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第三話 3.カイル(2)

 

 三人は今、カイルの部屋で料理の並んだテーブルを囲んでいる。この宿屋は部屋で食事を取ることが可能で、一階の食堂で作られた料理を店員がここまで運んでくれた。食堂でとっても良かったのだが、今日はのんびりしたいからとカイルに言われ、部屋で食べる事になったのだ。


「シンガーは営業しないの?」


 そうカイルに問われて沙樹はスプーンを握っていた手を止め、手元のお金を頭の中だけで計算した。エド達と一緒に興業したお金はまだ大分ある。関所ではカイルの部屋に泊めてもらったので食事代くらいしかかっていない。彼が、沙樹が申し出た宿泊代の半分を辞退したからだ。稼げる時に稼いでおくのもいいが、あちらの世界のように銀行などないのだからあまり持ちすぎるのも良くない。これもエド達から教わった旅のコツだった。


「まだお金に余裕はあるんですけど。ちなみにここの宿泊費っていくらぐらいですか?」


 高級とは言わないが、食事を部屋まで運んでくれたサービスでも分かる通り、ここはエド達と泊まっていたのより数段良い宿屋だ。泊まるのは一泊だけでも高い宿泊費なら手持ちのお金が底を付いてしまうかもしれない。そう心配したのだが、カイルは首を横に振った。


「ここの宿代なら心配しなくていいよ。ヴァンが払うから。」

「え?」


 何故そうなるのだろう。首を傾げれば、さも当然とばかりにカイルがヴァンを見る。


「なぁ?」

「・・あぁ。」


 そんなに嫌そうに返事をされると素直に頷けない。戸惑う沙樹にカイルは取り分けたサラダを手渡した。


「ありがとう。」

「宿代よりもヴァンはあの歌の続きを唄って欲しいんじゃない?」

「・・そう、なの?」


 グラスを傾けていたヴァンは意外にも沙樹の問いかけに素直に頷いた。確かに関所で聞きたいと言ってはいたが、そこまでこだわっていたとは知らなかった。まだ沙樹はその続きを考えていなかったのだ。


「ごめんなさい。まだ全然手をつけていなくて。」

「いや、別に急かしている訳じゃない。」

「うん。ありがとう。」


 そう言うとヴァンの表情が少し緩んだ。ほっと息を吐き、真剣に作らなくちゃな、と改めて思う。どうしてそこまでヴァンがあの曲にこだわるのかは分からないが、自分の歌を待ち遠しく思ってくれているのは沙樹も嬉しい。


「唄うのって恋愛の歌が多いの?」


 カイルのその質問に沙樹は頷いた。


「はい。お客さんに人気があるのはやっぱり恋愛がテーマの曲なので。」

「ふーん。それを作詞するのって、自分の経験談?」

「あぁ。それもあるかもしれません。でも人から聞いた話を参考にすることもありますよ。」


 あちらの友人の話、昔見た映画やドラマ。最近では唄っている時にビビとダルトを思い出すこともある。様々な恋愛の形が沙樹の頭の中にあるのだ。元の歌詞を翻訳しながら、こちらで唄っても支障がないようそれらと組み合わせて歌詞を綴っている。

 聞いていいのか躊躇われたが、今は三人しか居ないので思い切って沙樹はカイルを見た。


「カイルに今恋人は居るんですか?」


 すると彼にしては珍しくきょとんと無防備な表情をした後、カイルは薄い笑みを浮かべた


「本命はいないよ。大分昔にフラれてね。今は、次の本命を探し中ってトコかな。」


 フラれたという割にその表情は明るい。どんな人だったの?と聞くと、彼は意外にも嬉しそうに笑った。


「惚気話になるけどいいの?」

「惚気?」


 フラれたのに惚気になるのだろうか。そう思ったが口には出さずに沙樹は頷いた。カイルは透明度の高い手元のグラスを揺らし、カランッと軽い音を立てる氷をかき混ぜる。


「真面目な奴でね。戦時中に同じ前線で戦ったんだけど、あの時は随分と思いつめているように見えた。自暴自棄、と言ってもいいのかもしれない。」


 初めて当事者から聞く戦争の話。沙樹は食事の手を止めてその話に聞き入った。


「あいつは戦争で親兄弟を亡くしたばかりだったんだ。いつ自分が死んでも構わないと思っているような、そんな危うさが気になってから目が離せなくなった。」


 するとそこで一旦言葉を切ったカイルがグラスの中身を飲み干す。沙樹がボトルのお酒を注ぎ足すと、ありがとうと言って目線を上げた。


「ペディカ・ム・ダイアンって聞いた事ない?」


 『ペディカ』はこの国の紋章にも使用されている獅子のことだ。『ダイアン』はアンバの祈りの言葉の中に必ずある、母なる大地を表す単語である。


大地の獅子ペディカ・ム・ダイアン?」

「うん。それが俺の本命だった男の二つ名。」


 カイルと同じく二つ名を賜った男性。はっきりと口にしていないが、それを手にした彼はカイル同様この国の騎士なのだろう。詳しくは知らないけれど、国章の獣を二つ名に持つのは凄い事ではないのだろうか。


「すごい人なんですね。」

「戦争で上げた功績で言えばね。でも俺もあいつもそんなものは求めちゃいなかった。二つ名なんて後から付いてきただけのものだし。あいつは特に、呼ばれても自分の事だと気づかないくらいだったから。」


 話を聞きながらヴァンの酒も進んでいく。カイルの二つ名を知っていたのだ。彼もカイルの想い人のことを知っているのだろうが、横から口を挟むことはしなかった。


「普段は二つ名なんて持っているのが信じられないくらい見た目も性格も穏やかな奴なんだ。ボケっと空を眺めているのが好きなくらいね。」


 戦争の功績とはつまり敵を倒すこと。握った剣で命を奪う。穏やかなその男性が、そして目の前のカイルが命のやり取りをしていたなんて沙樹には信じられない。けれどそれはどこまでも真実なんだろう。そうしなければいけない状況に追い込まれた彼らの気持ちは、沙樹では解ってあげられない。同情では理解できないものなのだ。


「俺が告白したら一言ごめん、て。でもそれだけだったな。」

「だけって?」

「大分驚いてはいたけど、俺を蔑むことも罵ることもしなかった。」


 あっけらかんと男色家(ダリアン)であることを話してくれたから気付かなかった。やはりこちらの世界でも同性愛者に対する差別はあるのだ。その事実を今の一言が痛いほど表している。沙樹はカイルの想い人に感謝したい気分だった。目の前のこの人に優しくしてくれて、誠実な言葉をかけてくれてありがとう、と。


「・・素敵な人ですね。」

「だろ?まぁ、大分しつこく追い回したから怒られたこともあったけど。」

「へ?」

「敵の前線の真っ只中で、丁度二人きりになる瞬間があったからつい口説いたんだよね。」

「ち、ちなみに、なんて?」

「これが無事に終わったらキスしてくんない?って。あいつには何考えてるんだ!って怒鳴られたよ。」


 口を尖らせてそんなことをいうカイルに思わず噴出してしまう。そんな沙樹の横顔をカイルも微笑んで眺めている。


「もう今は恋愛感情とは違うけど、俺があいつを好きなのはこの先もずっと変わることはない。壁にぶつかっては怪我をするような不器用な奴だから、その分誰よりも幸せになって欲しいと思うよ。」


 遠い過去を見るカイルの飴色の目は凪の海のように穏やかで、幸せな恋だったんだろうな、と沙樹が感じるには十分だった。


「ねぇ。」

「はい。」

「ご要望通り話したんだから、俺のお願いも聞いてくれる?」

「何ですか?」

「せっかくだから、一曲唄ってよ。」


 カイルの目が甘い色を帯びて沙樹に向けられる。けれどそれは男性的な誘惑を含んでいるのではなく、甘えているように沙樹には見えた。


「いいですよ。どんな曲がいいですか?」

「勿論、恋の歌を。」


 沙樹は微笑んで立ち上がる。カイルの話を聞いて、思い浮かんだ一曲があったのだ。

 テーブルから離れて店で歌うように一度頭を下げると、二人に向けて沙樹は歌声を届けた。



“永遠は無いと思ってた 愛は幻想だと思ってた

 それは確かにあるのだと 気付かせてくれた君の笑顔


 君が好きだったあの曲を 僕は時折口ずさむ

 うまいねって褒めてくれる 君はもういないけど


 いつまでもいつまでも 僕は君を想っている

 君は歩いていけばいい ずっとずっと前を向いて”



 視界の端でカイルが微笑んできるのが見える。ヴァンが穏やかな目を向けているのが見える。優しい空気が漂うこの一室に、沙樹の柔らかな声が溶けていく。自然と沙樹の口元にも笑みが浮かぶ。



“細い腰を引き寄せて 小さな背中を抱きしめて

 ずっと一緒にいられたら それは僕の小さな夢


 君が好きだったこの歌詞を 僕は笑顔で眺めてる

 だって君があの街で 笑っているって知ったから


 いつまでもいつまでも 僕はこの歌を唄おう

 君から貰った心を胸に 前に進むと決めたから”

【登場人物紹介】

・沙樹(24):幼少を孤児院で過ごした一人暮らしのOL。


《アンバ国》

・ラング(46):田舎街サンドにある教会の神父。

・エド(26):亜麻色の髪と目を持つ整った顔立ちの旅芸人。

・ダルト(27):エドの兄。無口で体格の良い旅芸人。

・ビビ(28):金髪に褐色の肌をした魅惑的なダンサー。姉御肌。


《ユフィリル》

・ヴァン(23):いつも不機嫌そうな青年。城下で政務官をしている。

・カイル(31):第十騎士団の不真面目で美形な騎士。明るい同性愛者。


【地名】

・アンバ:商業主義の大国

・ピノーシャ・ノイエ:大陸北東に位置する列島

・ユフィリル:農業の盛んなアンバの同盟国

・ヌーベル:ユフィリル最北端の港。

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