第一話 2.シャリハ(1)
「おはよう。お姉さん。」
「ハッシュ。シーア。」
朝の習慣となっている教会の掃除をしていると、今年十歳になるシーアという少女が顔を覗かせた。ここの言葉で挨拶を交わすと彼女も雑巾を絞って沙樹を手伝い始めた。
『ここ』に来てから二ヶ月。沙樹は徐々に土地の言葉を覚えていった。今では簡単な会話ならそつなくこなすことが出来る。
段々と生活していく内に分かったことだが、最初に予想していた通り彼らがいるこの建物は孤児院だった。ここは大きく二つに分かれていて、一つは沙樹や子供達が生活している施設。そしてもう一つはこの街の教会になっている。ラングはその教会の神父で、国の補助を受けながら子供達の世話をしている先生でもあった。この教会があるサンドの街はそれほど大きくなく、学校が無い。そこでラングが孤児達に加え街の子供達にも簡単な勉強を教えているのだ。その為かこの街には孤児に対する偏見が無く、親元から通う子供達とも仲が良い。
沙樹はここでお世話になると同時に、子供達と一緒にラングの授業を受けていた。最初は沙樹の見た目と、大人が一緒に授業を受けているというもの珍しさで子供達も落ち着かない様子だったが、今ではすっかりお馴染みの光景となっている。最初は言葉の全く分からない沙樹に比べ、子供達の方が勉強に対して優秀だったが、日常会話がこなせるようになった今では良い勝負、と言った所だ。
この街では子供達を通して沙樹の事は随分と知られている。言葉が分かるようになってからラングが説明してくれたのだが、沙樹はこの街へ繋がる街道の途中で倒れている所を発見されたらしい。医者にも見せたのだが特に目に見える怪我もなく、病気の症状もないのに目が覚めない沙樹をどこへ連れて行けば良いのか困った街人によってラングの下へ運び込まれたそうだ。
当初土地の言葉が分からない沙樹を見てラングも戸惑ったようだが、街の人達の間では『この街に来る間に事故に合い、記憶を失ってしまった』ということになっているらしい。だが、それで正解だと思う。この歳で言葉を何一つ知らないなんて、それでしか説明がつかないから。そのおかげでラングのお使いで子供達と一緒に外に出ても怪しまれたりはしない。むしろぎこちない言葉で話をする沙樹を街の人達は同情の眼差しで見守ってくれている。
言葉が上手く伝わらないもどかしさはあるが、ラングが沙樹を孤児と同じように保護してくれているおかげで知らない場所でもなんとか生活できている。コミュニケーションが取れるようになれば最初は戸惑いと不安で心を塞ぎがちだった沙樹にも笑顔が増えてきた。それはひとえにラングと、そして子供達のおかげだ。
そこで沙樹は自分に出来ることはしようと、食事・洗濯・掃除などラングの授業を受けている時間以外は出来るだけ働いた。子供達と一緒に絵本を読むのも、お使いに行くのも言葉と通貨の勉強になった。加えて思春期を迎え始める女の子達の相談相手も勤めた。今までこの施設にはラングしかいなかったので女の子特有の心や体の悩みは言い辛かったのだろう。
ここにいる七人の女の子の内、今一緒に掃除をしているキャメル色の髪を三つ編みにして前に垂らしている十一歳の少女シーアは特に沙樹を慕ってくれている。彼女は教会に勉強に来る牧場主の次男、ジョシュという三歳年上の男の子が好きなんだそうだ。
「もうすぐ青空市の日ね。シーアはジョジュを誘っていくんでしょう?」
「もう!やめてよ、シャリハ。」
からかい半分そう言うと、シーアは顔を真っ赤にして雑巾がけしていた手を止めた。
沙樹はこの街で『お姉さん』と呼ばれている。ここに来た当初は言葉が分からず、何を質問されているのか分からなかったので名前を言うタイミングが無かったのだ。その為、皆の前で未だに本名を名乗っていない。すっかり『シャリハ』で馴染んでしまっているのと、本名を名乗っていいのだろうかという不安もあってそのままにしている。全ての言葉を理解しているわけではないので、『サキ』という言葉が何か意味を持っているとしたら、『ここ』ではありえない名前だとしたらまずいと思ったのだ。
それに、いくらお世話になっているからと言っても、流石に本当のことは話せない。自分は『この惑星』の、『この世界』の人間ではないなんて。誰もそんなこと信じてはくれないだろう。頭がおかしいと思われ、子供達の教育に悪いからとここを追い出されるのも怖かった。
「シャリハ?」
「ん?ううん。なんでもない。」
つい思考にふけってしまった頭を切り替えると、再び二人で掃除に戻った。
「ラングさん。一つ相談があるのですが。」
「どうしました。シャリハ。」
お姉さんという意味を持つ言葉で年上のラングが沙樹のことを呼ぶのはおかしいのだが、言葉の意味を知るよりも先にそう呼ばれることに慣れてしまっているので、沙樹はそれ程気にしていない。
二人並んでキッチンに立ち、朝食の準備の為に手を動かしながら沙樹は言葉を続けた。
「そろそろ、仕事を探そうと思うんです。」
「そうですか。」
「勿論、手伝いも続けます。けれど、いつまでもここでの生活に甘えているわけにも行かないし。」
「ええ。分かっていますよ。あなたは子供達とは違います。自立して道を選ぶのは当然必要なことです。」
「ラングさん・・。」
ラングはにっこりと笑うと、頷いてくれた。それでいいんだよ、と言うように。
ラングほど神父という職業が向いている人はいない、と沙樹は思う。話を聞くのが上手で、決して相手を責めないし急かさない。子供達が悪戯しても怒るのではなく、穏やかな声で諭して叱る。散々ここでお世話になっておいて、自分の生活の為に仕事を始めるのは身勝手だと言われるかもしれない。そう悩んでいた沙樹はほっと胸を撫で下ろした。
「何か当てがあるのですか?」
「いいえ。まだ。でもゆっくり探そうと思います。」
「この小さな街では仕事を見つけるのは難しいかもしれません。けれど、街の人達は皆あなたに協力的です。きっとすぐに良い仕事に就けますよ。」
「はい。ありがとうございます。ラング。」
「どういたしまして。シャリハ。」