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第四話 2.フォルタナ(2)

 彼の動きを止めたのはその一言だった。同時にカイルは柄から手を離して剣を鞘に戻し、後ろを振り返る。森林が作り出す暗闇から現れたのはここにいる筈の無い人物だった。


「ヴァン・・・。」


 思わず無防備に沙樹の口から彼の名前が漏れる。ヴァンはちらりと沙樹を一瞥すると、眉間に皺を寄せて彼女に突きつけられたナイフを見た。その表情には沙樹が見慣れた不機嫌さではない、別の感情が込められている。


「ヴァン。何してる。」


 その行動を咎めるカイルの言葉に彼は悪びれることも無く言い放った。


「どうせお前の事だから俺が来るのは分かってただろ?」

「・・まぁね。だから君を付けたんだけど。オズワン。」


 すると更に森の中から若い男性が現れる。沙樹と同い年位の彼は、ヴァンとは違いカイルにバツの悪そうな顔を向けた。皮鎧にカイルと同じこしらえの剣。騎士団の一人であることは間違いない。


「申し訳ありません。俺では殿下を止めることが出来ず・・」

「ま、本気でヴァンが命じればそうなるだろうね。」


 ヴァンの警護に付けたのは二人。オズワンがここにいると言うことは、もう一人はそれを報告に走っているのだろう。それを聞いたグラハムがどんな顔をするかなんて考えたくもない。

 この場にそぐわぬ会話を交わす彼らに男達は動揺した。剣を刷いた騎士が二人。無事に事が終えるには危険が伴う状況だ。


「おっ、おい!!一人で来いと書いただろう!この女がどうなってもいいのか!!!」


 それに応えたのはヴァンだ。


「お前達の話は聞いた。だが、謝罪は出来ない。」

「何を・・・」


 ヴァンは男達の全身を眺めた。その目線は彼らのその身なりに向けられている。


「戦前よりも商売が上手くいってないくらいで、お前達の生活水準がそれほど悪くなったわけではないのだな。輸出入の利益格差は今内務大臣達が必死に対応策を練っている。それを待って欲しい。お前達は国から賠償金を絞り取りたいのだろうが、三年経った今でも国の援助を必要としている街や国民は多い。国の資産はそちらに回されるべきだ。」

「黙れ!!やったことの責任を放棄すると言うのか!!」

「責任の取り方がお前達の要求に合わないだけだろう。悪いが、お前達の我侭に付き合っている程王家は暇じゃない。」


 その一言にリーダーの口が動いた。


「女を殺せ。」


 一人が沙樹の腕を掴んで無理矢理立たせ、ナイフを持っていたもう一人がその刃を首筋に当てる。金属の冷たい温度を感じて、沙樹は後ろに回した両手をぎゅっと握った。

 その時沙樹の耳に入ってきたのは草を踏みしめる足音。共に前に出たのはヴァンだ。カイルは脇によけて膝まづく。後ろに控えていたオズワンも同様だった。彼は沙樹を捕える男達を睥睨したまま命じる。


黄金の鷹フォルタナ・ム・キース。王より与えられたその称号が名ばかりでないことをこの場で証明して見せよ。」

「仰せのままに。トラファ・ヴァンディス。」


 沙樹は初めて目にするヴァンディス王子としての姿に息を飲んだ。ヴァンもカイルも雰囲気がまるで違う。今まで一緒に共に旅をしてきた筈なのに、急に二人が遠く感じた。だが、動揺したのは沙樹だけではなかった。


「なっ・・・。フォルタナ・ム・キース?あの男が?」


 流石に英雄の二つ名は彼らでも知っているらしい。驚愕と畏怖の目を向ける彼らに、立ち上がったカイルはおどけた口調で剣の柄に手を伸ばした。


「何度もその名前で呼ぶの止めてくれないかな。照れちゃうよ。」

「ふざけやがって!」


 一人が長剣を振り上げる。カイルは素早い動きで抜き放った剣を横にしてそれを受け止め、自らのそれよりも遥かに重い長剣を跳ね返した。相手が体勢を崩した所でわき腹に蹴りを入れる。すると一撃で男は鈍い音と共に地面に崩れ落ちた。

 それを見た男達が同時にカイルに襲い掛かる。多勢に無勢だが、相手が二つ名の英雄となればそんなことを気にしている余裕など無い。カイルを挟み込み後ろから奇襲をかけた男が、しかしそれすらカイルの剣に阻まれ頭から泉へ落ちた。次々と凶器を振り回す男達をカイルは流れるような動きで沈めていく。

 倒れた男の一人が、苦しげに声を上げた。


「手を貸せアム・ロジア!!」


 その一言に全員の動きが止まる。


(アムロジア?)


 はっとして沙樹が正面に目を移せば、まるで他人事のように立っているだけだった壮年の男が動きを見せた。ヴァンはその男を訝しげな顔つきで見る。一方カイルは「ふーん」と酷薄な笑みを浮かべた。


「恐れ入ったよ。あのアム・ロジアを持ち出すとはね。」


(あの・・?)


 本名かと思ったがどうやら違うらしい。アムロジアではなくアム・ロジア。直訳は『黒い狼』。もしやカイルと同じ二つ名なのだろうか。けれどどう見ても彼は騎士団の人間には見えない。


「ちょっとは面白そうだね。」


 興味深げに言ったカイルに対して、リーダーの男が噛み付くように言う。


「はっ。アム・ロジアを甘く見るなよ、小僧。」

「それはどうかな。」


 すらりと男のベルトから抜かれたのは刀身の大きなジャックナイフ。アム・ロジアは無言のままそれを構えてカイルに突進する。その身軽さに沙樹は息を飲んだ。戦いなれていると思ったのはやはり正しかったのだ。彼の動きは他の誘拐犯達とは比べ物にならない。無駄のない動き、軽やかな体さばき。カイルの剣と彼のナイフが打ち合えば、キンッと甲高い金属音が沙樹の耳を打つ。一進一退の攻防。沙樹にも、そして彼らの仲間達にもそう見えたが、カイルにとっては違うようだった。アム・ロジアのナイフを剣で受け流したカイルは不意に溜息をつく。


「はぁ。期待外れだなぁ。」

「何?」


 返した剣でこんどはジャックナイフが弾き飛ばされた。その衝撃を受け止められなかった男の腕には痺れが残ったようで、握っていた右手を押さえている。トスッと男のナイフが右側の木の幹に刺さった。


「な・・・。」


 まさか彼が負けるとは思っていなかっただろう。それまで鼻息荒く彼らの戦いを見ていた誘拐犯達が一様に顔を青くする。


「馬鹿な・・・。」

「君ねぇ、アム・ロジアを名乗るんなら覚えていた方がいいよ。」


 そこで初めてアム・ロジアが口を開いた。低く、掠れた声が沙樹の耳にも届く。


「・・何?」

「本物のアム・ロジアは先の戦争で左足に怪我を負ってね。その後遺症が今も残っている。そのせいで遅れを取らない為に、君のように重いナイフを左足につけるなんてことはしないのさ。」

「なっ・・・」


 カイルは本物のアム・ロジアを知っていたのだ。この男が名を借りることができたのだから、恐らく騎士団の人間ではないだろうが、ユフィリルの国民には広く知られた名前らしい。


黒狼(アム・ロジア)は国民の英雄だ。騎士団にも熱狂的なファンがいる。特に彼の前でその名を語るなんて馬鹿なことしない方が良かったね。」


(彼・・・?)


 一体誰のことだろう。そう思った時、男の背後から首筋に剣が突きつけられた。月光を反射して銀色に輝く刀身。その先にあるのはカイルと同じ柄と国章。


(騎士・・・)


「第十一騎士団隊長グラハムだ。拉致監禁及び脅迫の罪でお前らの身柄を確保する。」


 いつの間にここに来たのだろう。男の背後には五十歳程の色黒の騎士が立っていた。彼の更に後ろには同じく革鎧を来た騎士達が待機している。

 グラハムは決して上品とは言えないその表情を荒々しく歪めた。


「アム・ロジアの名は軽くない。覚悟しておけよ。」


 誘拐犯の多くはカイルの手によって倒れ、頼みの綱だった用心棒も討ち取られた。彼らの後ろでほっと沙樹が息を吐くと、不意にぐいっと後ろに体を引かれた。


「んっ・・。」


 同時に大きな手で口を塞がれる。ナイフを突きつけていた男が沙樹を羽交い絞めにしてこっそり移動しようとしているのだ。木に繋いでいた彼らの馬も今は騎士団に手の中にある。無事に逃げるには沙樹を盾にするしかないと踏んだのだらしい。けれどまさか仲間を置いて一人で逃げ出す気なのだろうか。

 沙樹は握っていた縄を離すと、腕を開放して男を思い切り突き飛ばした。


「離して!!」

「テメッ・・」


 縄が解けたことに驚いたようだが、すぐにその腕が沙樹に向かって伸びてくる。それを振り払おうとした時、男の動きが止まった。


「もう止めとけば?」


 沙樹と男の間に入り、彼の腕を掴んだのはカイルだった。素早く掴んだ腕をひねり上げて、そのまま地面に蹴り倒す。すぐに周囲にいた騎士達が駆け寄り、男の身柄を拘束した。

 ほっとして力が抜け、沙樹が木の幹に寄りかかっている間に誘拐犯達は残らず捕えられていた。


「シンガー。大丈夫?」

「あ・・うん。大丈夫、です。ありがとう。」


 剣を治めたカイルは沙樹の知っているいつもの彼でほっとする。するとその空気を破るように男の罵声が飛んだ。


「あの戦争の結果がこれか!!我が国の現状を知ったら死んだ奴らは浮かばれないだろう!お前が死んで詫びればいい!!!」


 部外者の沙樹でも分かる。彼が言っていることはただの詭弁だ。けれどヴァンはそれを無視しなかった。


「それでお前の気が済むなら俺を殺せばいい。俺はいつどこで死のうと構わない。だが、それでもこの国の意思は変わらない。」


 悔しそうに男が顔を歪める。けれどもうそれ以上言葉を発することはなかった。騎士達に腕を縛られ連行されていく。それを見送ったヴァンはやっと沙樹の傍に歩み寄った。


「シンガー・・・」


 パンッ


 小気味いい音が静かになった森に響く。ヴァンは自分の頬を打ったその白い手の主を驚きの表情で見返した。沙樹は唇を噛んで目の前のヴァンを睨んでいる。


「何を・・・」


 助けに来た第二王子に不敬を働いた女に向かってとっさに騎士達が駆け寄ろうとする。だが、それをカイルが手振りだけで止めた。


「カイルさん・・・。」

「君らは邪魔。もう帰っていいよ。」

「し、しかし・・・」


 オズワンが尚も食い下がろうとするが、冷ややかな目が向けられて口を噤む。それを見ていたグラハムは部下達とは反対に、面白いものでも見物しているかのように口笛を鳴らした。

 一方ヴァンはどうしたら良いのか分からず、情けない顔でうろたえていた。自分のせいで怖い思いをさせてしまったのだ。彼女が自分を嫌うのも当然。だが、彼女の口から出たのは誘拐されたことへの不満や恐怖を責めるものではなかった。


「死んでもいいなんて二度と口にしないで!!」


 ボロボロと黒い瞳から流れるのは透明な雫。思いも寄らぬ言葉にヴァンは言葉を失った。


「シンガー・・。」


 小さなサンドの街だけでもあれ程の戦災孤児がいたのだ。戦争の当事者であったこの国ならば戦死者は相当の数だろう。先の戦争で多くの命を奪われた国の上に立つ者がそんな考えでは亡くなった人達の魂が浮かばれない。家族を失い、今だ寂しさで夜眠ることの出来ない子供だっている。あの孤児院でそんな姿を見てきた沙樹は、周りの人達が悲しむことを考えない、軽く命を投げ出してしまえるその発言が何よりも許せなかった。


「すまない・・。すまない、シンガー。」

「うっ・・・」


 止まらない涙を流す彼女を腕の中に閉じ込める。何度も何度も謝罪の言葉を口にしてヴァンはその小さな体を抱きしめた。グラハムは何も言わずに部下達を引き上げさせる。残されたカイルはそんな二人の姿をただ見つめていた。

 




 * * *


 多くの者達から非難を受けたあの日をヴァンは今でも覚えている。


 隣国バハールがユフィリルに戦争を仕掛けたのは十四年も前のことになる。山が多く自然豊かなユフィリルとは違い、バハールは国土の北半分が岩地だった。国土面積はユフィリルとそう変わらないものの、農地となる土壌が少なく深刻な食料不足に喘いでいた。鉄が多く採れるバハールは密かに武器製造に力を注ぎ、領土拡大の為に昔から農耕で生計を立てていた穏やかな国、ユフィリルに侵攻を開始したのだ。だが、ユフィリルも無防備にその攻撃を受けたわけではない。不穏なバハールの動きを密偵に探らせ、建国時よりこの国を守ってきた騎士団が迎え撃つ準備を整えていた。いくら武器があろうとも長期戦になれば食料不足のバハールが先に退くのは目に見えている。だが誤算が起きた。当時バハールの政権を握っていたハニム=ガルーダ八世は三年続いた戦争で自国が食糧難に陥っても兵を退かなかったのだ。自ら仕掛けたことへの責務か、それとも王としての矜持か。今でこそハニム王は退き際を誤ったと言われているが、当時彼を諌めるものはいなかった。


 予想外に長引いた紛争にユフィリルは多くのものを失った。食料、自然、資源とそれまで築いてきた経済・流通、そして国民。ユフィリル王家は長い間この問題に頭を悩ませることとなった。これ以上の犠牲は出せない。けれど兵を退かせれば更に侵攻される。ぐずぐずと長引く戦争の前線に出ると王に進言したのはヴァンが十九の時だ。

 騎士団は兵が不足しており猫の手も借りたい筈だ。そして何より、騎士達の後ろで守られているだけの王家に嫌気が差していた。前線をこの目で見なければ、上がる報告を待っているだけでは何も変わらないと主張したのだ。大臣達からの猛反対にあったが、食い下がるヴァンに最終的に許可が下りたのは自分が第二王子だったからだと思う。王位継承権第一位のブレディスが無事であるなら、ヴァンにもしものことがあっても問題は無い。

 そしてヴァンは前線で全てを見た。戦うことに、そして生きることに疲弊した兵士達。食料不足と犠牲の大きさ。美しかった自国の自然も街並みも踏み荒らされ、戦場となってその姿を変えていた。これが十年。王家が手を拱いていた結果だった。


 戦場から戻ったヴァンはすぐさま手を打つべきだと提言した。なんだっていい。この無意味な戦争を終えることができるなら。だが具体案のない意見など当然相手にされない。ヴァンはその日から積極的に外交に出た。そして兄ブレディスと共にアンバを訪れ、同盟を申し出た。当然反対もあったが最初にブレディスを説得したのは正解だった。ヴァンと同じく戦争を憂いていた彼は弟以上に身動きの取れない己の身を疎んじていた。だから国王の説得に誰よりも動いてくれた。自分一人では国王も大臣も首を縦に振らなかっただろう。

 同盟締結時、現在の物価と流通の変動を予想できなかった訳ではない。だからこそ、ヴァンは報復を受けることを厭わない。その責任は確かに自分にあるのだと、そう思っている。


 宿に戻ったヴァンはベッドの上に寝転がって己の手のひらを見つめた。確かにこの腕に抱いたシンガーの感触が今も残っている。震える細い肩も艶やかな黒髪も、そして彼女の目から零れる涙の温かさも全てが忘れられない。

 眠れる気がしなくてヴァンはベッドから身を起した。テーブルの上の水差に手を伸ばし、グラスに水を注ぐ。自分の為に怒ってくれた、あんな女性は初めてだった。ヴァンは第二王子だ。周りにいるのは自分の顔色を窺う、取り入ろうとする女性ばかりで本音でぶつかってくれる相手などいなかった。

 何故あんな女が存在するのだろう。知らなければ、こんな思いをすることもなかったのに。


 一気にグラスの中の水を飲み干す。けれど胸のもやもやはなくならない。ヴァンは疲れている筈なのに眠れぬ自分に苛立ちを感じながら、更ける秋の夜を過ごすのだった。

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