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第四話 2.フォルタナ(1)

 

「なんだ。また殿下の子守か?カイル。」


 角ばったごつい顔が顔を上げた。日焼けした肌に笑い皺、白髪の混じった顎鬚。騎士というより海の船乗りのようだ。だが五十歳近いその男性が口を開けば陽気な船乗りではなく、嫌味な小言を言うただのオヤジ。カイルは自分を見るなり開口一番意地の悪い笑みを浮かべた男に向かって肩を竦めた。


「そんな所ですよ、グラハム隊長。」


 カイルが訪れたのは第十一騎士団の屯所だった。真っ直ぐに隊長グラハム=ハディの下へ向かい隊長室のドアを開けると、彼は実に面倒くさそうに書類に目を通している所だった。もしかしたら自分に向かって投げつけられた言葉はつまらない業務への八つ当たりかもしれない。カイルがそう思っても仕方がない程、机の上には書類が溜まっている。

 カイルは許可を取る前に隊長室に入り、中央に置かれたソファに身を沈めた。グラハムはそれを咎める事はせずに持っていた羽ペンを机の上に転がす。


「ふん。相変わらずお忙しいことだな。それで?当のヴァンディス殿下はどうした。」

「フラの宿に篭らせてあります。」

「・・・お前は何しに来た。」

「仕事ですよ、隊長。しかもタチの悪いね。」


 綺麗な顔が口の端を吊り上げる。美形なカイルが笑えば女性が喜ぶだろうが、残念ながらここにいるのはグラハムとカイルの二人だけ。グラハムは眉間に皺を寄せると、行儀の悪さも気にせず頬杖を付いてカイルを見返した。


「それりゃあ、難儀なことだな。何人必要なんだ?」

「動かせるものは皆貸して欲しいんです。」

「あぁ?」


 眉間の皺が更に深くなる。第十一騎士団全員を動かすとなれば王家からの勅命か、もしくは余程の緊急事態だ。タチが悪いのは間違いないようだった。


「殿下の知人が人質に取られました。要求は殿下からの“謝罪”。取引場所に指定されたモラーデンの泉ってどこか分かりますか?」

「西の森にあるでかい泉ことだな。知人ってのは誰だ?」

「旅の歌い手ですよ。」

「殿下の情婦か?」

「いえ、違います。確かに女性ですが、成り行きで城下まで同伴することになっただけです。」

「ほー。そりゃあ楽しそうでいいね。」


 馬鹿馬鹿しい。内心そう思った。ヴァンディス王子が度々城から抜け出し、勝手なことをしているのはグラハムも知っている。毎度カイルが彼を迎えに行くのも同様だ。彼のお遊びのついでに知り合った女を人質に取られ、騎士団にその尻拭いをさせようなんて愚かなことだ。

 だがカイルの考えはグラハムとは違うらしい。彼は笑みを消し、真剣な表情を向けた。


「彼女は殿下の身分も知らない。ヴァンディス殿下は自分のせいで巻き込まれた女性に酷く責任を感じています。」

「そりゃそうだ。自分が仕事サボって城を空けたりしなければ、こんな事にはならなかったんだからな。」


 城の人間に聞かれれば不敬の罪に問われそうな言葉だが、幸いにもここはグラハムの隊長室。それを咎める人間は誰も居ない。隠すことの無い本音に不安を感じたのか、カイルの表情が硬くなる。


「・・・・。協力していただけますよね?」


 そんな彼とは反対にグラハムは笑って見せた。


「心配するな、カイル。殿下の命令とあれば勿論騎士団は動く。俺はただ、個人的に逃げてばっかりの殿下が気に食わないだけさ。」

「ブレディス殿下派ってことですか?」


 現王の正妃には子供が二人しか居ない。第一王子のブレディスと第二王子のヴァンディスだ。側室の間には三人の子を儲けているが正妃の子が男子だった為、王位継承権を持ってはいても実質後継者には遠い存在。第二王子であるヴァンは最初から兄のブレードを出し抜くつもりはない。それでもやはり美味しい思いをしようとする輩はいるもので、本人達を差し置いて勝手に派閥を作り、上手く取り入ろうと策を労しているのだ。そんなカイルの憂いをグラハムは鼻で笑い飛ばした。


「おいおい。後継者争いしているわけじゃないんだ。騎士団の人間にとっちゃそんな派閥に意味は無い。そんな話より早いトコ歌姫のお嬢さんを探してやらなにゃいかんのだろう?」

「・・えぇ。泉周辺の捜索を。ついでに殿下のいる宿に騎士を二人行かせて下さい。」


 その言葉にグラハムは片眉を上げた。


「なんだ。お前さんは殿下の下へは戻らず捜索に加わるのか?」

「勿論。彼女の顔を知っているのは殿下と俺だけです。」

「まぁ、違いない。そんじゃあ、招集掛けるか。」


 グラハムはかったるそうに椅子から立つと、首が凝っているのか手を当てながらゴキッと鈍い音を鳴らした。そこに騎士団の隊長としての威厳も何も無い。相変わらずな彼を見てカイルも立ち上がった。


「グラハム隊長。」

「あぁ?」

「相変わらず口が悪いですね。ハディ家の連中が泣きますよ。」


 すると分かりやすくグラハムは顔を歪めた。ハディ家はユフィリルの中でも古参の貴族だ。公爵家の次男に生まれた彼は、長男でないことをこれ幸いと騎士団に入隊した。幼い頃から教育された礼儀作法が身に付いてはいるが、それにふさわしい場所でなければ地が出てしまうのが常だ。貴族文化を疎む彼は家の名を出されることを好まない。


「お前は相変わらず一言多いな。それともバックに殿下が付いているから強気なだけか?」

「俺はどっち派でもないですよ。」

「ふん。お前が国王トランジじゃなく獅子ペディカに忠誠を誓ってるって噂はあながち嘘じゃなさそうだな。」


 カイルはそれを聞いても再び肩を竦めるだけで、否定も肯定もしなかった。グラハムの言葉が本当なら国王に剣を捧げる騎士団の者としては許されないことだ。けれど誤魔化す所かカイルはニヤリと笑った。


「推測ならお好きにどうぞ。でも、黒狼(アム・ロジア)を追い掛け回していたあなたとそう違いがあるとは思えませんがね。」

「・・だから一言余計なんだ、お前は。」

「これは失礼。」


 再びカイルが綺麗な笑みを浮かべる。けれどグラハムにとってそれは嫌味なことこの上ない。ちっと一つ舌打ちしてグラハムは隊長室を後にした。自分勝手な第二王子と美形だが口の減らない二つ名の騎士。こんな二人と共に旅をしていたのはどんな女なのだろう、と思いながら。





 * * *


(これが泉?)


 泉、というより湖だ。視界一杯に広がる湖面に反射した月光が眩しい。日が暮れた頃、沙樹はあの小屋から自分を攫った男達と共にこの場所に移動していた。森の奥にあるこの泉はめったに人が立ち入ることがないようで、道らしき道もない。ここから逃げるにしても自分一人では街に帰るのも難しそうだ。

 移動した後は座らされた木の下から動くことも出来ず、意外にも暇を持て余していて、沙樹は夜の泉を見つめていた。


(きれー・・・)


 水は夜でもはっきりと分かるほど透き通り、小川となって流れ出ている。どうやらここから水が湧き出ているらしい。だが、これ程綺麗な泉に魚が一匹もいないのだから不思議だ。綺麗過ぎて逆に住み難いのかもしれない。


「時間だ。」


 男の一人が言う。最初に沙樹の腕を捕った男だ。どうやら彼がリーダーのようだ。他の仲間達への指示も彼が一人で出していた。

 ポケットに入れていた時計を見たリーダーに向かって沙樹は言った。


王子トラファは来ないわよ。」

「それはこれから分かる。」


 どうして彼らはヴァンが来ると確信出来るのだろう。そう思ったが訊く事は出来なかった。訊いた所で人質である沙樹に素直に教えてくれるとも思えない。いや、もしかしたら王子が来ると思いたいだけかもしれない。罪に問われることを覚悟してまで沙樹を誘拐したのだ。そうでなければ困るのは目に見えている。

 沙樹は彼らに聞こえないよう小さな溜息を付いた。こんな状況になってしまったこともそうだが、自分のせいでヴァンとカイルを煩わせてしまうのも沙樹にとっては苦痛だ。一人で旅が出来ると思ってサンドの街を出た。その旅中に誰かに迷惑をかけることは、一人ではダメなのだと突きつけられているのと同じなのだ。そうならない為に、沙樹は自分でこの状況を打破しなくてはならない。


(縄は解けてる。隙をついて逃げることは出来るはず。けど問題はその後。一人でどうやって街まで逃げ切るか・・・。)


 いくら周囲を見渡してもそのヒントは見当たらない。泉と繋がっているこの小川は残念ながらコヴェルの街へは続いていないのだ。おまけに彼らは二頭の馬を引いている。ここへ移動する際、両手両足を縛られた沙樹を乗せるのにも使用された馬で、沙樹が運良く逃げて全力疾走した所で、到底馬の足には敵わないだろう。

 それに沙樹にはもう一つ不安要素がある。それは自分がいる木の向かいに立っている太い両腕を組んだ壮年の男。コヴェルの街で誘拐された時にはいなかったのに、泉へ移動する際いつの間にか加わっていたのだ。彼は他の男達とは違いやけに落ち着いていて、じっと何も言わずに立っている。日焼けした肌、左太ももに付けられた太いベルトには皮製のケースに入った大きなナイフ、決して綺麗とは言いがたいくたびれた服。白髪混じりだけれど年老いて感じないのは彼の鍛えられた筋肉が見えているからだろう。彼らの仲間、というよりは用心棒といった感じだった。腕や首に残る大小の傷の多くを見れば、他の男達とは違い戦い慣れた雰囲気だ。明らかに場慣れした空気に沙樹は彼が最も警戒すべき人物だと感じた。

 どうやって彼の目をかい潜ることができるのか。答えの出ない問題に沙樹が頭を悩ませていると、草を踏む音が聞こえて顔を上げた。同時に男達も身構える。どうやら彼らの仲間ではない者が来たようだ。


(誰・・・?)


 薄暗い森の中、沙樹は必死に目を凝らす。やがてその人物が姿を現すと、月光が男性の金髪に乱反射してキラキラと細かな光が瞬いた。


(カイル・・・・)


 ほんの少し肩の力が抜ける。思わず名前を呼びそうになったが、彼が自分の知り合いであることを男達の前で明かして良いのか分からず口を閉ざした。けれどすぐに彼の他には誰もいないことに気付いて息を飲む。誘拐は全部で六人。対してカイルはたった一人。


(大丈夫なの?)


 沙樹の心境が分かったのか、カイルは真っ先に沙樹に向かって綺麗な笑みを向けた。


「遅くなってごめん。けど、もうちょっと我慢してて。」


 まるで男達のことなど意に介していないような言葉だ。沙樹が呆気に捕られていると、リーダーである男がカイルに一歩近づいた。防具はつけていない軽装ながら、男の目は油断無くカイルの腰元にある剣に向けられている。


「王子はどうした?」

「彼なら安全な場所にいるよ。」

「ふざけやがって・・・」


 けれどある程度は想定内だった筈だ。危険な場に王家の人間がノコノコ現れる訳ないのだから。誘拐犯の中でも比較的若い、三十歳程の細身の男が座ったままだった沙樹の首元にナイフを向けた。


「女が死んでも良いのか?」

「・・・・。」


 ナイフの刃先が目の間にある。沙樹はそれに意識を集中させた。捕えられた所までは冷静でいられたものの、初めて凶器を向けられ、不安と恐怖で心臓が不快な鼓動を刻み始める。もしこれで切りつけられたら・・・。それを想像してしまい、背中に悪寒が走った。

 そんな沙樹の様子を視界に納めながら、カイルはリーダーに顔を向ける。


「君達は何がしたいわけ?」

「我々の要求ははっきりと記した筈だ。」

「あぁ。あったね。“謝罪”でしょ?」


(謝罪・・・?)


 その意味が分からず沙樹は眉根を寄せる。王家の人間に脅しをかけるのだから、てっきり身代金とかそれに見合う地位や職が目的だと思っていた。彼らが元々犯罪者の集団でないことは沙樹もある程度予想がついている。彼らの会話や服装、そして沙樹が縄抜け出来た詰めの甘さから考えてもただの一般人にしか思えないのだ。国を治める者に謝罪を求めると言うことは、もしかしたら元の世界で政治家が糾弾されるのと似たようなものかもしれない。

 するとカイルは彼の言葉を鼻で笑った。


「ハッ。そんなことして何になるんだか。」

「王家の狗ごときに何が分かる!!」


 リーダーの隣にいた太目の男性がその態度に激昂する。憎憎しい表情で睨みつけた所でカイルはどこ吹く風だ。


「あいつのせいでどれだけ俺達が迷惑していると思ってる!!あいつがアンバとの同盟を提言しなければこんなことにはならなかったんだ!!」

「そうだ!原材料は値を上げ、作ったものは安くアンバに買い叩かれる。あっと言う間に俺達の生活は苦しくなった!全てあいつのせいじゃないか!その責任を取らせるんだ!!」


 一人が口を開いたのを合図に男達からは次々と言葉が飛び出す。どうやら彼らは商人らしい。コヴェルは街道沿いの街だけあって商人の多い場所だ。アンバとの同盟によって戦争が終結したものの、その代償がこんな形で発生しているなんてアンバにいた沙樹では知らなかった事実だ。

 熱くなる彼らに対して、カイルは冷めた目で眺めていた。


「君ら、戦争に参加していないだろ。」


 その一言で彼らの口から罵声が止む。リーダーの男はその空気に逆らうように苦々しい口調で言い返した。


「・・それがなんだ。」


 やっぱりね、とカイルが呟く。


「戦地にいた者ならそんなことは言わないからだよ。君ら想像したことある?毎日目の前で仲間達が傷つき死んでいく。毎日自分が死なない為に振るった剣で誰かを殺す。それがいつまで続くのか分からない、あの地獄を。」


 その言葉に悪寒を感じて震えたのは男達だけではなかった。沙樹もまた、突きつけられたナイフのことなど忘れて嫌悪と恐怖に唇を噛んだ。


(カイル・・・)


 そうだ。彼は沙樹の知らない戦争を知っている。彼らが知らない現実を知っている。だからいくら罵られた所で平然としていられるのかもしれない。過去の経験に比べれば嘲りの言葉など子供の喚き声のようなものだろう。あんな冷たい目をしたカイルを見るのは初めてだった。

 カイルは一歩男達に近づく。それに反発するように彼らはじりっと後ずさる。


殿下トラファはそれを知っていた。だからこそどんな手段を用いても止めなくてはならなかった。それが国を、国民の命を背負うものとしての責任だから。」


 カイルの手が剣の柄を握る。そこに刻まれたユフィリルの国章、獅子ペディカが月光を浴びて鈍く光るのが見えた。


「そこまでだ。」

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