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第四話 3.ブレード(1)

 

 黒い漆を塗られた木製の馬車。金で縁取りされ、内部の座席はベルベットのような手触りの赤いクッションが敷き詰められている。今まで見た事のない四頭牽きの豪華な馬車の中で沙樹はその身を縮めていた。その正面にはカイルとヴァンが並んで座っている。

 シンガーが誘拐され、王子であるその身が危険に晒された事で迎えの馬車が来た。あの現場にいた第十一騎士団から報告が上がり、第一王子ブレディス自ら迎えを出すよう命じたのだという。ヴァンは最後まで反対したのだが、結局は自らの軽率な行動が招いた結果だと説き伏せられ、三人で馬車に揺られる事となったのだった。

 二つ名をもつ騎士と一国の王子。そして王城から来た迎えの馬車。どう考えても場違いな自分の居場所が無くて、沙樹は落ち着かない様子で入口側に座っているカイルに話しかけた。


「あのー・・。」

「ん?何?」

「この馬車はどこへ向かっているんでしょうか?」


 元々城下街まで一緒に行く約束だった。あの事件の後では沙樹を残して二人だけで馬車に乗ることが出来ないのは分かるが、このまま城まで連れて行かれても困る。


「ヴァンの別邸だよ。」

「・・別邸?」

「そ。ブレードとヴァンが幼少の頃に過ごした屋敷が城下の東にあるんだけど、今ブレードが領地視察の為にそこに滞在してるんだ。俺の仕事は彼にヴァンを引き渡すことだから、そっちに向かってる。」


 つまり当初の目的である城下から外れた場所に向かっている訳だ。それを聞いて沙樹は慌ててカイルに詰め寄った。


「私はどこか途中で降ろしてもらえるんですよね?」

「いや、無理じゃない?」

「何でですか!!」


 さらりと言ってのけるカイルを愕然と見る。けれどカイルは当然でしょ、とあっさり言葉を返した。


「こんな大きな馬車から降りたら人目に付くよ。いい家のお嬢さんだと勘違いされてまた攫われても知らないよ?」

「で、でも・・・」

「それに、ブレードが君に直接お詫びしたいって言ってるんだよね。」


 そう言ってにっこり笑ったカイルの表情は美形な彼にぴったりだ。だが、その言葉に無視できない名前を見つけて沙樹の表情が固まった。


「・・・ブレードって、ヴァンのお兄さんの?」

「そう。」

「で、でででも、お兄さんってことは・・・、第一王子のブレディス殿下、ですよね?」

「うん。勿論。」


 サーッと沙樹の顔から血の気が引いていく。それを見ながら何故かカイルは楽しそうに微笑む。ヴァンはそんな二人を見て溜息を付いた。


「無理です!!やっぱり行けません!!」


 激しく首を横に振って拒否を示す沙樹だが、それを温度の冷えたカイルの目が見据える。


「シンガー。」

「はい・・。」

「ブレディス殿下が来いって言ってるんだから、断れるわけ無いって分かるよね?」

「・・・・。」


 いくらユフィリル国民ではないと言っても、相手はこの国の第一王子。カイルの言う通り逆らえるわけが無い。泣きそうな顔をする沙樹にカイルは表情を和らげて首を傾げた。


「ヴァンはいいのに何でブレードはダメなのさ。」

「だ、だって・・・」

「第一王子も第二王子も似たようなもんだろ?」

「そういう問題じゃなくて・・」


 身分不相応だと思う。自分はただの旅人なのだから。お忍びだったヴァンとは違い、招かれたとあってはブレディス王子の正式な賓客扱いとなる。当然マナーもこの国の知識さえない沙樹では恥をかくだけだ。ただ北の港に行きたいだけなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。


「俺とヴァンも一緒に行くからさ。」


 そう言って沙樹を宥めるカイルの言葉をヴァンは硬い声で否定した。


「俺は行かないぞ。」

「何言ってんの。そもそも君を連れて帰る為に俺がいるんだから、ブレードに引き渡さなきゃ困るんだよ。今回の事件の報告もしなくちゃいけないし。」

「・・・。」


 見る見る内にヴァンの眉間に皺が寄る。不機嫌さを隠さないヴァンを見てカイルは呆れたように彼の横顔を見返した。


「相変わらずブレードが苦手なんだなぁ、ヴァンは。」

「そうなんですか?」

「ヴァンにとっては国王よりも怖い相手だろうね。」


 するとヴァンが目だけで隣に座っているカイルをジロリと睨みつける。


「余計なことを言うな。」

「はいはい。でも、君が来なくてもシンガーはブレードの所へ連れて行くよ。君はそれで良いわけ?」

「・・・・・。」


 なんだか良く分からないが、ヴァンは自分の知らない所で沙樹とブレディス王子が会うのが嫌らしい。窓の外を見ながら舌打ちするが、とうとう彼から拒否の言葉を聞くことはなかった。






 深緑色の塗装が施された三階建ての大きな屋敷。森の中に建てられているので、まるで森の木々と一体化しているようにも見える。馬車から降りるなりそれを見上げて、沙樹は「ふぁー」と間の抜けた声を漏らした。


「さっさと来い。」


 いつまでもそうしていそうな沙樹の腕を引っ張り、ヴァンはズンズン進んでいく。同行していた御者の男性がノッカーを叩くと、すぐに両開きの大きな扉が内側から開かれた。


「おかえりなさいませ。ヴァンディス殿下。」


 ドアの向こうから現れたのはグレーのシャツに黒いスラックスをはいた男性と、同じく黒を基調としたワンピースを身に纏った女性達。彼らは両脇にずらりと並び、慇懃に頭を下げて沙樹達を出迎えた。どうやらこの屋敷で働いている執事やメイドのようだ。けれどノーカラーにノーネクタイのその服装は、沙樹の知っている召使とは違って少しラフに見える。

 最初は驚いたのだが、この世界には開襟の服というのは存在しない。その為首に巻くネクタイもリボンもなく、そこを飾るのはネックレスのみだ。彼らの先頭に立つ四十代後半の執事の男性。彼の首元にはレザーの紐の先に銀のペンダントトップが付いた首飾りが下がっている。そこにはユフィリルの国章である獅子ペディカが刻まれていた。


「道中ご無事で何よりです。」

「嫌味か。ロード。」

「ご冗談を。少しは私の心労も汲み取って下さい。」

「・・悪かった。兄上はどこだ。」

「応接室にてお待ちです。」


 大勢の出迎えを前にヴァンは怯むことなく進んでいく。気後れしていた沙樹もカイルに背を押されて中に入った。


「お、お邪魔します・・。」


 するとロード、と呼ばれた執事頭の男性が穏やかな笑みを向ける。


「いらっしゃいませ。シンガー様、カイル様。長旅お疲れ様でした。まずはお休みいただきたいのですが、ブレディス殿下がお待ちですのでどうぞしばらくの間お付き合い下さい。」

「はーい。」


 カイルは軽い返事をしてヴァンに続く。けれど沙樹は足を止めた。


「どうかしましたか?」

「あ、あの・・・」


 沙樹の目はロードの顔に釘付けになっていた。丁寧な言葉で三人を出迎えてくれた彼の髪、そして目。それはシンガーと同じ黒を纏っていたからだ。動揺する胸を抑えて声をかけようとしたが、再び横から腕を引かれた。


「モタモタするな。」

「ヴァン・・」


 結局ロードと話をすることが出来ずに、沙樹は大きな扉の前まで引っ張られたのだった。






 馬車に乗っていた時とは比べ物にならないほど、沙樹の体は固まっていた。


「初めまして。シンガーさん。僕はヴァンディスの兄、ブレディス=モラ=ユフィリルです。」


 目の前の男性が優雅に微笑む。ヴァンと同じキャメル色の髪と碧の目。弟よりも少し背が低いが、彼の服装や動きの一つ一つが洗練されていてまるでテレビの向こうの映像を見ているような気分になる。学校の教室三つ分はありそうな広い応接室、高価な家具や調度品の数々。毛足の長い絨毯に沙樹の身が沈んでしまいそうな柔らかで上等なソファ。全てがそれに拍車をかけている。けれどその全てが現実で、自分に向かって向けられた笑みに応える為に沙樹はなんとか声を絞り出した。


「は、初めまして!」

「あはははっ。そんなに硬くならなくてもいいですよ。」


 沙樹の向かいのソファに座ったブレードは砕けた表情で笑った。顔立ちはヴァンと良く似ているが、沙樹は彼がこんな風に笑った所を見たことはない。ちらりと隣にいるヴァンを見れば不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。せっかくお兄さんと顔を合わせているのに何がそんなに嫌なのだろう。


「そんなに睨むなよ、ヴァン。」

「・・うるさい。」

「悲しいなぁ。一月ぶりの再会を喜んでくれないなんて。」


 はぁ、と深い溜息を付くブレードの横でカイルは出されたお茶を飲んでいる。緊張でそれにも手をつけられないでいる沙樹を見て、彼は小さなケーキを取り分けてくれた。


「これ食べてみなよ。美味しいから。」

「あ、ありがとう。いただきます。」


 ふわふわのスポンジに飾られた赤いフルーツが載ったケーキ。彩りのハーブが飾られ、いかにも高級そうだ。美味しそうなその誘惑に勝てなくて、沙樹はフォークを握った。


「おいしい・・・」


 一口含んだだけで甘さと酸味が口に広がる。サンドの街で子供達と共に食べた素朴なお菓子も美味しいが、こちらはこちらで品があって魅力的だ。甘いものを食べてほっと肩の力が抜ける。それを見たブレードは微笑んで沙樹に声を掛けた。


「シンガーさん。」

「はい。」

「今回のことはすいませんでした。こちらの都合であなたに怖い思いをさせてしまいましたね。」


 びくっとヴァンの肩が揺れる。気まずそうな、思いつめたその表情を見て沙樹は慌てて口を開いた。


「いえ!大丈夫です。ヴァン・・、ヴァンディス殿下とカイルが助けてくれましたし、油断していた私も悪いんです。」

「しかし・・・」

「悪いのは現実を人のせいにしてたあの人達ですから。」


 詳しい事情は知らない。あの事件の後もその説明を求めることはしなかったからだ。けれど端から聞いていても彼らの主張が身勝手なことは分かった。争い事とは常に両者の主張の違いによって起こるものだけれど、彼らの考えを知っても沙樹の立ち位置はヴァンの側だった。そして自分の意思で彼らと対立する側に立ったのだから、それを選択した自分にも責任がある。

 それを聞いてブレードは意外そうに目を瞬かせた。


「・・強い女性ですね。あなたは。」

「え?」

「自身の考えをきちんと持っている。弟の傍にいたのがあなたで良かった。」


 するとそれまで黙っていたヴァンが口を開いた。


「それで?こいつまで連れてきて、何をしようとしてたんだ?」


 話が急に不穏な方向に変わる。するとブレードは先程までの穏やかな笑みを引っ込めた。


「もし慰謝料を請求するような女だったら、僕も色々と忙しくなる予定だったんだけどね。」

「な・・・・・。」


 一体何をするつもりだったのだろう。爽やかな王子のイメージがガラガラと崩れていく。彼の笑みに悪寒を感じてシンガーは身震いした。その横でヴァンはちっと舌打ちする。


「シンガー。こいつには近づくなよ。」

「え・・あの・・・・。」


 するとティーカップを持ったままカイルが笑い声を上げる。


「あははは。相変わらず黒いなぁ、ブレードは。」

「嫌だなぁ。我が弟を愛するが故だよ。ねぇ、ヴァン。」


 弟に微笑みかけるその表情に先程の不穏なものは微塵もないが、それでもヴァンは心底嫌そうな顔を向けた。


「止めろ。気色悪い。」

「ひどいなぁ。こんなに君の事を大切に思っているのに。」

「余計なお世話だ。」

「今回はそのようだね。」


 そう言って、ブレードは沙樹に表裏のない笑みを向けた。そこでやっと沙樹は胸を撫で下すことが出来た。


「まぁ、冗談はさておき、シンガーさんにはお礼をしたいのだけれど何がいいかな?」


 何が冗談だ、と呆れたヴァンの呟きが漏れる。それを聞きながら沙樹は首を横に振った。


「いえ、お礼なんていらないです。二人にはここまでとてもお世話になっていて、お礼をしなければいけないのはこちらの方ですから。」


 遠慮でも謙遜でもなくそれは本音だった。これまでの宿代も出してもらっているし、馬にも乗せてもらった。二人がいてくれたお陰で見知らぬ土地での旅が順調に進みここにいるのだ。けれどそれを説明してもブレードは引き下がらなかった。


「成る程。けれどそれは私からのお礼にはなりませんね。」

「でも・・・。」

「何もしないでは私の気が済まない。どんなことでもいいんですよ。遠慮なさらずに。」


 確かに何かお願いしないことにはブレードは引き下がってくれそうにない。どうしようかと頭を悩ませていた所で、お茶の御代わりを注ぐメイドの姿が視界に入った。


「あ・・・」

「何か思いつきましたか?」


 こくん、と沙樹は頷いた。


「ロードさんとお話がしたいんです。」

「ロードと?」


 意外そうな顔をするブレードとカイル。そしてヴァンは何故か眉間の皺を深くするのだった。

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