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第三話 3.カイル(1)

 平坦な地形をしているアンバと違い、多くの山々に囲まれたユフィリルの風景は日本に近いものがあって沙樹の心を弾ませた。きょろきょろと周囲を見渡す沙樹に対し、ヴァンが冷たい視線を投げかける。


「あまり余所見をしていると転げ落ちるぞ。」

「!!」


 途端にピッと姿勢を正す沙樹。するとすぐ後ろからくすくすと笑い声が漏れた。


「大丈夫。落ちたら拾ってあげるから。」

「・・・落ちる前に助けてはくれないんですね。」


 その言葉に沙樹はがっくりと肩を落とすしかない。

 アンバから関所を抜けて、現在三人は城下へ向けて街道を北上している。移動手段はカナンだ。と言ってもエド達と一緒に乗ったような乗合馬車ではなく、直接鞍と轡つけた乗馬である。当然沙樹は馬に乗ることなど初めてなので、今はカイルと共に騎乗している。多少お尻が痛いが、手綱はカイルが握ってくれているので安心だ。ただ先程の言葉通り落ちてからでなくては拾ってくれないようなので、転げ落ちることだけは避けなくてはならない。 

 ヴァンの馬が少し先を走っていくのを見て、前を向いたまま沙樹は後ろのカイルに話しかけた。


「カイルとヴァンの付き合いは長いんですか?」


 カイルに敬語じゃなくていいよ、と言われたので呼び捨てにしているが、相手が歳上の騎士と政務官だと思うと中々敬語は外せない。カイルもそれ程強く言う気はないようなので、取り敢えずはそれで会話している。


「いや、昔からお互い顔は知ってたけど、個人的な付き合いはここ一年ぐらいだな。」


 そう言うと、カイルはヴァンの後を追うように手綱を操り馬の足を速めた。


「俺は元々ブレード、あいつの兄貴の所で働いてたんだ。その内戦争にかり出されてあいつらとは顔を合わせなくなったんだけど、それも終わって国内の情勢も落ち着いてきた所でもう一度戻らないかと話があってね。でも断った。」

「どうして?」

「ブレードの所にいるのは俺じゃなくても良い。それより騎士団の連中と地方の警備してる方が気楽だからね。その後、俺の担当地域でふらふらしてるヴァンを見つけたんだ。」

「フラフラ?」

「そう。ヴァンは普段城下で仕事してるんだけど、抜け出して息抜きに来てたんだ。それから仕事サボっていなくなるヴァンを見つけてくるのが俺の役目になったわけ。」

「騎士なのに?」

「じっと突っ立って警備してるより、その方が面白いだろ?」


 気軽さとか面白さで仕事を選ぶ辺り、彼が自分で宣言していた通り真面目な騎士ではないようだ。沙樹は二人の馬がヴァンの馬に追いつく前に訊きたい事を思い出した。


「ねぇ、カイル。」

「ん?」

「ヴァンはやっぱり偉い人なんですか?」

「・・どうしてそう思った?」


 自分の後ろにいるカイルの表情は分からない。けれど少し空いた間が気にかかる。


「服が良い生地のものだし、前に少し仕事の話を聞いて・・。それなりに人に期待されたり、注目を浴びるような仕事なのかな、と思って。」


 沙樹はヴァンの仕事をはっきりと聞いたわけではない。けれど「つまらない仕事だ」と言い捨てた彼の言葉がずっと気になっていた。彼が仕事を抜け出すのはサボりたいと言う単純な理由ではなくて、もっと彼の悩みに連動しているような気がするのだ。

 沙樹の言葉には好奇心ではなく、ヴァンへの心配の色が滲み出ているのがカイルにも伝わってくる。彼は口元だけでそっと微笑み器用に片手で手綱を取ると、まるで小さな子供にするように空いた手で沙樹の頭を撫でた。


「カイル?」

「シンガーは良い子だねぇ。」

「もう。そんな子供じゃないんですけど。」

「そう言えばいくつだっけ?」

「二十四です。」

「へぇ。ヴァンより歳上なんだ。」

「え?」

「あぁ?」


 その時丁度ヴァンの横に追いつき、彼が振り返った。どうやら自分の名前を口にしたカイルの声が耳に届いたらしい。


「お前が・・、歳上?」


 やけに嫌そうな顔をされるので、沙樹もムッとヴァンを睨み返す。


「だから、二十四です。」

「ヴァンは今年二十三だったよね?」

「・・・・・。」


 嫌そうだ。本当に嫌そうだ。見る見る眉間の皺を深くするヴァンを見て、カイルはふっと笑った。


「そんな顔しなくてもいいのに。」

「そうですよ。そんな顔をしてると幸せが逃げますよ?」


 笑う門には福来る、という言葉を知らないのだろうか。そう思ったが、まぁ、知らないだろう。当然のことながら日本の言葉なのだし。

 するとやはりヴァンが怪訝な顔で見返してきた。


「それはどういう意味だ。」

「笑顔が集まる場所に幸せがやってくるものなんです。」

「幸せだから笑うんじゃないのか?」

「どちらもお互いに必要な要素なんですよ。」


 そう言うとカイルが成る程、と頷いた。


「芸人らしい言葉だね。人を笑顔にする君のような仕事は幸せを呼ぶきっかけになるわけだ。」

「そうですね。」


 カイルのお陰で上手く話がまとまった、と思ったらヴァンは何が気に入らないのかフンッと鼻を鳴らしただけだ。けれど先ほどのように先に馬を走らすことはせず、並走して三人は街道を進んだ。






 ヴァン達が馬を止めたのはハーシカという街だった。関所から続く街道沿いの街だけあって、これまで沙樹が訪れた中でもかなり大きい。流通の中心にもなっている為、多くの商店が街道沿いに並んでいる。活気溢れた街の光景に、サンドの青空市の時のように沙樹の心が躍った。


「今日はここで一旦宿を取るよ・・・って、シンガー?聞いてる?」

「あ、はい!聞いてます!!」

「楽しそうだねぇ。」

「ガキ・・・。」


 ぼそっと零したヴァンの言葉を聞き逃さず、沙樹は彼の顔を見上げる。


「ヴァン。聞こえてます。」

「気のせいだろ。」

「ガキはどっちですか。」


 二人のやり取りにカイルが楽しそうに笑う。段々とカイルの性格が掴めてきたのだが、彼は基本こういう時止める気が無い。放任主義と言うか個人主義というか、放置プレイと言うか・・・。多分サドだ、と沙樹は思う。一方、ヴァンは子供っぽい。それが分かってくると不機嫌なのも単に拗ねている子供のように見えるから不思議だ。


「宿を見つけたらこの辺りを見て回ってもいいよ。」

「本当ですか!?」

「うん。じゃ、取り敢えず行こうか。」

「はい。」


 色鮮やかな反物に様々な野菜、魚の露店。流石ユフィリル国内だけあってガラス細工の店もある。その中に古本をずらりと並べた店を見つけて沙樹の興味を引いた。一人暮らしをしてからはあまり本を読まなくなってしまったが、学生時代は動物や植物の図鑑から小説など色々な本を学校で借りて読んでいた。この世界の本を読むのは訳しながらになるので苦労するが、図鑑だったら見てみたい。


「おい、後にしろ。」

「はーい・・。」


 興味あるものを見つけては沙樹が立ち止まってしまうので、めんどくさそうにヴァンが沙樹の手を引く。まるで兄妹のような二人を後ろから眺めながら、カイルは宿を探していた。ここは城下へ向かう際よく通る街なのでカイルがいつも使う宿屋がある。そこを目指して進んでいるのだ。


(あの辺りだな・・)


 道の左前方に見慣れた青い屋根を見つけて目を細める。二人に声を掛けようと目線を戻すと、いつの間にか沙樹の姿がない。


「ヴァン。シンガーは?」

「あ?あ、あいつ!!」


 いつの間にか見失っていたらしい。手を掴んでいたはずなのに何をやってるんだか。そう思っていると脇道からひょっこり沙樹が姿を現した。


「お前何やってんだ!」


 ぐいっとヴァンが腕を引けば、彼女は首を傾げてヴァンを見上げる。その手には小さな小瓶が握られていた。


「ねぇ、ヴァン。これ何ですか?」

「ん?」


 ヴァンが彼女の手の中を覗き込む。一瞬眉根を寄せたかと思うと、みるみる内にその顔を赤くした。


「・・・なっ!こんなもんどこから!!」

「え?さっきそこでお店の人がくれたんですけど。」

「バカ!!早く捨てろ!!」

「へ?なんで?」

「いいから!!!」


 ヴァンは沙希から小瓶を取り上げ道に投げ捨てる。そのまま納得いかない顔をしている彼女の腕を取り、ぐいぐいと引っ張って行ってしまった。カイルはそんなヴァンの背中に声を掛ける。


「ヴァン!!左に見える青い屋根の宿屋!」


 彼は何も返事をせずに行ってしまったが恐らく聞こえているだろう。カイルは一人で彼らが立っていた位置まで行くと、ヴァンが捨てた小瓶を拾い上げる。大きさは女性の親指程、中には黄色い液体が入っていた。コルクの栓を開けると強い花の香りがする。覚えのある匂いにラベルを確認すれば、そこには黄色い大輪の花に絡まる蛇が描かれていた。

 ゆっくりとした足取りでカイルは沙樹が出てきた路地へ入っていく。そこには石畳の路地に敷いた敷布の上に品物を並べただけの簡易な露店が並んでいる。その中に同じラベルの瓶を置いた店を見つけて足を止めた。瓶の一つ一つはカイルが手にしている物の五倍程の大きさがある。カイルに気付いた無精髭の店主は笑顔で客を出迎えた。


「いらっしゃい。」


 一見中年に見えたが、上げた顔をよく見ればカイルと同じぐらいの年齢のようだ。


「末端か。」

「へ?」


 すると店主はカイルの腰元を見て顔色を変えた。


「これ、黒髪の女の子に渡したの君だよね?」

「あ・・。」


 沙樹が持っていた小瓶を見せれば男の目が泳ぐ。男が逃げようと立ち上がりかけた足をカイルは容赦なく手入れされた皮のブーツで踏みつけた。


「いてぇ!!」


 叫ぶその口元に一瞬で抜いた剣の腹を当てれば、その感触に男の喉が引きつる。彼の剣にはユフィリルの国章。騎士の証が刻まれていた。


「あんまり構ってやる時間はないんだ。いい子だから大人しくしててよ?」


 綺麗な顔が目の前で微笑む。静かだが有無を言わさぬ絶対的な迫力を前に、男はただカクカクと頷くしかなかった。






 コンコンッと軽い音と共にドアがノックされる。けれどそれに応えることが出来ずに部屋の主、ヴァンが恐る恐るドアを振り向けば、返事を待たずにドアが開く。そこには予想通りの人物が立っていた。


「入るよ。」


 つかつかとブーツの音を鳴らしてヴァンの居る丸テーブルまで歩いてくる。向かいの椅子に腰を下ろし、気まずそうに目線を逸らすヴァンに向かってカイルはにっこりと微笑んだ。


「ヴァン。」

「・・・なんだ。」

「ダメだろ?アレを見つけたならちゃんと教えてくれないと。」


 アレ、とはヴァンが投げ捨てた小瓶のことだ。それを思い出してヴァンの声が小さくなった。


「いや・・、まぁ、すまん。」


 謝罪の言葉を口にしつつも全く自分の方を見ようとしないヴァンに、カイルは更に笑みを深くする。直視してはいないものの、その気配を感じたのかヴァンの肩がビクッと震えた。


「ヴァン。」

「・・・あぁ。」

「どうせ乱れたシンガーでも想像して動揺したんでしょ?」

「カイル!!」


 そこでやっとヴァンがカイルの顔を見る。怒りだけで染まっているのではない真っ赤な顔を見れば、あながちカイルの言葉も外れていないらしい。カイルは我慢しきれない笑いの衝動に身を任せて体を震わせた。


「あはははっ。はいはい。事後処理はしておいたから安心していいよ。」

「・・・・。」


 完全にからかわれている。それが分かっていても言い返す言葉の無いヴァンはもはや彼の顔を睨むことしか出来ない。

 何も知らない沙樹がヴァンに見せた小瓶の中身は所謂催淫剤だ。大輪の花と蛇のラベルのものは主に娼館で出回る代物だが、ユフィリルではその販売を禁じている。けれどどこにでもそれをかいくぐる輩はいるもので、沙樹のように何も知らない客に少量の小瓶を無料で配り、薬にハマった所で高い料金の本品を売りつける。よくある手だ。

 当然それを取り締まるのも騎士の仕事。検挙した男をこの街の警備を担当している騎士団に引き渡してきたカイルは、その小瓶を見て顔を真っ赤にしたヴァンに忠告すると同時にからかいに来たのである。何も知らない沙樹は今隣の部屋で休んでいる筈だ。

 むっつりと黙り込んだヴァンをカイルはおかしそうに見返した。


「ちょっと惜しかったとか思ってる?」

「思ってない!!!」


 一際大きな笑い声が部屋に響く。年齢の割りには意外と初心なヴァンの反応に、カイルは十分満足したのだった。

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