれど第一王子という国の権力者によって足止めされている。受身でいてはずっと此処から出られないのでは?でもどうすればいい。歌を唄うしか能のない自分が騎士で囲まれたこの屋敷を易々と抜け出せるとは思えない。

 急に寒気を感じて、沙樹は身震いした。


「寒いですか?お部屋に戻りましょう。」

「待って。もう少し・・。」


 慌ててエマを見れば、彼女の後ろから近づく影が見えて沙樹は軽く会釈した。それに気付いたエマも振り返る。同時にその表情が硬くなった。


「やぁ。散歩かい?二人とも。」

「ランバード殿下。」


 エマは頭を下げたまますっと後ろに控える。侍女としては正しい所作なのだろうが、沙樹とエマ、どちらにも平等に声を掛けたつもりのランバードからすれば、それは言葉を交わす事への拒絶に近い。ほんの少しだけ寂しげな笑みを見せるその表情も、頭を下げたままのエマからは見えていないだろう。


「殿下もお散歩ですか?」


 そんな二人の空気にいたたまれなくなって口を開くと、彼は雪の舞う庭を見渡した。


「うん。二人がいるのが見えて出てきたんだ。冬の庭は花も少ないし、散歩し甲斐が無いんじゃない?」」

「そんなことないですよ。緑が鮮やかで、私は好きです。」

「そう。」


 すると不意に北風が吹いて二人のコートを揺らした。雪に興奮して忘れていたが、風が出てくれば刺す様な寒さが肌に堪える。


「そろそろ部屋にお戻りになりますか?」

「はい。」


 もう少し此処に居たい気もするが、そうなればエマも共にこの寒い庭に残らなくてはならない。流石にそれは申し訳ないので、ランバードにエスコートされて沙樹は部屋へと戻る事になった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ