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第一話 1.ひとり(2)

 

 * * *


 沙樹は沢山の子供達と共に長いテーブルに着いている。目の色も髪の色も、そして年齢もバラバラの子供達が約二十人。一番下は五歳。上は十三歳程だ。最も多いのはブラウンの髪の子で、中には金髪や赤毛の子もちらほらいる。けれど沙樹と同じ黒髪はいなかった。どうやら此処は親のいない子を預かっている養護施設らしい。そう沙樹は見当をつけていた。

 服はノーカラーの白い七部袖ブラウスと黄緑色の裾に小花柄の刺繍が入った膝丈スカートに着替えている。いつの間にか部屋の中に用意されていたもので、昨日から同じ服を着ていたので借りることにしたのだ。

 今、時刻は夕暮れを過ぎた頃。時計が無いので時間がよく分からないだが、窓の外を見れば遠くの山に太陽が沈み、少しずつ星が顔を覗かせていた。


 目の前のテーブルには沢山の夕食が並んでいる。レパートリーは野菜たっぷりのスープと丸いパン。蒸かした芋に鶏肉を焼いて食べやすく割いてあるもの。これには別の小皿に用意されているタレのようなものを付けて食べるらしい。

 そして子供達によって運ばれてくる料理をマジマジと見ている沙樹を更に珍しそうに幼い子供達が見つめていた。沢山の視線を受けて居心地が悪いが文句は言えない。そう、文字通り『言えない』のだ。この土地の言語が分からないのだから。

 『何故』と『どうして』を嫌という程頭の中で繰り返しても答えは見つからないまま、沙樹は見ず知らずの子供達と共にこの席に座っている。朝目覚めてから夕飯時の今まで、この状況への混乱と拒絶で一杯一杯だった。見ず知らずの場所、聞いたことの無い言葉、明らかに日本人ではない人種の人達。何もかもがおかしいのに、何もかもが間違っている筈なのに、誰も答えをくれない。誰も助けてくれない。その内おかしいのは自分の方ではないかと思い始め、これは夢だと言い聞かせても目の前の光景は変わらない。あまりの混乱に泣くことすら出来ないでいたら、夕日に包まれた頃沙樹のお腹が派手な音を立てた。あまりの事態で忘れていたが、昨日の夜から何も食べていなかったのだから当然だ。そこでやっと冷静になり、彼らと一緒に食事の席に着くことになったのだった。


 最初に声を掛けてくれたこの建物の中で会った唯一の大人、彼はラングと名乗った。自分のことを指差し、言葉が分からず混乱と共に怯える沙樹に向かって何度も「ラング」とだけ言っていたから間違いなく彼の名前だろう。もしかしたら役職名かもしれないが、子供達も彼のことをラングと呼んでいたから、沙樹も彼のことをそう呼ぶのは間違っていない筈だ。


 食事が並び終え、子供達はそれぞれ席についている。どうやら席は決まっているらしく、幼いにも関わらず彼らは行儀よく自分達の席に収まっている。まだ食べ始めないのはどうやらラングが食卓に着くのを待っているらしい。この建物の中で大人は彼しか会っていない。もしかして食事も彼一人で用意しているのだろうか。

 ふと目線を料理から手前に移すと、そこにはスプーンとフォークが並んでいた。けれどそれを見て、沙樹は思わず「あ」と声を出してしまった。沙樹が見慣れているフォークは当然三又だが、ここのフォークは二又だったのだ。珍しくて声を上げた沙樹に子供達はなんだなんだと余計注目する。それが恥ずかしくて黙って顔を赤くしていると、不意に一人の子供が「アム」と言った。


「・・・・あむ?」


 アム、とは一体なんだろう。そう思ってきょろきょろしていると、沙樹の隣に座っていた女の子も自分を見上げて言った。


「アム!」

「え?」


(だから、アムって何?)


 するとそれに釣られていろんな子供達が「アム、アム」と言っている。いつの間にかランプに照らされたダイニングは「アム」の大合唱になっていた。


「えぇ??」


 何が何だが分からず椅子の上で縮こまっていると、再び隣の女の子と目が合う。彼女は七歳ぐらいのオレンジ色のワンピースを着た目のくりくりした子で、胸の辺りまで伸びた沙樹の髪の毛をそっと掴むと「アム!」と嬉しそうに言った。


「え、アムってこれ?」


 髪のことを『アム』というのだろうか。ならば、何故アムで皆それ程興奮しているのだろう。沙樹が遠慮がちに彼女の髪に触れて「アム?」と言うと、今度は首を横に振った。もしも首を振るジェスチャーの意味が沙樹の知っているものと同じだとしたら、髪のことではないのだ。首を傾げる沙樹を見た彼女は、自分の髪を持ち上げるとこう言った。


「スレー。」


 沙樹の髪は『アム』。彼女の髪は『スレー』。二つの違いは色だけだ。ならば、アムは・・・・

 沙樹は自分の目を指差すと「アム?」と訊いてみた。すると、


「アム!アム!」


 彼女と共に周りにいた子供達も嬉しそうに頷く。どうやら正解したらしい。根っからの日本人である沙樹は髪も目も当然黒い。つまり『アム』とは黒い色のことを指すのだ。『スレー』は彼女の髪の色、ブラウンを指すに違いない。子供達が興奮するほど黒い髪は珍しいのだろう。

 子供達の笑顔にほっとして、やっと肩の力が抜けた気がした。沙樹は隣を見て「ありがとう」と言って笑った。言葉は通じていないだろうけど、初めて見せた沙樹の笑顔に彼女も嬉しそうに笑い返してくれた。






 スプーンは『タン』、フォークは『トール』、椅子は『フォンガ』、スープは『ルー』。色々指をさせば、子供達が面白そうにその名前を教えてくれる。どうやら自分よりも言葉を知らない沙樹にそれを教えるのが楽しいらしい。いつの間にか競争のように我先にと声を上げる。次に沙樹が何を指差すのか予想してフライングする子もいた。同時にどっと笑い声が上がる。子供達と一緒に段々と楽しくなってきた沙樹が次に選んだのはパン。すると向かいに座っていた男の子が手を上げて「パン!!」と叫んだ。


「へ?」


 呆気にとられてもう一度指差すと、今度は違う子が「パン!」と答える。どうやらパンは『パン』らしい。パンは英語だと『ブレッド』だった筈だ。此処が英語でもフランス語でもドイツ語圏でもないことはとっくに気付いていたが、覚えやすくて結構な事だ。

 子供達とワイワイ騒いでいると、一番小さな子が「ラング!」と声を上げたので、沙樹もラングが食卓のあるこの部屋に入ってきたことに気がついた。彼の腰には白のギャルソンエプロンが巻かれている。やはり料理は彼が作っていたようだ。彼と目が合うと、無意識の内にペコリと軽く頭を下げる。この土地の礼儀作法は知らないが、ついつい頭を下げてしまうのは日本人の習性だ。そんな沙樹をどう思ったのかは分からないが、ラングは子供達に声をかけた。


「ヤァ、ムフォン。タッセ・××××××フォンガ」


 すると彼らは静かに席に座りなおす。全部は聞き取れなかったが、どうやら「席について」みたいなことを言ったようだ。先ほど教えてもらった『椅子(フォンガ)』という単語が出てきたからそんな所だろう。

 最後にラングが端の席に座ると、一番年長の男の子が皆の顔を見渡して言った。


「サラン・ム・ハルツ・ラ・フジュー。ダイアン・ラバラ・ロイエ・スン。」


 すると子供達とラングが声を揃えて復唱する。


「サラン・ム・ハルツ・ラ・フジュー。ダイアン・ラバラ・ロイエ・スン。」


 そしてそれぞれにスプーンやフォークを持ち、食事を始めた。もしかしたら「いただきます」と同じ意味なのかもしれない。やけに言葉が長いが、国によっては神に感謝を捧げてから食事を始める所もある。ここも似たようなものだろう。だが、そんな言葉など聞いたことも無い沙樹はどうすればいいのか分からずオロオロしていると、それに気付いたラングと目があった。


「ミーイン・サン。」


 意味は分からないがそう言って頷いてくれたので、「食べていいよ」と言ってくれたのだろう。きっとそうだ。そう自分に言い聞かせて、沙樹もやっと食事に手を伸ばしたのだった。






 最初に目覚めたあの小部屋の窓から沙樹は夜空を見上げていた。食事を終え、お風呂を済ませると再びこの部屋に案内されたのだ。どうやら此処には水道やガスなどのインフラは整っていないらしい。浴槽の無いお風呂は良い香りのするハーブが入った布袋で体を擦り、薪を燃やして沸かしたお湯を浴びるだけの簡単なものだった。


 食事もお風呂も子供達が一緒だった。だから初めて見るもの、初めて聞く言葉に段々と面白ささえ見出していたが、再び一人にされるとじわじわと不安が押し寄せる。ここはどこなのか。何故自分がここにいるのか。答えの出ない疑問だけが頭をぐるぐる回り続ける。

 昔から沙樹は星を見るのが好きだ。だから深呼吸して、夜空でも眺めて少し落ち着こう。そう思って窓にかかったカーテンを開けた瞬間、沙樹は息を呑んだ。

 窓の外に広がる真っ暗な空。そして無数の星々と共に浮かぶのは青い月。そしてその横には青い月よりも一回り小さい白い月。


(ここには衛星が二つあるの・・・?)


 日本じゃないことは最初から分かっていた。自分が聞いたことのある言語が使われている国ではないことも。けれど世界には沙樹が学校で習っただけでも192ヶ国もの国がある。その内のどこだろうか、そう考えていた。けれど目の前の光景はその予測を根底から覆している。沙樹がいた地球には衛星が、つまり月は一つしかない。ならばここは――


「・地球じゃ、ない・・?」


 そう気付いた瞬間足元から崩れ落ち、ペタンと床にお尻が着いた。


「うっ・・・。」


 急激にお腹から熱いものがせり上がり吐き気が襲ってくる。慌てて両手で口元を押さえるが、全身を襲う寒気とじっとりと滲む汗は止まらない。


(気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。)


 誰か教えて。ここはどこなの?私はどこにいるの?これは一体、誰の意思なの?

 これまで抑えていた涙がボロボロと零れ落ちてくる。


(もうやだ。やだやだやだ。帰りたい。家に帰りたいよ・・・)


 吐き気を我慢しながら体をくの字に曲げ、ひたすら耐える。沙樹の全身が今この現状を拒絶していた。

 けれど、何もかも分からず、頭が空っぽの沙樹でも一つだけ分かったことがある。それは――


(私・・・。また、ひとりになっちゃった・・・)


 懸命に泣き声を殺すが、涙は止まらない。冷たい床に額を押し付け、沙樹は二つの月明かりに照らされながら涙を流し続けた。

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