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第五話 3.賓客(2)

“傍にいて欲しいよ ずっと言えなかったけど

 好きの言葉がこんなに遠い 抱きしめて欲しいだけなのに

 傍にいて欲しいよ ずっと言えなかったけど

 あなたの背中がもう見えない 涙はとっくに渇いてる”



「悲しい曲ですね。」


 てっきりメイドだろうと思っていた沙樹は知らない声に慌てて入口を振り向いた。そこに立っていたのは十七・八歳くらいの若い男性。ウェーブの掛かったくせのあるダークブラウンの髪に朗らかな笑顔を浮かべている。背が高くスラリとした体型はまだまだ背が伸びるだろうと予感させるもので、詰襟の形式ばった服装は彼には少し不釣合いだった。


「・・・どちら様ですか?」


 空けた窓辺に背中を貼り付けたまま警戒してそういう沙樹の表情を見て、ランバードは人懐っこい笑顔を浮かべた。


「女性の部屋にいきなり入ってきて申し訳ございませんでした。僕の名前はランバード=コベントリー。以後お見知りおきを。」

「はぁ・・。あの・・・」

「あなたのお名前は?」

「あ、すいません。シンガーです。」


 親しげな彼の様子に思わず警戒することも忘れて頭を下げる。聞いた事のない名前だが、今日はこの屋敷に賓客が多く招かれているというから、彼もその一人なのだろう。


「それで、コベントリーさんはなぜこの部屋に?」

「ランバードと呼んでくださって結構ですよ。実は先程庭を散歩していたらあなたの歌声が聞こえてきたので、もっとちゃんと聞きたいと思ってここまで来たんです。」

「あ、聞こえてましたか・・。」


 それ程大きな声を出したつもりは無かったのだが、風向きの加減もあったのかもしれない。あまり良い顔をしない沙樹にランバードは誰も座っていないソファを勧めた。


「立ち話もなんですし、よかったらお座りになりませんか?」


 この部屋の主は沙樹で客人は彼の方なのだ。本来ならソファを勧めなければいけないのは自分の方なのに、ランバードは気にも留めずに席に着く。お茶の一つも出さなくてはいけない所だろうがここには道具もないし、部屋から出てメイドを呼ぶことも出来ない。どうすればいいのか途方に暮れていると、ランバードの真っ直ぐな目がじっと沙樹に向けられていることに気付いた。


「あの・・・?」

「あぁ、すいません。あなたは夜会には出席しないのですか?」

「えぇ。私は・・・。殿下方のご好意でこちらに滞在しているだけで、ただの一般人ですから。」

「一般人?普段は何を?」

「歌を唄ってお金を稼ぎながら旅をしています。」

「へぇ。歌手フィッツィアなんだ。なるほど。」


 感心したようにうんうんと一人頷づく。そんな彼を沙樹は不思議そうに見返した。結局この人、何をしに来たのだろう。そう言えばこの部屋の前には騎士が居た筈。


「あの。」

「ん?何です?」

「どうやってこの部屋に入ってきたんですか?」

「それは勿論扉を開けて。」

「そうではなく、部屋の前には騎士の方がいたでしょう?」

「あぁ。」


 なんだそんなことか、とランバードは呟いた。


(そんなこと?)


 今は沙樹の世話をするメイドしかこの部屋には通せないことになっている。二時間前にここを訪れたヴァンのように誰かの助けが無ければおいそれとここへは近づけない筈なのだ。


「それより、貴方の歌が聞きたいな。」

「歌、ですか?」

「そう。さっきの曲はなんだか寂しい感じだし、もっと明るい曲はないの?」

「はぁ。ありますが・・・。どんな曲がいいんですか?」

「そうだなぁ。せっかく女性に唄ってもらうんだから、可愛くて幸せな感じの歌がいいなぁ。」


 年頃の青年が可愛らしい歌がいいなんて意外だった。無邪気な彼のリクエストに思わず笑みが零れる。


「やっと笑った。」

「え?」

「女性はやっぱり笑っていないと。」


 そう言うと恥ずかしそうに沙樹が微笑む。エマもこんな風に笑ってくれたらいいのに。笑顔を返しながらランバードは密かにそう思っていた。



“この手を繋いで いつだって隣にいて

 背伸びをしたらそれが合図

 知っているでしょう キスして欲しいと

 昇る朝陽も 暮れる夕日も

 共に見たいのはあなただけなの

 分かっているでしょう 意地悪しないで


 あなたがいる毎日は眩しくて 思わず目を細めてしまうけれど

 その全てが忘れられない だって幸せなんだもの

 どんな魔法を使ったの? こんな気持ち知らなかった

 あなたが与えてくれる全てが かけがえの無いものになっていく”



 客室の扉から漏れてきた歌声にエマは眉根を寄せた。しばらく沙樹の傍を離れていたのでお茶でもどうかと思ってワゴンを押してきたのだが、一瞬中に入るのを躊躇う。彼女の歌声を聴くのは初めてではないが、これまで一人で唄っていた曲とは色が違ったのだ。

 扉の前に立って変わらず見張りを続けている騎士にエマは声をかけた。


「あの、シンガー様はお一人ですよね?」

「いや・・・、中にランバード殿下がいらっしゃる。」

「ランバード殿下が?」


 そもそも許可の無い者を入れぬようここに立っている筈なのに、一体この騎士は何をしているのだろう。そんな非難を感じ取ったのか、若い騎士は慌てて言葉を続けた。


「ブレディス殿下に許可を貰ってきたのだと、そう仰っていたんだ。」


 本当に?エマは疑問に思った。夜会で二人は顔を合わせているのだろうが、多くの賓客がいる場でブレードが彼女のことを話したりするだろうか。正体不明の女性をヴァンに会せられないのにランバードなら良いというのはおかしい。しかも彼女は先日から体調を崩して休んでいる所だ。このタイミングでの訪問は腑に落ちない。

 だが今はごちゃごちゃ考えても仕方がないだろう。後でランバードを問いただそうと決めてエマは扉をノックする。すると明るいリズムを刻んでいた歌声が止んだ。


「失礼致します。」

「エマ!!」


 扉を開けてエマが顔を見せると、正面のソファに座っていたランバードが顔を輝かせた。その顔がほんのり赤いのは酒を呑んでいるせいだろう。一瞬中に入るかどうか思案したが開けてしまったものは仕方がない。そのままワゴンを押して中に進んだ。にこにこと機嫌の良さそうな笑顔を向けるランバードにエマは冷たい視線を返す。


「ここはヴァンディス殿下のお客様のお部屋ですよ。どうしてこちらへ?」


 するとランバードは意外そうな顔をした。


「ヴァンの?ブレードじゃなくて?」


 その返答を聞いてエマの表情が硬くなる。ランバードが彼女の事情を知らないのだと分かって増々混乱した。


「どうしてこちらに?」


 語彙を強めて同じ問いを返せば、ランバードはへらりと笑う。


「あれ?やきもち妬いちゃった?」

「誰もそんな話はしておりません。」


 会話にならないと諦め、エマはお茶の準備を進める。今日は早めの夕食だったので軽食も用意してある。それを見て二人のやり取りに口を挟むことが出来なかった沙樹がお礼を言った。


「ありがとうございます。」

「いえ。ランバード殿下がご迷惑をおかけしていたのではないですか?」


 そう言うと彼女は目を丸くした。


「ランバード・・殿下?」

「ご存じなかったのですか?」


 お互いのことを知らずに一体この二人は何をやっていたのだろう。疑問を抱くエマに沙樹は困惑の目を向けた。


「だって名前が・・・」


 ブレードやヴァンと違い、ランバードは母の姓を名乗った。だから異国から来た彼女は彼が王族だとは分からなかったのだろう。


「僕は側室の息子なんだよ。だから王位を継がなければユフィリルの姓は名乗れないんだ。」

「・・そうでしたか。何も知らず無礼を致しました。」

「いや。気にしないで。突然押しかけたのはこっちなんだから。それより、さっきの続きが聞きたいなぁ。」


 のんびりとそう言われ、沙樹はほっと胸を撫で下ろした。けれど疑問が過ぎる。


「あの、ブレディス殿下から何も言われていないのですか?」

「ブレードから?いや、何も?」


 沙樹に近づこうとすれば必ず止められる筈だ。沙樹がエマと目を合わせると、彼女は呆れたような溜息をついた。


「ブレディス殿下に黙って来ましたね?」

「なんで一々ブレードに断らなきゃいけないのさ。彼女はヴァンのお客さんなんだろ?」


 その理由をランバードに話していいものだろうか。ブレード自身が話をしていないということは、ランバードに彼女のことを知らせるつもりは鼻から無かったのだろう。エマは咎めるような視線を彼に向けた。


「警護の騎士はブレディス殿下から許可を貰ったと聞いているようですが?」

「だってブレードの許可がなければ入れないって言うんだもん。」

「はぁ・・・。全く貴方は・・・」

「まぁまぁ、いいじゃん。エマもここ座りなよ。」


 そう言ってランバードは自分の隣をポンポンと叩く。メイドが客人と同じ席につくことなど有り得ないというのに、この人はどこまでも自由なのだ。


「ランバード殿下。私は王家に仕える身です。恐れ多くてそんなことは出来ません。」

「そんな固いこと言わないでよ。ここには俺達しかいないんだし、平気平気。」


 一度立ち上がり強引にエマの腕を引いてソファに座らせると、ランバードはその隣に腰を下ろした。妙に親しげな二人の関係が分からず、その様子をポカンと見ていた沙樹にランバードはにこりと笑う。


「じゃあシンガーさん。お願いします。」

「あ、はい・・。」


 やけに嬉しそうなランバードの顔を見てあぁそうなのか、と納得した。一方的にしか見えないが、どうやらランバードはエマに好意を持っているらしい。彼が先ほどの曲を嬉しそうに聞いていた理由が分かった気がした。

 二人に増えた客人を前に、沙樹は立ち上がり頭を下げる。するとパチパチと一人分の拍手の音が部屋に響いた。久しぶりに聞く拍手の音に沙樹は純粋な喜びを感じていた。



“この手を繋いで いつだって傍にいて

 隣を歩くあなたに囁く

 知っていたのよ 私を待っててくれた事

 輝く虹も 瞬く星も

 どんな煌きが目の前にあろうと

 分かっているのよ あなたには敵わないと


 まどろめば髪を撫でてくれる その手にずっと甘えたいけれど

 本当は目を開けて抱きつきたい だって愛してるんだもの

 どんな呪文を唱えればいい? あなたの全部を手に入れるには

 私にあげられるものが有るなら なんだって差し出すわ”



 この人こんな風に唄えるんだ。そうエマは思った。彼女が監視している時に唄う彼女の歌は別れや寂しさを連想させるものばかり。今目の前で唄っているような笑顔はそこにはなかった。どうしてこんなにも幸せそうに唄えるのだろう。歌詞は甘い時間を過ごす恋人を綴ったものだけれど、だからと言って彼女の現状が変わるわけではないのに。今の彼女はまるで自分自身が幸せな恋をしているよう。それともプロの歌手というのは皆こんな風に歌の世界を体全体で表現するものなのだろうか。



“この手を繋いで いつだって隣にいて

 背伸びをしたらそれが合図

 知っているでしょう キスして欲しいと

 昇る朝陽も 暮れる夕日も

 共に見たいのはあなただけなの

 分かっているでしょう 意地悪しないで


 お茶とケーキとあなたがいれば それは最高のシチュエーション

 恋をする素晴らしさを あなたが私に教えてくれた”



 エマはちらりと隣を見上げた。ランバードは明るい歌声に顔を緩ませている。彼が求めているのはこの歌のような恋なのだろうか。自分を選んで、こんな恋が出来ると思っているのだろうか。


(何も知らないくせに・・・)


 エマは右側に座るランバードに見えないようにぎゅっと左手を握った。ランバードは自分をただのメイドだと思っているだろう。けれどそうじゃない。自分はアムベガルド。王家からの命があればこの手を血に染めることも厭わない、影の存在。この歌とは対極に位置する暗い暗い役割を持つ人間。



“この手を繋いで いつだって傍にいて

 隣を歩くあなたに囁く

 知っていたのよ 私を待っててくれた事

 輝く虹も 瞬く星も

 どんな煌きが目の前にあろうと

 分かっているのよ あなたには敵わないと”



 汚れた手は繋げられない。恋なんて知らない。出来るわけがない。やっぱり嫌いだ。この女の歌なんか。

 歌が終わって一礼する沙樹にランバードが嬉しそうに拍手を送る。エマは感情を押し殺してそれに倣った。けれど笑顔を交わす二人があまりにも眩しくて、見られないようひっそりと形の良い唇を噛んだ。

【登場人物紹介】

・沙樹(24):幼少を孤児院で過ごした一人暮らしのOL。


《ユフィリル》

・ヴァンディス=モラ=ユフィリル(23):いつも不機嫌そうなユフィリルの第二王子。

・カイル(31):『黄金の鷹』の二つ名と『異端』の異名持つ、第十騎士団の美形な騎士。

・ブレディス=モラ=ユフィリル(29):少々ブラコン気味のユフィリルの第一王子。

・ランバード=コベントリー(18):側室の息子。人懐っこい第三王子。

・ロード(44):ブレディスに仕える執事。ピノーシャ・ノイエ出身。

・エマ=イディア(16):メイドに扮した『黒の契約者』の美少女。

・マーニ(52):メイド頭。


《アンバ国》

・ラング(46):田舎街サンドにある教会の神父。


【地名】

・ユフィリル:農業の盛んなアンバの同盟国

・アンバ:商業主義の大国

・ピノーシャ・ノイエ:大陸北東に位置する列島

・ヌーベル:ユフィリル最北端の港。

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