第三話 2.歌の続き
翌日。関所の前まで行けばすでに長い列が出来ていた。今日もここに並ぶのかと思うとうんざりするが、皆同じ条件なのだから仕方ない。
溜息を抑えて最後尾に並ぶ。するとその横を馬車が通った。馬、と言っても沙樹が馬だと理解しているだけで本当はカナンという名前の動物だ。見た目も馬に近いのだがカナンは鬣がなく、額には親指ほどの小さな二つの角がある。大人しい気性でやはり馬のように荷を引いたり、人を乗せることに利用されている動物だ。
この世界で沙樹がやっていけている理由の一つが、ここの生態系がほとんど地球と変わらない点にあると思う。全く違う惑星なのだからそれこそ空が緑色だったり、暮らしている人々がテレビでやっていたような気持ちの悪い宇宙人だったとしても可能性としては有り得る話。けれど人も動物も植物も、沙樹にとっては混乱の無い程度の違いしかない。恐らくここは地球と非常に近い条件の揃った星なのだろう。時間の感覚もそう違いは無いし、今思えば大気を形成している成分が同じでなければ沙樹がここで生きていける筈も無いのだ。
必死に宇宙人を探している人達に教えてあげたい。ここにもう一つ、知的生命体のいる星があるのだと。きっとNASAが大騒ぎになる筈だ。
「なんだ。お前通行証がないのか。」
そんな思考に捕らわれている所に突然割って入ってきたのは聞き覚えのある声だった。
「・・おはようございます。ヴァンさん。」
声のした方を見れば沙樹の横を通り過ぎようとしているヴァンとカイルの二人が揃っている。カイルとは宿屋で朝食を共にした後お礼を言って別れたのだが、その後違う宿に泊まっていたヴァンと合流したのだろう。列に並ばずに前に進もうとしている所を見ると、もしや騎士団の人は顔パスで関所を通れてしまうのだろうか。
「身分証は?」
昨日よりも不機嫌さはなりを潜めているが、隣でにこやかな表情をしているカイルと並ぶとやはりその表情は硬い。怒られている訳でもないのに身分を改められるのかと思うと、まるで警官に呼び止められたような気分になる。いや、ある意味カイルが居るから警察みたいなものなのかもしれないが。
「身分証は持っていません。教会の紹介状なら。」
「見せてみろ。」
「・・はい。」
何故そんな上から目線なのか分からないが、もしかしたらヴァンはここの役人なのだろうか。素直に荷物の中から茶の懐紙に包まれた紹介状を差し出すと、当然のように中身を改められた。
「確かにアンバの教会印があるな。・・・シンガー?」
「はい。」
「お前の名前か?」
「はい。」
「・・・聞かない名だな。カイル。」
「はいよ。」
横に居たカイルにそれを渡し、ヴァンはさっさと歩き出してしまう。訳が分からず、けれど紹介状を持っていかれては困るので沙樹は慌てて声を掛ける。
「あの!!」
「何突っ立ってる。さっさと来い。」
「え?」
それだけ言ってヴァンは再び先へ行ってしまう。するとカイルがこっちにおいで、と手招きしてくれた。
「あの・・・。」
素直に列から抜け出すと、カイルは笑って歩き出す。
「ここを通らせてあげるよ。ついておいで。」
「いいんですか?」
「一応教会印が本物か確認するけど、まぁ問題ないでしょ。」
なんだかズルをしているようで申し訳なくもあるが、昨日のように何時間も並ぶのかと思えば随分助かる話だ。素直にお礼を言い、沙樹も彼らに続いて関所のある建物の中へと入っていった。
関所の建物の中。カイルが先頭に立って歩くと次々に鎧を着た騎士や役人らしき人達が頭を下げる。それに軽く手を上げて応じながら、彼は小さな応接間に沙樹を通してくれた。
「紹介状を確認させるからちょっとここで待っててくれる?」
「はい。分かりました。」
石壁に囲まれている応接間はひんやりとしているが、床には毛足の長い絨毯が敷かれ、大きな窓もあるおかげで室内は明るい。同じく応接間に残って備え付けのソファに腰を下ろしたヴァンに沙樹は疑問を投げかけた。
「もしかして、カイルさんって偉い方なんですか?」
するとちょっと眉根を寄せてヴァンが沙樹の顔を見る。腕と足を組んで座る姿はカイルよりも彼の方が偉そうに見える。
「役職の無い平の騎士だ。だが功績がある。」
「功績、ですか。」
「この国の騎士でフォルタナ・ム・キースと言えば知らぬ者はいない。」
フォルタナ・ム・キース。直訳は『黄金の鷹』。沙樹は勿論初めて聞くが、二つ名を与えられる程彼は騎士として優秀で、多大なる功績を挙げたということなのだろう。役職を与えられなくても彼の名はこの国の功労者として知られているわけだ。
「もしかして、ヴァンさんも騎士の方なんですか?」
「いや、俺は単なる政務官だ。」
つまらなそうに彼は言う。やはり彼はどこかの役人らしい。普段は城下に居ると言っていたから、関所とは違う場所で働いて居るのだろう。
騎士と役人の二人が付いてくれているとはいえ、本当に列に並ばずこんな待遇を受けてしまって良いのだろうか。
「あの、本当にいいんですか?」
「何がだ。」
「昨日知り合ったばかりでこんなにお世話になってしまって。」
するとヴァンが眉間の皺を深くした。何故ここで不機嫌になるのか分からないが、沙樹から目線を逸らしてしまう。それでもじっと彼の言葉を待っていると、ぼそっとした彼の声が聞こえた。
「歌の・・・」
「歌?」
「昨夜の歌の、支払いをしていない。その代わりだ。」
(あ・・。)
確かに通常リクエストに応えたら心ばかりのお金を受け取るのが常だが、そもそも昨日は営業したつもりはないのだし、彼に聞かせたのは曲の途中までだ。そう言うと意外にも彼は引き下がる所か興味を持った。
「あの歌には続きがあるのか。」
「えぇ。実はまだ作詞途中だったんです。」
「・・そうか。」
すると何かを考え込むように彼は黙ってしまった。話題が途切れてしまって、沙樹は窓の外を眺める。アンバ側の風景が臨めるそこからは未だ長い人々の列が見えた。
* * *
「歌の続きが聴きたい。」
「はい?」
自分に向けられた大真面目な顔を沙樹は失礼だとは思いつつマジマジと見返した。確かに応接室で作詞途中だと言った筈なのだが、話を聞いていなかったのだろうか。
「ですから、あの歌はまだ作詞途中で。」
「それは聞いた。」
「なら今ここで歌えない事もご承知なんですよね?」
「あぁ。」
「???」
訳が分からず隣のカイルに目線だけで助けを求める。だが彼はただ綺麗な笑みを沙樹に向けただけだ。その腰にはアンバ側で会った時には持っていなかった剣を佩いていた。他国に入国する際は例え騎士団であっても、アンバ王家の許可が無ければ武器の持ち込みは出来ないらしい。昨夜は関所に預けられていた使い古されたその剣にはユフィリルの国章が刻まれていた。
沙樹は今、無事に関所を抜けて壁の向こう側、ユフィリルに入国を果たしたばかりだ。そこで一緒に関所から出たヴァンとカイルの二人にお礼を言って街道を下ろうとした所で、先ほどのヴァンの理不尽な要求にあったわけである。
「私にどうしろと?」
いい加減話が見えなくてそう問うと、何故かヴァンは顔を背けた。自分から話を振っておいてその態度はどうだろう。怪訝な表情をした所で口を開いたのはカイルだった。
「シンガーはここからどこへ向かうの?」
「えーと、ヌーベルの港まで北上する予定です。」
「ヌーベル?また随分と長い旅路だね。」
ヌーベルとはユフィリル最北端の港のこと。目的地であるピノーシャ・ノイエはユフィリルの更に北にある列島である。その為ヌーベルから出ている船でそこまで行く予定なのだ。ユフィリルは縦に長い地形をしているから、ほぼこの国を縦断することになる。エドの見立てでは半年になる長い旅だ。
「俺達はここから城下に向かう所なんだ。良かったらそこまで一緒に行く?」
「え?」
「君はこの国初めてなんでしょ?俺達と一緒の方が断然早いと思うけど。」
それは確かにそうだろう。道案内が居てくれるのは頼もしいのだが、あの歌の支払いにしては随分と過剰な条件だ。
相変わらずニコニコと自分を見ているカイルと、相変わらず自分から顔を逸らしているヴァンを交互に見る。この国の騎士と一緒ならさぞかし安全な旅になることだろう。けれどやはりヴァンの言葉が気に掛かる。
「お供させてもらえるのは嬉しいのですが、それと先程の要求は関係があるんですか?」
ちょっと強い態度でそう言えば、ビクッとヴァンの肩が震えた。すると溜まりかねたようにくくくっとカイルが声を漏らして笑う。それに気付いたヴァンが一人で歩き出してしまった。
「いいから行くぞ!!」
足の長いヴァンが早足で歩けば、その背中はあっという間に小さくなる。慌ててその後を追いながら、沙樹は未だ笑いを抑えられないでいる隣のカイルを見上げた。
「なんというか、強引な人ですね。」
「強引っていうより頑固なんだよ。」
どうやらその会話が届いてたらしい、眉間に皺を寄せたヴァンが足を止めないまま二人を振り返った。
「お前の頭が柔らか過ぎなんだ。」
するとその悪態に何故かカイルは笑みを深くした。
「何せケニアックですから。」
「異端児?」
二つ名を持つ国の英雄ではなかったのだろうか。首を傾げる沙樹にカイルは肩をすくめてみせる。
「俺、真面目に仕事しないから。」
「はぁ・・。」
沙樹の中の騎士とは随分イメージが違う。まぁ自分の性癖をぺろっと話してしまう辺り、十分異端児と言えるのかもしれない。
いつも不機嫌で偉そうな政務官と不真面目な美形の騎士。不思議な旅の同伴者と共に、沙樹はユフィリルの地に足を踏み入れるのだった。