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——瀬戸際②


「……これですか。うーん、なんとなく僕の字に似ていますけど、見覚えありませんね」

 じっくり見た上で、受け取った紙を返しながら答える僕に、中年の刑事は「やっぱり」と言うようにタバコの煙をはいて、この手紙を入手したいきさつを教えてくれる。

 その間、僕はなぜこんな話をしているのか分からないふうな顔をしておき、聞き終えても「はあ」と間の抜けた返事しか返さなかった。

 僕の反応を見て、若い刑事が何か言いたそうにしたのを、中年の刑事が手でさえぎる。


 極めて少ない確率とはいえ、僕は最初からこの紙が残される可能性は懸念していた。

 ただしそれは回収業者の人が喜んで残しておくのではなく、分別されて剥がされるか、廃材どうしがこすれて破けるといったものだったけれど。


 だから僕はこれを書く時に文字のハネやハライを普段とは違えて筆圧も変えた。それに全体的に平べったくしてある。

 パッと見が似ていたところで正式に筆跡鑑定へ依頼すれば「別人の可能性が高い」と判断される。

 絶対に間違えてはいけないからこそ、慎重にならざるを得ないんだ。


 そもそもこれだけでは物的証拠にならない。

 この紙が「どこの何に」貼り付けられてあったのか、もしヤツを閉じ込めた廃材だったとしても、それが本当に間違いないのかが立証出来なければ、あくまで回収業者を気遣うためのメモでしかない。


 刑事自身それが分かった上で僕に見せたのは、これを見せられた時の反応を見るためだ。

 だから僕にとって重要だったのは、僕自身がこんなものを書いた覚えがないと思い込むこと。


 本当に忘れることは出来なくても、こんなふうに突きつけられても平静を保ったまま「見たことがないと答える」状況を何度も何度も繰り返し頭に叩き込んでおいた。だからこそ動揺せずに答えられたんだ。


「そうか。見覚えはないのか……」


 中年の刑事はつぶやいてポケットから新しいタバコを取り出して火をつける。

 この刑事がこれを僕に見せたのなら、両親へ宛てて書いた手紙の筆跡を覚えていた上に、あの時からすでに僕を疑っていたと言うことだ。

 そして犯人は僕だと決めつけて探さなければ、こんなメモを証拠として突きつけられるはずがない。

 つまり、この刑事は僕が関わったのは主犯のヤツを始末した最後の一件だけじゃないことまで見抜いている。


 いや本当にそうだろうか? 犯人逮捕後の取調べや捜査中の容疑者に対し、沈黙と揺さぶりを使い分けることで容疑者自身の疑心暗鬼を膨らませて自白へ誘導するのが老練なやり方だ。

 今の時代、暴力を使って自白を強要すれば、後から信憑性が疑われて無罪放免になる可能性が高い。

 その意味でもこの中年の刑事は優秀、老獪な相手だ。


 逮捕、自白……そんな言葉が頭をよぎった。

 自殺した病院長を除けば、僕が殺したのは八人。客観的に見てもすべてに計画性があり、手口は残忍で卑劣。弁護の入る余地もない人数だ。軽くて無期懲役、最悪の場合は死刑もあり得る。


 両親は悲しむだろうな。家族から殺人者を出したからには、世間からひどい仕打ちを受けるに違いない。結局、僕のやったことで今度は両親が社会的なイジメを受けることになるのか。

 クリニックの先生も裏切ることになったな。先生のおかげであいつら以外のやつらは人間だと思えるようになったのに。



「お前さんに二つ聞きたいんだが、いいかな」

 刑事が煙を深く吸いながら問いかける。

「何でしょうか?」

「俺の息子の事件で、ミスした警視監が自殺したのは知ってるだろう」

「え……。息子さんの事件って何ですか?」

「ああ、すまない。昔、この町で起きた郵便局立てこもり殺人事件というのがあってね。最近ニュースでも騒がれたようなんだが、知らないかな」

「あ、それなら多分ネットで見ました。あの被害者の男の子……あっ! 名字は確か刑事さんと同じ……」


 危なかった。息子さんの事件のことも警視監の自殺のことも知っている前提の質問に引っかかるところだ。


「そうだ。その当時のミスが今さら取りざたされて、追及を受けた警視監が自殺した事件なんだが……」

 ここでまた、タバコの煙を肺一杯に吸い込んで間をあけた。


「騒ぎになるきっかけとなった昔の事件のあらましを、以前自殺した総合病院の院長を追い詰める原因を作った掲示板に書き込んだのが、隣にいる刑事だ。

 その後のやり取りの中で、主導権を握っているやつやマジレスしているやつ、書き込みの裏付けを取ろうとしているような目に付いたやつらのIPアドレスを逐一チェックしてある。

 警察から正式に要請すれば、ある程度どの地域から書き込まれたのか判明するだろう」


 しまった。あれはやっぱり釣りだったのか。しかも、よりによって警察の餌に引っかかってしまうとは。


「教えといてやる、警視監は自殺じゃない。懲戒免職を逆恨みして警察や政治家の裏事情をバラしてやると息巻いたための口封じだ」

「先輩! なぜそこまで!?」


 目を剥いて驚く刑事を制しながら、ゆっくりと僕の全身を眺める視線に体がすくんで動けなくなった。これが蛇ににらまれたカエルの状態なんだろうか。全身から嫌な汗が吹き出してきた。


「もし……」

 にらまれたのはほんの二、三秒だったけど、僕には二、三時間にも感じられ、その長い沈黙を破って刑事はまた問いかけてくる。

「もし、お前さんの学校で起きた一連の殺人事件や自殺には、実は真犯人がいて、たった一人で彼らを死に追いやったとは考えられないか?」


 ついに、諦める時が来たのか。


「いや、聞き方がまずかったかな。すでにこの事件は犯人が判明しているし主犯格の少年についても事故でかたがついている以上、お前さんにそれを尋ねても仕方ない。

 俺が聞きたいのは、お前さんをイジメていた中の主犯格だった生徒がいなくなった今、これからもこんな事件が起こると思うかと言うことだ」


 問い掛けの真意は分からないけど、もう嘘を言う必要はないな。


「いいえ、思いません」

「どうしてそう思うんだ? まるで真犯人を知っているような口ぶりじゃないか。

 それとも、彼らを恨んでいたお前さんだからこそ、真犯人の気持ちが分かるとでも言うのかな?」


「そうですね。もし真犯人がいたとして、僕と同じ目に遭わされてあいつらを恨んでいたとすれば、主犯がいなくなったおかげでもうイジメが無くなってホッとしているはずです。

 だったらもう殺人なんて恐ろしいことをする必要なんてありません」

「そうか。真犯人と同じ恨みを持っていたお前さんが言うんだから間違いないな」

 そう言って根元まで吸ったタバコを携帯灰皿へねじ込んだものの、中が満たんだったらしく吸い終わった何本かの吸い殻が地面に転がり落ちた。


「まったく、最近はどこも公園にゴミ箱を置かなくなって不便だな。よっこらしょっと」

 散らばった吸い殻を拾い集めて、パンパンになった灰皿へ無理矢理に詰め込んだ。


「だがな、万が一、次に同一犯による犯行が行われた時は、どんなことがあっても俺が事件を担当して捕まえる。

 もし、お前さんが真犯人に出会うことがあったらそう伝えてくれ。似た者同士は惹かれ合うと言うからな」

「分かりました。必ず」


 中年の刑事は僕に背を向け公園の出口へと歩き始める。


「ちょっ、先輩。どういうことですか」

「どうも何も、話は終わりだ。ほら行くぞ」

「せ、先輩。待ってください」


 刑事の後を追って、若い刑事も公園から出て行った。

 僕は一時だけ見逃されたのだろう。でなければ警視監が自殺じゃなかったなんてことを話す必要がない。

 “証拠があっても事件を自殺として処理することが出来る”のだから、“証拠なんて無くても、いつでも犯人として逮捕することが出来るぞ”と言う刑事からの脅しだ。

 ただ分かっていることは、これで僕はもう二度と復讐なんて出来ない。そのためにも、これからはイジメを起こさせないようにするんだ。




 中年の刑事は歩きながら箱に残った最後の一本のタバコを取り出した。

「先輩、ここ歩きタバコ禁止区域ですよ」

「お前さんに罰金を払うから、最後の一本を吸わせてくれ。あいつを見逃した罰だ。これを最後に禁煙する」

「先輩の禁煙宣言ほどあてにならないものはないじゃないですか」

「うるさいな。だったらこれから一本吸うたびに百円払ってやるよ」

「ほら、もう百円払えば吸えるとか考えているじゃないですか」

「まったく。ちょっとくらい俺の覚悟を褒めやがれ」

 忌々しそうにくわえていたタバコを箱に戻し、通りに面したコンビニのゴミ箱に箱ごと投げ捨てる。



「どうして彼を見逃したのです? やはり息子さんのことで……」

 停めてあった車に乗り込んでから、若い刑事が尋ねた。


「それも無いとは言えん。だが今の日本の法律では、凶悪殺人に時効が取り消されたとはいえ、刑罰の基準は「加害者に反省する気持ちや改心の余地はあるか、それが無いか」が基本だ。

 その意味で、俺は前にも言ったろう。美容クリニックの院長のおかげで、あいつは納めるべき鞘は持っている。俺に出来るのは、その刃を鞘に納めるタイミングを与えてやることしかないってな。

 あいつには改心の余地があるが、反省するかどうかは疑問だ。あんな頭のイカれた殺人ができて、平然としていられるヤツなんぞ放ってはおけない。

 もう殺人などやる必要がないと言ったことは、とりあえず信じてやる。だが次は俺も見逃さない。

 さて、署へ帰ったら署長にわびを入れるとするか」


「少年を見逃したことを話すのですか!?」

「いいや。キャリア組を目の敵にしてきたことだ。これからはやつらともちゃんと協力して犯罪捜査を進める。将来の警察組織を背負ってもらわなければならないからな。

 これでお前さんがキャリア組に戻ってからも、いつでも俺の現場仕込みの経験を聞きに来られるだろう」


「先輩……知ってたんですか」

「当たり前だ。俺の目は節穴じゃないぞ」


 笑いながらも刑事の手は無意識にいつもタバコが入れてあるポケットを探っている。


「ほら先輩、禁煙するっていったばかりじゃないですか」

「ああ、そうだったな。二千円渡すから途中で一箱買っていいか」

「だめですって!!」


 車の中で、二人は出会ってから初めて大声で笑い合った。


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